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会わせたくなかった二人、抱えた不安

「ただ⋯⋯いま⋯⋯」

 扉の向こうにいる母さんはハァハァと肩で息をしていた。

 どれだけ全力で走ってきたんだよ、とツッコミを入れたくなる。


 僕は、母さんに白い目を向けながら「おかえり」とそっけなく返した後に、「今日は帰りが早かったんだね」思った疑問を口にした。


「今日は残業がなかったからね! それよりも⋯⋯」視線による無言の訴えを少しも気に止めず、あっけらかんと一笑いした後に母さんは日和を見つめる。


 その目はまるで、野獣が獲物を見つけたと言わんばかりに輝きを放っていた。


 日和に目をやるとびくびくと体を震わせている。

 もしかすると、本能で察しているのかもしれない。


 ⋯⋯この人には勝てない、と。


 母さんは「まさか、あんたが女の子を連れて来る時が来たなんて⋯⋯」と言いながら日和を遠慮もせずにじろじろと見ている。


 日和はそれを聞いて「あのすみません、私はおと──」


 僕は日和が何を言おうとしたのか察して、日和の前に手をかざしながらやめた方がいいとジェスチャーをした。

 これ以上話をややこしくしたくなかったからだ。


 それを理解してくれたのか、渋い顔をしながらも頷いてくれた。

 もしかすると、あまり人を騙したくないのかもしれないなと納得をする。


 それを見て母さんは「なるほど⋯⋯そういう事か⋯⋯」と一人で納得していた。

 あれだけの事で何がわかったのだろうか。

 怖くて聞けない僕がいる。


 ⋯⋯とりあえず話題を変えよう、このままだと泥沼にはまっていきそうだ。


「えっと、これ僕の母さんね」まだ日和をじろじろと無遠慮に見続けている人に指を差しながら、日和に紹介をする。


 それを聞いて「うん、大体わかるよ」と日和は苦笑いを浮かべた。

 確かに、こんな不審者が不法侵入してきたら普通は通報するな。


 僕がそう紹介しても母さんは何も言わずに日和を見ていた。


 そして、唐突に我に返ったのかハッとなにかに気付いたような顔をした後に「ごめんごめん!」と大きな声で謝ってきた。


 いきなり大きな声を出すな、びっくりするだろ。


 母さんに言おうとしたその言葉は、口から出ることはなかった。


「私は多々野春菜(はるな)、この子の母親です。よろしくね」


 その人は背筋をピンと伸ばし微笑みながらお辞儀をする。


 母さんの態度がいきなり変わったことに驚き、僕は声を詰まらせる。


 ⋯⋯誰だ、この人。

 母さんは息子の僕でさえ見たことがない、まるで聖母と呼ばれていそうな程の柔和な笑顔をしている。


 日和をちらりと見ると、さっきまでの騒ぎが嘘のような変わりように目を白黒させながらパチパチと瞬きをしている。


 鳩が豆鉄砲を喰らった顔ってのはこんな顔なんだなと日和を見て理解してしまった。


 もしかすると、僕も似たような顔をしているかもしれない。


「わ、私の名前は橘日和って言います。ハル君とは一週間程前からお付き合いをさせてもらっています」

 日和は戸惑ったまま、少しどもりながらも丁寧に挨拶を返していた。


「日和ちゃんね」母さんはふむふむと頷く。

 いきなり下の名前で呼ぶその物怖じのしなさ具合が母さんらしいと感じてしまう。


 その後、少し間が出来てしまった。


 お互いに距離感を計っているようで、謎の緊張が走っている。


 僕が割り込めそうになくて、事のなり行きを見守ることしかできない。


 母さんの視線は日和の手の所で止まっているのに気付き、気になってその視線を追ってみる。


 その視線の先は左手の人差し指だった、そこには僕が買ってあげた指輪があった。


 今日も填めてくれてくれていたことを気付かなかった事に僕は少なからずショックを受けてしまった。


 どんどん日和に興味が失くなっていっているのかもしれない。


 ──それでいい。とそんな言葉が頭に浮かんだ。


 母さんはその指輪を見ながら考え事をした後に、「日和ちゃん!」と日和の名前を呼ぶ。


 日和は「は、はい!」と背筋をピンと伸ばして次の言葉を待っている。


 母さんはその姿を見て「ガールズトークしよっか!」いたずらっ子みたいな笑みを浮かべ、日和の手を取り立ち上がらせた。


 日和は「え、え?」と困惑しながら母さんに引き摺られるように僕の部屋から出て行った。


 いきなり一人になった僕はぽかーんと口を開けて呆然としていた。


「ガールズ?」


 僕の小さな小さなその呟きは誰に聞こえることも無く消えていった⋯⋯


 その後、日和が僕の部屋に戻って来たのは三十分経った頃だった。


「日和、どんな話をしたの?」

 僕は真っ先に探りをいれた。

 日和が母さんに何を聞かれたのか不安だった。


 しかし、日和はぼーっとしたまま反応がない。

 何か考え事をしているように見える。

 この姿は⋯⋯どこかで見たような⋯⋯

 思い返してみると、美術館であの絵を見たときのことが浮かんできた。

 あの時と同じようにポンポンと肩を叩いてみる。


 その衝撃で、日和は驚きに身体を緊張させてから僕の方を見た。

 その目は決意に満ちていて、思わず僕は身構えてしまった。


 しかし、日和のその顔はすぐに元の顔に戻り「じゃあ、今日は帰るね」と日和は言った。

 さっきの顔は見間違いだったのだろうか?


「門限が近いから早く帰らないと」日和はそう言いながら時間を見ている。

「読ませてもらった本が半分しか読めなかったな」そう言いながら日和は、「から騒ぎ」を名残惜しそうに見つめた。


「⋯⋯貸そうか?」僕はその言葉を咄嗟に出してしまっていた。


 読まなくなった僕が持っているより、読んでくれる人が持っていた方がいいだろう。


 その言葉を聞いて日和は目を輝かせた。

 そんなに嬉しいのだろうか。


「ありがとう、それじゃあ借りさせてもらいます」日和はそう丁寧にお礼を言いながら、そっと壊れ物を扱うような優しい手付きで本を持った。


「今日はありがとうね」

「いや、駅まで送るよ」


 僕は日和の挨拶にそう返すと日和は感謝の言葉を言ってくれた。


 僕達が玄関に向かうと僕の部屋の前に母さんが立っていた。

 何をしているのだろうか、その手には何か本みたいなものを持っている。

 じっと見てみると、その背表紙には見覚えがあった。

 額に冷や汗が滲んでくる気がする。


 それは、僕が子供の頃のアルバムだ。

 黒歴史と言ってもいいだろう。


「春菜さん、今日は帰らせてもらいますね」お邪魔しました。と日和は続けてお礼を言いながらお辞儀をしている。


 いつのまにか母さんの事を下の名前で呼んでいた、二人で何の話をしていたのか尚更気になる。

 そういえば、結局二人で何を話していたのか聞けてないな。

 送っていきながら、聞いてみることにしよう。


 いや、しかしそれよりも母さんの動向が今は気になる。


 それをどうするつもりでここに持ってきたんだろう⋯⋯?


「日和ちゃん、いつでも来ていいからね。後、お土産にこれを授けよう」

 そういいながら、持っている本を日和に渡した。

 僕の思考は停止する。

 何を言ってるんだ、この人は?


「あの、これは?」日和は疑問を母さんに問いかける。

 いきなりのお土産に戸惑っているようだ。


「この子のアルバム」母さんはそう言いながら僕の事を指差した。

「ありがとうございます借りていきますね!」日和はそう食い気味にそのアルバムをぎゅっと抱き締めた。

「いいわけないだろうがああああ!」僕の叫びが家中に響いたのであった。


 その後、日和からアルバムを引き剥がし母さんに叩きつけた後、日和を引き摺るように連れていき自転車の荷台に乗せた。


 母さんと日和から非難の目が向けられていたがそんなこと知ったこっちゃない。


 そして、僕は駅へと自転車をこぎだした。


「そういえば、日和は母さんと何を話したの?」

 後ろで膨れ面をしている日和に向かってそう声をかける。

「さあ、なんだろうね」

 怒っているからかそう返ってくる。

 それならもういいか、と僕は諦めた。


 母さんにも聞いてみればいいしな。そんなことを考えた。


 しばらくすると駅が見えてくる。

 ようやくこの気まずい雰囲気から解放される。そう心の中で喜ぶ。


 駅に着くと日和は自転車から降りて「ありがとう」と感情の込もってない声で言った。


「どういたしまして」僕もそう言いながら日和の顔をちらりと見ると悲しそうな顔をしている。


 何でそんな顔をしているのかがわからなかった。


 日和は「明日は習い事があるから、明後日にまた遊ぼうね」そう言い残し駅の中へと消えていった。


 僕はそれに対してかける言葉が見つからずに立ち尽くしてしまった。


 その後しばらくしてから、僕は家への帰り道を自転車を飛ばしながら帰る。


 もやもやとした気持ちが吹き飛ばすように、全力でこぐ。


 悪い方に事態が進んでいるようなそんな気がしてならない。


 しかし、僕には何が悪いのかわからない。


 今の僕にはそれを気にしないようにすることしか対処のしようがなかった。


「⋯⋯ただいま」家の玄関の仕切りを跨ぎながら帰ってきたことを言う。


 思いっきりこいで来たせいで肩で息をするほど疲れている。汗だくのまま僕は玄関に倒れこんだ。


 天井を見ながらしばらくそのままでいると母さんが覗き込みながら「おかえり」と言ってきた。


 僕が汗だくなのを見て「玄関が汚れるじゃない、早く風呂に入って来なさい」そう優しい声で言ってくれた。


 僕はふらふらと立ち上がりその言葉に従うように風呂に向かった。


 シャワーを浴びると少しスッキリした。


 母さんが「ご飯を食べる?」と聞いてきたが食欲が湧かないので「ごめん、今日はいい」そう断っておいた。


「ごめん、食事中に。ちょっと聞きたい事あるんだけどいいかな?」


 ご飯を食べている母さんの前に座り話しかけた。


 母さんは箸を置かないまま、「二人で話した事を聞きたいなら教えないよ」聞きたい事を先読みしたかのような返答に、僕は面を喰らってしまった。


「なんで?」それでも僕は必死に引き下がる。


「何かやましいことでもあるの?」

 そういう僕は少し声を荒げているのに気付いたた、何で僕はこんなにイライラしているんだろう。


「やましいこと⋯⋯ねぇ」

 母さんはその僕の苛立ちを飄々と受け流している。

「それ、もしかして自分に言ってるんじゃない?」

 その言葉に僕の頭にハンマーで殴られたんじゃないかというほどの衝撃が走る。


 思わず頭をぼりぼりと掻いた。気付いているけどその手は止まらない。


「僕にはやましいことなんてないよ」


 ぼりぼり⋯⋯


「何で教えてくれないのさ」


 ぼりぼり⋯⋯


「教えてよ、二人で何を話していたのか」


 ぼりぼりぼり⋯⋯


 そう言葉をかけても母さんは何も答えてくれなかった。


 そんな僕を見ていた母さんはただ一言だけ「頭じゃなくて心で動きなさい」そう呟いた。


 僕にはその意味を理解することは出来なかった。


 その言葉の意味を問い詰めようとしてみたが。それ以上は相手にしてくれそうになかったので諦めて部屋に戻りベッドに埋もれる。


 ⋯⋯もう寝よう。


 眠れば気持ちが切り替わると信じて僕は眠る事にする。


 その前に一度携帯をチェックすると日和からRAINが届いていた。


「明後日は昼から遊園地に行って夜の花火を見ようか」

 それを見ながら僕は、返事は明日返そうと携帯を放り投げて瞼を閉じた。


「頭じゃなくて心で動きなさい」その母さんの言葉がずっと頭の中で回り続けていた。

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