第一章 08 貸馬屋
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先ほど鑑定屋で教えてもらったように、手形屋の前の通りをさらに進んでいくと町のはずれが近づき、貸馬屋が見えてきた。
町の地面は石畳で舗装され、立ち並ぶ建物が、もうすぐ夜を迎えるので少しずつランプをともし始めている。しかしその石畳は町の外には無い。町の大通りと街道はつながってはいるが、町の終わる部分から、足元はむき出しの地面になっている。
その境目あたりに『貸馬屋』と書かれた看板があり、複数の建物があった。奥の建物は大きく、馬や馬車が見えた。今は馬は馬車につながれておらず、人間が手入れをしていた。馬から外した鞍を運んでいる人の姿も見える。馬に乗れる人は馬車でなく馬だけを借りるのかもしれない。
手前の小さな建物は人間が事務的な作業をする場所のようだ。人影が見えたので、三人は手前の建物に入ってみる。
体格のいい中年男性がお茶を飲んでいたので、リユルが尋ねた。
「あのう、馬車のお値段をおたずねしたいんですが」
「ん? 今日はもうおしまいだよ。片付けの時間なんだ。明日乗るのかね?」
「あっはい、明日セカンタまで行きたいんですが、おいくらになるんでしょうか?」
「私たち、三人で乗りたいんですが」
ユージナとヴァルルシャも続ける。貸馬屋の男性は答える。
「屋根なしの馬車だと一人2,000テニエル、屋根付きだと一人2,500テニエルだよ」
結構高いなあ、という顔を三人はした。
「はは、高いなあ、って顔をしてるね。だが歩いたってそれなりにかかるんだよ」
そう言って男性は説明を始めた。
ファスタンからセカンタまでの街道には、ほぼ等間隔に二つ、休憩所兼宿屋がある。
徒歩ならば、最初の宿屋に行くだけで三時限(現代日本で言う四時間半)ほど、休憩を挟めば朝の七刻(現代日本で言う朝の九時)から昼の三刻や夕の四刻(現代日本で言う午後三時から四時)までかかるだろう。暗くなってからの移動は危険なので、宿屋に着いたらそこで泊まった方がいい。宿屋の値段は500テニエル。
最初の宿屋と二つ目の宿屋の距離も同じぐらいなので、徒歩で街道を行くなら二つ目の宿屋にも泊まることになるだろう。
つまり徒歩でファスタンからセカンタに行く場合、宿代が二回はかかる計算になる。
早朝から出かけて休みなく日暮れまで歩き続ければ宿屋を一つ通り越すこともできるかもしれないが、そんな無理をすると疲労がたまるし、おとなしく宿屋に二回泊まった方がいい。
そうなると、ファスタンからセカンタまで徒歩で行く場合、最低でも1,000テニエルは必要になるし、歩き疲れて食事や間食を増やせば旅費はもっと必要になる。
馬車ならば、朝の七刻にファスタンを出て、二時限(現代日本で言う三時間)もかからないうちに最初の休憩所兼宿屋に行ける。そこで人間と馬が休憩しても、次の休憩所兼宿屋に昼の三刻ぐらいには着ける。そこでまた休憩しても、セカンタには夕の五刻(現代日本で言う夕方六時)前には着けるだろう。
馬車の代金には、馬と御者の食事代は含まれている。
「馬車なら歩くときの倍ぐらいの速さで移動できるし、それで値段が二回の宿代の倍なら、そこまで高い取引じゃないと思うがねえ」
男性はそう説明した。
「確かに……そう言われるとそうですね……」
ヴァルルシャが腕を組み、リユルとユージナも考え込む。
「ギョーソンへ行く場合は、魔物狩りができる森があるからちょっと違うけどさ」
男性が何気なく言った言葉に、三人は顔を上げる。
「あっ、そうなんですか? リスタトゥーの宿屋ですよね? あいたち、そこに泊まってたんです」
「うちら、あの宿屋からファスタンまでは歩いてきたんですよ」
闇の中から現れた自分たちが、最初に立っていた場所。それは魔物狩り屋が集う、『リスタトゥーの宿屋』という場所になった。名前の由来は『リ・スタート』だ。
「ああ、あそこは町からそんなに離れてないからね」
「この町とリスタトゥーの宿屋との距離より、この町からセカンタ方面にある宿屋の方が遠いんですか」
ヴァルルシャの質問に、男性は丁寧に答えた。
ファスタンからギョーソンへ向かう街道には、その中央辺りに馬と人間の休憩所兼宿屋がある。
リスタトゥーの宿屋は魔物が出る森のそばに作られたので、休憩所よりもファスタンに近い位置にある。ファスタンからリスタトゥーの宿屋まで、馬車ならば一時限(現代日本で言う一時間半)といったところだ。徒歩でも、休憩しながら歩いて、日中の半分ぐらいの時間で行ける。
ファスタンからリスタトゥーの宿屋を通り越して休憩所兼宿屋まで行くには、馬車ならば二時限ぐらいかかる。そこからギョーソンまでも同じぐらいの距離なので、休憩を含めても、馬車なら朝の七刻にファスタンを出て夕の四刻ごろには着く。
徒歩ならば、朝の七刻にファスタンを出て、休憩しつつ進んで夕の四刻ごろに休憩所兼宿屋に着くぐらいだろう。そこで泊まって、翌日も同じように歩けばギョーソンに着く。
リスタトゥーの宿屋に泊まった場合、馬車は無いので徒歩で移動するしかない。ファスタンへは徒歩半日で行けるが、ギョーソンへ行く場合は、早朝から日が暮れるまで歩き通しても着けるかわからない。無理せず中央の宿屋で休んだ方がいいだろう。
ファスタンからギョーソンまでの道は、徒歩で行く場合、中央の宿屋で一泊して二日がかりで行くか、リスタトゥーの宿屋と中央の宿屋でそれぞれ一泊して三日がかりで行くか、ということになる。
馬車で行く場合、ファスタンからギョーソンは、ファスタンからセカンタまでの距離よりやや近いので、一人1,800テニエルとなる。
「ギョーソンへ行く場合は、徒歩でも途中で魔物狩りができるからねえ。宿代がかかってもそれを上回る稼ぎがあるかもしれないけど、ファスタンからセカンタに行く街道には魔物狩りのできる場所が無いんだよねえ。セカンタの向こうまで行けばまた魔物狩りスポットはあるそうだけど。セカンタに行くなら、馬車で早く移動してその先で魔物狩りをした方がいいと思うけどねえ」
男性はそう勧めてきた。
「……最初は馬車の値段高いって思っとったけど、話聞いとると妥当な値段に思えてきたわ」
「高いっちゃ高いけど、歩いてもそれなりにお金はかかるんだもんね。時間が短縮される分、値段が上がるのは当然か」
「急ぎの用とまでは言えませんが、私たち、早く先へ行きたい気持ちはありますしね……」
三人は男性の話に心を動かされていた。
「一度ぐらい馬車に乗ってみたいし、頼んでみようか」
リユルの言葉に、ユージナもヴァルルシャもうなずいた。
「屋根は無くていいよね。あ、ヴァルルシャの服っていつできるんだっけ。ユージナの刀も」
馬車の使用を申し込む前に、リユルが確認する。
「昼前には渡せるとおっしゃっていたので、貸馬屋に来るのはその後になりますね」
服を仕立て屋に預け、今は借り物の貫頭衣を着ているヴァルルシャが答えた。
「うちの刀は明日の朝には渡せるって話だったで、うちの刀を受け取って、ヴァルルシャの服を取りに行って、それからここに来ることになるかな」
刀を手入れに出しているユージナが続けた。
「じゃああの、明日セカンタまで、屋根なしの馬車で三人、お願いしていいですか? 時間は……昼前には来られると思うんですけど」
リユルはそう男性に頼んだ。
「毎度あり。明日お待ちしてます。あんまり昼に近い時刻だと日暮れまでにセカンタに着けないかもしれないし、馬車を他の人に回すかもしれないから、早く来てね」
男性は笑顔で答えた。紙などに何か書いたりはしなかった。馬車は予約ではなく、客が来たら順番に貸していくスタイルなのだろう。
「ヴァルルシャの服、早めに仕上がっとるといいね」
「ええ。では、そろそろ食事に行きましょうか」
「すっかり暗くなっちゃったもんね。あい、今日は何食べよう」
夕焼けの時刻は過ぎ、日が落ちて辺りは暗くなっていた。日の光ではなく、夜に営業する飲食店の明かりが町を照らしている。
三人は貸馬屋を出て夕食を食べる店を探した。