第六章 12 作戦
12 作戦
「動きが……止まった……?」
ユージナが刀を構えながら言う。さっきまでは、触手に刀を突き立てるとすぐに別の触手が攻撃してきたので、急いで飛び退く必要があった。しかし今はそれが無い。
皆でクラーケンを攻撃し続けたので、クラーケンはかなりのダメージを負ったようだ。
だがまだ力尽きてはいない。魔物が力尽きたときは消滅して蓄光石に吸い込まれるのだから。
クラーケンは今もその姿を保っている。しかし攻撃の手は止まり、少しずつ後ろに下がり始めた。
「あ、逃げるぞ!」
ユマリが声を上げる。
魔物は人間に利用される精霊のストレスが具現化したものだ。人間への敵意しかない。だから崖の上にいる人間たちに敵意だけを持って攻撃してきた。だが傷が深くなってきたので、攻撃よりも身を守ることに転じたのかもしれない。
クラーケンは触手を人間に向けるのをやめ、後退していく。崖の上に乗り出していた体も見えなくなっていく。
「川に潜る気だー。やけどが冷えて治っちゃうかもー」
キャスバンが危惧する。皆はクラーケンを追撃するが、クラーケンは人間に反撃するよりも身を引くことを優先した。
クラーケンは崖の下に移動していく。皆が警戒しつつ崖の下をのぞくと、クラーケンは水分を補給するかのように川に身を浸していた。確かにこれでは今まで与えたダメージが回復するかもしれない。
「魔法ならここからでも攻撃できますよね。このまま一気に倒してしまいましょう!」
ヴァルルシャが皆に言い、皆は崖の上から魔法を放つ。
ヴァルルシャたち三人が以前戦った魔物には、攻撃を受けてもすぐにその傷を回復してしまうものがいた。目の前のクラーケンはあからさまに傷を回復してはいないようだが、川につかって休まれれば今まで与えたダメージが無駄になることは想像が付く。
だが崖の上から炎の玉を放っても、クラーケンが川に潜ってしまうとその炎はクラーケンに届かない。ニテール川は幅が十五エストほどで、大河ではないがこのクラーケンにとっては十分な広さがあり、全身を沈める深さもあるようだった。
「じゃあ、あいの岩の魔法で!」
リユルが前に出て、川の上にサッカーボールぐらいの岩の塊を作り、それをクラーケンめがけて落下させる。岩は川に落ちても火のように消えることはなく、しかも崖の上から落ちることで勢いが増し、クラーケンにダメージを与えた。
川越しの炎の魔法も、クラーケンが邪魔に感じるぐらいには有効だったのだろう、クラーケンはその場から移動を始めた。
クラーケンのすぐ右には滝があるので、クラーケンは川の流れに沿って左へ進む。
「逃げるぞー」
「追いかけようー」
公園のスタッフが言い、皆は下流へと向かった。
高さ数エストの滝を作っている崖は、川沿いではなだらかな下り坂となっている。クラーケンに引き抜かれた柵は滝の近くの一部のみで、それ以外の場所では柵はそのまま残っていた。皆は柵の外側から川岸を下っていく。柵と川岸の距離は五エストほどなので、十人いても歩きづらいということはない。地面も凹凸が少ないので、早足でクラーケンを追いかけることができた。
川の流れの先には、ニテール池がある。
「フルーエ湖に逃げ込まれると、やっかいだよね」
リユルが坂道の先頭で言う。リユル、ユージナ、ヴァルルシャは最近この道を通ったばかりなので、地形はよくわかっている。三人は先頭に立ってニテール池に向かっていた。
キャスバンたち公園のスタッフもこの辺りの地形には詳しいはずだが、長息人なので短息人の三人の早足には及ばなかった。
ユマリとスフィアは一番後ろについて坂道を下った。
クラーケンはかなり弱っているようで、泳ぐというよりは川の流れに身を任せるようにゆっくりと移動していた。
下り坂が終わり、川の高さと川岸の高さが同じになる。坂を下りた皆はクラーケンを追い越して川岸をニテール池まで走った。
川幅の三倍ほどの広さのニテール池。中央には川幅と同じ十五エストほどの島があり、草木が茂っている。ニテール川は池を形作った後、池の南からまた川となってフルーエ湖に向かって流れている。
「クラーケンが湖に行けないように、池の南で魔法を放って阻止しましょう!」
ヴァルルシャが後ろを振り返って皆に声を掛ける。皆は池の南に集まり、息を整えながらクラーケンの様子をうかがった。池や川の周りにも草木は茂っているが、十人が一カ所に集まるのに邪魔なほどの茂みではない。
ゆっくり移動するクラーケンは、やはり湖に逃げようとしているのか、ニテール池にとどまるのではなく、湖につながる流れを目指して動いていた。
「炎よ!」
「岩よ!」
しかし、魔法を使える者が、池が川になる部分に魔法を放ち、クラーケンの動きを阻止する。クラーケンは湖に向かうことができず、引き返す。しかし滝の方へ戻る体力はもう無い様子で、島の方に近づき、そこでそのまま停止した。
「島で休んどる」
ユージナの言葉通り、クラーケンは島に体をもたれかからせるようにして動きを止めていた。目が水面より上に出る形で、水に体を半分ひたしている。上半身を水から出しているのは、自分を追ってきた人間の動きを見逃さないためだろう。
ニテール川はそもそも流れの速い川ではなく、池になっている部分は更に水の動きが少ない。それでも流れにあらがって自分の力で静止するよりは、島に体を預けた方が余計な力を消費しない。
つまりそれだけクラーケンは消耗していると言える。
だがこうやって休息を取られては、そのダメージもいずれ回復してしまうだろう。
「炎よ!」
ヴァルルシャが池の南から島に向けて炎のボールを放つ。しかしそこから島までは十五エストほどの距離がある。
ただのボール投げでも、近くの的には当てやすいが、的が遠くなるにつれて当てるのは難しくなる。しかも人間の放つ魔法は、人間の精神力で精霊の力を一瞬借りているだけに過ぎない。だからあまり長い時間は威力が持たない。
更に今は、クラーケンが目で人間の動向をうかがっている。
ヴァルルシャの放った魔法は、クラーケンに届くころには勢いと威力が弱まり、動きの弱っているクラーケンにすらあっさりかわされ、そのまま消えてしまった。
「届かないか……」
「ここからだと、魔法で攻撃するのも難しそうですね」
ヴァルルシャが息を吐き、スフィアもうなずく。
「橋は見当たらないな。ここから島へ渡る手段はどうなってるんだ? 小舟などがあるのか?」
ユマリが池を見渡し、公園のスタッフに尋ねる。
「この辺りはーパッとしないからー、放置されてるんですよー。島もー小さいですからー、渡る手段はー設置してないんですー」
「確かー、この池も観光地にしようって話がー出たときにー、手こぎボートを使ってー島へ渡ったことはありましたよねー。結局ー見所が無いからー、その話は無くなりましたけどー」
「ああー、公園のどこかの倉庫にーしまってあったはずだがー、どこだったかなー」
スタッフは話し合った。
「舟もこの場所には無いのか。公園から運んでくるとなると、ちょっと時間がかかりそうだな……」
ユマリはクラーケンと公園の方を見比べた。
「せっかくここまで追い詰めたんだからー、このまま倒しちゃいたいですよねー。できれば日が暮れる前にー……」
キャスバンの言うように、日は少し傾きかけていた。まだ夕方とまではいかないが、ぐずぐずしていればすぐに夜になってしまうだろう。
「そうだ、リユルくん、きみはナックラヴィーの頭上に水の魔法を放っていたよな」
ユマリがフェネイリ行きの船でのことを思い出す。ユマリはナックラヴィーに向けて手元から水の塊を放ったが、リユルは敵の頭上から水の塊を落とした。
「あ、確かにやりましたけど、今はあのときよりも距離がありますからね……」
リユルは魔法を、手元から放つより敵の頭上に発動させることが多かった。魔法は世界を構成する精霊の力を呼び出すものだ。世界を構成しているのだから、手元も敵の頭上も世界の一部だ。精神集中さえできれば敵の頭上でも魔法が発動できる、そう考え、それを実践していた。
「でもやってみよう。……岩よ!」
リユルはクラーケンに向かって精神を集中した。手をかざし、世界のエネルギーが岩となって現れることをイメージする。
だが、なかなかクラーケンの頭上に岩は現れない。どこまでならできるんだ、せめて触手にかするぐらいは、とリユルは気合いを入れ続ける。やがて、クラーケンの触手の手前にこぶし大の岩が現れて、そのままぽちゃんと池の中に落ちた。
「やっぱりあそこまで遠いと難しいですね……」
リユルが肩を落とす。
「それにー、クラーケンだけじゃなくー、こちらもかなりー疲れてきてるからなー。特にー魔法を使う人はー」
ジーリョがそう言って周りの人間を見る。確かに皆、かなり消耗していた。怪我人はいないが、それは魔法使いが回復魔法を使ったからだ。
「公園や町に行って応援を呼んでくるとか……? それも時間かかりそうだし、クラーケンが弱っとるうちに早く倒したいよねえ」
ユージナが公園や町の方を振り返る。走って呼びに行くとしても、すぐに戦える人が見つかるかどうか。それに、池を渡る手段が無いことに変わりはない。
「……そうだ! リユルさん、氷の魔法が使えましたよね。塊でも出せますか? 氷って水に浮くでしょう? それで島まで足場を作れませんか?」
スフィアがルフエ島行きの船でのことを思い出す。スフィアに振り下ろされるクラーケンの触手を、リユルが雹のような氷を放って止めたのだ。
「確かにあいは氷の魔法が使えるけど、ここから島まで氷の橋みたいな物を作るのはさすがに無理かも……。さっきだってクラーケンの手前までしか岩が出せなかったし」
「でも、近くまでは出せたでしょう? それに、全部つながってなくてもいいんですよ! ここから誰かが島に向かって走って、水際でジャンプするんです。足が水面に着く前にリユルさんが氷の魔法で足場を作れば、その人は水に沈まないでしょう? リユルさんがさっき岩を出した辺り、あそこまで氷の塊を出すことができれば、そこからクラーケンに飛びかかって攻撃することもできるはずですよ。これなら氷の塊を何個か作るだけで、クラーケンのところまで行けますよ!」
スフィアの考えは、周りの皆も聞いていた。「氷の足場か……」と皆がざわつく。
「でも、ジャンプするって言っても足場が五、六個は要るよねえ……そんなに出せるかな……」
リユルが考え込んでいると、ヴァルルシャが何かを思いついて手を叩いた。
「そうだ、風の魔法ですよ! いつもユージナさんが魔法剣を使うときに私が使う素早さアップの魔法、あれを島に向かう人に使えば、ジャンプの飛距離が伸びて、氷を作る数が減らせるんじゃないですか? 私も疲れてますけど、あの魔法ぐらいならまだできますよ!」
「そうか、きみたちはいつもそうやって戦っているんだね。私はそれらの魔法は使えないから協力できないが……誰か、他にも氷の魔法を塊で出せる人、風の魔法で素早さを補助できる人はいないか」
ヴァルルシャの言葉を聞き、ユマリが全員に声を掛ける。だが、キャスバンを含む公園のスタッフは、そのどちらの魔法も使えなかった。
「てことは、疲れとってもリユルとヴァルルシャだけでその魔法を使わないかんってことか。で、誰がジャンプするかだけど……」
「それはもちろん、ユージナくん、きみがやるんだよ」
皆を見回したユージナに、ユマリがそう言った。
「え、うちがですか!?」
「うん。だって、いくら魔法の手助けがあるとはいえ、池をジャンプして渡るわけだからね。身体能力の高い、物理系の戦士が飛ぶべきだよ。そして、今ここにいる戦士の中で一番体重が軽いのは、きみだろう?」
ユマリはユージナと、ジーリョ、それからナイフを持った公園のスタッフを見比べる。ジーリョは身長二百二十フィンクほどある巨漢だった。公園のスタッフも長息人の男性なので、身長二百フィンクほどはある。もちろん体重も身長に比例して重そうだった。
それに比べ、ユージナは身長百五十五フィンクで、この場ではスフィアの次に小柄だった。
「確かにー、俺たちが飛んでもー、氷ごとー沈んでしまいそうですー」
ジーリョが言い、ナイフのスタッフもうなずいた。
「で、でもうちだと、お二人みたいに腕力が無いで、クラーケンに切りつけてもろくにダメージを与えられんですよ。わざわざ池を渡って攻撃しても、とどめどころかたいした傷にもならんだろうし……」
先ほども、体重を掛けて切っ先を突き立てて、ようやく小さな傷を付けられる程度だった。それを思い出して首を振るユージナの隣で、ヴァルルシャが手を叩いた。
「そうだ、そこで魔法剣ですよ! 素早さアップの魔法はいつもそのために使ってるわけじゃないですか。だからユージナさんの刀をリユルさんの氷か岩の魔法で魔法剣にすれば……」
「だから、あいは足場を作るために氷の魔法を使うんだってば。足場だけでもあと何個出せるかってぐらいなのに、魔法剣まで作る気力は……」
ヴァルルシャの思いつきは、リユルの言葉によって止められた。
「じゃあ私の炎か雷の魔法剣ですね。炎はクラーケンに効果的でしたが、氷で足場を作るので、ユージナさんが池を渡る間に、足場と魔法剣が相殺してしまうと困りますね。となると雷か……」
「でも、クラーケンに雷って効きましたっけ? 誰も使ってるところを見た覚えが無いです」
スフィアの言葉に、ヴァルルシャは考え込む。
「……そういえば、主に炎の魔法ばかりを放っていましたね。あとはリユルさんの岩と氷ぐらいで……。効くかどうかわからない雷の魔法剣をここで使うのはリスクが高いですよね。さっきの戦闘で少しは雷の魔法も使っておくべきでした……」
「それじゃあ、うちが池をジャンプしてって、リユルが作った最後の氷の足場を蹴って飛び上がったところで、うちの刀をヴァルルシャに炎の魔法剣にしてもらうとか?」
「うーん……ちょっと距離がありますよね……。岸辺でなら、ユージナさんに素早さアップの風の魔法と炎の魔法剣、両方やれると思いますが、ユージナさんがあそこまで遠くに行ってしまうと、私の魔法が届くでしょうか……。私はそもそもリユルさんほど遠くに魔法を出すのが得意では無いですし……」
リユルは魔法を敵の頭上に発動させることが多いが、ヴァルルシャは手元に魔法を発生させて投げつけることが多かった。これは癖のようなもので、人によって力を込めやすいやり方が違うのだ。
今までの戦いでも、ヴァルルシャが離れたところから魔法を使ったのはせいぜい五、六エストぐらいの距離だったはずだ。
「でもさっきー、ヴァルルシャさんの魔法はぎりぎりクラーケンに届いてましたよねー」
キャスバンがクラーケンとヴァルルシャを見比べる。ヴァルルシャが島にもたれて休むクラーケンに投げた炎のボールは、威力が弱まってよけられたとはいえ、一応クラーケンのところまでは届いていた。
「確かに……。今までやったことがないからといって、できないとは限りませんよね。がんばれば私でもクラーケンの手前でユージナさんに魔法剣を使えるのかもしれませんが……今はちょっと、魔法をたくさん使って疲れてますからね……」
「あ、それはあいもそう。さっきまでの戦闘でだいぶ消耗しちゃって……」
ヴァルルシャとリユルはうなずきあう。RPGで言う、MPが空になった状態だよね、とは他の人間がいる手前言えないけどね……と目と目で会話する。
「んっ!? エム……」
リユルがMPと言いかけて口をつぐむ。その代わりに、自分の腰に付けたバッグを探った。
「あった! エンフィ水!!」
リユルが取り出したのは、以前フェネイリの薬屋で買った、エンフィ水だった。魔法を使う精神力が回復すると、薬屋のポスターには書かれていた。栄養ドリンク程度の効果かもしれないが、それでも今はありがたい。
「そうか、私も持ってますよ!」
ヴァルルシャも自分のショルダーバッグを探る。二人ともフェネイリでエンフィ水を買ってから、飲む機会が無かったのだ。ルフエ島行きの船でクラーケンに襲われたときは、大荷物に入れてロッカーにしまっていたので、飲めなかった。そのときから手荷物に入れ直し、いつ必要になってもいいように持ち歩いていた。それを使うときが来たようだ。
「やっぱり皆さんー、魔物狩り屋さんですねー。いつ強敵に出くわしてもいいようにー、ちゃんと準備してあるんですねー。あいたちは魔法が使えると言ってもー、弱い魔物と戦うのがせいぜいですからー」
キャスバンが言い、他の公園のスタッフもうなずいた。
「あっでも、運が良かったんですよ」
リユルが苦笑する。ルフエ島行きの船でクラーケンと遭遇しなければ、エンフィ水はずっと大荷物に入れっぱなしで、今もここには無かっただろう。
「これを飲めば、もう少しがんばって魔法を使えそうですね。でも、ユージナさんはこういうアイテムも無いまま池を渡らなきゃいけないわけですけど……大丈夫ですか?」
ヴァルルシャがユージナを見る。この世界におけるMP回復薬はこのエンフィ水のようだが、HP回復薬らしき物は店に売っていなかった。
「ん、大丈夫だよ。怪我も治してもらったし。今ご飯食べるわけにもいかんし、そもそも食べるもん持っとらんしねえ」
この世界ではMPもHPも、基本的には食事と休養で回復させる物のようだ。それにRPGでも減ったHPは回復魔法で治すのだから、怪我のダメージという意味では、今のユージナは無傷だった。
「あー、あい、モンレのジュースなら持ってますよー。これ疲れてるときに飲むと元気が出ますしー。未開封ですからどうぞー」
キャスバンはユージナに瓶詰めのモンレ果汁を差し出した。現代日本でも、レモンは疲労回復にいいと言われる。スポーツの合間にレモンを口にするようなものだ。
「のど、渇いとったんです。ありがとうございます」
ユージナはモンレジュースを受け取る。ゲームのようなHP回復薬ではないが、疲れているので、これはありがたい。
皆は一息ついて、クラーケンに攻撃する準備を整えることにした。




