第六章 11 再会
11 再会
「この音は……」
まずキャスバンが気づき、顔を上げる。
「これ、前にキャスバンさんが吹いとった笛の音ですよね?」
ユージナたち三人もその音には聞き覚えがある。滝でシェリーコートに遭遇したとき、キャスバンが他のスタッフに連絡するために吹いた笛の音だ。
あのときキャスバンは短く一度吹いただけだった。だが、今聞こえている笛の音は、強く、何度も繰り返し吹かれている。
「強い魔物が出たときの合図だー! あいもやらなきゃー!」
キャスバンは笛を取り出し、同じ様に強く何度も吹いた。
弱めの魔物なら軽く一回、強めの魔物やたくさんの魔物なら強く何度も吹くのだと、以前キャスバンは三人に説明した。そして笛の音が届く範囲のスタッフが駆けつけるのだと。
今は何度も笛が吹かれているので、かなり危険度が高いことが三人にも伝わる。だからキャスバンは更に他のスタッフに合図をするために、この場所でも笛を吹いたのだろう。
「あいは行ってきますー! 危険だから皆さんは避難した方がー」
そう言うキャスバンに、三人は答える。
「いや、うちらは魔物狩り屋なんで、大丈夫です」
ユマリとスフィアも続く。
「私も息子も魔法が使えるし、危険な魔物が出たのなら放っておけないよ」
キャスバンは少しためらった後、うなずいた。
「そうですかー。ではお願いしますー。でも気をつけてくださいねー」
そしてキャスバンを先頭に、ユージナ、リユル、ヴァルルシャと、ユマリとスフィアは双心樹の大木の北西に向かった。
笛の音はニテール川の、滝の辺りから聞こえてくるようだ。皆は『ニテール川 こちら↓』と書かれた看板の先の森に向かう。木々に囲まれた上り坂の歩道を早足で進み、音の発生源を目指す。山道を登っていくと笛の音は大きくなり、それにくわえて、にぶい地響きのような音も聞こえ始めた。
「何でしょうね、この音……」
「わかんないけど、なんか、嫌な予感……」
スフィアがつぶやき、リユルが答える。その予感は皆も感じていた。ただ事ではない、そんな状況が予想される。
やがて、坂を登り切り、森が途切れた。視界が開け、先が見通せるようになる。
そこには柵があり、柵の向こうにはニテール川と滝が……あるはずだった。
いや、それらは以前と同じ位置に存在した。
以前と違うのは、まず、手前にジーリョがおり、何度も笛を吹いていることだった。
「ジーリョ、これは……」
駆け寄るキャスバンに気づき、ジーリョは笛を吹くのをやめて振り返る。
「ああー、やばいのがー、出たぞー」
笛の音は止まっても、地響きのような音は続いている。
それは、巨大な触手が柵を打ち据える音だった。
「これは……クラーケンの触手?」
ヴァルルシャの言うとおり、ユージナ、リユルとスフィアはその触手に見覚えがあった。
巨大なイカの長い腕。茶色がかった灰色で、ぬめぬめしており、吸盤がたくさんある。先端は人間の足ほどの太さだが、根元側に行くにつれてだんだん太くなっている。
それらが柵の向こうに何本も見え、視界を遮っている。
「クラーケン……川を遡ってきたってこと!?」
「そんで、滝にぶつかって先に進めんくなって、崖を登ってこっちに来ようとしとるってこと!?」
リユルとユージナはそう推測する。それ以外に考えようがなかった。
ルフエ島行きの船で見たとき、クラーケンは、胴体が幅2メートル、いや2エストぐらい、長さが3エストぐらいと思われた。
今、柵の向こうで崖から体をのぞかせているクラーケンも、同じ大きさのようだった。
滝の高さは数エストほどなので、よじ登る労力は船べりとあまり変わらないのかもしれない。
「イリーグのような岸辺の町か、それともコハン方面か、何にしても湖沿いに現れると思っていましたが、こんなところに迷い込むとは……」
ヴァルルシャはそう言いながら、日本の川にアザラシが迷い込んで話題になったことがあるのを思い出した。
「船の運航が止まって、人間を見失って迷走したんでしょうか」
「湖と接している町はクラーケンを警戒して武装していたから、そこを避けて川に入り込んだのかもしれないな」
スフィアとユマリがうなずく間にも、クラーケンの触手は柵を叩いている。
「しばらく人間を襲えなくてー、怒ってるみたいですねー」
「それでーこの公園のー人間の気配をー感じ取ってー、ついにー我慢のー限界がー来たのかもーしれんなー」
キャスバンとジーリョ、公園の、自然が残っている部分に人間の気配をさせておく役目の二人が言う。普段はそれで魔物を出にくくさせているが、今は逆にそれが、クラーケンを引き寄せることになったのかもしれない。
「あ……ついに……」
クラーケンの一番近くにいたジーリョがそう言って後ずさる。
柵を叩いていたクラーケンの触手が、柵に絡みつく。そしてクラーケンの力によって柵が引き抜かれる。高さ一エスト半ほどの木製の柵が持ち上がり、地面に打ち込まれていた部分があらわになった。
クラーケンは柵を地面に叩きつける。ジーリョはそれをかわし、手に持った棍棒を構え直す。
「やってーくれたなー」
柵が倒れたことによってクラーケンは近くの人間を襲いやすくなったが、それは人間側も同じだ。
「これ以上こっちに来られたら困りますー」
キャスバンも魔法を使うために身構える。
「うちらも戦おう!」
ユージナが刀を抜き、皆もうなずいた。
「炎よ!」
まずキャスバンが、シェリーコートと戦ったときにも見せた炎の魔法を使う。ボール大の炎がクラーケンに飛んでいく。
「炎よ!」
ヴァルルシャ、ユマリ、スフィアも、同じように炎の魔法を放つ。
「岩よ!」
リユルは炎の魔法が使えないので、岩の塊をクラーケンにぶつける。
「食らえ!」
ユージナが刀でクラーケンの触手に斬りかかる。やはり船で戦ったときと同じで、弾力のあるクラーケンの表皮は切り裂けなかった。
「くそっ……」
「ふん!」
うめくユージナの近くで、ジーリョが棍棒を振り下ろす。かなり大きな棍棒なので、重量級の衝撃は弾力のあるクラーケンの触手にも響いているようだ。
「魔法剣を……あっでも……」
ユージナはためらう。ヴァルルシャに炎か雷で魔法剣を作ってもらえば、刀は重くならないのでそのまま戦える。だが、ヴァルルシャの炎の魔法攻撃は普通に効いているのだ。わざわざ魔法剣を作るより、ヴァルルシャがそのまま炎攻撃を続けた方が効率がいいのではないか。
リユルの岩の魔法はそこまでクラーケンに効いていないので、自分の刀と合わせて魔法剣にした方が良さそうに思える。だが、リユルの使う岩でも氷でも、魔法剣にした場合は素早さアップのためにヴァルルシャの風の魔法が必要になる。
どちらにしてもヴァルルシャの手を煩わせる必要がある。ならば無理に魔法剣を使わずに、自分はただの刀で戦い続けた方がいいのではないか……。ユージナはそう考えた。
思いを巡らせて動きが止まったユージナに、クラーケンの触手が振り下ろされる。
「考えとる場合じゃないか!」
ユージナは触手を飛び退いてかわし、地面に打ち付けられた触手を踏みつけて刀の切っ先を突き立てる。浅いが傷が付いたようだ。
魔法剣でないただの刀でも、少しはダメージを与えられる。それに、戦闘に参加していることで、触手の攻撃が自分に向かうことになり、他の人への攻撃がそれだけ減る。自分だって、戦闘に参加している意味はある。ユージナはそう考え、そのままの刀で戦い続けた。
ユージナは刀、ジーリョは棍棒でクラーケンに攻撃を続ける。
他の皆はやや離れたところから魔法でクラーケンを攻撃している。だがクラーケンは崖の上に体を乗り出してきており、触手はかなり長い。魔法を放つ人間にも触手が振り下ろされ、皆はそれをかわしながら攻撃を続ける。
リユルは、今回はスフィアが魔法を放った後も油断せず、クラーケンの反撃に備えて触手の動きをよく見ている姿を確認して嬉しくなった。
「何だー! これはー!」
やがて、声が響いた。長息人の公園のスタッフが数人、この場所に駆けつけてきたのだ。おそらくキャスバンが双心樹の大木で吹いた笛の音が届く範囲にいたスタッフだ。今はキャスバンもジーリョも笛を吹いていないが、クラーケンと戦う音は辺りに響いている。その音を頼りにここまで来たのだろう。
「クラーケンじゃーないかー」
「柵がー倒されてるぞー」
「本部にー連絡してー! お客さんもー、ここに近づかないようにー誘導するんだー!」
スタッフのリーダー格が指示を出す。スタッフはクラーケンが出たことを知らせに行く者と、この場に残って戦いに参加する者に分かれた。
クラーケンがこんなところに現れるとは誰も思っていなかった。柵も倒されてしまった。非常事態だ。
だが、ここは船ではなく、陸だ。転覆させられる心配は要らない。
崖を登って触手を伸ばしてきたクラーケンは恐ろしい魔物ではあるが、陸はクラーケンの領分ではない。
『クラーケンとは、船で戦うより波打ち際で戦った方が人間に有利だ。』ルフエ島行きの船の船長はイリーグの港でそう言った。
クラーケンが湖の岸辺ではなく川まで入り込んだのは予想外だったが、人間に有利な陸地であることに変わりはない。
皆は崖の上でクラーケンを迎え撃った。
武器での接近戦は、ユージナが刀、ジーリョが棍棒、そして後からやってきた公園のスタッフがナイフを使い、三人で行った。
魔法攻撃は、ヴァルルシャ、キャスバン、ユマリとスフィアが炎を、リユルが岩を放っていた。そこに後から来た公園のスタッフが二人加わった。スタッフは二人とも炎の魔法が使えた。炎は基本的な魔法なので、使える人間が多いようだ。魔法攻撃を行う者は七人になった。
合計十人はクラーケンの触手をかわしつつ攻撃をする。だが武器で接近戦を行っている者は複数の触手を避けきれず、触手に打たれることがある。そんなときは、回復魔法を使える者が駆け寄ってダメージを回復した。魔法を使える者は、スフィア以外はある程度の回復魔法を習得しているようだ。
回復魔法のために人間の動きが乱れると、その隙を狙ってクラーケンは触手を伸ばしてきた。人間を打ち据えるのではなく、水の中に引きずり込むためにだろう。だが人間に巻き付いた触手は、他の人間が攻撃して引き剥がしにかかり、大事には至らなかった。
十人は協力してクラーケンと戦い続けた。
クラーケンに炎の魔法は効果的だった。しかも魔法の放ち手は大勢いる。炎のボールを何度もぶつけられるうちに、クラーケンの表皮のあちこちが焼けたようになってきた。
触手は弾力があり、物理攻撃は効きづらかった。だが重たい棍棒や刃物の切っ先を何度も振り下ろされたので、小さいとは言え傷が蓄積してきた。そしてクラーケンがずっと崖の上にいることで、体のぬめぬめが少しずつ乾いてきた。そのため刃物の攻撃が効きやすくなってきた。
クラーケンは強敵だが、十人がかりで戦っているので、人間側がかなり優位に立っていた。このまま戦い続ければ、力尽きるのはクラーケンの方だろう。
やがてクラーケンは、人間を打ち据えるために振り回していた触手を止めた。




