第一章 07 手形屋
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「あれだ」
ユージナが言う。大通り沿いに、鑑定屋と同じぐらいの大きさで、頑丈そうな作りの建物があった。そこには『手形屋・ファスタン』という看板が掲げられていた。
手形屋も鑑定屋と同じく国営で町に一つしかない、という設定をさっき考えたので、看板は町の名を入れるだけで充分なのだろう。三人は建物の中に入ってみる。
手形屋の中は鑑定屋と同じような雰囲気で、つまりは現代日本の銀行や役所に似ていた。
広間の奥に一定間隔をついたてで区切った窓口があり、そこに人間と精霊がいる。人間は茶色っぽく動きやすそうな制服を着ており、宙に浮く精霊たちも同じ制服を着た姿で具現化していた。鑑定屋の制服も茶色だがあちらは暗めのこげ茶だったのに対し、手形屋の制服は明るいが派手ではない感じの黄土色だった。どちらも国営なので、制服は装飾の少ない真面目な雰囲気が共通していた。手形屋の黄土色はお金のイメージだろうか。鑑定屋の精霊はすべて眼鏡をかけていたが、手形屋の精霊に眼鏡は無かった。その辺りで差異を設けているのかもしれない。
広間には『一列になって並び、空いた窓口にお進みください』という看板がある。鑑定屋と違い、窓口ごとに区別はないようだ。窓口は十ほどあり、空いているところがあったので三人はそこに進む。人間の女性の職員と、男性型の精霊がいる窓口だった。
「いらっしゃいませ。お三方、同じ窓口でよろしいですか?」
人間の職員が尋ね、三人はうなずく。
「お金を預けるのと、つ、……手形にどれだけお金が入ってるか確認したいんですけど」
リユルが、通帳、と言いかけて手形と言いなおす。
「ご入金と、残高確認ですね。ご出金はなされますか?」
職員に問われ、三人は首を振る。
「では、お手形を拝見いたします」
そう言われ、三人は各自の手形を職員に差し出す。職員は三つの手形をカウンターの上に並べ、精霊がそれに手を触れる。何かを読み取っているようだ。精霊が口を開く。
「こちらの手形でお客様からお預かりしている金額は……100,000テニエル、100,000テニエル、100,000テニエルとなります」
日本円にして百万円。そこそこの金額とも言えるが、しばらく魔物退治をしなければすぐに使い切ってしまう額とも言える。現に今日は一匹も魔物を倒していない。だが高すぎず安すぎず、ほどほどの金額と言えるのではないか……。三人はお互いの目に同じ考えを読み取った。
「ご確認いただけましたでしょうか?」
職員の言葉に、三人はうなずく。
「ええと、で、入金ですが……」
ヴァルルシャが言い、三人は少し考える。
「いくらぐらい預けよう? うちらしばらく魔物狩り行けんよね? 旅費がいくらかかるかまだわからんし……」
「でも、だからってあんまり大金を持ち歩いてるのも不用心じゃない? 必要になれば手形屋で下ろせばいいんだし……各町に一つあるんだよね?」
「私たちの行き先がそれなりの大きさの町なら多分……。あの、セカンタやフーヌアデにも手形屋はありますか?」
ヴァルルシャの疑問に、職員は笑顔でうなずいた。
「じゃあここでそれなりに預けとっても大丈夫か。30,000テニエルぐらい入れとく?」
ユージナが言い、他の二人もうなずいた。手荷物からそれぞれ30,000テニエルを出し、自分の手形の前に置く。
「では、お一方ずつ処理させていただきます。こちらのお手形の持ち主の方、書類にサインをお願いします」
職員はそう言って二枚の書類とインク、つけペンを差し出した。手形はユージナの物だったのでユージナがペンを手にする。書類には『月 日』『ご入金 テニエル』『手形屋・ファスタン』と印刷されており、それぞれ『手形屋保管』『お客様控え』と書かれていた。カーボン紙で複写するシステムではなかった。これだとお客様控えの金額を後から書き足すこともできそうだが、この紙はあくまでも記録や控えなので、正式な金額は精霊が手形で確認するため、偽造対策はしていないのかもしれない。
今日の日付と金額はすでに書き込まれており、それを本人が確認してサインする欄にユージナは自分の名を書いた。書類全体が日本語訳されているという建前なので、日本語のカタカナで書けば、この世界の言語でサインしたことになる。
職員は二枚の書類を受け取り、ユージナの手形と30,000テニエルを精霊に差し出す。
「こちらの手形に、30,000テニエルをご入金ですね」
精霊はそう言ってユージナの手形に触れる。それが終わると、職員は手形を机の上に戻し、受け取った30,000テニエルだけをカウンターの下にしまった。金庫か何かがあるのだろう。そういうところも鑑定屋に似ている。
職員は帳簿にも何か記入し、片手に収まるサイズの印章を取り出した。木を削った物のようだ。そして布に黒インクを染み込ませたようなスタンプ台を取り出し、帳簿と二枚の書類に判を押した。そしてお客様控えをユージナに差し出した。押された判は『手形屋・ファスタン』の字が円の中に納まっており、乾ききっていないインクのにおいがした。特に割り印というわけではなく、チェック済みの証、ぐらいの軽い押し方だった。
「では、こちらのお手形の持ち主の方、書類にサインをお願いします」
職員はそう言って次の手形の処理に取り掛かった。その手形はリユルの物だったので、リユルが次にペンを手にする。
その様子を微笑んで見つめる精霊に、ユージナが問いかけた。
「手形屋の精霊さんは、なんて名前なん?」
精霊はリユルの指先からユージナの顔に視線を移し、笑顔で答えた。
「私たち手形屋の精霊は、ティタと呼ばれています。このファスタンの町においては、『ファスタン・ティタ』という名前になりますね」
『てがた』をもじって『ティタ』になったのだろう、三人はそう思った。
「先ほど手形に触れていたようですが、精霊は物に触ることができるのですか?」
ヴァルルシャが続けて尋ねる。
魔物は不透明で実体があり、その体で攻撃されるし、こちらの攻撃も効く。倒すまでは重量もある。
精霊は半透明で浮いており、体重など無いかのようだ。魔物もピクシーやハーピーのように浮いているものもいるが、それは鳥や虫のように飛んでいるのであり、体が無いわけではない。
「基本的にはこのように、目には見えるけれども形のない状態になりますね」
精霊、ファスタン・ティタはそう言ってヴァルルシャに手を伸ばした。精霊の手がヴァルルシャの肩をすり抜けていく。
「ですが必要な時は意識を集中して、その時だけ実体を作って触っています。その分ストレスが増えますけどね」
精霊は笑いながらそう答えた。そのストレスがどこかで魔物として生まれてくることを、精霊自身も知っているというような微笑みだった。
そう話している間にリユルの手形の処理が整い、職員がリユルの手形と30,000テニエルを精霊に差し出した。
「こちらの手形に、30,000テニエルをご入金ですね」
精霊はそう言ってリユルの手形に触れた。確かにその時だけ指先に力を込めているように見える。手形に精霊にしかわからない情報を送り込んでいるのだろう。
職員は手形の処理を続け、ヴァルルシャの入金も同じように終わった。
「他にご用はございませんか?」
職員が尋ねる。三人はうなずいて手形や控えを片付けた。
「ありがとうございました。またよろしくお願いします」
職員と精霊がそう言って頭を下げ、三人は窓口を離れた。
せっかく手形屋に来たので、三人は中の様子を見て回る。
手形屋の壁にも時計が掲げられており、針はもうすぐ真下、5の位置に近づいてきていた。閉店時間が近いので新たにやってくる人はおらず、窓口も今受け付けている人の対応が終わったら片付けに入っていくようだ。
窓口に椅子は無かったが、壁際の辺りには木製の椅子がいくつか並べられていた。
「なんか時間かかることを頼んで、ちょっとお待ちくださいって時にはこの椅子を使うんかもね」
椅子を見ながらユージナがそう言った。
壁には扉もいくつかあり、『応接室1』『応接室2』などと書かれていた。
「融資の相談や、周りに聞かれたくない話は窓口でなくこちらでやるのでしょうね」
「うん。ついたてがあるとはいえ、隣で聞き耳を立てたら聞こえちゃうもんね。……鑑定屋と違って、地図は無いんだね」
リユルが手形屋の壁を見回して言う。
鑑定屋の壁には町周辺の地図があったが、手形屋には無かった。旅をする魔物狩り屋が集まる鑑定屋では近隣の地理の情報を欲しがる人も多いが、手形屋は町の住人も使う施設なので地図を掲げなくてもいいということだろうか。
自分たちが必要としそうな情報は他に見当たらなかったので、三人はカウンターの中の様子を少し観察してみた。
窓口の奥にも机があり、同じ制服を着た人間の職員が書類を書いたり、書類をまとめたりしている。パソコンのような近代的な道具が無いだけで、三人が銀行と聞いて頭に浮かべる光景と大きな違いはなかった。
しばらくその様子を見つめていると、壁の時計が鳴った。針が真下、現代日本で言う夕方の六時を指したのだ。
窓口の人間の職員が立ち上がり、精霊も宙に浮きながら職員と同じように『気をつけ』の姿勢をとる。
「夕の五刻となりました。窓口の業務を終了させていただきます」
人間も精霊もそう言って一礼した。精霊の姿は半透明からさらに薄くなり、消えていく。
「鑑定屋と同じだね」
リユルが言う。鑑定屋もこの時刻になると窓口の業務が終了し、精霊はすべて消えるのだ。
「やっぱ鑑定屋と手形屋って似とるね。おんなじ国営だからか」
ユージナも以前見た鑑定屋の業務終了の様子を思い出す。鑑定屋は向かいに時計塔があるのでその音が鑑定屋の中まで聞こえ、それに合わせて窓口の挨拶が行われた。手形屋は時計塔から離れているので、壁に音の鳴る時計を設置しているのだろう。違いと言えばそのぐらいだった。
「時間になると精霊だけが一律に消えて、残った人間が後片付けをするのも同じですね。やはり精霊を具現化しておける時間が決まっているのでしょうね」
精霊は、各施設の営業時間に合わせて具現化させたい時間を国に申請するのだろう。そして申請した時間になれば現れ、時間が終われば消えるのだろう。以前鑑定屋で精霊が消えるのを見たとき、三人はそう推測した。一日中ずっと精霊が具現化していては精霊のストレスが増えるし、それが税金という形で人間にも負担になるため、具現化する時間を制限しているのだと思われた。
人間の職員は、精霊のいなくなったカウンターの中で、今日受け付けた分を集計したり書類に判を押したりしている。用事の済んだ三人が残っていても邪魔になるだけだろう。他の客もすべて帰った後だった。三人は手形屋の外に出た。
「すっかり夕方になってますね。貸馬屋にも寄りたかったんですが……まだやってますかね」
夕焼け空を仰ぎながらヴァルルシャが言った。
「馬車の値段の確認だよね? それだけなら、誰かおれば教えてくれるんと違う?」
「これから乗るわけじゃないもんね。店が閉まってても、今日はそっち方面で夕ご飯のお店を探すってことにすればいいし。この町で過ごすのも今日が最後なんだしさ」
ユージナとリユルが答える。
「そうですね。では、貸馬屋まで行ってみましょうか」
三人は夕焼けで赤く染まる町の中を歩き出した。