第一章 06 夕方の町
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『手形屋』という名称は、通帳が手形だからというだけでなく、融資の時にも手の形や指紋で契約するから、という意味が含まれているのはどうだろう。
代理でお金を引き出す場合は委任状が必要になるが、それにも本人の手形や指紋が必要というのはどうだろう。
本人が寝ている隙に誰かが手形を盗んで、委任状にも勝手に指紋を押してしまったら? ……委任状も日本のような書類ではなく、金属の板で、本人が起きていて『自分は手形屋に行けないから代理で下ろしてきてくれ』という意志をこめないと指紋が写らない、という仕組みがあるのはどうか。
では死んでしまった人の手形に入っている貯金はどうする? ……それはもう、精霊に確実に死んでいると鑑定してもらって遺族が受け取るとか?
設定に困ると精霊の力を利用するね、ファンタジー異世界で科学技術を出すと世界観が壊れるから、その辺は精霊の不思議な力で代用することにしようよ、そのストレスで生まれた魔物は自分たちが退治するのだから。
そんな話をしながら、三人は橋を越え、鑑定屋が見えるところまで戻ってきた。
橋のたもとにはまだ国王からのチラシを配っている人がいたが、前ほどの混雑はしていなかった。
鑑定屋の前には時計塔があり、今、時計の針は右下を指していた。
この世界の時計は、文字盤が十二等分ではなく八等分になっており、針は一本しかない。
一日が二十四時間なのは現実世界と変わりがないが、このコオンテニウの世界では、八等分を二回、一日を十六に分けている。
この世界の時計の文字盤は、真上が1、そこから右回りに8まで数字が並んでいる。針が数字を一つ進むのにかかる時間は一時間半で、この世界ではそれを『一時限』と呼んでいる。
今、時計の針は4のあたりを指していた。現実世界の時計ならば四時半辺りだ。この世界での呼び方をするなら、『夕の四刻』となる。
「結構夕方だね。急がなきゃ」
時計塔を見ながらリユルが言う。時計の文字盤も日本語訳されているので三人の目にはアラビア数字に映っている。
「鑑定屋は夕の五刻には閉まりますし、銀行……手形屋だって、そんなに遅くまで開いているとは思えませんからね」
夕の五刻とは、時計の針が真下に来る、現代日本で言う夕方の六時のことだ。
「銀行って閉まるの早いもんね。手形屋は振込とかはやらんだろうけど、大金を扱うのに暗くまでやっとったら不用心だもんね。もしかしたら今日はもう終わっとったりして」
「二十四時間対応のATM並みとまでは言わないけど、お金を預けるだけなら夕方までは受け付けてほしいなあ」
そんな話をしているうちに三人は時計塔の足元までたどり着いた。時計塔の正面にある、『鑑定屋・ファスタン』という看板のある大きな建物に入る。鑑定屋は町に一つしかないのでこういう表記になっている。
鑑定屋の中には広間があり、出入り口から真正面に見える位置に『換金の方は一列になって並び、空いた窓口にお進みください』という看板がある。看板の向こうは役所の窓口のようなカウンターになっている。窓口の上には説明書きがあり、半分以上は『換金』だが、『蓄光石の制作』『その他ご相談』と書かれた窓口もある。
『換金』の窓口には他の魔物狩り屋が並んでいたが、『その他ご相談』の窓口は空いていたので三人はまっすぐそこに向かう。
窓口には、まず人間がいる。男女共に茶色くて装飾の少ない制服を着ている。
そして、それぞれの窓口に、精霊がいる。
半透明で、茶色っぽく、宙に浮いており、窓口の人間と同じ制服を着ている。男の精霊も女の精霊もおり、すべて、顔に眼鏡をかけている。
この世界にも眼鏡はある。そして知性の象徴というイメージもあるようだ。
精霊はもちろん目が悪くなったりはしない。そもそも、性別がある必要もない。だが、人間がそのように具現化するのだ。
三人が以前行った魔法屋では、半透明で宙に浮いていて炎っぽい、という精霊がいた。外見は基本的に同じだが、少女の姿をしている精霊と少年の姿をしている精霊と二種類がいた。
基本形が同じ精霊は、国に申請を出すと、一つの申請で十名まで国から許可が下りる。
精霊には肉体があるわけではないので、性差といっても外見の差異だけだ。肩幅を広げたり胸を膨らませたりするのは、個体差の範囲に過ぎない。全く異なる姿の精霊は国に新たに申請する必要があるが、外見に男女差を付けるだけなら一つの申請で通る。外見にやや変化を付けても精霊の能力に変化はないが、精霊の姿によって魔法を習いに来る人間のモチベーションに変化があるので、精霊に男女差を設けている。
その魔法屋の店員は、三人にそう説明した。
つまり、このコオンテニウの世界においては、精霊は萌えキャラ、ゆるキャラのような側面も持っているのだ。
鑑定屋は役所のようなものなので、精霊の姿は真面目な雰囲気があった。
鑑定屋の精霊には『カンティー』という名があり、ファスタンの町の鑑定屋にいる精霊たちは『ファスタン・カンティー』と呼ばれている。
三人が向かった窓口には、人間の女性職員のみがいた。ファスタン・カンティーは『換金』『蓄光石の制作』の窓口で業務を請け負っているようだ。
「本日はどのようなご用件ですか?」
女性職員が微笑みながら尋ねる。
「えーっと……道を教えてほしいんですけど、ここで教えてもらえますか?」
そう言うユージナに職員は笑顔で答える。
「かまいませんよ。どちらへ向かわれるのですか?」
鑑定屋の壁にはファスタンの町を中心とした地図が設置されている。そちらを振り返りながらユージナが言う。
「この町の近くにはギョーソンとセカンタって町があるんですよね。その先ってどうなってるんでしょうか? 港とかありますか?」
「というか、あいたち、ルフエ島に行きたいんですよ。だから港町フェネイリに行きたいんです」
普段から近隣の道を聞かれることがよくあるのか、国王からのお触れが出たばかりなので心構えしていたのかはわからないが、職員は丁寧に教えてくれた。
ファスタンの町から東に伸びる街道を進むと、セカンタの町に着く。
ファスタンの東は平野が広がっており、農地や農村があるが、街道沿いに村は無い。街道沿いには二つ、休憩所、食事処、宿屋を兼ねた施設があるという。それは人間が休むだけでなく、馬を休ませる施設でもある。
ファスタンの町の端、街道に続く場所に貸馬屋があり、そこで馬車を借りることができる。朝から馬車に乗ってセカンタに向かう場合、街道沿いの施設で馬と人間が休息しつつ進んで、夕方になるころにはセカンタに着く。徒歩で街道を歩くのであれば、日が暮れる前に宿屋に泊まる必要があるだろう。宿屋の代金と馬車の値段、それから移動にかかる時間と、どれを最優先するかは人それぞれだ。
セカンタの町から南に伸びる街道を進んでいくと、フーヌアデという港町がある。フーヌアデからフェネイリに向かう船が出ている。フェネイリの北にルフエ島がある。
セカンタからフーヌアデまでの街道沿いにも休憩所と宿屋を兼ねた施設があり、距離もちょうどファスタンからセカンタと同じぐらいだ。
ちなみに、ファスタンから南へ伸びる街道を進むと、ギョーソンの町に着く。
ファスタンから南に徒歩で半日ぐらい進むと街道沿いに森があり、そこに魔物が出るので、魔物狩り屋のための宿屋がある。そこは魔物狩り屋が多く集まってくるので、宿泊客以外の食事や馬の休憩はできない。もう少し南に行ったところに、馬や人間の休憩所兼宿屋がある。そこからさらに南に行くとギョーソンの町だ。ファスタンからギョーソンへ行くのも、馬車で朝から夕方ぐらいまでかかる。
ギョーソンの町は漁村で、魚を捕る船はあるが、他の町に行く船は無い。
職員の女性はそう教えてくれた。
「ありがとうございます。……あっそうだ、この町の手形屋の場所も教えてもらえませんか?」
ヴァルルシャが言い、職員はそれも丁寧に教えてくれた。
「鑑定屋の前の大通りをキヨゥラ川と逆方向に進んでいくと、通り沿いに手形屋があります。さらに進んでいくと東の街道につながっていて、そこに貸馬屋がありますよ。手形屋も夕の五刻には閉まりますので、これから向かわれるのでしたらお急ぎになった方がいいかと思います」
鑑定屋の中にも、カウンターの正面の壁に時計が設置されている。その針はさっき時計塔で見た時よりも右斜め下に進んでいた。長針が無いので細かい時間はわからないが、短針の傾き自体は現実世界の時計と同じだ。今は五時ごろだと思われた。
三人はお礼を言い、鑑定屋を出る。急ぎ足で手形屋を目指しながら、手に入れた情報について話し合う。
「やはりギョーソンは漁村でしたね。我々が次に向かう町はセカンタに決まったわけですが……。徒歩と馬車、どちらがいいでしょうね」
「馬車かあ。乗ってみたい気持ちもあるけど、値段がいくらかかるかだよね。宿代とそんなにかわんないなら早く移動できた方がいいし」
「でも、荷物を運んどるような馬車はちょくちょく見るし、この町は農地からそうやって荷物を運んでくるんでしょ? だったら馬の代金ってそんなに高くないんと違う?」
「ですが現代日本でも、トラックで荷物を運ぶのとタクシーで人が移動するのと、移動距離は同じでも運賃に差がありますよね。人を乗せる乗り物は高くなるんじゃないですか?」
「それもそうか。それに近くの農村から荷物を運ぶのと、朝から晩まで隣町に向かって歩くのとじゃあ、馬の疲れ具合も違ってくるもんね。だで休憩所があるのかもしれんね」
「街道沿いにある休憩所って、高速道路のサービスエリアみたいなものかもね。車にガソリンが必要なみたいに、馬だって水とか飲んで休まないと動けなくなるだろうしさ。でもちょっとぐらい高くても、馬車がどんなもんか体験してみたいって気持ちもあるなあ」
「あとで貸馬屋で料金を確認してみましょうか。とりあえずセカンタまでは馬車での移動を体験して、セカンタからフーヌアデまでは徒歩で移動するでもいいですし。というか新しい町の名前が出てきましたね」
「フーヌアデ。どういう意味だろね。フーヌアデ……ふーぬあで……船出? 『船出』から来とるんかな?」
「ああ、確かにそれっぽい!! 船が出るって言ってたもんね! 船か~。この世界の船ってどんな感じなんだろ? あいたちで設定した方がいいのかな?」
「ですが、船や港町という話は我々が設定しなくても現れたわけですし、港町は港町としてすでに機能しているんですよね。ならば、我々が余計な設定を挟まない方が良いのでは?」
「そっか。馬車だってあいたちが設定しないうちから見かけたし、すでに決まった世界観の中で不自然じゃないように、ふさわしい船の設定を世界の方で作り上げてるかもね。だったら余計なことしないほうがいいか」
「うん、それに、うちらで全部ガチガチに決めるより、予想外の展開があった方が面白いもんね。長息人のこともさ、エルフっぽい感じなのか、耳がとがってるのかとか、道を聞くときに一緒に聞けば教えてもらえたかもしれんけど、あんまり聞かん方がよくない? うちらが設定した種族じゃないんだしさ」
「そうですね。あまり前情報を仕入れないでいた方が、実際にルフエ島に着いたときの驚きが増しますよね」
「長息人がどんな種族かは、実際に向こうに着いてからのお楽しみってことだね。ルフエ島に行くまでにも、馬車とか船とか、あいたちの初めての体験はいっぱいあるもんね」
そう話しながら歩いていると、道の先に、『手形屋』と書かれた看板が見えてきた。