第五章 11 ルフエ島の魔物
11 ルフエ島の魔物
水の流れる音を耳にしながら、三人は草木の根元を見てみたり、柵の隙間を覗いたりしてみた。指輪らしき物は見当たらなかったが、ハイキングに来たと思えば楽しかった。三人はこの中世風異世界の住人ではあるが、作者とシンクロしている。現代日本人の作者がハイキングに行って、自然物を新鮮な目で見るのと同じ感覚で、植物や川を見ることができる。
ふと、川と滝の音に、イレギュラーな水音が混じったような気がしてユージナが顔を上げる。
「ん……?」
「どうしたの?」
「何か見つかりました?」
「いや、変な音が聞こえんかった?」
リユルとヴァルルシャも顔を上げ、耳を澄ませる。
確かに、川の流れる音とも滝の落ちる音とも違う水音が聞こえてきた。何かが水の中から這い出してくるような……。
「あっ!!」
背の高いヴァルルシャが最初にそれを見つける。柵の向こう、滝の右側。柵の高さと同じ位置にある川から、陸に上がってくるもの。
それは三人にとって見覚えのある姿ではあったが、以前見たものとは違うという思いを抱かせる姿でもあった。
「ああーっ! シェリーコートがー!」
三人の後に顔を上げたキャスバンが、それを見て声を上げる。
その魔物……シェリーコートは、川から陸に上がり、小走りで四人のいるところを目指しはじめた。
「やっぱりシェリーコートだったんだ。でもなんか、前にあいたちが戦ったやつより大っきくない!?」
以前コハンの町の近くで戦ったシェリーコートは、リユルの身長の三分の一ぐらいのの大きさだった。だが今目の前にいるシェリーコートは、それより一回り大きかった。
「ルフエ島の魔物はー、島の外の魔物に比べて大きいって言いますねー。あいが見たことあるのはー、このぐらいの身長のやつばっかりなんですけどー」
「そうか、短息人と長息人では『自分たちの三分の一ぐらいの大きさの魔物』も、大きさが変わってくるわけですね」
ヴァルルシャが推測する。
コハンの近隣で戦ったとき、この世界の魔物は、その土地に住む人々の集合的無意識のようなものが反映されるのだろうという話をした。だから短息人より一回り大きい長息人の住む島では、魔物も島の外より一回り大きいのだろう。
「何にしても、魔物がおったら倒すだけだわ!」
ユージナが刀を抜いて身構える。
「一匹だけかなー? でも、仲間に連絡しますねー」
キャスバンが小型の笛を取り出し、吹いた。ピー、とホイッスルのような音が辺りに響く。
「そうやって他のスタッフを呼ぶんだ。でも、あいたちだけでもなんとかなるかな?」
「ええ、一匹だけですしね」
リユルとヴァルルシャも戦闘態勢に入る。シェリーコートは柵をよじ登り、公園内に入ってこようとしていた。
「炎よ!」
柵を跳び越えるシェリーコートに、ヴァルルシャが炎の塊を投げつける。しかし間一髪でかわされてしまった。
「岩よ!」
だがすぐに、リユルの岩の魔法がシェリーコートを狙う。
うめき声を上げるシェリーコートに、ユージナが斬りかかる。その刃はシェリーコートを捕らえたが、致命傷にはならず、シェリーコートは身をよじってその場から離れる。
「体がでかいで、ちょっと強いんかな?」
キャスバンの手前、HPが高め、という表現は控えた。だが言いたいことは他の二人にも伝わったようだ。
「でも、シェリーコートってそんなに強くないしね!」
「ええ、何度も倒してますし!」
リユルとヴァルルシャがもう一度魔法を放つ。二発とも命中するが、まだシェリーコートは倒れなかった。
「こいつめ……」
ユージナが斬りかかろうとするが、シェリーコートが貝殻を投げつける構えを見せるので、ユージナは防御の姿勢を取る。ルフエ島のシェリーコートは、身にまとう貝殻もコハン周辺の物より大きかった。
「炎よ!」
貝殻が投げられる前に、ユージナとにらみ合うシェリーコートを、炎の魔法が焼いた。シェリーコートは断末魔をあげて消えていくが、それはヴァルルシャの放った魔法ではなかった。
「大丈夫ですかぁー?」
キャスバンが三人の後方から、炎の魔法を放っていた。
シェリーコートが消えた場所からは、四つの光がユージナ、リユル、ヴァルルシャ、そしてキャスバンの元へ向かう。光はそれぞれが持つ蓄光石に吸い込まれていった。
「ごめんなさいねえー。皆さんだけでも倒せそうとは思ったんですけどー、公園内で魔物と遭遇した以上ー、あいも黙って見てるってわけにはいかないのでー。皆さんお怪我はないですかぁー?」
一つの魔物狩り屋のパーティーが魔物と戦っているところに、第三者が無断で戦闘に参加するのは良くないこととされる。魔物を倒したときに得られる光が等分され、鑑定屋で換金できる金額が減ってしまうからだ。
だがここは公園内だ。客が怪我をする前にスタッフが魔物を攻撃するのは無理もないことだろう。三人も、魔物狩りをしにここに来たわけではない。
「大丈夫です。キャスバンさん、魔法が使えるんですね」
ユージナが刀を鞘に収めながら振り返る。シェリーコートの貝殻が投げつけられる前に戦闘が終わったので、どこも怪我はしていない。
「はいー、あいは手を怪我するのが嫌なんでー、魔物とは魔法で戦うんですー」
キャスバンは手をひらひらと振った。絵を描いたときの鉛筆の粉が手に付着しているのが見える。
「何だー、魔物はー、もうー倒したのかー」
そのとき、森の方から太い声がした。三人がそちらを見ると、森の中から大柄な男性が歩いてきていた。
身長は二百二十フィンクほどあるだろうか。長息人の中でもかなり大柄だ。その身長を支えるにふさわしい、太く頑丈な体をしている。首にスタッフの証の緑のスカーフをつけ、大きな棍棒を持ち、大型動物のようにゆっくりと皆の方へ歩いてきた。
「ジーリョ、そうなのー、シェリーコート一匹だけだったからー、もう倒しちゃったー」
キャスバンが彼の名を呼ぶ。ジーリョは、重量、もしくは力士の十両から来ているのだろうか。濃いめの茶髪を前髪ごと後頭部でひとまとめにしている髪型が、どことなく力士を連想させる。
「笛がー、一度しかー鳴らなかったからー、そんなにー危機的状況ーではないとー思ったがー、お客さんもーいたのかー」
「うんー、あいがいなくてもよかったぐらいー。やっぱり短息人の人たちは素早いねー」
ジーリョと比べると、キャスバンは確かに早口だった。長息人同士で会話しているのを聞くとよくわかる。
リユル、ヴァルルシャも戦闘態勢を解き、皆は一カ所に集まる。
「笛で合図をするんですね」
ヴァルルシャが尋ね、キャスバンが答えた。
「そうですー。弱めの魔物なら短く軽めに一回ー、ちょっと強いのとかたくさんいるとかだとー、強く長めに何回か吹くんですー。でー、その音が聞こえる距離にいるスタッフがー、駆けつけるって感じですねぇー」
携帯電話やトランシーバーなどが無くても、そういう方法で連絡を取り合えるのだ。三人は納得した。
「さっきのー吹き方だとー、俺のいるー辺りまでしかー音がー届かなかったーだろうなー」
「今日はー、虫を見るのに夢中になってー、笛の音を聞き逃したりしなかったねー」
「キャスバンこそー、スケッチにー夢中にーなってー、お客さんにー気づかなかったりーしなかったんだなー」
魔物を出にくくさせるために、公園内の森に人間の気配をさせておく。その役割のキャスバンもジーリョも、森の中で楽しく過ごしているようだ。
「魔物はもう出てこんのかな?」
ユージナが川の方を振り返る。川と滝は魔物が出る前と同じように流れており、もう魔物は見当たらなかった。
「そんなに強くなかったけど、ちょっと疲れたよね。たくさん歩いたし。そろそろ休憩したいなあ」
リユルが伸びをする。まだ夕方ではないが、昼食を食べてからしばらく経つ。ここは公園の北西の端なので、入り口まで戻るにもまたずいぶん歩かなくてはならないだろう。
「あー、双心樹の大木からちょっと東に行ったところにー、小さな休憩所がありますよー。トイレがあってー、ルーハワイブとスーリベリーのジュースが売ってますー」
キャスバンがそう案内した。
「へえ、ルーハワイブはワインだけでなくジュースもあるんですか」
そう言うヴァルルシャに、ジーリョが答えた。
「ええー、お酒がー飲めない人にもー、飲んでーもらいたいーですからねー。この島独自のー植物ですしー」
「じゃあ、そこへ行ってみよっか」
リユルが言い、ユージナとヴァルルシャもうなずいた。
「じゃあー、あいが双心樹の大木のところまでーお送りしましょうかー」
キャスバンが微笑み、三人を誘導する。
「じゃー、俺はー、またー森の中にー戻るかー」
ジーリョはそう言って森の中に戻っていった。
キャスバンに連れられ、三人は下り坂になった森の中の道を降りていった。キャスバンと最初に出会った切り株のところも通り過ぎ、木々の茂みが途切れて視界が開ける場所まで戻る。双心樹の大木のある場所だ。
大木は行きに見たときと同じ姿で堂々と立っていた。
「あっちがわの道を行けばー休憩所に着きますー」
キャスバンが大木の東側を示す。そこにも歩道があり、看板があるのが見えた。
今いるのは大木の北西、『ニテール川 こちら→』の看板がある場所だ。大木のある広場にはいくつかの歩道がつながっており、三人が最初にやってきたのは南の歩道だった。
「ありがとうございました」
「いえいえー。指輪が見つかるといいですねぇー」
キャスバンに礼を言い、キャスバンと別れて三人は東の歩道に向かう。歩道の手前の看板には『休憩所 こちら→』と書かれていた。
東の歩道をしばらく進むと、小さめの休憩所があった。中央の休憩所ほどの規模ではないが、トイレとあずまやがあり、ジュースを売る屋台があった。屋台には『ルーハワイブジュース 一杯30テニエル』『スーリベリージュース 一杯30テニエル』と書かれていた。
ユージナとヴァルルシャはルーハワイブジュース、リユルはスーリベリージュースを頼み、ジュースを受け取ってあずまやに座る。ジュースは木をくりぬいたコップに注がれ、飲んだら屋台に返却するスタイルのようだ。
ルーハワイブジュースは、かき氷のブルーハワイのような色をしており、味もブルーハワイのような爽やかさを持ったブドウの味をしていた。スーリベリーはラズベリーに似ていた。
三人はしばらくそこで休憩した後、ゆっくりと入口方面に向かって歩き出した。植物を見ながら行きと違うルートで公園内を歩いていると、鐘の鳴る音が聞こえた。だが、時計塔の鐘ではない。
音のする方を見ると、緑のスカーフを身につけた公園のスタッフが、手にハンドベルを持って鳴らして歩いていた。そしてシンプルな構造のメガホンを持ち、公園内の客に呼びかけを始めた。
「閉園時間がー近づいてーおりますー。この公園はー夕の四刻にー閉園ーしますー。それまでにー南のー出入り口にーお向かいーいただきーますようーお願いーいたしますー。ご来園ーありがとうーございましたー」
長息人のゆっくりしたしゃべり声が、メガホンで少し大きくなって公園内に響く。メガホンと言っても電源などを使わない、ただ円錐の筒型をしただけのものだ。それでもハンドベルの音と相まって、園内の客がスタッフの方を振り向く。スタッフは客に会釈をしつつ、歩きながら呼びかけを続けた。
「うちらも帰ろっか」
ユージナが言い、三人は南の出入り口に向かう。他にも呼びかけのスタッフはおり、何度かすれ違った。
南の門の辺りには公園内の客が集まってきていたが、混雑するというほどではなかった。客はやはり短息人が多いようだ。
三人は南の門をくぐり、国立コーウェン公園を後にした。




