第五章 10 長息人の女性
10 長息人の女性
今までの道は割と平坦だったが、ニテール川方面に向かう道は少し地面に高低差があった。地面が平坦なところまでを植物園として人間の手で加工したのかもしれない。この辺りは森をそのまま残した方が楽だし、その方が双心樹の大木にもいい環境なのだろう。三人はそんなことを話し合いながら、森の中を進んでいった。
森の中にも時々、双心樹が生えていた。あまり大きくないので、樹齢は数十年から数百年ほどだろう。他にジョウの木、ファミガの木なども生えていた。この辺りまで来る入園者は少ないのか、三人以外の人影は見えなかった。
道は隆起しており、草も生えているので見通しは良くなかった。緩い傾斜を一つ登り終えると、少し先まで見えるようになった。
道の先には木の切り株があり、一人の人間が座っていた。
「誰かおるね」
「うん、あの人、スタッフかな?」
「でも、何してるんでしょうね?」
その人物は、首に緑のスカーフを巻いていた。公園のスタッフの証だ。だが、植物の手入れなどをしているようには見えない。
どうやら膝の上にスケッチブックを広げ、森の絵を描いているようだ。三人が近づいていくと、向こうも三人に気づいた。
「ああ、お客さんですかぁー、いらっしゃいませぇー」
そう言ってその人物はスケッチブックと鉛筆を横に置き、立ち上がった。
若い女性だった。身長175フィンクのヴァルルシャより一回り大きいので、190フィンクぐらいあるだろう。おそらく長息人だ。上半身は白くふんわりとした上着を着ており、下半身は体のラインが出る黒いレギンスのような物を履いている。
長息人は短息人に比べて骨太な印象があるが、それを踏まえても、全体的に標準より肉付きの良いプロポーションをしていた。
明るい茶色のふわふわした髪の毛を赤いヘアバンドでまとめ、穏やかそうな笑みを浮かべている。
「何してたんですか?」
リユルが尋ねると、女性ははにかんだような表情を見せた。
「あ、あいはー、絵を描くのが好きなんでぇ、スケッチを……」
「ああ、森の植物の生長を記録するとかですか? スタッフの方ですよね?」
ヴァルルシャに聞かれ、彼女は首を振った。
「いえー、これは本当に趣味なんですー。あ、でもー、さぼってたわけじゃないんですよぉー! この辺りはー、花壇や畑のある部分と違って森がそのまま残ってますからー、魔物が出たりするんですー。でも公園の中でなるべく魔物は出て欲しくないからー、スタッフをこの辺りに配置しておくんですー。人間の気配をさせておくこと、ここは人間の領域だと主張することで、魔物を出てきにくくさせてるんですー。だからー、あいがこの辺りにいる、ってことが大事なんですー」
彼女はそう説明した。
「そっか、船が海に停泊するとき、明るくするのとおんなじだ」
リユルは以前、船でユマリに言われた事を思い出した。
「ところで、この島の人ですよね? その割に、話し方がずいぶん聞き取りやすいなって思ったんですけど」
ユージナが彼女に尋ねる。三人が今まで見かけた長息人は、しゃべるのがもっとゆっくりしていた。
「ああ、あい、昔からせっかちだってよく言われるんですよぉー。しゃべるのもすっごく早いし、食べるのも速いからついつい食べ過ぎちゃってー、二人前ぐらい食べちゃうから結構太っちゃってー。
でもしゃべる早さに関してはー、このぐらいの方が短息人の人には聞きやすいって言われるんでー、これもいいのかなって思ってますー」
長息人にとっては早口のようだが、短息人にとっては、ややおっとりしている程度のスピードだ。
「確かに聞きやすいです」
「それに、食事だって食べたいものを我慢してやせるより、好きな物を食べて太ってた方がいいですよ」
ユージナとリユルの言葉に、女性は嬉しそうに笑った。
「あいはー、キャスバンって言いますー。この辺りの案内もやってますからー、わからないことがあったら何でも聞いてくださあいー」
キャスバン。名前の由来はキャンバスだろうか。白の上着が何も描かれていないキャンバスを連想させる。
「うちはユージナ」
「あいはリユル」
「私はヴァルルシャです」
三人もそれぞれ自分の名前を名乗った。
「皆さんはニテール川まで行かれるんですかー? 案内しましょうかー?」
そう言いながらキャスバンはスケッチブックと鉛筆をそばに置いてあった鞄の中にしまおうとするので、リユルが言った。
「あ、でも、いいんですか描き途中で」
「一応、あいの本業は公園のスタッフですからー。絵を描くのはお客さんがいないときだけですー。だからすぐに片付けられるように、絵の具は使ってませんものー」
「どんなん描いとったんですか? 見てもいいです?」
ユージナに言われ、キャスバンは少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうにスケッチブックを開いた。
そこには、黒一色の鉛筆書きとは思えないほど、生き生きとした森の姿が描かれていた。スケッチブックをめくるごとに、描きとめられた日々移り変わる森の表情が現れてくる。
「わあ、うまい」
三人に褒められ、キャスバンは嬉しそうに笑い、言った。
「この島の外にはー、もっといろんな景色が広がってるんでしょうねー。絵の具もー、この島にもありますけどー、世界にはもっとたくさんの画材があるんですよねー。でも島から出るのはちょっと怖いから……」
長息人はルフエ島から出たがらない。やはりそうなのだ。
「キャスバンさんならうちらと話し方もそんなに差が無いし、島の外でもやっていけそうだけど」
「そうですかー? 東洋の方に言われると励みになるなぁー」
彼女から見れば、ユージナは自国を出て西洋までやってきて、西洋の言葉を話している人間に見えるのだろう。実際には日本語訳という建前で日本語をしゃべっているだけなのだが。
キャスバンはスケッチブックを鞄にしまい、立ち上がった。
「ニテール川はこっちですー」
キャスバンが先導し、三人もその後に続く。
「この辺りまで来る人は少ないんですか?」
尋ねるヴァルルシャに、キャスバンは答える。
「この辺りになると普通の森ですしぃー、ニテール川も普通の川ですからー、そんなのその辺でいっぱい見れますもんねぇー」
ここが現代日本ならば、都会に住む人間が自然を求めてハイキングに行くのはよくあることだろう。だがここは中世風の異世界だ。森や川は珍しくない。整備された植物園と双心樹の大木を見て帰る人間も多いのだろう。
「ニテール川はー、ちょっと行くと島のある池になってるんでー、変わってるっちゃ変わってますけどぉー、観光しにいくほどすごいって場所でもないですしー」
そしてキャスバンは池について説明した。
ニテール川はこの公園の北から西方面に流れ、西の少し先で池になっている。そこはニテール池と呼ばれ、中央に島がある。池になったと言っても南からはまた川として流れ出しており、ニテール川はフルーエ湖までつながっている。
ニテール池と中央の島は、フルーエ湖とルフエ島に形が似ていなくもないので、この公園と連携して観光地にしようかという話も以前あった。だが劇的に似ているわけでもなく、他に見所も無いので、その話は立ち消えになったらしい。
ニテール川の名前は、池や島の形が『似ている』ことと、池から川が二本出て『ツインテール』になっていることの、ダブルミーニングだったのだと、三人は心の中でうなずいた。
「昔は指輪探しで人がいっぱい来たそうですけどねぇー。あいがこの公園で働き出したころにはブームも過ぎ去ってましたしー」
「あそっか、三十年前って言っても、長息人ならその頃には生まれてるんだ」
リユルがつぶやく。
キャスバンの外見は二十歳ぐらいだった。三人の目にそう見えるということは、この世界の暦に換算すると二十四歳ぐらいだろう。そして長息人なので、実年齢はその倍の四十八歳といったところだろうか。
「ええー。でも小っちゃかったんでー、あんまり覚えてないですねぇー。それでもちょっと前まではー、公園に指輪探しの人はそれなりに来てましたけどー、最近は全然ですねぇー。皆さんは指輪探しですかぁー?」
「うん、王様のチラシをもらったし、ルフエ島がどんなところか見てみたかったもんで」
ユージナが言い、リユルとヴァルルシャもうなずく。
「見つかるといいですねぇー。光り物は鳥がくわえてっちゃうこともあるしー、川に流されたんじゃないかって推測した人もいましたけどー、最近誰も熱心に探してませんからー、ひょっこり出てきてもー見落とされてるかもしれないですしねー」
川に流された。その可能性もあるか。ニテール池にもそのうち行ってみるか? 三人はそう話しつつ、キャスバンの後に続いた。
足元はまた緩い上り坂になっていた。そしていつからか、水の音が聞こえるようになってきた。坂を上り終えると視界が開け、公園の入り口の左右にあったのと同じ柵が視界に飛び込んできた。
柵の高さは長息人の胸元ぐらいで、杭と杭の間もそれなりに広いので、柵の向こうがよく見えた。
「あれがニテール川ですー」
キャスバンが示す。
森は柵の手前で途切れているが、人為的に森を伐採したのではなく、森の出口になったところに柵を設けたのだろう。
双心樹の大木から北側にかけては、地面が緩やかに隆起しているようだ。そして高台になったところで森が終わり、少し先にニテール川が流れている。川の対岸ではまた木々が生え始め、森になっている。
視界の右側のニテール川は四人が今いるところと同じ高さだったが、視界の中央辺りで、川は滝になっていた。こちら側も対岸も、地面が数メートル、いや数エストぐらいの崖になっており、低くなったところからまた川として流れ出している。川幅は十五エストぐらいだろうか。視界の左側のずっと先では、川は少し池のように丸く広がっているようだ。あれがニテール池だろう。
「一応ー、滝があるんでー、この辺りがニテール川の案内スポットなんですけどー、あんまり大きい滝じゃないからー、双心樹の大木を見た後だとー、インパクト薄いですよねぇー」
三人を案内してきたキャスバンが言った。
「この辺りは川岸が崖になってますけどー、ここから西にかけては下り坂になっていくんでー、ニテール池まで徒歩でも行けるんでー、出入り口を作ろうかって話もあったんですけどー、結局その話はお流れになりましたねぇー」
「そうなんですか。でもこの柵、あんまり大きくないですよね。入り口近くもこういう柵でしたけど、よじ登ろうとすれば行き来できてしまうのでは?」
ヴァルルシャが柵を触りながら尋ねた。柵はヴァルルシャの顔より低く、横木に足を掛ければ乗り越えることもできそうだった。
「この公園ー、売れるような高い物があるわけじゃないですしー、入園料だってそんなに高くないしー、忍び込んでも特にいいこと無いですよー。柵があるのはー、『ここまでは公園として責任持ちます、その先は魔物やトラブルに遭遇しても関知しません』っていうー、公園側の責任の所在を明確にするためのラインなんでー、そこまで頑丈じゃないんですー」
キャスバンはそう説明した。
「なるほどねえ、そのための柵なんだ」
そういうところは現代日本っぽいと思いつつ、自分の背と同じぐらいの柵を眺めてユージナがうなずいた。
「じゃあ、この辺りちょっと見てみよっか」
リユルが言い、ユージナもヴァルルシャもうなずく。風景を楽しみつつ、指輪のような光る物がないか見て回る。
「そのうち、ニテール池にも行ってみましょうか」
「うん。池から歩いてここまで来てもいいかも。その場合、柵の内側には入れんけど」
「キャスバンさんの言うように、ちょっと前までは指輪探しの人がそれなりに来てたんなら、この辺はもう探し尽くされちゃってるのかなあ」
リユルのつぶやきを聞き、キャスバンが補足した。
「あっでもぉ、あいにとっての『ちょっと前』だからー、短息人の人たちの感覚だとー、『ずいぶん前』になるかもしれないですー! 年数で言うとー、十年……は経ってないかな……?」
「そっか、時間の感覚もうちらとは違うんだ」
寿命が倍なのだから、長息人にとっての十年は短息人にとっての五年ぐらいの長さに感じるのだろう。
「となると、ここ数年は指輪探しの人間があまり来ていないわけですから、鳥の巣から指輪が落ちるなどしても誰も気づいていない可能性はありますね」
「はいー。あいも熱心に探したことはないんでー、見つけようとしてる方の前に現れるといいなって思ってますー」
微笑むキャスバンに見守られ、三人はしばらくその辺りを探索した。




