第五章 01 ルフエ島に到着
第五章
01 ルフエ島に到着
クラーケンは湖の向こうで少しずつ小さくなっていく。そしてその反対方向、船の進む先に、やがて島が見えてくる。
「これだけ離れれば、とりあえず安心だな」
「お客さんたちは無事か? 積み荷は?」
「被害を確認して、船長に報告だ」
船員たちはそう言いながら甲板を離れていった。
「一緒に戦ってくれてありがとう。あんたたちもいたからなんとか逃げ切れそうだよ。怪我してないかい? もうすぐルフエ島だからね」
風係の女性もそう言って船の中に入っていった。
ユージナ、ヴァルルシャ、リユル、そしてスフィアは甲板に残り、クラーケンを振り返った。クラーケンは船を追うのをやめたのか、遠くで水に顔を出したまま静止しているようだった。
「追いつけんで、諦めたんかな?」
「そうみたいですね」
ユージナとヴァルルシャが顔を見合わせる。
「クラーケン、倒せなかったのは残念だけど、みんな無事で良かったよね」
笑顔を見せるリユルに、スフィアが言った。
「……ごめんなさい。僕、リユルさんに船内に戻れって言われたのに戻らなかったし、魔法もクラーケンを刺激するだけで役に立たなかったし、迷惑かけてしまいましたね……」
「え? そんな、謝ることじゃないよ、あい怒ってないし。ただ、怪我したらきみ自身が痛い思いをするでしょ。だから下がってた方がいいって言ったの。一緒に戦おうとしてくれたのは嬉しいよ」
肩を落としていたスフィアは、リユルの言葉に表情を明るくした。
「魔物と戦うのって、魔物に魔法を当てて終わりじゃないんですね。魔物の攻撃をよけるとか、魔法をぶつけられた魔物がどう反応するかとか、いろんなことを考えて動かないといけないんですね。僕、学校の成績はいい方だから魔物とも戦えると思ったんですけど、全然動けませんでした」
「今まで魔物と戦ったこと無いんでしょ? それがいきなりクラーケンだもん、うまく戦えなくて当然だよ。あいたちは魔物狩り屋だから魔物と戦うのは慣れてるし、経験を積んでるから反応できるんだよ。初めてのきみが魔物とうまく戦えたら、あいたちの立場が無いよ」
そう言いながらリユルは思った。自分たちは闇の中からこの世界に現れ、魔物と戦いつつ旅をしているという設定で動き出した。そして自我が芽生えてから最初に遭遇した魔物との戦いで、体はきちんと反応した。自分たちは何度も魔物と戦ってきたという設定を作ったからだ。だがそれからも魔物との戦闘を重ね、頭にも体にも経験値を蓄積してきた。今は設定としてでなく、事実として『自分たちは魔物狩り屋として経験を積んでいる』と言える。そのことを誇らしく思った。
リユルとスフィアは見つめ合い、微笑みあった。
「ああ、ルフエ島がよく見えるようになってきましたね」
ヴァルルシャが言い、皆はそちらの方向を向いた。
島と言ってもかなり大きく、大陸のようだ。船は船着き場を目指して進んでいく。フルーエ湖を渡る船は今乗っている一艘しかないので、他に船が停泊しているということはないが、そこが船着き場だということはわかる。波打ち際は船が着きやすいように舗装され、倉庫が並び、切符売り場があった。その先はホテルだろうか、立派な建物が並んでいるのが見えた。
「あ、ロッカーから荷物出さんといかんね」
ユージナがそれに気づいた。三人とスフィアは船内に戻り、船を降りる支度をすることにした。
三人は自由席に、スフィアは個室に向かい、自分の荷物を取り出した。他の客たちも船を降りる準備をしており、船内はざわついていた。ローレライの歌声が届いたとはいえ船内に魔物が現れたわけではないので、どこかが破損したり怪我人がいたりということはなかった。だがクラーケンが出たという話は乗客に伝わっている。不安そうな顔をしている者も多いが、ルフエ島には到着できそうだということで、絶望的な顔というわけではなかった。船を降りれば、少なくとも自分が船ごと沈められる心配はしなくていい。
「あっそういえば、エンフィ水、こっちの鞄に入れてた! ああいう強い魔物と戦うときこそ必要なのに~!」
リユルがロッカーから大荷物を取り出しながら言った。
エンフィ水。この世界におけるMP回復薬だ。とはいえ栄養ドリンク程度の効果しか無いように思われる。先日薬屋で買ってからまだ飲む機会が無く、効果は確認できていないが。
「私も大荷物に入れてましたね。まさか今回の船旅でローレライとクラーケンに襲われるとは思いませんでしたし……。でも、魔物はいつ襲ってくるかわかりませんものね。手荷物の方に入れておいた方がいいんですね」
ヴァルルシャも大荷物を取り出し、そこに入れっぱなしだったエンフィ水を手荷物の方に移動させた。
「そうだね。ただ、これがあってもクラーケンからは逃げるしかなかったよね。あいたち、ローレライと戦ってそこまで消耗したわけじゃないし」
「ええ。我々の疲労より、船が心配でしたよね。船が転覆させられてはまともに戦えませんから」
三人が荷物をまとめ終えるころ、船はルフエ島に到着した。クラーケンから逃げるために全速力だったので、異変を感じ取ったのだろう、船着き場もざわついているようだった。急いでタラップが準備され、まず船員が説明しに船を降りたようだ。
それから乗客も徐々にタラップへ向かい始めた。自由席の大部屋から少しずつ乗客が出て行く。そんな中、リュックを背負ったスフィアが自由席に入ってきた。リユルたちを見つけ、近くまで来る。
「やっぱりざわざわしてますね」
「そりゃあね。あんなことがあったんだもん。混雑が落ち着いたら一緒に降りよっか」
リユルはスフィアに言い、自由席の乗客が部屋を出終わるのを待って、まずは階段を昇り、タラップに向かった。
リユル、ユージナ、ヴァルルシャ、そしてスフィアは、船のへりにかけられたタラップの前に立つ。
そこから、船着き場を見下ろすことが出来る。
船着き場には、人がたくさんいた。
まず、船から降りたばかりの乗客が数十人。それぞれ旅の荷物を持っているのですぐにわかる。
それから、この船に乗っていた船員が十数人。青い色のスカーフを巻いているのですぐにわかる。
そして、船員と話している、船着き場の人々。
それはコハンの町の船着き場の人々と同じように、体格が良く、動きやすそうな服を着ているのでそうだとわかる。
だが、それにしても、その体格は……。
「え? でっか!?」
リユルが声を上げた。
そこには、荷物の上げ下ろしで体格が良くなったというよりは、根本的に体の大きい人物がいた。
しかもそれは一人や二人ではない。
「大柄な人、多いですね……」
ヴァルルシャもつぶやく。
船員と話している船着き場の人々は、船員と同じぐらいの背格好の人もいたが、半数ぐらいは、一回りほど体が大きかった。
「もしかして、あの人らが……?」
ユージナの言葉を、スフィアが肯定する。
「はい、あの人たちが、長息人です」
驚いた様子も無くスフィアは答えた。
立ち止まっているわけにはいかないので、四人はタラップを降りていく。
「長息人……この人たちが……」
タラップを降りながらリユルが船着き場を見回す。その場には何十人という人々がいたが、長息人は頭一つか二つ分ほど他の人間より大きいのですぐに見分けがついた。
「皆さん、ルフエ島は初めてですか? 初めての方は長息人の方々にびっくりされるみたいですね。僕は家族と小さい頃から何度も来てるんで、違和感は無いんですけど」
「そうなんだ。確かに、ただでさえ背の低いうちから見たらかなり大っきくてびっくりするわ」
うなずくユージナに、スフィアが言った。
「ええ、でも、皆さんが驚かれるのは、体の大きさだけじゃないんですよ」
「どういうことです?」
ヴァルルシャがそう尋ねたとき、船着き場に声が響いた。
「乗客のー皆さんー、なんにしてもー、無事でー良かったですー。クラーケンがー出たとのことでー、しばらくー船の運航はー、中止せざるをー得ませんー。船の安全がー第一ですからー」
長息人の、船着き場の責任者らしき風貌の年配の男性が、自分の口の両横に手をラッパのように当て、その場にいる人々に向けて大声を張り上げたのだ。
船着き場にいる乗客たちがざわめく。それは船の運航が中止になったことに対する動揺だった。
リユルたち三人も驚くが、それは彼の話し方そのものに対してだった。
語尾を伸ばした口調、というよりは、言葉の一音一音をゆっくりと発音している、いや、言葉が口から出る速度そのものが全体的に遅い、そんな感じだった。
三人は彼の様子を見つめる。すると、ラッパにした手を顔から離して体の横に下ろすのも、スローモーションでも見ているようなゆったりとした動きだった。
彼の隣には、青いスカーフを巻いた男性がいた。スカーフは他の船員の物より大きく、服も少し上等そうな物を着ているので、船長だと思われた。
タラップを降りた三人とスフィアはそちらの方に向かう。
船長たちは乗客五、六人に囲まれており、乗客と船長が問答をしていた。船長の身長は他の船員や乗客と同じぐらいで、会話速度も乗客と変わらなかった。
「次の出航はいつになるんだ」
「湖にクラーケンがいる間は無理です。今回はなんとか逃げ切れましたが、次も逃げられるとは限りません」
「コハンとの往復切符を買ってしまったんですけど」
「切符売り場で払い戻していただくか、そのままお持ちいただいて、後の運航に使っていただくか……。クラーケンがいなくなったら船の運航は再開できるはずですから」
「それはいつになるんだ」
「現時点ではなんとも……」
船長がそこまで言ったところで、長息人の男性が口を開いた。
「フルーエ湖にークラーケンがー出るなんてー、百三十二年ー生きている私でもー、聞いたことー無いですよー、ローレライだけならー時々ー出るんですがー」
「百三十二年!?」
三人は驚く。その男性は、せいぜい五十代にしか見えなかったからだ。三人の目にそのように映るということは、現実世界の、一年が三百六十五日の暦で五十代ということになる。この世界の暦は一年が三百日なので、現実世界の五十代はこの世界では六十代ぐらいに換算される。そこで誤差が出るとはいえ、とても百を超えた年齢には見えなかった。
そんな三人に、スフィアが説明した。
「長息人の方々の寿命は、僕たちの倍ぐらいあるんです。僕たちは長生きしてもせいぜい百年ですけど、長息人は二百年ぐらい生きるんです。というか、長息人は、成長スピードが僕たちのちょうど倍なんです。だから六十代に見える人は百三十歳前後なんですね。
それから、僕たちとは呼吸の回数も違います。僕たちが二回呼吸をする間に、長息人は一回しか呼吸しません。だから『長く息をする人』、『長息人』なんですね。長息人の方々は僕たちのことを『短息人』と呼びますから、長息人から見たら、自分たちの呼吸が長いんでなく、僕たちが呼吸の短い人種なんでしょうね。
心臓の鼓動の速度も違います。僕たちの心臓が二回脈を打つ間に、長息人の心臓は一回だけ脈打ちます。
体の作りがそうなっているから、長息人の方々は、しゃべるのも動くのも、僕たちの倍ぐらいゆっくりしてるんですよ」
三人はスフィアの言葉を黙って聞いていた。
「そうなんだ……」
リユルが相づちを打つ。一度に得た情報が多すぎて、それが精一杯だった。
その間にも、乗客と船長たちの会話は続いていた。
「この船に戦える人間をたくさん乗せて、クラーケンを退治しに行けばいいじゃないか」
「しかしこの船はそこまで大きくないですからね。いくら人を乗せても船が沈められては戦えないし、コハンと行き来する手段も無くなってしまう」
「じゃあどうするんだ」
詰め寄る乗客に、百三十二歳の長息人の男性が、ゆっくりした口調で言った。
「だからー、しばらくー船の運航をーやめるんですー。船がー湖をー通らなくーなればー、クラーケンはー襲う相手がーいなくてー手持ち無沙汰にーなりますー。だからー人間を探してー、湖に面した町までーやってくるはずですー」
船長がその内容を引き継いで話を続けた。
「船でクラーケンと戦うのは人間の方が不利ですが、波打ち際までやってきたクラーケンとなら、人間の方が有利に戦えます。船の転覆の心配も要らないし、戦う人数も増やせますからね。だからクラーケンがルフエ島のどこかの岸辺か、コハンの町の方に現れるのを待って退治した方が安全です。とにかく今は、船の運航を中止して、クラーケンが動くのを待つしかありません」
その説明で、乗客たちもしぶしぶ納得したようだ。
「湖にクラーケンがいるんじゃ、船が出ないのはしょうがないですね。しばらくこの島に滞在しないと……。学校の休みが終わる前に帰れるかな」
船長たちの話を聞いてスフィアもつぶやいた。
「そうか、スフィアくん、四月は休みって言ってたけど、来月になったらまた学校があるんだもんね。今月中に片がつくといいけど……」
リユルがそれを思い出す。今日は四月二十二日。あと八日でクラーケンが倒せるだろうか。
「うちらは王様の指輪探しでしばらくこの島におるつもりだったで、すぐに帰れんでも問題ないけど、予定のある人は困るよね」
「でも安全が第一ですからね」
ユージナとヴァルルシャがそう言っている間に、船長たちを取り囲んでいた乗客は少しずつその場を離れ始めた。ひとまずこの島でのそれぞれの用事を済ませに行くのだろう。
「釣り船もー、出さないようにー、通達しましょうー」
「波打ち際にも少人数では近づかない方がいいな。クラーケンを見かけたらすぐに知らせるように町にも連絡を」
船長と百三十二歳の男性はそう話し合い、船着き場から去って行った。他の船員や船着き場の人々は、船の整備を始めたり、積み荷を下ろして倉庫に運んだりし始めた。乗客たちもそれぞれの目的地に向かうため、少しずつ船着き場を後にしていった。
「僕たちも行きましょうか。……あ、僕は家族と来るときはいつもこの近くの宿に泊まるんで、今日もそこへ行くつもりなんですけど、リユルさんたちはどうされるんです?」
スフィアに聞かれ、三人は考え込んだ。
「細かいことはあんまり決めてなかったなあ……。あいたちも、とりあえずどこかに宿はとらないといけないけど」
リユルが言い、ユージナとヴァルルシャもうなずく。
「じゃあ、僕と同じ宿に泊まりませんか? この近くですし」
「そこは一泊いくらなんです?」
尋ねるヴァルルシャに、スフィアは答えた。
「朝食付きで一泊2,000テニエルです」
うっ、と三人は息をのむ。
「2,000テニエルはちょっと高いな~。あいたちいつももっと安い宿に泊まってるから」
「お金なら僕が出しますよ! リユルさんがいなければ僕、クラーケンに大怪我させられてたかもしれないし。あ、お代はもちろん全員の分を」
「ちょ、ちょっと、そんなのは駄目だよ! そんな高いお礼は受け取れないよ!」
断るリユルに、スフィアは食い下がる。
「でも僕、本当に感謝してるんです! 助けてもらったことだけじゃなくて、魔物と戦うのは、学校で勉強するのとは全然違うんだってことも今まで知らなかったし、今日リユルさんと出会わなかったら、いつか魔物を甘く見て大怪我するかもしれなかったです。だからそのお礼をしたいんです」
「だ、だからって2,000テニエルの宿は……」
「……じゃあ、せめてお茶とか、食事はどうですか? その宿には食堂があって、すっごくおいしいんです」
「うーん、まあ、お茶ぐらいなら……?」
リユルはユージナとヴァルルシャを見る。
「そうだね。魔物と戦って疲れたし、うちらもちょっと休憩したいよね」
「ええ。私たちが宿を探すにしても、一休みしてからの方がいいですよね」
同意を得られたので、スフィアは嬉しい顔をした。
「じゃあ、行きましょうか。こっちです!」
スフィアに案内され、三人は船着き場を出て、一泊2,000テニエルの宿に向かった。




