第四章 13 強敵との戦い
13 強敵との戦い
大きな物が船にぶつかった。そんな感じの揺れだった。ユージナとヴァルルシャはとっさに床に伏せ、リユルは目の前のスフィアを抱えて床に伏せた。
揺れがまだ収まらないうちに、次の衝撃が来る。魔物が船べりに手をかけたのだ。手、いや、足と言うべきか。
それは空気中でも水っぽく、ぬめぬめしていた。色は、岩のような茶色がかった灰色をしている。そして、無数の吸盤があった。
「触手……? これって……」
体を起こしたユージナが言う。
船べりにかけられた触手は二本。甲板から見えるのは人間の足ほどの太さだが、船べりの外側に、もっと太くなって続いているだろうと想像できる。
そしてもう一度船が揺れ、湖の中から、触手の持ち主が姿を現した。水をしたたらせながら体を起こし、甲板の中をのぞき込む。
三角形のひれ、筒状の胴体。その下からのぞく目。
「巨大なイカ……? ということは……」
ヴァルルシャがつぶやき、船員がその答えを言う。
「クラーケンだ!」
「クラーケン!? 湖にも出るの!?」
リユルがスフィアの肩をつかんだまま声を上げる。
クラーケンと言えば海に出る怪物のはずだ。現実世界でも有名で、さまざまな創作物に巨大なタコやイカの姿で登場している。しかしクラーケンも、モチーフに使われるタコやイカも、海にしかいない物ではなかっただろうか。
リユルと同じ疑問を、ユージナもヴァルルシャも持った。
「イカって湖におるんだっけ?」
「どうだったか……でも湖で大きな海老がとれるわけですし、湖にイカがいるぐらいおかしくないですよね」
三人はコハンに着いた日の夜のことを思い出した。料理屋でフルーエ海老という文字を見つけ、湖に海老がいるだろうか、異世界だから、現実で言う海の生物が湖にいるぐらいおかしくないのでは、そういう会話をしたのだ。
異世界という単語は口にしないようにしつつ、三人は納得した。
「ローレライはクラーケンに座ってたのかよ!」
「ローレライどころかクラーケンが出るなんてやべえよ!」
「ぐずぐず言ってる場合じゃ無いだろ! 戦わないと船が沈められちまうよ!」
うろたえる船員を風係の女性が叱咤し、攻撃を開始する。
「炎よ!」
風係の女性が放つボールの炎が、クラーケンの触手に当たる。クラーケンは船べりにかけていたその触手を引っ込める。やはり炎の魔法は効果的のようだ。
他の船員たちも気を取り直し、ナイフや棍棒でクラーケンの触手に攻撃する。
「うちらも戦おう!」
ユージナがもう一度刀を抜いてクラーケンの方へ走る。
「ええ!」
ヴァルルシャがうなずき、炎の魔法を発動させるために精神を集中する。
「あいも戦ってくるよ! きみは船内に戻って!」
リユルもスフィアに言い、魔法を使うために精神を集中する。
クラーケンは船よりは大きくなかった。甲板から見える様子では、筒状の胴体の幅は2メートル、いや2エストぐらいだろうか。長さは3エストぐらいで、そこから、長い触手が何本も生えている。触手の根元は人間の胴ぐらいの太さで、それが先端に行くにつれて細くなり、人間の足ぐらいの太さになったあたりで船べりを乗り越え、甲板の中に入り込んできている。
「離れろっ! 転覆させられてたまるか!」
船員はそう言いながら触手をナイフで切りつける。だが、弾力があるので表皮に傷がついたようには見えない。
「これならどうだ!」
ユージナが刀で同じ触手に切りつける。しかしその刃でも、クラーケンの皮膚を切り裂くことはできなかった。
「こいつめ! こいつめ!」
別の船員が棍棒で同じ触手を叩く。弾力があると言っても、棍棒の打撃や、刃物を振り下ろしたときの衝撃は響くのだろう、三人の攻撃を受けてようやく一本の触手が船べりから離れた。
だが、すぐに別の触手が船べりにかけられる。
「炎よ!」
ヴァルルシャの魔法がその触手に当たり、触手はすぐに引き下がる。炎の魔法は一発でそれだけの効き目があるようだ。
「岩よ!」
リユルの魔法が別の触手に当たる。だが岩の魔法は炎の魔法ほど効果的では無かった。
「違う魔法の方がいいかな……」
岩が当たっても船べりに残っている触手を見ながらリユルがつぶやいた。
「他に戦える人はいないのか? 船内もローレライの魅了は落ち着いたろ!?」
「応援を呼んでくる!」
船員が叫び、一人が船内に戻っていく。
「でもローレライならともかく、クラーケンと戦えるほどの戦力がこの船にあるかって言うと……」
仲間を見送りながら、棍棒を持った船員が顔をしかめる。
「魔物狩り屋もうちら以外おらんかったですよね?」
ユージナが刀を構えつつ近くの船員に尋ねる。
「ああ、でも、やるしかねえし!」
体格のいい男の船員は、触手に駆け寄り、体重をかけてナイフを思い切り振り下ろした。それでようやく、弾力のある表皮に傷がついた。
「やった! ようし、うちも!」
ユージナも触手に走り寄り、飛び上がってその重さをすべて刀にかけて触手を切りつけた。だがユージナは小柄で体重も軽く、全体重をかけても触手の表皮を切り裂くことは出来なかった。
「うっそ!?」
驚くユージナを、別の触手が払いのける。ヴァルルシャが炎の魔法を中断し、甲板に転がるユージナを助け起こす。
「大丈夫ですか?」
「うん……だけど、うちの刀が役に立たん……」
「物理攻撃は効きにくいみたいですね。でも魔法を使える人はあまりこの船にはいないようですし……」
ヴァルルシャがそこまで言ったところで、声が響いた。
「炎よ!」
風係の女性ではなく、もちろんヴァルルシャでもない。
スフィアだった。
スフィアは船内には戻らず、ずっと甲板にいた。そしてユージナとヴァルルシャより前に走り出て、魔法を放ったのだ。
「僕、学校で魔法習ってますから。炎の魔法も得意です。的にもすごくうまく当てられるんですよ」
スフィアが二人を振り返って言う。スフィアの魔法は、先ほど船員がナイフで切りつけた触手の傷のところに命中していた。
だが、攻撃が二重になったことでクラーケンの敵意も倍増したのだろう、別の触手が、ユージナを跳ね飛ばしたときよりも激しい勢いでスフィアに振り下ろされる。
「氷よ!!」
だがその触手がスフィアに届く前に、雹のような氷の粒が触手を覆った。触手は動きを止め、呆然と立ちすくむスフィアに振り下ろされることは無かった。
「よそ見しないで! 魔物がそこにいるんだから!」
それはリユルの魔法だった。リユルはスフィアの肩をつかみ、ユージナたちの後ろに連れて行く。
氷に覆われた触手はすぐにその身を振り、己の動きを止めた氷を振り払った。
「やっぱり氷でもあんまり効かないか……」
リユルがその動きから目を離さずにつぶやく。リユルの腕の中でその横顔を見ながら、スフィアが言った。
「……ごめんなさい、でも、炎の魔法を使える人が少ないみたいだから、僕も協力できたらと思って……」
「うん。でもね、気を抜いたらだめだよ。魔物は的と違って攻撃してくるんだから。無理しないで下がってなさい」
リユルはスフィアの肩を叩き、後ろに下がらせた。
そのとき、船内から応援がやってきた。ナイフを手にした船員が数人と、長い髪を後ろで三つ編みにした、風係の魔法使い。
「船長からの伝言です! クラーケンを倒すより、ルフエ島まで全速前進です!」
「戦っても倒せるかどうかわかりませんからね! ルフエ島まであと少しだから、なんとか逃げ切りましょう!」
船員が甲板にいる全員に聞こえるように声を張り上げた。
「とにかくクラーケンを船から引き剥がしてくれ! そうしたら俺が一気に船を進ませるから!」
こちらの風係は男性のようだ。船はローレライに襲われたときに動きを止めたが、それは歌声で人間が混乱したからであり、船は無傷だった。
「わかった、じゃあそっちは任せたよ!」
女性の風係がうなずき、船べりにかけられた触手に向き直る。
「船から離すだけならなんとかなるかもね!」
リユルが言い、氷の魔法を雹のように使って、船べりを乗り越えて甲板に侵入しようとする触手の動きを止める。氷はすぐに振り払われるが、新しい触手が船べりにかけられる頻度は減る。
そこを、ヴァルルシャと風係の女性は炎の魔法で、ユージナと船員たちは物理攻撃で、船べりにかかった触手を一本ずつ撃退していく。
やがて、クラーケンの触手がすべて船べりから離れる瞬間が来た。
「風よ!」
風係の男性はそれを見逃さず、風を起こして帆に当てた。船はルフエ島に向かって走り出す。
クラーケンは船を追いかけてくるが、それを阻止するために魔法を使える人間が甲板から炎や氷の魔法を放つ。そのうち、少しずつ船とクラーケンとの間に距離が出来てきた。
「いいぞ、逃げ切れる!」
甲板で声が上がった。
船は、ルフエ島に向けて全速力で走り続けた。




