第四章 11 学生
11 学生
船が進み始めたので、三人はその様子を見ようともう一度甲板に向かった。日光の下、船に張られた帆に風係が風を当てているのが見える。その風で船は順調に湖の上を進んでいき、陸が少しずつ遠くなっていく。
甲板には旅立ちの景色を眺めている客が何人もいた。三人もその中に混じり、船べりに手をかけて辺りを眺める。
「ルフエ島ってどんなところかなあ」
ユージナが船の進行方向を眺めながら言った。もちろんまだ島の姿は無く、見えるのは水平線だけだ。
「あえて事前に情報は仕入れないようにしてきましたけど、ようやくこの目で確かめる事が出来るんですね」
ヴァルルシャも同じ方向を見てうなずく。
「何が起こるか楽しみだね!」
リユルがそう言ったとき、少し強い風が吹いた。風係が帆に当てる魔法の風ではなく、自然に吹く風だ。ヴァルルシャの膝まである長い髪があおられ、ヴァルルシャはそれを押さえた。
「あーっ! 帽子が!」
少し離れたところから、悲鳴が聞こえた。三人が声の方を振り返ると、十歳ぐらいの少年が風に飛ばされた帽子を追いかけているのが見えた。とっさにリユルが駆け出し、船べりを飛び越えて湖に落ちようとしている帽子に手を伸ばし、つかんだ。
帽子は湖に落ちずに済み、帽子を追いかけていた少年はリユルの前まで走ってきて息を吐いた。
「ありがとうございます。僕の帽子、つかまえてくれて。お姉さんがいなければ湖に落ちちゃうとこでした」
少年は安堵の笑みを浮かべた。
「あいが一番近くにいたから。間に合って良かった」
リユルも少年に微笑み返し、帽子を手渡す。少年は帽子をかぶり直し、手を離さずにその様子を確かめる。
「よかったぁ……湖に落ちないで。今日は日差しが強いから帽子をかぶってきたんですけど、これ、ちょっと小さいんですよね」
それは大学生がかぶる角帽のように、短い円柱の上につばが広がったような帽子だった。少年が言うように、その円柱は頭の大きさより小さく、帽子をかぶるというよりは頭に乗せただけの状態になっていた。これでは風が吹けば飛ばされてしまうだろう。
「学校に入るときにお母さんが買ってくれたやつだから、もう今の僕には小さいんですね。でも、記念の帽子だから、無くさないで良かった」
少年は帽子を頭から外し、手で大事そうにかかえた。
「学生さんなんだ」
リユルはそう言って目の前の少年をまじまじと見つめる。服は魔法使い風のローブだが、装飾の少ない動きやすそうなデザインになっている。利発そうな顔つきは、確かに学生らしく見える。そして、ショートボブの髪の毛は青く染められていた。
「はい。僕、マナヴィーの魔法学校で勉強してるんです」
少年の言葉を聞き、ユージナが思わず声を上げた。
「えっ、魔法は魔法屋で覚えるんじゃないの?」
少年はリユルの隣にいるユージナを見て、言った。
「ああ、外国の方ですか? ええ、魔法屋でも魔法は使えるようになりますけど、魔法を学ぶ学校もあるんですよ。
この国にはいろんな学校があるんです。大きく分けると、初級学校と中級学校と上級学校です。
初級学校は、鑑定屋のある町ならどの町にもあります。初級学校は、読み書きと計算を教える学校です。
この国では、基本的な読み書きと計算は、初級学校に行けばどんな人でも無料で教えてもらえます。子供でも大人でも、外国の人でも誰でも。あ、鉛筆とノートと教本の代金は要りますけど、それも後払いでもいいんです。
読み書きと計算ができれば仕事に就きやすいし、犯罪に手を染める人間が減るだろうっていう、リーメイクンの初代国王、メーンクゥン一世様のお考えを、代々の国王が受け継いでらっしゃるんです。
だから学校は国が経営していて、先生たちのお給料は国が出しているんです。初級学校の基礎コースが無料なのはそのおかげです。
初級学校でも、基本的な内容よりもう少し上を学びたいという場合は、学校にお金を払って、初級の上位コースを頼む必要があります。上位コースになると、年単位で学校に通う必要があります。だからお金もそれなりに必要で、それが基礎コースも含めた先生たちのお給料になるんです。
基礎コースは、その町周辺に住む子供が通う通常版と、旅の魔物狩り屋のような外国の方とか、子供時代に初級学校に行き損ねた大人が通う臨時版があります。
通常版は一ヶ月ごとに、申し込みのあった子供たちにまとめて先生が授業をします。だいたい七歳ぐらいでそこに申し込むのが一般的ですね。覚えのいい子は一ヶ月や二ヶ月で、勉強が苦手な子は何ヶ月でも学校に通って、基礎コースの勉強をします。子供は、学校に通う前に家庭で教育を受けてる場合もありますけど、やっぱり初めて読み書き計算を習う場合が多いので、全部理解するまでに時間がかかるんです。
大人の方は、日常会話は話せるとか、お金の計算は自分で覚えたとか、基礎的な知識はある方が多いので、基礎コースで勉強し直すと言っても子供より短時間で終わる事が多いんです。だから学校に申し込めば、子供たちとは別に、臨時に授業を開催してくれるんです。臨時版は一ヶ月ごとではなく、申し込んだら数日のうちには授業を開始してもらえます。先生たちは他の授業の合間を縫って教えに来てくれます。基礎的な読み書きと計算を必要とする人がいたらすぐに教えてあげようという、これもメーンクゥン一世様のお考えです。
筆記用具と教本の代金が要るのは、完全に無料だと怠けて学校に通い続けるだけの人が出てくるかもしれないから、やる気を出させるために、わずかな対価だけを取ってるんだそうです。
これが初級学校です」
少年は一息つき、話を続けた。
「中級学校と上級学校は、専門的なことを学ぶ学校です。建築とか造船とか、料理とか、裁縫とか、就きたい職業に必要な知識を学ぶ場所になってきます。魔法を専門に教える魔法学校も中級学校からですね。読み書きと計算も、文学とか文法とか、もっと複雑な計算とかを、語学や数学という形で詳しく学ぶ学校もあります。そういう学校を出た人が初級学校の先生になるんです。
中級学校と上級学校は、国が『これは国にとって、特に重要な知識だ』という物を人々に教えるために作った学校です。
もちろん、建築でも何でも、その道を極めた職人に個人的に弟子入りして覚えてもいいんですけど、そういう人が常に弟子をとってくれるとは限りませんよね。だから学校という、安定して知識を伝える仕組みを国が用意しているんです。
それに例えば、一流のレストランのシェフでも、料理を作るのがうまいのと、他人に技術を教えるのがうまいかどうかは別問題ですよね。学校なら、人に知識を教える事に特化しているんです。
魔法の覚え方って、こうですよね。
『魔法を教える役目の精霊に、人間が、こういう魔法を使いたいと伝える。精霊は、精霊の力を使って人間の体にその魔法の発動のやり方を覚えさせる。徐々に精霊の手助けを減らし、人間自身の精神力で魔法を発動できるようにする』。
僕は魔法学校でそれをやりましたけど、魔法屋でもそうやって魔法を使えるようにしてくれるって聞きました。
でも、魔法を発動させる能力を人間に与えるのは精霊の領分ですけど、精霊は人間じゃないですから、人間がうまく魔法を発動させられなくても、人間にアドバイスするのは苦手なんです。
人間が自分の精神力で魔法を使うとき、どうやったらいいのか、どうコツをつかむか、っていうのは、やっぱり人間同士の方が、人間の目線で的確なアドバイスをくれます。
魔法学校だと、教えるのがうまい先生がたくさんいますから、早く上達するんです。それに、例えば水の魔法で同じ水の量を出すんでも、塊で出したり、雨みたいにして出したりっていう、発動の仕方を変えるやり方も先生が教えてくれます。
それは精霊に教えてもらってもいいんですけど、精霊は人間への助言は苦手ですし、どうせ精霊に負担をかけるなら水と炎とか、全く別種の魔法を覚えた方が効率がいいですからね。精霊を所持するには国に税金を払わなきゃいけませんけど、学校は国営ですから、税金分は授業料に上乗せってことになりますし。
それに魔法学校では、魔法の発動の回数を増やしたり、威力を強めたりする練習もします。それは武術の鍛錬と同じで人間の先生に見てもらいながら何度も訓練します。
精霊に魔法を使えるようにしてもらう月と、それを人間の先生に伸ばしてもらう月。魔法学校ではそれを交互に行っています。だから魔法学校には年単位で通う必要があって、お金もそれなりにかかるんです。
魔法屋は、魔法を使うのに必要最低限な要素、つまり精霊を用意するぐらいで、先生みたいな人はあんまりいないんだそうですね。だから料金も精霊の税金分ぐらいで済んで、その代わり、通う人が自力でコツをつかまなきゃいけないそうですね。簡単な魔法や、センスのいい人ならそれでも十分なんでしょうけど、我流で腕を磨くのって難しいですよね。
将来どんな職業に就くんでもいいけど、魔法が使えるに越したことは無いから子供のうちからとりあえず学んでおけ、上級の魔法まで習得するなら最初から魔法学校で学んだ方がいい、僕は両親にそう言われました。だから僕は今、マナヴィーの魔法学校の寮に入って勉強してるんです」
少年は一通り説明し、しゃべるのを終えた。リユルたちの反応を待っているようだ。
「……ああ、そうなんだ。うちこの国の詳しいこと知らんかったで、教えてくれてありがとうね」
まずユージナが礼を言った。ユージナは東洋人の外見をしているので、この国の学校の仕組みについて知らなくても不自然ではない。
リユルとヴァルルシャは西洋人の外見なので、初めて聞いたような顔をすると不審に思われるかもしれない。
「……なるほど、だからきみは髪を染めてるんですね」
ヴァルルシャが、とりあえず当たり障りのなさそうなことを言う。
この世界では、『髪染屋』で精霊の力を込めた染料を髪に染み込ませることができる。青色は精神力を高め、魔法を使える回数を増やす色だ。
「はい、魔法の練習をするには、魔法を使える回数が多い方がいいですから」
少年はヴァルルシャにそう答えた。
「……その年で寮に入ってるんだ、しっかりしてるね」
リユルも、不自然でなさそうな言葉を選び、少年に返した。
「両親とは手紙でやりとりしてますから平気です」
手紙。やはりこの世界には手紙を流通させる仕組みがあるのだ。リユルたち三人はそう思ったが、表情には出さず、少年の言葉にうなずくだけにした。
「あれ? でも、こうして船に乗ってるってことは、今日は学校はいいの?」
リユルが尋ねる。マナヴィーはフェネイリの東にあったはずだ。フェネイリからコハンの道のりでさえ馬車で何日もかかるのだし、ルフエ島行きの船に乗っているということはしばらく学校に行けないはずだ。
「魔法屋だと個人で申し込んで個人で訓練して、って感じだそうですけど、魔法学校はさっきも言ったように年単位で通うんですよ。だから、初級学校に子供が集団で通うように、魔法学校も学生が集団で先生に教えてもらうんです。
魔法学校では月ごとに、例えばこのぐらいの大きさの火の玉を何発打てるようにするって目標があって、学生はそれを達成できるようにがんばります。で、魔法の習得には個人差がありますから、早く習得できた人は、月の残りの日は自主練習期間になって学校に行かなくていいんです。
僕は四月いっぱいは休みになったんで、その休みを利用してルフエ島に行くところなんです。
お姉さんたちは魔物狩りですか? 皆さん、魔物狩り屋ですよね?」
少年は大きな瞳で三人にそう確認した。ユージナは剣を身につけているし、ヴァルルシャは魔法使い風のローブを着ている。どちらも魔物狩り屋らしい格好だろう。リユルは、初期の水着のような露出度の高い服をシンプルなシャツとズボンと上着に替えたので、魔法使いらしい服装から少し遠ざかった。だが行動を共にしているのだから三人とも魔物狩り屋だと推測したのだろう。
「うん、そう。あいたちは魔物狩り屋で、ルフエ島に王様の指輪を探しに行くの」
「ああ、そういえば毎年お触れが出てますね。王様がルフエ島で指輪を無くしたから見つけて欲しいって話。僕が生まれる前から続いてるそうですけど、ずっと見つかってないんですよね」
少年は答えた。この年齢でも知っている話のようだ。
そのとき、また強い風が吹いた。少年は手の中の帽子を握りしめる。
「……この帽子、また飛ばされそうですね。大事にしまっておくことにします。本当にありがとうございました。
あっそうだ、僕、スフィアって言います。お姉さんたちは?」
少年はリユルたちを見上げる。三人は答えた。
「あいは、リユルって言うよ」
「ユージナだよ」
「ヴァルルシャです」
「リユルさん、ユージナさん、ヴァルルシャさん、ありがとうございました。指輪が見つかるといいですね。それでは!」
少年、スフィアは礼をして船内に戻っていった。
三人はそれを見送り、スフィアの姿が見えなくなってから、リユルが言った。
「礼儀正しい子だったね」
ユージナとヴァルルシャもうなずく。
「身なりもいいし、髪も染めとるし、お金持ちの子なんだろうね」
「でしょうね。魔法屋の料金は魔法学校より安い、みたいな言い方でしたし。魔法屋で初級の魔法一つ覚える料金も私たちにはかなりの額に思えましたけど……。彼は自由席では見かけませんでしたし、きっと個室の方に乗ってるんでしょうね」
そして、近くに自分たち以外いないことを確認してから小声で話を続けた。
「この世界の学校の仕組みってああなってるんだ! ユージナはともかく、あいたちまでびっくりした顔するとやばいと思って表情には出さないようにしたけど~!」
リユルがようやくその驚きを顔に出す。ヴァルルシャもだ。
「ええ。宿泊のときに宿帳に一人ずつ署名したり、店に手書きのPOPがあったりするのも、学校があるおかげだったんですね。だから中世ヨーロッパ風異世界でも識字率が高いんですね。手紙のやりとりもできるようですし」
「うちらみたいな魔物狩り屋が、魔法学校の授業内容までは知らんでもおかしくないけど、初級学校のことさえ知らんのは不審に思われそうだもんね。この国における義務教育みたいなもんだし」
「初級学校は、日本で言う小学校みたいな感じだよね。国語と算数のみの。小学校でも上級生になると分数とか出てきて難しくなるし、その辺が初級学校の上位コースってやつかな?」
「日常生活にすぐ必要になるのは、この国の言語の読み書きと、整数の四則演算でしょうからね。理科や社会などの科目は中級学校からでしょうか。この世界における中級学校は、日本で言う高校ぐらいの扱いなんですかね。義務教育じゃないですし。上級学校は、大学というところでしょうか」
「そんぐらいかもね。にしても、魔法学校って高そうだよね。あの子が中級学校か上級学校かはわからんけど、いくらぐらいなんだろ?
魔法屋で風の初級魔法一つ覚えるのが、十日ぐらい通って10,000テニエルだったよね。一ヶ月に二つ覚えるとしても20,000テニエル。精霊に教わる月と人間の先生に教わる月が同じ料金だとしても、一年が十ヶ月だで、200,000テニエルかあ……」
ユージナがざっと計算した。日本円にして二百万。
「日本でも専門学校とか大学とか通うと学費がそのぐらいかかったりするから、高いって言っても無茶な額じゃあないか。あいたちには縁が無さそうだけど。
魔法を、魔法屋で覚えるか魔法学校で覚えるかの違いは、日本で町の英会話教室に通うのと、大学の英文科に通うのの違いみたいなもんかな? どっちも英語がしゃべれるようになるかは本人次第だろうけど」
「選択肢がいろいろあるのはありがたいですよね。彼と違って私たちのような魔物狩り屋は、魔法屋で一つずつ地道に覚える方が経済的に合ってますから……。
そういえば、彼の名前、スフィア、と言ってましたけど、普通の英単語っぽいですね」
ヴァルルシャがそのことに気づいた。
「魔法学校はマナヴィーにあるって言っとったし、『マナヴィー』は『学び』から来とるっぽいけどねえ。英語の『スフィア』ってどんな意味だっけ」
「ええと、球体とか、天体とかじゃなかったっけ? あの子、髪の色は青って言っても深いインディゴブルーだし、海とか地球とか宇宙みたいなイメージも持てなくはないけど、あの子だけいきなり英単語がそのまま名前に?」
「……世界は、私たちが設定を考えなくても動いていますからね。私たちに由来が想像できる名前ばかりではないのかもしれません」
「そだね。うちら別に、全知全能の神とかじゃないわけだし」
「うん。あいたちは他のみんなより、作者の心から浮かび上がってくるのがちょっと早かっただけだよ」
ほんの少し前、自分たちは闇の中から現れ、世界の設定を考え出してきた。でも彼、スフィアだって他の誰だって、そんなことは知らないし、皆、ずっとこの世界で生きてきたのだ。
「ええ。私たちは、ごく普通の、旅の魔物狩り屋です」
ヴァルルシャが誇らしげに言い、ユージナとリユルもうなずいた。
三人は小声で話すのをやめ、近づけていた顔を離して背筋を伸ばした。
甲板で他の乗客たちは旅の景色を楽しんでいる。三人も同じように、広がる空と湖を眺め、心地よい風に身を任せた。




