第三章 09 画材屋
09 画材屋
イクーサを購入したヴァルルシャは、テーブルが広く落ち着いた雰囲気のあるカフェを見つけ、そこで昼食をとることにした。サラダとスープ、ピラフを注文し、テーブルの空いたスペースにイクーサを広げて説明書を読んだ。ルールや駒の動かし方はチェスや将棋に似ていたので、覚えるのは簡単だった。
「剣は歩兵、馬は騎馬、盾は金将で、車輪が戦車って感じか……」
つぶやきながら盤の上に駒を並べ、対戦をイメージして駒を一手ずつ動かしてみる。
「作者はチェスも将棋もルールを知ってるぐらいで得意じゃなかった気がするけど、改めてやってみると面白いな。宿に戻ったらリユルさんとユージナさんに見せよう。魔物と戦うのは大変な日でも、これで戦うのはできるかもしれないし。それに対戦したら、多分三人とも強さは同じぐらいだろうから、互角の戦いができそうだな」
そんなことを言いながらヴァルルシャはしばらくカフェでイクーサを楽しんだ。
それからまた町へ出て、面白い店が無いか探した。
やがて、裏通りで、勝手口の横の水道で何かを洗っている人を見つけた。
ヴァルルシャが近づいていくと、バケツに溜まった水を排水口に流そうとしている白髪の老人が顔を上げた。
「ん? なんだい?」
「あ、何をされているのかなと思って」
「これか? 絵の具のチューブを洗ってるんだよ」
老人はそう言ってバケツを傾け、水を排水口に流した。バケツの中には水と何かが入っている。老人は中身がこぼれないように片手で中身を押さえながら水だけをバケツから八割ほど流し、もう一度水道からバケツに水を汲んで中身をすすぎ始めた。
ヴァルルシャはバケツの中身を覗き込んでみる。それは注射器のシリンジのような形と大きさで、バケツの中に何十個か溜まっていた。
「これが絵の具のチューブなんですか?」
ヴァルルシャの知っている、つまり現代日本で見かける、銀色の筒にねじの蓋が付いた物とは形が違っていた。
「そうだよ。汚水分離液に浸けると使用済みのチューブに残った絵の具が綺麗に分離するからね、後はすすいで乾かせば新しい絵の具を詰めて売れるんだ」
トイレのホースに使っていたあれだ。そうか、こういう風に使えば容器のリサイクルにも使えるんだ。ヴァルルシャはそれに気づき、納得した。
「興味があるなら店の方でいろいろ売ってるから、表から入ってきてごらん」
ヴァルルシャは老人に言われたように表通りに回り、入り口から店に入った。そこは画材を売っている店で、店内には、先ほどのシリンジに詰められた絵の具や、小瓶に入った絵の具、絵筆やスケッチブックなどが売られていた。
店の壁には額縁に入った絵も飾られていた。海や森などの風景画、それから人物画もあった。
「あ、人魚の絵がある」
ヴァルルシャが目にとめたのは、波打ち際の岩場に座る、上半身が人間の美女、下半身が魚の絵だった。
「この間戦った人魚はグロテスクだったけどなあ……」
ヴァルルシャがつぶやくと、裏通りでチューブを洗うのを終え、店に戻ってきた老人が笑いながら答えた。
「ああ、こないだ戦ったのかい? 人魚にもいろいろいるからねえ。美しいのもいるんだよ。とはいえ、魔物だから人間を見れば襲い掛かってくるんだけどね。魔物は美人でも冷たい目をしてるもんだけど、僕は可愛い顔に描いちゃった」
老人の言う通り、壁にかかっている人魚の絵は柔和な表情をしていた。
「この絵はあなたが描かれたんですか」
「うん。絵で生計を立てたいけどなかなか難しいから、こうして画材屋も営んでるけどね。魔物はみんな恐ろしいけど、絵は自分のイメージを好きに描けるからね、愛嬌のある人魚にしたんだ」
「私も以前立ち寄った道具屋で、残水の魔法を使う精霊が、可愛らしい人魚の姿なのを見たことがありますよ」
ヴァルルシャはその時のことを思い出す。ファスタンの町の道具屋に、三十センチ、いや三十フィンクぐらいの大きさの人魚の精霊がいた。魔法水筒の修繕のために残水の魔法一つが使えればよく、そのため小型で税金がそこまでかからないと店主は言っていた。
「そう。精霊は申請する人が外見を好きに設定できるからねえ。見る人を不快にさせない姿、意思の疎通が図れる姿、とか制限はあるけど。ただ税金がかかるから、僕の店には置けないねえ。チューブを洗うのは汚水分離の魔法を固めた洗剤で事足りるし」
精霊を店に常駐させるのはやはりハードルが高いようだ。
ヴァルルシャはふと気になったことがあるので店主に尋ねてみる。
「精霊の外見は申請者が自由に設定、ということは、例えば意中の人とそっくりな精霊を作ることも可能なんですか?」
「そりゃできないこともないだろうけど、そっくりな肖像画を描いて申請しないといけないだろうねえ。画家には『申請する精霊のイメージを絵にしてくれ』って仕事も来るけど、死んだ誰それに似せてくれとか、片思いの誰かと同じ顔にしてくれとか、そういうのは僕は頼まれたことがないねえ。
だって精霊の性格は意のままにならないし、いくら外見を似せたって元の人間じゃないからねえ。むなしいだけだよ。それに精霊を申請するのは魔法を必要とするからだもの、魔法を使う用事もないのに精霊を国に申請するなんて、よっぽどのお金持ちじゃないと毎月の税金が払えないよ」
店主はそう答えた。
「でも必要があって精霊を申請する場合、どうせなら好みのタイプの美男美女を、って人は多いね。絵心のない人がなんとなくのイメージで申請しても、精霊の方で補正してちゃんと細部まで具現化するし、申請した姿とかけ離れ過ぎなければ、後から微修正も可能なんだけどね。性別とか、目鼻立ちとか」
「ああ、確かに、精霊は肉体が無いから男女差は見た目の違いだけで、それは個体差の範囲で差異を設けるような物、って聞いたことがあります」
ヴァルルシャは以前ファスタンの町の魔法屋で言われたことを思い出した。
「そうだろ? だから具現化した後で、精霊に『もっと目を大きく』『唇を厚く』とか注文を付けることもできるんだけどね。申請の時点でイメージ通りの外見を設定しておきたいとか、服装のデザインを自分じゃいいのが思いつかないから考えてくれとか、そういう依頼が絵描きに来たりするね。
自分の好みの外見の精霊を所持できるのは楽しいだろうけど、税金がかかるから僕にはやっぱり無理だなあ」
店主はそう言って笑った。
いろいろ教えてもらったので、ヴァルルシャは何か買っていこうと思った。だが、旅をするのに額縁の絵はかさばるし、絵の具やスケッチブックも、持ち歩いて描こうという熱意は今は持てなかった。
「あ、定規がある。欲しかったんだ」
鉛筆や絵筆が並ぶ棚に、定規も並んでいた。以前、ノートと手帳、ペンケース、鉛筆と鉛筆削り用の小刀は買ったが、定規は無かった。ノートにちょっと直線を引きたいときに定規があると便利だ。ヴァルルシャはペンケースに収まるサイズの定規を手に取った。目盛りは一フィンクの線が十五本刻まれており、五本目ごとに線が長くなっている。木製の手触りが心地いい。
ヴァルルシャは定規を一本購入した。50テニエル。店主にお礼を言って店を出る。
まだ夕方より前の時刻と思われたが、空は薄暗くなってきていた。
「くもってる。雨降りそうだな。早めに宿に帰るか」
ヴァルルシャは空を見てつぶやき、宿の方向に足を向けた。




