第二章 12 トイレの構造
12 トイレの構造
ユマリの船室は、もちろん広々としていた。三人が泊まっているのは四畳半に二段ベッドとロッカーを詰め込んだような部屋だが、ユマリの部屋は八畳ほどの広さにベッド一つという作りだった。それからソファーとテーブル、椅子がある。
部屋には小さな棚もあり、ユマリは棚の扉を開けて中を確認した。
「カップは割れていないようだな。茶葉もあるんだが、湯は……食堂は忙しそうだから頼みにくいな。魔法水筒はあるが……」
ユマリはそばに置いてあるカバン、おそらく彼女の荷物を探り始めた。
魔法水筒とは、残水の魔法の塗料が内側に塗られた水筒のことだ。その水筒の中に水の魔法を使うと、水は消えずに残り、飲むことができる。
水の魔法を使える設定にしたリユルの荷物からも、その水筒は見つかった。それは現代日本で言う『魔法瓶』の形をしていて、文字通り魔法がかかっていると、リユルとユージナは大笑いした。しかし瓶ではないので、この世界では『魔法水筒』と呼ぶことにした。
「あ、おかまいなく」
三人は答える。部屋に上がったうえ、お茶まで準備させるのは気が引ける。
「そうか。何もないが、くつろいでくれ」
三人はソファーに、ユマリは椅子に座って向き合った。
「で、どんなことが知りたいんだ?」
ユマリに尋ねられ、リユルが答える。
「トイレの構造……。下水タンクとか、その浄化の仕方とか、全部です。あいたちの誰もが、毎日必ずお世話になる施設。それがどういう仕組みで動いているのか、知りたいんです」
リユルの言葉を聞き、ユマリは嬉しそうに解説した。
トイレや風呂、台所などの水の施設を作る場合、必ず必要になるのが、上水タンクと下水タンクだ。上水タンクから水道に水が流れ、使用後の水は排水溝などから下水タンクに流れていく。
どちらも金属製の容器で、上水タンクには残水の魔法がかかっている。魔法水筒のように内側に塗料を塗るだけだと、剥がれてきて定期的に塗り直しが必要になってしまう。水筒サイズならばその方が安いし塗り直しもしやすいが、上水タンクの場合は、入れ物自体に残水の魔法をかける。工場で精霊が容器そのものに残水の魔法をかけて上水タンクを作り上げる。
上水タンクにはガラス窓があり、一目で残量がわかるようになっている。水の色も窓から人間の目で確認できる。メーターもついており、タンク内の水質を表示している。
タンク内に水の魔法を使うといっても、どんな魔法使いが行っても良いわけではない。飲み水に適した綺麗な水を大量に出すには、相当の修練がいる。魔物にぶつけるのはやや汚い水でもいいが、その程度の水の魔法しか使えない魔法使いが自分の能力を偽って上水タンクに水の魔法を使わないように、タンク内の水質は常に管理され、メーターに反映されるようになっている。
下水タンクには窓はない。トイレや台所や風呂の使用後の水が溜まっているからだ。下水タンクにはメーターのみがあり、タンク内の廃水がどれだけ溜まってきたかを教えている。
下水タンクの浄化は、『廃水浄化の魔法』を使う。ユマリが先ほど使った魔法だ。だが魔法の習得には時間がかかる。だから『廃水浄化剤』という物がある。廃水浄化の魔法の力を石鹸のように固めたものだ。
廃水浄化の魔法は、人間の排泄物や老廃物、食べかすなどが溶けた水を浄化し、蒸発させる魔法だ。そうして消え去った水は世界に還元され、誰かが水の魔法を使えばまた目に見える形となって現れる。
廃水浄化剤があるとはいえ、手入れする人間が全く浄化の魔法を使えなくてよいというわけではない。
下水タンク内に廃水浄化剤を入れるためには、下水タンクを開ける必要がある。浄化剤の投入口は二重扉になってはいるが、タンク内の下水と接触する部分ではある。一枚目の扉を開けて浄化剤を入れて扉を閉め、二枚目の扉を開けて浄化剤と下水を混ぜるからだ。
そのため、一枚目の扉を開ける前に、一枚目の扉に染みついたにおいや汚れ等を二枚目の奥に移動させる、『移動浄の魔法』を使う。
移動浄の魔法は文字通り、汚れを移動させる魔法だ。元の部分は完全に浄化され、においなども残らない。廃水浄化の魔法のように汚れた物が消え去るのではなく、汚れを隣り合う物にただ移動させるだけなので、浄化の魔法の中ではそれほど難しいものではない。掃除の時に頑固な汚れを雑巾に移動させたり、服に染みついた汚れを別の布に移すことにも使えるので、清掃や洗濯関係の仕事をする人には需要のある魔法だ。
だがこの魔法は、魔物退治の役には立たない。それに上級の魔法ではないとはいえ、習得には時間と、何万テニエルという費用が掛かる。
水を出す魔法であれば、魔物と戦うのにも使えるし、魔法水筒で飲むぐらいの量なら、綺麗な水を出すことはそれほど難しくない。そのため、水の魔法を習得している人は多い。だが浄化の魔法は、必要に迫られた人でないと習得しないだろう。
ただ、魔法は一度習得してしまえば何度でも使うことができるが、廃水浄化剤はそれなりに値が張る。下水タンクの調子が悪い時には、廃水浄化の魔法で中身を完全に空にしてからタンクを開け、メーターなどの修理をする必要がある。その場合、廃水浄化剤を下水タンクに大量投入するという手もあるが、コストがかなりかかる。
そのため、長期的にトイレのメンテナンスに関わろうという人間は、段階を追って、上級の浄化の魔法まで習得するようだ。
「なるほど……」
そこまで聞いて、リユルがうなずく。三人とも今聞いた話を整理する。
「この船の係の人も、廃水浄化の魔法までは習得したんですね。でもユマリさんのように、一人でタンクを空にするにはまだ修練が必要ということですか……」
ヴァルルシャが、水係は二人でタンクを空にしていると船員が言っていたことを思い出した。
「船員さん、船の下水タンクは小型だとも言っとったね。てことは普通の家とかだともっと大きいし、廃水浄化剤を使うなら、大量に入れんといかんのだろうね。魔法の習得にお金と時間がかかるとしても、ずっと下水の浄化を仕事にするなら、魔法を身に付けた方が長期的には安く済むってことか……」
ユージナが言い、三人はしばらく前のことを思い出す。
三人でこの世界に現れたばかりのころ、トイレの設定も一生懸命考えた。そしてトイレの水が流れていく下水タンクには、『浄化の魔法を一定期間発し続けるろ過装置』のようなものがある、という話に落ち着いた。下水タンク以外にも決めたい設定はたくさんあったので、それ以上詳しくは決めなかった。
ユマリに教えてもらった下水タンクの浄化法は、細かい点は異なってきているが、方向性はあの時の自分たちの話と同じだ。自分たちが何となくイメージしていただけの設定が、このような形でしっかりと固まり、世界を支える設備として動いている。そしてそれを職業とする人々もいる。その事実に、三人は嬉しくなった。
「あっでも、公衆トイレのタンクはどうしてるんだろ」
リユルがそのことも思い出す。
三人で初めて魔物狩りに出かけたとき、魔物の出る森の中でトイレをどうするかという問題にリユルが気づいた。そして建物に上水タンクと下水タンクを設置できるならば、森の中に公衆トイレを作ることも可能だろうという話になった。
三人で話し合ううちに、この世界の公衆トイレは有料で、管理できるならば誰でも設置してよいということでどうか、という話になった。設置した人間が清掃と使用料の回収のために定期的に巡回しに来る、それが可能な人間が森や山奥に公衆トイレを設置する。魔物がたくさん出る深い山奥などでも、むしろ魔物が出るからこそ安全で清潔なトイレを使いたいという需要も多いはずだから、使用料が高くても利用する人は多く、公衆トイレの経営が成り立つはずだ。三人はそういう想定をした。
そして、そう決めてからは魔物の出る森の中にも公衆トイレが見つかり、野外でトイレの心配をしなくてもよくなった。町と町とを移動する場合も、街道沿いに公衆トイレがたびたび設置されているので、トイレが無くて困るということが無かった。
しかし、三人とも下水タンクの処理についてあいまいなイメージしか浮かんでいなかったので、公衆トイレの管理を具体的にどのようにしているのかについてもあいまいなままだった。
一軒家のように、建物内のすべての水が集まる下水タンクは大きいだろうが、公衆トイレの下水タンクは小さくてもいいはずだ。それに、上水タンクを水の魔法で満たすのも、トイレのみに使用するなら、飲み水にできるほど綺麗な水でなくてもいいはずだ。
だから中級程度の水の魔法が使えて、下水タンクのメンテナンスもある程度の勉強をすれば、公衆トイレの設置と管理はそこまで難しくないのではないか……。そんなざっくりとしたイメージだけは持っていた。
それに対する明確な答えを、ユマリが三人に説明した。
「公衆トイレの話も聞きたいかい? 上水タンクも下水タンクも基本的には同じだけど、圧縮タイプを使う人も多いね」
「圧縮タイプ!?」
聞き返す三人に、ユマリはうなずいた。
「水の体積は結構大きいからね。そのままだとタンクもかなり大きなものが必要になる。タンクに『水圧縮の魔法』をかけると、タンクの大きさは同じまま、中の水の量を増やせるんだ。もちろんそれだけ精霊の力が必要になるし税金も高くなるから、それが価格にも反映されてしまうけどね。でもやはり小型は便利だから、うちの商品の中でもよく売れているよ」
そしてユマリは公衆トイレについて語った。
基本的には上水タンクも下水タンクも一軒家などと同じ構造で、上水タンクに使う水の魔法は中級程度でいい、というのは三人の想像通りだった。
そして下水タンクの手入れは、浄化の魔法を習得せずに行う人もいるそうだ。
「溜まった廃水は廃水浄化剤で減らし、二重扉を開けて廃水浄化剤を入れるときも、移動浄の魔法を使わず、一瞬だからとにおいを我慢して手早く投入する人もいるよ。移動浄の魔法もその力を洗剤として固めた物はあるが、それを使うには結局二重扉を開ける必要があるからね。
だからそういう人の場合、下水タンクには普段は廃水浄化剤の投入だけを行い、タンクの修理が必要になったら浄化の魔法を習得している人を呼ぶんだ。本業が別にあって、公衆トイレの設置と管理は副業、という人も多いからね。
だからといって、管理が楽なわけではないよ。毎日いろんな人が使うんだから個室内を定期的に掃除しなきゃならないし、トイレットペーパーの補充もいるし。
水の魔法は中級程度なら習得している人は多いから、上水タンクは圧縮タイプにせず、掃除に来るときに自分の魔法で補充する、という人も多いんだ。下水タンクの方は、圧縮タイプなら廃水浄化剤を投入する間隔が長くていいから、浄化の魔法を習得していない人はそちらを選択することが多いけど」
そこまで聞いて、リユルがうなずく。
「そうですよね……副業のために新たに魔法を覚えるのは大変でしょうし。本業の合間を縫って離れた場所までトイレ掃除しにいくだけでも大変ですもんね。最低でも数日に一回ぐらいは行かないといけないだろうし……」
「ああ、まあ、長期間メンテナンスをしなくていいトイレもあるんだけどね」
ユマリの言葉に三人は驚く。ユマリは解説を続ける。
「しなくていいというか、トイレが自動で清潔になるように設計してあるんだ。
トイレ掃除には普通、『汚水分離の魔法』を使う。これは移動浄の魔法の一種で、水に溶けた汚れを分離し、塊にして沈殿させる魔法だ。水部分は綺麗になるが、沈殿した汚れは人の手で取り除いたり下水に流したりする必要がある。これは汚れを固めるだけで、消し去る魔法ではないのでそれほど難しくない。それにあまりに濁った水だと廃水浄化の魔法を使う方が効率がいい。
『汚水分離の魔法』も洗剤状に固めた物があるから、それを水に溶かして『汚水分離液』として使う。トイレの使用後に体を洗う洗浄ホースは先端を液体に浸けるだろう、あれが汚水分離液だよ。ホースに汚れが付着しても、あの液に浸けると汚れは分離して沈殿するからホースはいつも清潔なんだ。もちろん汚水分離液は定期的に交換しなきゃならないけど。
汚水分離液を含ませた雑巾で便器を拭くと、便器に飛び散った汚れなんかが雑巾の水分に溶けて便器から剥がれる。その雑巾を、普通の水を汲んだバケツで洗って汚れをバケツ内に集める。そのバケツの水を下水タンクに流し、下水の処理はさっき話した通りだ。
これが普通のトイレ掃除のやり方だけど、人間の手で行う部分を極力減らしたトイレもある。
廃水浄化剤は普通は固形で、下水タンクの汚れに応じた個数をタンク内に入れる。廃水浄化剤は汚れていない水に入れても水を浄化して蒸発させてしまうから、液状の廃水浄化剤を作るなら工場で最初から液体として精霊に作ってもらわないといけない。
液状の廃水浄化剤は固形に比べて割高なんだけど、それを霧状にして便器に振りかけると、飛び散った汚れなんかが浄化されて綺麗になるんだ。汚れごと蒸発してしまうから拭き掃除も要らない。
ただし液体タイプは高いから、液体の廃水浄化剤を瓶詰めしてトイレに置いて、『使用後はこのスプレーをお使いください』と注意書きしても、残念ながら盗まれてしまうことが多いんだ。だからトイレの個室に、トイレ内の重量を測る装置を付ける。人間がトイレの個室に入り、使用後に出て行ったことがわかるようにだ。
個室内が無人になったら、天井から液体廃水浄化剤を噴霧する。そうすれば人の手で掃除をせずともトイレは綺麗になる。
トイレットペーパーも、普通は箱などに紙の束が入っていて、掃除しに来た人が補充する。でもうちの製品の場合、壁に穴をあけて壁の向こうとつながった箱を取り付けることもできるんだ。個室内には数日分の紙を入れ、壁の向こうに何十日分のストックを入れる。箱内の重量を測定する装置を付け、紙が減ってきたら壁の奥にあるストックが出てくる仕組みだ。
洗浄ホースを浸ける汚水分離液も、壁の奥にストックを溜めているタイプがある。廃水浄化剤の噴霧を一定回数行ったら、古い汚水分離液は下水に流し、新たな汚水分離液を溜める仕組みだ。
これらすべての仕組みを備えた公衆トイレだと、何十日かに一度、紙や洗剤の補充に行くだけで十分なんだ。
もちろんそれなりの値段はするけど、深い山奥とか、頻繁に掃除しに行くのが大変な場所にも設置できるから、一定の需要はあるよ」
三人はその話を、黙って聞いていた。やがてリユルがつぶやく。
「すごい……そんな便利なトイレがあったんだ……」
ユージナもヴァルルシャもうなずく。
「トイレ掃除しんくてもいいなんて、すっごく楽だね……」
「ええ、そこまで高性能なトイレ、初めて知りましたよ……」
三人とも、まだそこまで奥深い場所へ出かけたことは無いのでユマリが話したようなトイレは見たことが無い。それに、現代日本でさえ、自動で清潔を保ち、消耗品の補充までするトイレというのは聞いたことが無い。
「はは、まあ掃除しなくていいとは言っても、たまには人間の目で確認しないといけないから、所有者が何もしなくていいわけじゃないよ。公衆トイレなら使用料も発生するし、頑丈な金庫は付けているが、こじ開けるやつもいないとは言えないから、確実に回収するためにも定期的にトイレの様子は見に行った方がいいからね。
掃除も消耗品の補充も、人間の手でやる部分が減ってトイレ自身の機能にすればするほど、値段は高くなる。
安くて人力でやる方を選ぶか、高くて人力の少ない方を選ぶか。
それはトイレをご購入するお客様次第だから、私のやるべきことは、選択肢をたくさん用意することだよ」
トイレ製造会社社長のユマリは言った。
「そうなんですね……。すっごく勉強になりました。ありがとうございます」
リユルが代表して礼を言い、ユージナとヴァルルシャも頭を下げた。
「なに、若い人がトイレに興味を持ってくれるのはありがたいよ。華やかな仕事ではないし、人の目は綺麗なものに向きがちだからね」
「でも、汚いものを処理するのも大事なことですもんね。あいたちの体から出てくるものですし、それを無いことにはできませんよ。それが無い世界なんて不自然です。
ユマリさんみたいにトイレを作る人や、トイレを維持してくれる人がいるから、あいたちは清潔な暮らしができてたんですね。ありがとうございます」
リユルに言われて、ユマリはとても嬉しそうな顔をした。
「こちらこそありがとう。楽しい時間だったよ。かなり時間が経ってしまったね。今日は魔物退治で疲れただろう。そろそろお開きにしようか」
ユマリと三人は笑顔で別れを告げ、三人は自分たちの部屋へ帰った。




