第二章 08 船旅の夜
08
そうしているうちに夕方になり、空が赤くなってきた。三人は甲板に出てその景色を眺める。まわりは海ばかりで、陸地は見えない。青かった空と海が赤い光に染まっていく。
帆に風を送っている魔法使いは、違う人になっていた。交代で休みを取っているのだろう。
やがて、食堂がにぎわい始めた。夕食の時間になったようだ。
食堂はそれほど広くなかった。テーブルと椅子がいくつか置かれており、フードコートのように乗客が好きな席に座る形になっている。奥の調理台のあたりで乗客がチケットを差し出し、盆にのせられた食事を受け取って、席に運んで食べるスタイルのようだ。収容人数は二、三十人ぐらいだろうか。混んでいるときは時間をずらさないと席に座れないだろう。
三人は混雑が収まってから食堂に入ることにした。やはり乗客はそれほど多くないのだろう、少し待てば食堂に空席ができはじめた。チケットと夕食を交換し、席に着く。パンと塩もみした野菜、肉と野菜のスープだった。
三人は端の方の席で食事をしながら食堂の中を見渡す。魔物狩り屋らしき人はそれほど多くないようだ。ユージナはロッカーに刀をしまわず身に付けており、他の乗客にもナイフなどを腰に差した人はいる。だが、武器を船室に置いてきているとしても、魔物と戦っていそうな体格の人は少なかった。年配だったり細かったりする人は、商人だろうか。それともただの旅行だろうか。
「あ、あの人、着物を着てますよ」
ヴァルルシャが声を上げる。その視線の先には、食堂の入り口から新たに入ってくる人の姿があった。
背が高いが、女性だろう。細くすらっとした体のラインがよく出る緑色の服を来て、その上から着物を羽織っている。
着物といってもきちんとした着付けをしているわけではなく、着物をコートのように体にかぶせているだけだった。赤や黒や金の混じった派手な柄の着物が、彼女が歩くことで風で膨らむ。
髪の色は紫で、頭の高い位置で団子を一つ作っており、そこから長い尾が腰ぐらいまで伸びている。
遠いのではっきりとは見えないが、眼鏡をした知的そうな顔つきだった。
彼女はさっそうと歩いていき、調理台のところでチケットを出し、船員と何かしゃべっていた。
「着物着とるっていっても、東洋人て感じじゃなさそうだね。おしゃれで東洋の着物もファッションに取り入れとるって感じ」
「ていうか、髪染めてるね。お金持ちなのかな?」
「紫ということは、複数の色を混ぜているんですよね」
この世界には、精霊の力を込めた染料を髪に染み込ませる『髪染屋』という店がある。それを行うと、魔法を使う際、髪に宿った精霊の力の助力が得られるのだ。
赤は、攻撃力を高め、魔法の威力が上がる。
青は、精神力を高め、魔法を使える回数が増える。
緑は、集中力を高め、魔法の発動が早くなる。
黄は、影響力を高め、魔法の範囲が広がる。
これらは単色で使うことも、混ぜて使うこともできる。また、白と黒の染料もある。
白は、回復魔法の効果を高める。
黒は、赤青緑黄のすべての効果を持っている。
ただし、短い髪を染める場合でも、一色で5,000テニエルが必要になる。髪の長さに応じて必要な染料が増えるため価格が上がり、髪が肩の下あたりで10,000テニエル、腰のあたりで20,000テニエル、膝のあたりで30,000テニエルとなる。髪が長いと値段は高くなるが、効果も高くなる。
色を混ぜる場合は、一色追加するごとに基本価格の半額を追加、ということになっている。
短髪で二色を混ぜるなら7,500テニエル、短髪で三色なら10,000テニエル、短髪で四色、つまり黒なら12,500テニエル。そして髪の長さに応じて価格が上がっていく。
「紫ってことは、赤と青を混ぜとるってことだよね」
「うん。しかもお団子にしてあの長さだから、ほどいたら膝ぐらいまでありそうだよね」
「ということは……ものすごく高額になりそうですね」
しかも、髪を一度染めても少しずつ色は落ちるし、新たに髪が伸びれば頭皮近くは染まっていない地毛が見えてくるので、定期的に染めなおす必要がある。
「しかも地毛の色が見えてないもんね。頻繁に手入れしてるんだよね」
「うん。安い方の髪染めかもしれんけどさ」
精霊の力のこもっていない、ただ髪の色を変えるだけの染料もあり、それだと500テニエルから利用できる。
「あ、でも、食事が我々と違いますね」
彼女は船員としゃべったあと、席に座っていた。他の客と違い、盆に乗った食事を受け取ってはおらず、しばらく何かを待っていた。そして今、船員が彼女の前に食事を運んできた。
離れているので詳しくはわからないが、ステーキのような物や何種類かのパンなど、三人が食べている夕食より豪華なことが見て取れる。
「あれ多分料理の高額コースってやつだよね。やっぱりお金持ちなんだ」
「ということは、船室もベッドとロッカーだけの部屋ではなく、もっと広くて豪華なんでしょうね」
「ああいうお金持ちがおるで、うちらの乗船料金が安くすむのかもしれんね」
あまりじろじろ見ても失礼になるだろうと、三人は自分たちのテーブルに目を戻し、食事を続けた。
食事を終え、三人は食堂を出る。あたりはすっかり暗くなっていた。だがあちこちにランプがともされ、船の上は明るかった。三人は甲板に向かう。甲板では他にも乗客が景色を眺めてくつろいでいた。星空が美しく、風は無く、過ごしやすかった。
「気持ちいいね。……ってあれ? 風が無いってことは、船は進んでないんだよね」
リユルがあたりを見回す。帆はたたまれ、魔法で風を起こしている人も今は見当たらない。
「夜は暗いで船を動かさんってことかな?」
「でも、かなりランプがともっていて船の上は明るいですよね。このぐらい明るくするのなら、夜でも運航できそうな気がするんですが……」
ヴァルルシャがそこまで言ったところで、三人の背後から声が響いた。
「そうは言っても、夜に船を走らせるのはやはり難しいからね」
三人が振り返ると、先ほど食堂で豪華な食事をしていた女性が立っていた。
「いくら明かりをともしても昼間並みに明るくはできないし、岩などを見落とす可能性もあるからね。風係の魔法使いだって、昼も交代しているとはいえ、夜もしっかり休んだ方が翌日の風のコントロールがうまくいくし」
帆に魔法で風を当てる人の役職名がわかった。かぜがかり、というのか。
「ああ、失礼。君たちがはしゃいでるのが楽しそうで。船は初めてかい? 私は船旅は慣れすぎてもう新鮮な驚きが無いんでね」
彼女はそう言った。ヴァルルシャがうなずく。
「ええ、確かに初めてです」
「船が夜にこれだけ明かりをともすのは、魔物に襲われないようにするためだ。森や川などでも、人間が少人数だと魔物に狙われやすいだろう。だが、村や町など、人が集まっているところには魔物はめったに現れない。人間がたくさんいるところでは返り討ちに遭う可能性が高いからな。
だから、船が港でなく沖合いに停泊する場合は、『ここは人間の領域ですよ』と魔物たちに示すために、明かりをたくさんともすわけだ」
彼女の説明に、三人は納得した。
「そっか……。ここに人間がたくさんおるぞって教えとるんだ」
「思えばリスタトゥーの宿屋も、魔物の出る森の手前にある一軒家でしたが、魔物狩り屋が何人も泊まっているので魔物は宿屋を襲ったりしなかったですからね」
「あいたちの疑問が解けたね。……わざわざ教えてくださってありがとうございます。えっと……」
リユルが彼女に向き直り、言いよどむ。なんと呼びかけたらいいのだろう。
食堂にいるときは遠目でよくわからなかったが、今は目の前に立つ彼女の顔がよく見える。とはいえ、いくら甲板が明るくても昼間ほどはっきり見えるわけではない。二十代だろうか。三十代だろうか。四十代かもしれない。パッと見は若そうだが物腰はもう少し年齢を感じさせる。
リユルの目に彼女は、二十代から四十代の何歳と言われても納得できる人物として映っていた。リユルの目、つまり現実世界の暦に換算してだ。この世界の暦で換算すると年齢の幅はもっと広くなるだろう。
おばさん、と呼び掛けて失礼にならないだろうか。しかし歳がかなり上だった場合、おねえさん、と呼び掛けるのが嫌味にならないだろうか。
そんなリユルの逡巡を見て取ったのか、彼女が自分から答えた。
「ユマリだ」
「ユマリさん。あいは、リユルって言います」
「私はヴァルルシャです」
「うちはユージナです」
「ユマリさん。船のこと教えてくださってありがとうございます」
リユルが代表して礼を言った。
「なに、若い人たちが楽しそうだとこちらも楽しくなるからね。そんなわけで船は夜、たくさん明かりをつけて動きを止めるのさ。下手に動き回ると、魔物のいるところにわざわざ突っ込んでしまう可能性もあるからね。いくら船に明かりをともしても遠くは暗くてよく見えないし。
ああ、邪魔したね。それじゃあ、良い旅を」
ユマリはそう言うと、笑顔で甲板から去っていった。
三人も、いくらランプで明るいとはいえ、夜になって冷えてきたので船室に戻った。
四つのベッドの、右の二段ベッドの下にヴァルルシャ、左の二段ベッドの下にリユルとユージナが座り、くつろぐ。
「ユマリさんかあ。気さくな人に教えてもらえてよかったね」
リユルが言う。
「うーん、でも、ユマリかあ……」
ユージナがつぶやくので、ヴァルルシャがたずねる。
「どうしたんです?」
「『ユマリ』って確か、日本の古語で『おしっこ』のことだよ。
日本神話で、イザナミがヒノカグツチを産んで産道をやけどして死ぬってエピソードがあるでしょ? そのときに、イザナミのおしっこ……古い言葉で言う『ユマリ』から、ミツハノメとワクムスビが生まれた……そんな話があったと思うんだけど。作者は神話とか好きだし、どっかで読んだこと覚えとらん?」
和服を着ているユージナが腕を組んで作者の知識を思い出し、語った。
「そういえば……そんなエピソードがあったような気もしますね」
「言われてみれば……。やっぱり、日本関係の記憶はあいたちよりユージナの方が思い出しやすいんだね。でも、ユマリさんの名前がそんななんて……」
排泄物と同じ響きの名前、というのはなかなか衝撃的な話だ。
「いや、でも、中世ヨーロッパ風異世界なんだで、この世界においては『ユマリ』はおしっこって意味じゃないと思うよ。たまたま日本の古語に同じ言葉があるってだけで。それにうちはイザナミの話を思い出したけど、それが由来と決まったわけじゃないし」
ユージナがフォローする。
「我々が世界の設定をある程度考えているとはいえ、世界は自分で動いているのですから、我々の想像の及ばない部分もありますよね。
ファスタンがファーストタウン、セカンタがセカンドタウン、などの町名は推測しやすかったですが、それも私たちが設定した名前ではないので、本当にそういう由来かどうかはわかりませんし」
ヴァルルシャもそう言った。
「それもそうだね。じゃ、どうする? 船にお風呂無いし、そろそろ寝ちゃう? さすがに早いか」
リユルが言い、二人も笑った。
風呂は無いが、トイレと洗面所はある。廊下もトイレもランプがともされて十分に明るい。三人は歯を磨いたり日記を書いたりして船での夜を楽しんだ。
「じゃ、そろそろランプ消していい?」
左の二段ベッドの上からユージナが尋ね、天井のフックに吊り下げられたランプに手を伸ばした。光池で光るランプのスイッチが回され、光が最小限になる。
「おやすみ」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
船で迎える初めての夜、三人はそうして眠りについた。




