怒(エインガー)
本当はもうちょっと続く予定だったのですけどあまりに長くなりそうなので区切りました。
9話 怒
蛇に絡め取られるような熱さと苦しみから逃れられず我が下僕は陸に打ち上げられた魚のように痙攣していた。
『イ!ギガァァアアァァア!!』
我が母君から受け継いだ能力主従(マスター&サーヴァント)契約は下僕の思考、記憶、意心を使えば感覚も主が共有し、業火と言う今のように炎の中に投げ込まれたかのような苦痛を与え、罰を与えることも出来る。
あえて今軽く業火を与えているのは手綱をつけ、わらわに逆らえぬようにする為じゃ。
先程の意心で通じあった時も感じた事じゃが、記憶も覗いて確信した。
こやつは余りにも無垢じゃ。
嘘もつかず、優しく、純粋で…可愛いアホじゃ。
だが、危険な力を持っておる。手紙に書かれていた『魔法を使わず一撃で20人を殺せる』と書かれていた時は思わず笑ったが記憶を見ると本当らしいの。
もしこの力がならず者…例えば憎き我が祖国の者がこやつを口車に乗せ利用すればこれ程使い勝手の良い武器はないのう。
そうはさせてはならん、まだ森の中しか世界を知らぬ無垢なこやつを血で染めてなるものか。
だからわらわの下僕にした。
まっ、ほんに無垢なこやつが可愛い奴だからと言うのも本音だがの。
さて、そろそろ止めてやるか。
『ガァ…はぁ…』
「『どうじゃ?話せるか?わらわに逆らえばあれ以上の苦痛が待ってるでの、わらわの言うことは聞くのじゃぞ?』」
『…うん……ねぇ?く…まさん…は?』
こやつ…手加減したとはいえあの苦痛を味わってもなお友の心配か。
あれはとても辛いのに…
…こちらの心が洗われるようなアホじゃのう。
あぁ、そうじゃった。こやつの友が誰か記憶を見て確認せねばな。
「『…ほう?そなたの友は森爪か…ふむ…』」
なるほどのう…そういう経緯か。
恐らくあの矢はアルフが射ったものじゃろう、タイミングが完璧であの辺りにはあの二人しか居らんかったそうだしの。
そして毒で苦しんでいる弟の森の爪を助けに解毒剤を持ってると思われるアルフを捕まえようとしたと。
本当に単純じゃの…
じゃがどうする?真実を伝えるか?これ程ボロボロになって頑張っているこやつに。弟の森爪の顛末を。
『どう…し…たの?くまさ…ん助けて…くれるんじゃ?』
「『……』」
『ねぇ?…どうした…の?』
「『……良いか?落ち着いて聞くのじゃぞ?』」
どのような残酷な真実でも嘘をつくよりは良いじゃろうな。
『…えっ?』
「『……………』」
じゃが…いざ言葉にするとなると、情けないがなかなか出来ぬものじゃな…
「グガアアアアア!」
すると獣の咆哮が響き低い足音を響かせて走って来たのは緑色の体毛に爪痕のような黒い縦縞模様を描いた森爪…こやつの言うところの意心を使う熊のお兄さんか…
まさか森爪が意心を使えるとはな。
ちょうど良い、わらわが一人で説明するよりも証人もいた方が本人も信用するじゃろ。
森爪が下僕に近寄れるように首に股がった足を退けて後ろに下がる。
「『あれが熊のお兄さんだの?お主が無事であったことを知らせてやれ。弟の方がどうなったかはその後じゃ…』」
バシャァ!と泥水を撒き散らしながら『熊のお兄さん』はわらわと下僕の間に割って入り、こちらに向かって鋭い牙と眼光を浴びせて「グルルル!」と唸り声を出している。
ここまで走ってきたのだろう、足下は勿論脇腹も泥で汚れ名前の由来である黒い縦縞はほとんど見えなくなっていた。
「『待て落ち着くのじゃ…わらわはそやつに手を出しとらんし、出すつもりもない…その友であるそなたにもな?』」
今にも襲い掛かりそうな剣幕だったが下僕が下僕が意心を使い森爪が下僕に暫し顔だけを向ける。
『………オイ、雌、コイツガ、言ウカラ、手ハ、出サンガ、モシモノ、時ハ、殺ス。』
暫しの沈黙の後『熊のお兄さん』は低い声で、特に最後の部分を強調して言った。
「『もしもなど無い…わらわはそやつを気に入っておるでな!…それでじゃ、そなたが走ってきた事情は察しておる。今から弟の説明をするでの?…下僕よ?気をしっかり持て?』」
実はな…と続けようとしたときトスッ…と軽い音がした。
音の発生源は熊のお兄さんの右肩、そこには矢が一本、軽く引けば抜ける位浅く刺さっている。
その場に居る全員がキョトンとした。
左を向けば統一性の無い装備で固められた集団と少数の緑色の制服が矢をつがえているのが門の前に見えた。
恐らくアルフとエルミィが衛兵と共にわらわの助けになると街に居たありったけの冒険者と比較的腕のたつ生態監査群職員を連れてきたのだろう。
…まぁわらわが頼んだのじゃが。
そこにわらわの前に立ち塞がる森爪…
うん…遠目で見れば気のきく生態監査群の誰かが矢を放ってもおかしくはないの。
冒険者は依頼以外の殺しは基本的にご法度じゃし。
『熊のお…兄さ…ん?』
下僕から純粋な混じりっけの無い悲しみの感情が流れて来る。
油断するとわらわまで感化されて泣き出しそうじゃ、あまりこやつと感情を共有する疲れるのでほどほどにせねばならんの。
「『…すまなんだ、下僕よ、よも-』」
『助け…るって…言ったのに…熊のお兄さんまで』
悲しみの濁流の中に別の感情が浮き出てきた。この感情は…あっ!いかん!
『何で?、何で嘘ついたの?』
「『お、おい!待て話を聞け!?これは!』」
『助けるって…言ったのに…』
下僕は聞く耳を持たず悲しみで満たされていた心を干上がらせる燃え上がる怒りの焔が下僕の中から見えた。
『嘘つきぃいー!!』
瞬間…感情が爆発し、それに連動するように下僕は足と腰のバネを使い一動作で起き上がるとそのまま森爪を飛び越え落下のスピードに乗って鋭く尖った指先を振り下ろしてきよった。
まぁ殺意が無い上に契約により下僕の思考を読んでいたわらわはかなり余裕を持って後ろに飛び退いた。
が、
「う、うおぉ!」
ドバアァン!と下僕が濡れた地面に右手が叩き付けられ飛び散った泥水や土、小石がわらわを襲う。
ただの泥水でもまるで鉄板で叩かれた衝撃があり、これに小石が混じっておれば
と思うと…ゾッとする。
こいつ、殺意が無いと言っても怒りで我を忘れ十分人を殺せる力を遠慮なく振り回してくる。
下僕は一撃目を避けられたとみるや今度は空いている左手を地面スレスレからすくい投げるように振る。
いくら大振りで思考を読み次の攻撃を察知出来るとしてもやはり怖いの、かといって殺す訳にもいかんし…
このまま、あやつが話を聞いてくれるまで攻撃を避けるしかないのう。
『ウアァァァァッ!!』
下僕の攻撃はどれも単調で己の尖った指先をわらわに突き立てようと乱暴に振り回すので次第に慣れてきた、矢のように飛んでくる散らばった小石や泥に気を付ければどうと言うことはない。
…しかしどういう訳か下僕の攻撃には違和感がある。何故手技に拘るのじゃ?
何かを真似ているような?
何なのだ?嫌な予感がする。
よし、あやつが冷静になるまで待ちたかったが最大の業火を食らわせるか。
ちと、気が引けるが仕方がないな。
業火の発動には何も制限はなくただ業火と念じれば良い。
後は主が良いと思うまで半永久的に地獄を味わあせる事が出来る。
…あまり好きではないが暫し地獄を見ろ。
「業火!」
『ウギィィィィィイイアアァァァ!!』
身を焦がす灼熱の業火に投げ込まれ下僕はその場でのたうち回った。
今あえて声に出したのはわらわがいつでもその苦痛を与えられると身を持って経験させるためと意識付けじゃ。
それなら怒りに燃えるこやつでも恐怖で冷静になるはずじゃからな。
「…は?」
思わず変な声が出た。目の前の光景と下僕の感情の変化に信じられず。
『………………』
灼熱に耐えているのじゃろう、ガクガクと操り人形のようなぎこちない動きで両手をついて立ち上がった。
地獄の苦しみから耐えたのも驚いたが…
「信じられぬ…何だこれは?…本当に怒りか?」
わらわが感じたのは下僕の純粋な『怒り』のはずだった。
だが、今それはより業火の中で煮詰められ、凝縮し、また怒りで塗り固めた『結晶』。
「貴様…煉獄の亡者ではなかろうな?…」
『………………………』
下僕は答えない。
自分の顔が引き吊るのが分かった。
並みの神経では発狂していてもおかしくはない地獄を味わいながらそれに耐え、糧とし、力とする。
怒りの焔が結晶化したような存在。
化け物め。
しかしどうする?もうこやつは止まらん、相変わらず殺意は無いが怒りで我を忘れ身を任せている以上危険だの。
やるかの…
すると街の方から無数の大きい炎の玉。『ブラスター・ボム』が飛来し下僕に襲い激しい閃光と爆風に包まれた下僕はそのまま街とは反対の方向に飛ばされる。
「おい!あんた大丈夫か!?」
そこに冒険者風の若い男が走って来た。
「平気じゃ、それより早ぅ逃げよ。今の我が下僕はお主らの相手ではない。」
「それは出来ねぇ、俺達は時間稼ぎを頼まれてな。真打ちが来るまでは粘らにゃならんし、と言うか今ので決まったんじゃねえか?ブラスター・ボムが4発全弾同時着弾したんだぜ?」
「ちっ…」
事情を知らぬといえニヘラと笑う男に舌打ちをしてしまった。。
「…お主らは下がっておれ…わらわに任せよ。」
「おいおい何を…」
「まだ終わっとらんよ…」
業火の業火に耐えられるのだ。あやつにとってあの程度の火力へでもないじゃろ。
まっ種類にもよるがこの辺りでは生身の生き物が喰らえば只ではすまんであろうがの。
「…マジかよ」
「……やはり」
下僕はやはり立っていた。何事もなかったかのように。
そして両手を地面に付けて膝を伸ばして四点で体を支える。
それは思考を読まずとも何をするかわかる。
「後ろに控えている仲間にも伝えよ…死にたくなければ下がれとな」
「あ、あぁ!でもあんたはどうするんだ?」
「…あやつの主人はわらわじゃ、責任は取らねば。それにじゃ」
ボタンを外し雨で濡れた重いローブを脱ぐ。
バシャっと音を立てて地面に落ちたローブの中から現れたのは白い蜘蛛を模した甲冑、名を高貴な白蜘蛛。
肌に貼り付く黒いインナーの上に甲冑を着込んでいるため白と黒のツートーンカラーで纏まっている。
一番の特徴は胸甲板に足を絡めるように模した白い蜘蛛だろう。
下を向いており女性特有の丸みを帯びた胸にしがみついている。
また機動力を重視しているのか前立て、籠手、肩甲は無く、背中と腹の肌は大胆に露出している。
その姿は美しく雨や泥で汚れるのは誰しもが悔やまれるだろう。
「まさか…あんた!いや貴方は!」
「白蜘蛛のリオザが…ここに居るのじゃぞ?」
そう言い、男に上下4本並んだ犬歯を見せつけながら笑い、高貴な白蜘蛛と同じ素材で出来た仮面をベルトで固定する。
仮面は鼻から上を隠し、8つの紅玉を埋め込んでいる。
一見前が見えないように感じるが填まっている紅玉各々がマジックアイテムだ。
むしろ視野は広がり暗がりでもよく見える。
「出過ぎた真似をしてしまい申し訳ありません!では失礼します!」
肩越しで男が逃げるように走っていくのを見届けると思わず笑ってしまう。
そして改めて下僕の方向を向く。
警戒していてその場から動いていない。
『………………………』
先程から感じていたが下僕の思考が読めぬ。
極度の怒りで本能で動いているのか?
もしそうなら過去のわらわではないか…
あの時は仲間が救ってくれたがあれは大変だったのう。
今思い返しても仲間に申し訳無く思う。
「…あやつを救うのは主たるわらわの役目じゃ……安心せい下僕よ?」
『……………………』
「さて、父さま。お力をお借りしますじゃ」
ミチャチャチャチャ…
リオザの背中から突き破って出てきたのは上質な光沢を放つ8本の黒い蜘蛛の足だった。
主人公の力の片鱗が次回見えてくると思います。