第十二話 黄昏の中に 4
最終のバスを降りてマンションへと向かう深夜の路地で、忌々し気な女の独り言が漏れる。
「あーだりぃ、なんだよ三塚ぁあ! 何がミサキちゃんだよっ!」
(そんなこと言いながら気づいてるんでしょ、朱莉ちゃん)
「そりゃあ、わかるよ。ずーっと隣にいたんだからさ。いくら自分から干渉できないからってAIのふりして話するなんてだめじゃないの?」
(あっちの世界でもIT化してるのかしらね?)
「IT化ってほぼ死語よ?」
(私は死後の世界の住人だからね)
「かぁあ、くだらない。とにかく鞠さんの側の問題でしょ、ああいうのコンプライアンスに引っかからないわけ? あんなソフトがまん延して、悪霊が利用しだしたら、それこそとんでもないことになるよ」
(昔から霊が依り代を使って、人に語り掛けることは特例で黙認されてたからね。もっともある程度の霊格を持っているか、高級霊の指導の下で事情持ちの霊が行うってくらいハードル高いし、相当念動力が必要なはずなのよね」
「並の霊じゃできっこない、ってこと?」
(トーコちゃんの時だって、トーコちゃん自身の力と私の術式があってこそよ。しかも相手は超ハードル高い“志乃様”への上書きよ)
朱莉はもうほぼ忘れかけていたが、元々このマンションの地縛霊だったトーコを、陰念を蓄積させず現世に逗留させる手段として、志乃様という古い市松人形を依り代として定着させたのだ。それはその時のトーコが強く“それ”を望んだから出来たことではあるのだが。
「そもそもさ、あの三塚の家の画面に映った美少女と、あたしの目で視た霊体の姿がほぼ一緒なんだわ、だから話すの厭だったんだよ」
(あらぁ、そうなのね?)
「鞠さんから視たら、どうせゲジゲジみたいなのの集まりにしか見えなかったんでしょう?」
(ええ、まあねぇ)
「あいつ、生きてる時のミサキって女の子と、会ったことがあるとかじゃないの? 何かヤバい臭いしかしないじゃん、ストーカーとか。いや、それとも呪われてるとか」
(でも、うん、放置しててもそのうち息切れして消えると思うけど、意図は探る必要はあるでしょうね。ま、三塚君のためだと思って、今回は一肌脱いであげなさいよ)
「げー、三塚のために脱ぐとか、なんか嫌だー。なんでそんな面倒ごとぉ」
いいながらマンションのエントランスに入ると、ちょうど初老の管理人が、管理人室に施錠をし帰るところだった。
「やあ周防さん、こんばんは」
「あ、ええ、こんばんは……」
管理人の男性はまだ七十も過ぎた年頃ではあったが、眼光は鋭く、体つきもしっかりしていた。ちゃんと顔を見合わせたのはこれが最初ではないだろうか。上品な白髪をなでつけ、ハンチングを被りなおすと、「どうでしたか、今日の桜の咲き具合は?」と顔を綻ばせる。
「まあ、八分咲きってとこですかね。今日は暖かかったから明日くらい満開かもしれませんよ。管理人さんはお花見行かれるんですか?」
「いえいえ、私は一人者ですし、一緒に花を愛でるような友人もいませんしね。ああ、そうだ。覚えておくといいですよ、花が開くというのはね、気温とはあんまり関係ないんですよ。結果的に気温が上がるというだけでしてね」
「え?」
「桜はね――桜に限りませんが、植物にも“気”がありましてね。多くの植物は“陽気”を出します。ですから芽吹きの季節を境に“気温”が上がるんですよ。普通の人はそれを肌で、暖かさとして感じるのです」
朱莉にも、それは感覚的にわかる。人が心地よいと思える環境にこそ陽気は満ちて、気温が上がるとヨウセイの数も増える。これを、いわゆる“よい気”が満ちているという表現をするのかもしれない。
対してネガティブな気のことを陰気という。気温が下がる、湿度が上がる、暗くなる、といった陰の気が満ちる状態だ。それらを纏う人にはムシが寄りつきやすいし、ムシを媒介して悪霊の類にもつけ込まれやすくなる。
朱莉は何故そうなるのか、ということを論理的に考えたことはなく、ただ、わかりやすく、そうであったほうが納得がゆくと感じていた。人とて霊とて自然のものなのだから、素直な解釈のほうが正解な事が多い。
「季節の到来を示す、それこそ植物の開花に代表されるような環境変化は、流れが変わるサインなんですよ。古来より芽吹きの季節を新年度に設定しているのは、何も偶然じゃありません。流れに沿っているのですよ」
「ながれ……?」
「一年は一つの流れのサイクルで完結しているのですけどね、時間や空間の流れを制御している流脈の周波数が変調して季節がかわる。その調律が乱れるといわゆる異常気象という状況になる。植物は霊気の流れを敏感に感じ取って成長しますから、植物を見れば環境は知れるのですよ」
「へ、ええ……そう、なんですか。植物のことに御詳しいんですね」
と言ってみたものの、そういうことではないというのは判る。朱莉はリアクションを意図的にずらしたのだ。だが管理人の男性は笑って、「まぁ、この仕事に就く前は園芸をやってたものですから。腰を悪くしましてね……ああ、足を止めてしまいました、それではまた明日、おやすみなさいませ」と言い、朱莉の横を会釈しながら通り過ぎていった。
(ただ者じゃないってこと、だよね……)
(そうね。類は友を、ともいうけど、このマンションの管理人ってのは因縁感じるわよね。ややこしくならなければいいんだけど……)
ほどよく酒も入って、全身がだるかった。マンションの自室に入る頃には睡魔が襲ってきていた。
(シュリ様、お帰りなさい――ふわぁ……なんか食べますか? 昨日の残り物しかないですけど)うたた寝をしていたのだろう、トーコはふらふらと寝ぼけ眼で朱莉の前に飛んできた。
「ああ、いーよ。なんか、今日はいろいろあってさ、疲れたから寝るわ……」
(もお、お化粧落とさなきゃダメですよぉ、あと歯磨きもしてぇ、お布団汚れるから服もちゃんと脱いで寝るんですよぉ)
トーコはそれだけ言うと、ふらふらと空中を飛び、リビング脇の個室のドアを開き、中に消えて行った。この部屋は朱莉が越してきたときに作業部屋として画材や過去の作品や、いわく付きの品物などを収納しておく部屋としていたのだが、トーコが来てから、そこがかつての和久井沓子の部屋だと知り、部屋をあてがった。
目の前のソファセットに今すぐ倒れ込みたい衝動に駆られ、ふらふらと歩み寄るが、その背後に人影が浮かぶ。
そのトーコに続き、タケルが新たに居候することになり、部屋が足りなくなったことから、急きょ置いていた部屋から出されリビングの隅に設置された、鞠の鏡である。
(そこで寝ないの! 風邪引くわよ)
「ちょっとだけだよ、ちょっと休憩したら、歯磨いてベッドにいくからさぁ」数歩歩いてドアを開ければすむ話なのに、人間とは間近の欲求に抗えないものなのだ。朱莉は倒れ込むようにうつ伏せになってソファに沈む。
(こらっ! 起きなさいって! 明日は仕事でしょ! 私はベッドに運んだりしないからね? 明日の朝慌てたって知らないからっ)
鞠の言葉もむなしく、ソファの上で死体のように動かなくなった朱莉は、寝息を立てていた。




