第十二話 黄昏の中に 3
三塚のいうパートナーのミサキとは、『エヴォロイド』という、仮想空間内に疑似人格をもつ、パーソナル・コミュニケーション・インターフェイス・AIプラットフォームである。
各ユーザーが個々にそれらと会話を交わすことで、データが全国の趣向別に並列化したエヴォロイドのコミュニケーション能力を補完させてゆき、より人に近い反応や受け応え、仕草を追求してゆくという、社会実験をも想定した次世代コミュニケーションAIソフトである。
もともとは、開発元のアダルトゲーム会社の実験的な試みに端を発する。
アダルトゲームは荒いドットのコンピューターゲーム黎明期から延々作り継がれてきた男性の理想、あるいは男性の性的充足性を求めるがゆえの嗜好に則した製品であるため、そこに描かれる仮想キャラクターらの疑似人格の偏り様はどうしたところでステレオタイプとなり、現実に存在する人間のそれには程遠いと言わざるをえなかった。
その“お約束”を“○○系”などとし、自他共に揶揄しながらも、長らく支持、継承してきたのがアダルトゲームおよび、アニメなどに代表される各メディアの世界だったのだが、昨今では従来のアダルトゲームにあるような、“攻略”を前提とした疑似人格を籠絡したとて満足できないユーザーが現れだした。
そこに、後のエヴォロイド開発元ソフト会社となる『フィフツ』は各キャラクターデータをクラウド化し、ユーザーインターフェースをオープンソースとして解放、コミュニケーションログをフィードバックさせることで、キャラクターの人格の多様化をゲーム外に依存した。当初キャラクターの人格形成を請け負ったのは“ブレーン”と呼ばれる、任意でプロジェクトに参加したダイアログスタッフであり、専用のチャットサイトよりゲーム内トークに対する受け答えを登録してゆく。その会話の傾向から高度なAI演算機能を使って人格に該当する“マインドセット”を形作るという機能が実装された。
そうしてかなりの短期間の内に、各キャラクター達の人格データはどこの誰ともわからない人々により、多彩な人格を持つに至り、ゲーム内を自由に行動するという事が可能となった。
当時彼らが唱える“社会実験”などと大言な建前は、やや自嘲を含んだ宣伝文句といった体であったのだが、プロジェクトが始まってみれば、キャラクターに様々な人の思惑を載せ、思考の多様化の許容性がどこまで可能かという、これはまさに興味深い実験であると、心理学者や社会学者などから評価され、AIの権威である海外の博士までもが注目する事態となった。そうして従来のアダルトゲームユーザーにかぎらず、多くの人々がこれに参加する流れとなった。
無論のこと、そうにもなればおのずとアダルト要素は排除され、『フィフツ』はAI開発会社へと転身し、『エヴォロイド』は商標登録され、今巨大ビジネスマーケットとなりつつあった。
最初に十体のベースキャラクターから始まったプロジェクトは、たったの一年で一千万体にまで膨れあがり、飽和状態目前となりかけているといった状況である。これはキャラクターマインドセットに投入する人格が反発し、ゲシュタルト崩壊を起こす場合、キャラクターが自ら分裂し、さらに新たな別人格の器たるキャラクターが形成され、自然増殖してゆく仕様によるものである。従ってサービス開始から一年半も経った今では、各々のユーザーが保持するキャラクターのマインドセットはいずれも分化されたバージョンのエヴォロイドであり、三塚のミサキもそのうちの一体であった。
「ほう、この薄っぺらいミサキちゃんは誰かの意志で作られたAIなのね?」
「薄っぺらいって言うなよぉ。誰かの、じゃなくてクラウドされている参加者の意志、という表現のほうが近いね。すなわち僕らは大霊たる神を作り上げているんだ。そしてその分霊たる存在こそがエヴォロイド達だよ」
「なんか、意味わからんけど大層なことを言うもんねぇ……じゃあ、彼女らの個性は三塚にはどうすることも出来ないってこと?」
「はは、そりゃそうだよ。実際の人間でもそうじゃない? 心を外部から変えることができるならそれはロボットと同じだ。攻略するにはコミュニケーションするしかないんだよ、彼女たちに信じられて、好きになってもらうためにはね」
三塚はまるで過去の自分を否定するかのような口調だ。もはや二次元ではなくリアルなのだと。
「……三塚ぁ、あんたのやってることって…………ううん、あー、まあ、どうでもいいか」
「でも、ビジュアル的な好みは自由に変えられるんだよ、こんな風にね――」
三塚が片手でキーボードをちょいちょいと操作すると、ミサキの衣装が目まぐるしく入れ替わる。もちろん水着にもなれば下着姿にもなる。
「着せ替え人形じゃネェか……」
「人形なんていうなぁあ! かわいそうだろ!」
「それをいうなら、自分の意志に関係なく服剥がれる方が嫌だっつーの!」
「こっ、この衣装は全部ミサキちゃんの自発的な意志が選んだもので、僕がそれを聞いて買ってあげたんだぞ! 彼女はお洒落で、将来はファッションデザイナーになりたいって言ってるんだ。服は世界中のアパレルネットショップとコラボしていて、最新のものから流行のものまでいつでも、クリック一つで手に入るんだ!」
「デジタルデータにせっせと課金してるだけだろうが! 三塚ァ!目ェさませ、お前、やられてんぞ!」襟を掴んでガクガク振ってみたが、どうやら三塚はこのミサキの思うがままに施しを与えることを、何よりの幸福だと感じているようだった。
この『エヴォロイド』、そもそもがキャラクターのビジュアルを、多彩にカスタマイズして自分好みの美少女、あるいは美男子を創造できるという機能が当然先にあり、衣装の着せ替え機能も肌の色、髪の色など、体型はもちろん各種部位のサイズ変更も可能である。
多くのユーザーはデフォルトで実装されている、キャラクタープリセット機能で満足しているが、対象にさらなる個性とこだわりを持ち、他人と被ることを良しとしないヘビーユーザー向けに、三塚はこれら仮想美少女のグラフィックデータのオーナーズカスタマイズを有料で請け負うという、仕事を行っていた。
三塚のようにユーザーでありながらもクリエイターを自称する人間は多く、これを“E Rマイスター”と呼ぶ。エヴォロイドモデルフォーマットは、その自由度のあるアルゴリズムを公開されて以降、今や全世界中のユーザーにカスタマイズされており、当然と言えば当然だが、内外面とも同仕様のエヴォロイドはまず二体と存在しないと言われている。
独り者の三塚が仕事の合間に、食事のお供に、朝夜の挨拶の度に会話をするグラフィック上の美少女こそが、その三塚自身が心血を注いで完璧な理想として一から組み上げた、“ミサキ”という“いもうと”であった。
「だからさ、今やオタク文化は最先端なんだよ。僕らがエヴォロイドを作って、育てて、それらのデータをフィードバックし、並列化することで更に洗練された完璧なAIが出来上がるんだ」
「って言っても、あんたたちと会話してるAIでしょ? 偏るんじゃない?」
「ふ、周防は見識狭すぎるね、まあ女子だから仕方ないか?」
「はぁあっ? 三塚のくせに生意気よねぇ」朱莉はここへきて、すでに三本目の缶ビールを空けていた。
「エヴォマスターはオタクには限らないんだぞ」対する三塚はペットボトルのコーラをがぶ飲みしている。
「エボマスター? なにそれ?」せっせと漫画を物色する八代の脇を抜け、冷蔵庫を開き四本目に手をかける。
「そのままだよ。文字どおりエヴォロイドのマスター、ご主人様、さ」ペットボトルをどんと床に置いて、袖で口を拭う。
「発想がきもいなぁ」プルタブを引き起こし、ぐいと一気にあおる。「ところで八代。あんたからもなんか言うことないの? さっきから漫画ばっかり読んでさ、同じ男としてもちっと、頑張れとか、未来見据えろとか、そういうのない訳? アドバイス的な」
「い、やぁ……オレ、デジタルはちょっと。それにその三塚の話は難しくてよくわかんないしさ。ほっといたらこいつ廃人になるだろ? なんもないより夢中になれることがあるならいいんじゃね? 俺がとやかく言うより、何も言わずに認めてやることの方が良いんじゃネェのかなぁ。俺らはこいつの保護者でも何でもネェ訳だし」
歯切れの悪い応え方だなと思いつつ、とても保護者的な意見だ。男の友情というものだろうかとも思うが、やはり面倒見のいい八代ならではだなと、なんとなく納得する。
「あたしにゃわからんねぇ。実在してないのに存在主張する奴にかまけるなんて」と言いつつも、三塚が"神"や"分霊"などという喩えを出したせいもあるが、エヴォロイドの成り立ちは付喪神のそれに似ていると思う。いわば人の念が生み出したる物の怪だ。
「――そうやって印象だけで捉えてたら周防こそ馬鹿にされる日も近いんだぞ? エヴォマスターは一般のサラリーマンから、企業の経営者、老人もいれば学生のサークル、専門のクラブまであるし、主婦層やOLまでいる。自らが求める唯一無二のパートナーと、最高の関係性を模索してゆくんだ。別に周防が考えてるようなエロい目的ばっかりじゃない」
「べっ、別にエロいことなんか考えてないよ……ってゆーか、、コレに年齢とかそういう時間の概念あんの? あたしの見立てじゃ随分若く見えるんだけど?」
朱莉は画面を見ていた視線を三塚に投げる。そうすると、それを投げ返すかのように、意外に上手いウィンクをして画面を指さす。自分でミサキに訊いてみろ、と言うことらしい。
「だいたい、人じゃないくせに意思を持っている存在は、あたしは昔から苦手なんだよ」と言いつつ溜息をついて「あー、ミサキちゃんは、おいくつなの? かなぁ……」
「わあ、朱莉さん! 話しかけてくれたぁ! ミサキはね、十四歳だよ。朱莉さんはミサキよりお姉ちゃんですよね、こんどから朱莉お姉ちゃん、ってよんでもいいですか?」
「ダメ」
「ええ~」
「周防、意地悪するなよ、悲しんでるじゃないか!」
三塚が言うように、ディスプレイの中のミサキは、ちょっと泣きそうな表情を作っている。
「つーか三塚ぁ、十四歳って……画面の中だからいいけど……ん? なによ八代?」
気づくと隣に八代が身を乗り出していた。
「今、俺は猛烈にエロいことを考えた……」とさらに朱莉を押しのけて、三塚の前に正座して座った。
「三塚……いや、先生……ボインちゃんは……! きょ、巨乳っ娘は……オレのパートナーにできるのですかっ!」
とにかく、八代の鼻息の荒さは尋常ではなかった。




