第十二話 黄昏の中に 2
コンビニでさらに酒とつまみを買いだして、朱莉と八代は三塚のマンションに訪れていた。
「居るかどうかわかんねぇぞ……いると思うけど」といいつつ、八代はエレベーターのボタンを押す。
「へぇ、いいとこ住んでるじゃん。あいつ独り身でしょ、こんな……」マンションは主にファミリー層を狙った3LDKが主流の構成であり、人の事はいえないが独身者かつ、二十代前半の男が住むには分不相応に見えた。
「行けば解るよ、っと、ここだ」八代はいきなりドアノブを掴んで回す。「チャイムねぇからよ、呼んでもほぼ出てこねぇし」
八代に続いて朱莉もドア内に入る。
「ごっ、ゴミ屋敷かっ!」朱莉の第一声がこれだ。マンションは築十年以内という美麗なものだったが、3LDKの部屋のうち、見える範囲の部屋と廊下は所狭しと、物が犇めいていた。
「だから言っただろうが。ロクな部屋じゃねぇって……おおい三塚ぁ」その口ぶりからして八代は、三塚ともそこそこ懇意にしていた様子がうかがえる。
朱莉のことも今日こうして誘ってきたように、八代は元美術部の仲間の間を、接着剤のようにとりもつ役目を果たしていた。お節介とも思えるところはあるが、コミュニケーションが上手いとはいえない連中の中では、貴重な存在だった。
《季節は春真っ盛りの週末、各地の桜の名所では花見が営まれています、皆さん盛り上がっていますねぇ》奥からはテレビの音声だろう、女性の声が聞こえる。
「桜って儚いってよく言うけどさ……社会に出たらタダのヒトになって酔っ払うしかできないって、どんだけ落ちぶれてんだよ――こいつらにも夢ってあったのかなぁ」三塚らしき男の独り言がきこえてきた。どうやらリビングに隣接した個室からのようだ。
するとその三塚の問いかけに応えるように、可愛らしい女性の声が「人の夢と書いて儚いって読むんだよね?」と返してくる。
「ははっ、それだけ大成した奴がいないって事なんだろうね、昔から」
三塚は音声に返しつつカチャカチャとキーボードを叩く。動画配信か音声チャットでもしているのだろうか。八代に続いてリビングの壁際から大半の床面に積み上げられた書籍類を避けながら、声のする個室のほうへ進む。
テレビからはやはりリポーターらしき声が《皆さん楽しそうですね》と苦笑いをする声が。つづいて「私も桜見に行きたいなぁ」と、さっきの可愛らしい声が。
音声チャットをしながらわざわざテレビ観るやつもいまい、だとしたら誰かいるのか。そう思いながら個室の入り口まで到達したとき、キャスターが《えー、続いてスポーツです》と切り出したタイミングでテレビの電源は切られた。
この部屋の室内だけは荷物が置かれておらず、美麗なソファに、サイドテーブルにキーボード、傍らのガラステーブルには二脚のティーセット、その正面の壁に縦方向に掛けた八十インチはあろうかという巨大なモニターがあった。
そしてソファに腰掛けた丸い背中の三塚が、そのモニターへと話しかけていた。
そこには精緻な3D画像で描かれた、黒髪のツインテールに、ブレザーの学制服を着た美少女が、にこやかに三塚の方を向いて手を振っていた。
「おつかれさま、研二おにいちゃん。お茶でも淹れましょうか」
「そうだね、少し休もうか、僕のお気に入りはぁ、なーんだ? あててごらん!」
「うーんん……アールグレイ!」
「わお! ミサキちゃん大正解!」
そう言って三塚研二はソファの背もたれから離れガラステーブルに置いていた電気ケトルと、二人分のカップを手に取ろうとする。
そして、そこでようやく、背後にいた二人の闖入者に気づき、目を丸くした。
朱莉も八代も呆気にとられて言葉が告げられなかったのだが、その瞬間いきなり個室のドアを閉められてしまった。
それからドア越しに呼ぶも、ようやく顔を出したのが十分後だ。
「い、いきなり来て、悪ぃな。あー、こいつがよ、お前の顔見たいって言うもんだからさ、っていうか、前はこんな部屋あったっけ……?」
「いや、あたしは別に三塚の顔が見たいわけじゃなくて……」
三塚はスェットの上下を着た姿で、ぼってりとした腹を掻きながら「ま、まあ、どっちでもいいけど……あ、そこの"資料"は荒らさないでくれよ」という。
おそらく三塚が"資料"と呼ぶそれは、部屋のあちこちにうずたかく積まれた書籍の類だろう。玄関入ってすぐ横に倉庫のようになった部屋があったが、リビングの床面もほとんど見えず、ダイニングキッチンのシンクにもコンロの上にも雑誌や写真集が積まれており、まったくと言っていい程生活感はなかった。リビングのほぼ中央に鎮座する幅広のデスク上には、大きなパソコンディスプレイが三面並んでおり、その様子からそこがどうやら彼の仕事場のようだった。
「なにこれ、あんたどうやってここで生活してるのよ?」
「コンビニと電子レンジと、電気ケトル一つあれば食うには困らんだろ。なにが嬉しくて自炊なんてするんだよ」
確かに一人で自炊する気になどならない。トーコがいなければ、自分も三塚と同じ行動に出ていたであろうことは想像に難くない。
「つーか、あたしにもアールグレイ淹れてくれ」
「黙れ周防」
「しっかし、冷凍食品とかコンビニばっかじゃ栄養偏るぜ?」八代が冷蔵庫をおもむろに開いて唸る。
「その分はサプリで補うんだよ。現代の食事ってのはさ、習慣的に腹を満たすためにあるのであって、栄養を取るためじゃない。他者とのコミュニケーションの一環、あるいは知覚と身体的インターフェースの整合性をとるための作業だよ」
「何言ってるのかわからんけど……で、あんたこの前の結婚式の時、自営業とか言ってたけどさ、ココで何の仕事してるわけ? さっきのは何よ」
「こっちきなよ、これだよ」三塚に誘われてリビングの仕事机のディスプレイを覗き込む。
そこには、精緻なCGで描かれた、十代をモデルとしたと見える美少女画像が映し出されていた。
「は……ああ、ん? なにこれ……?」思わず近寄って顔を寄せてしまった。というのもまるでそのグラフィックテクスチャは実物と見紛うような肌質感だったからだ。
「それは今請け負っているロイドモデルだから、さわるなよ」
「てゆーか二次元じゃネェかよ、どうやって触れるってのよ」
朱莉とて創作者のかたわれである。それが制作中であれ完成品であれ、無遠慮に手を伸ばして、他人の作品に触れるなどということはしない。
「これが、あれか?」と朱莉は、先ほど三塚が閉じた個室のほうに人差し指を向ける。三塚は観念したと見え、一つ溜息をつき「どうせわかんないって言うだろうけどさ」と付け加え、先ほどの個室に向かいドアノブを握る。
ドアの向こう、個室の正面の壁にある、厭でも目を逸らそうにも視界に入らざるを得ない八十インチはあるであろう巨大な画面。そこに映る、等身大の3Dモーショングラフィックで描かれた女子学生の制服を着た美少女だ。
それが朱莉を認識したかのように目を合わせてきて、会釈をしたりするものだからさすがに驚いた。
「おお……ビビった、なにこれ」
3Dモーショングラフィックといっても、その動きや仕草に不自然さはなく、彼女のいるのが画面だと認識しなければ、現実にそこにいるかのように錯覚してしまう。
「ミサキちゃんだよ、俺のパートナー! きりっ!」
「きりっ、じゃねぇよ。なんだよこのロリコン趣味は。三塚ぁ、遂にそっち行ったか? ってか、前からそうだっけか?」
「ハッ、これだから俗人の女は……自分よりも可愛いものを目にして悪態をつくなんざ愚も愚、下も下だなっ周防!」三塚はいきなりターボがかかったように弁舌が鋭くなった。自分の好きなものを守る為ならば妥協も、恭順もしない、オタクの血が目を覚ましたのだろう。
「そういう問題じゃないって――あ、あれか? 三塚はこの平べったい二次元のグラフィックデータに恋してるとか、そういう、あれか? 痛い系のやつか?」
「おい、周防、やめとけって」八代はいつの間にかソファに座って、漫画を読み始めている。どうもアニメーターである八代的には、CGというものを斜に視ているようなところがある。特に興味はないらしい。
「だぁって、こいつこのまま放っておいたら危ない道に走るだろ、絶対。現実の女は怖いンですーって」
酔った勢いもあり、面白くなって、やや小馬鹿にした口調で煽ってみたのだが、三塚はそれ以上乗ってくることはせず、深刻な顔で「――ああ、こわいよ」と返してきた。
いきなりマジレスされ、次に用意していた煽り文句を飲み込むしかなかった。
「先日な、コンビニに買い出しに出たら、深夜の商店街でバーから出てきた関西弁の女が鉄下駄履いてウサギ飛びしてたよ。挙句顔面から地面に激突して鼻血を出して笑っていた……俺はあんな女を制御する自信がない」三塚はまるで邪なものを忌むようにして顔を背け、拳を握った。
「う…………ああ、こわいな……だがな三塚、世の中はあんな女ばかりじゃない、いや――、むしろお前が見たのは最凶クラスの女よ、あれよりひどいのはめったにいない」
同輩のよしみだ、ここは職場の先輩を貶めても、彼のメンタルがこれ以上傷つくの避けたく思い、背中を丸め小さくなる男の、肉感踊る肩に手をまわす。
「あ、ありがとう……ごめん周防――やっぱりお前は俺の友達だよ」
三塚は気づいたようにディスプレイに視線を戻すと、そこへ語りかけた。
「そうだ、ミサキちゃん、紹介するよ、この人が周防朱莉さんだ」
「は? しょうかい?」
と、眉をひそめたところ、ディスプレイモニターから、少女の声を模した音声が流れてきた。
「わあ、葬儀屋さんに勤める、ゲロ吐く最低女の周防朱莉さん、ですね。はじめまして」と。
「それからミサキちゃん、訂正しておくよ。修正プログラム、コード303。周防が最低ではなかった。もう一人下がいたよ」三塚は朱莉を無視してディスプレイに向かって語り掛ける。まるで生身の人間に向かっているかのように。
するとミサキは急に直立不動の姿勢をとり、両掌を胸の前でクロスさせ、さっきまでの甘えたような声ではなく、機械音声のような端正な声色に変化した。
《イエス、マスター。コード303承認しました。周防朱莉は最低女二位に移行、修正データを受け付けました。更新完了》と言うと、そのままの姿勢で深々とお辞儀をした。
「ありがとう、ごくろうさまミサキちゃん」
「ううん」とにこやかに首を振るミサキの声は、先ほどの甘ったるい声に戻っていた。すると、なんと画面の中のミサキは、朱莉のほうに視線を向け「周防さん、今日は研二お兄ちゃんと楽しく過ごしてくださいね! その萌葱色のワンピース素敵ですね、お似合いですよ。これからは私とも仲良くしてくださいね!」
ディスプレイ上の美少女がまるで本物の人間のようにはにかんで、客人たる朱莉に向かって、たどたどしいお辞儀をした。いかにも対外的な、ともすれば、ダメな兄貴の出来る妹をのような所作そのものだった。
デジタルテクノロジーの発達により、二次元フレームの中ではあれど、キャラクターという人格を自身の思うように作り出すことは可能だ。顔もスタイルも年齢の頃合いも、衣装も。好みの声をアテることもできれば、AIソフトを使って性格を付与することもできる。自分の理想の女性を、文字通り自分のものだけにすることができる。
その架空の画面上の存在がこちらに、能動的にコミュニケーションをとってくる事も、今ではさして驚くほどのことではないのだが、確実に向こう側からみられているということは衝撃だった。
しかし、そのテクノロジーを凌駕すべく朱莉の原初的な本能の迸りは止められなかった。
周防朱莉二十四歳、最低女ランキング暫定二位をゲット。
「は、はは、三塚……なにこれ……ははははははははははっ……いーよ、わかってくれたなら……うん」壁面ディスプレイに蹴り足が出そうになったところを、後ろから八代に羽交い締めにされる。
「八代ぉ、はなせっ! くそ!」
三塚はその朱莉の激情にはまるで動じず、「ミサキちゃんはね、こうして僕からの情報を蓄積して、学習してゆくAIなんだよ。周防や八代、美術部のみんなの事もミサキちゃんはちゃんと知ってるんだ」
「ほう! ほおぉ! それは……あんたの主観的情報だよな!」
「限りなく客観的な主観的情報といって欲しいな。僕ほど他人と利害関係を結ばず客観的立場に立てる人間はそういないと思うけどね。利害を有せず、感情に左右されたわけでなく、社会的立場に制限されるわけでなく、僕は見たまま感じたままをミサキちゃんに伝えているんだ」
彼女はまだ子供のようなものだから、周防も仲良くなってどんどん話しかけてあげて欲しい、と、まるで親のような慈愛に満ちたまなざしで、朱莉の事を見つめるものだから余計にムカついた。
「――――殺す……てめっ、AIに何仕込んでんだっ、ゴルァ! 研二おにいちゃんだとぉ? こんな薄っぺらい奴と楽しくやれるかぁあああ!」
とりあえず三塚が泡を吹くまで首を絞めたところで、再び八代に羽交い締めにされた。




