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第十一話 マジ惚れちまったぜ 3

 朱莉の実家のある与鶴市は笠鷺市の隣町なのだが、路線は市の中心部に位置する笠鷺八幡宮駅から南へ抜け、海岸線を大きく迂回して志賀崎駅を経由して与鶴市へとアクセスしている。


 これは、鉄道敷設の際に山に囲まれた笠鷺市の地理的要因があり、最短距離で直通させるにはトンネルを掘る必要性があったのだが、岩盤が堅いこの地域はコストの面で、海に面した迂回路を取った方が安く上がったのだという。


 こういった事情から、笠鷺市には北部の笠鷺八幡宮駅と南部の志賀崎駅の、二つの駅が出来ることになったのだが、奇しくもそれまで単なる漁村だった志賀崎の街は利便性の高い住宅街となり、志賀崎海岸に向かう海水浴客や、マリンパーク目当ての観光客でにぎわう地域となった。


 その海沿いの路線の景色を眺めながらタケルは他人事のように言った。


「へぇ、僕の代わりにそんな奴がいるのか、あそこには」


「そうそう、今じゃさらに巨大化してるかもしんないけどさ、碌でもない奴よ。でもさ、なんであんたはあそこに入らなかったの?」


「ぎゃくに、なんで僕があそこに入らなきゃいけないんだよ。人が勝手に作った力場にそもそも僕は憑く理由がないし、頼まれたって行かないよ」


 なるほど、確かにタケルの言うことは正論だった。


 人間の都合で作った社殿に、人間都合で地霊を鎮めるとしてみたり、魂を入れたり抜いたり移したり、または複数の御柱を一か所で合祀するなど、さも看板を書き換えるような簡素な儀式が儀礼的に行われているが、字面としては"偽式" と書いた方がふさわしいと思えるような行いであろう。


 一般的に人は、墳墓や祭壇などを見れば、そこに霊がいると解釈するものであるが、まともに死去した人間の霊は、天上霊界に昇天するため、地上圏にはとどまっていない。もしも留まっているとすればそれは地縛霊であり、霊能界においては地に根を下ろす地霊も山神も地縛霊として取り扱われている。無論そこにタケルも分類される。


 神を地縛霊扱いするなど不遜に感じるかもしれないが、神とて霊のひとつであり、それを神と呼ぶのは地に生きる人の勝手な呼称である。


 タケルという古代の人物が死に、意識体となり、時を経て地に根を下し樋井之尊という霊体として崇められ、樋井山という霊山になり、のちに人の手により合祀され、すなわち樋井大明神と呼ばれる。この一連の経緯に鑑みても、地上の神が神として在るのは人の認識上でしかないということなのだ。


(じゃあ、タケル君が人間の実体を持っているのはなんでなんですか?)ミケランジェロを入れたキャリーバッグを提げるタケルの懐から、ひょいと顔を出したトーコが言う。


「そりゃあ、僕は樋井山を力場として信仰を集めてきた時間と規模が、その辺の地霊とは段違いだからね。人間の物理身体一つを構築するくらいどうってことないよ」


「むぅ、そうやって聞くとタケルってすごいんだね、山一つが動いてるって感じね?」


「……姉ちゃん、霊感応力者ならもう少しましな表現無いのかよ……ま、どういう解釈でもいいけどさ」

 

 与鶴市は笠鷺市と同規模の街で、それなりに繁華街もビルもある。朱莉が生まれ育ったのはそんな中心地の袂の下町である。年末の喧騒は与鶴市の駅前でもそう変わらず、賑わいを見せていた。


「たーだーいまー」と朱莉はタケルとトーコ、それにミケランジェロという家族を引き連れて、しばし一晩限りの帰省を果たす。


「母さん、紹介するわ。こっちが――」そう言いかけた朱莉を遮るかのように、一行を出迎えた朱莉の母親は笑顔で各々の存在を見てとり、人差し指を立て選るように振ると「――ええと、タケル君にトーコちゃん! ……でミケランジェロは半年ぶりねぇ、鞠さんもいるんでしょ、いきなりの大所帯よねぇ。さ、あがってあがって」という。


 一般人の目には朱莉と人形を抱えたタケルが玄関に佇んでいるようにしか見えないだろうが、この母親の目には全てが見えているのだ。紹介するまでもなかった。


 ぱたぱたとリビングへと戻ってゆく母親の背を認めながら、朱莉はため息を一つ。


 すると靴を脱ぎ、框に足をかけたタケルが一瞬立ち止まり、怪訝な顔で天井を見上げる。


「なに、どうかした?」

「姉ちゃん、この家ってさ――」


「あん? うちの家がどうかした?」

「言いにくいんだけどさ、すんげえ悪霊住んでるじゃん、なにこれ平気なの?」タケルは声を潜めて告げる。


 兄の伊智郎のことだろうか。タケルが危惧するほどだとは思わなかったが、確かに悪霊には違いない。出来れば紹介したくない。ここはタケルの力を借りて分解してもらうのも一つの手段かと考える。


「そ、そうなの……長年私たち家族はあの悪霊に悩まされてきたのよ」

「だったらなんでこんな家に住んでるんだよ」

「ま、実害がないというか……いや、あるにはるんだけど、まあなんつーの?」

「ええ? この念度で実害ないって? まさか……」


 その言葉に気を取られていると、階段を駆け降り飛び込んでくる霊体一つ。(わお! あかりん! おかえりぃいいい! ――――ぶほぉ)


 朱莉の身体に触れかけた瞬間、肉ダルマのような霊体は吹き飛んでゆく。


 先日麻邦に教えてもらった、片手で手印を結んで霊を払う、簡単な攻法印が早速役に立った。しかしタケルは虚空を見つめたままだ。


「……え、こっちじゃないわけ?」また一回りデカく醜悪になったニート霊体、伊智郎を指さして問うと、タケルは「こっちって何?」と迷惑そうな顔を向ける。


 タケルが危惧するほどの悪霊がいるなら朱莉が感じてもおかしくはなかったが、特に何も感じなかった。


「……何が、いるのよ……」自分が感知できない悪霊という存在に、さすがに悪寒がした。高度な霊感応力者が感知できないという事は、相手がそれ以上に高位で強力であるという事だからだ。


「――――行ったよ、消えた。通りすがりみたいだね。僕やトーコちゃんの念波に引き寄せられたのかもしれない」深いため息をつき、視線を戻してタケルが言う。


 もう夜も遅かったが、リビングには御馳走が用意してあり、歓迎ムード満点で酔っ払った父が座っていた。


「やあ、いらっしゃい、どうぞこっちに座って。今日はゆっくりしていって」


(やあやあ、お父上、しばらくぶりでございますな。こたび発売された新味のキャラットグルメ缶を楽しみにして参ったのでございますが、首尾はどうですかな?)とひょこひょことキャリーバッグから抜け出して、父の膝にすり寄ってゆくミケランジェロ。トーコは床に降りて、(お初にお目にかかります。勤労が大好きで普段何も出来ないシュリ様に代わり、掃除洗濯炊事、その他もろもろ身の回り一切合切のお世話をさせていただいています、トーコです)三つ指をついて挨拶をしている。


「あの、初めまして、僕はタケルです。何の能力もない姉ちゃんに居候だっていう理由だけでこき使われてますけど、一応これでも神です」


 鍋を抱えてきた母はトーコとタケルの様子を見て嬉しそうに、「まあまあ、二人とも若いのに行儀のいいこと」とほほ笑む。


 どこがだ! しれっと自己紹介に混ぜてあたしのことディスってるじゃねーか、と朱莉は思ったが、藪蛇になるといけないので、我慢して黙っておいた。


「おお、君がタケル君か! うむ、朱莉をよろしく頼むぞ!」と父はタケルの肩をバンバンと叩く。


「父さん! 完全出来上がっちゃってるじゃん、何がよろしくなのよ……」


「ふわぁっはっは! まあ細かいことはよいじゃないか。さ、朱莉も呑め! タケル君はどうだ? いけるクチか?」


 ビールを勧めてくる父にグラスを差し出しながら、タケルは成人と言えるのかどうかを考えていた。すると向かい側の席で鼻息を荒くしている男が一人いることに気づく。


 その男、周防伊智郎の視線はまっすぐにトーコの方を向いており、やや上気した顔はだらしなく歪んでいる。


「お兄ちゃん、言っとくけどトーコに触れるの禁止」

(びくっ! っえええええ! なんで?)

「なんでじゃねぇよ、触るつもりだったのか!」

(いいじゃん! ちょっとくらい! 掌でなぜるだけだから!)

「だめだっつーの! それ痴漢で捕まる奴だからな!」


 トーコは周防兄妹のやり取りを見て、(あっはははは、いいですよ、わたしは。ただ、触ることが出来るなら、の話ですけどね!)と手の指を誘うように動かした。


「ちょっと、トーコ! そういう、気を持たせるようなこと言わない! この変態が調子乗るでしょ」


(やったー、じゃあ早速ちょっとだけ触らしてぇ……)と伊智郎がこれ以上とない程鼻の下を伸ばしながら腕を伸ばし、トーコの頭に触れようとした。しかし次の瞬間、ザザッというノイズのような音ともに伊智郎の姿が消えた。


「いわんこっちゃない……トーコ、何したのよ?」


(伊智郎さんの式から、素枢をひとつ抜き取りましたーあははははははははは!)トーコは狂気の表情を浮かべて不気味に笑い、抜き取った素枢とやらの光点を汚いものかのように指ではじいた。よほどに伊智郎に触られるのが嫌だったのだろう。


 トーコは志乃さまの体を得てから、この数カ月で恐ろしく成長していた。と言っても身長や体重のことではない。さっきのように他人の式を読み、それを無作為に弄るなどは朝飯前で、式そのものの簡単な組み換え組直し程度なら時間をかければできるようになっていた。それら初歩の韻枢術も朱莉と同様、麻邦に教えてもらったものだという。


 いつか役に立つ時が来るかもしれない、というトーコが、彼女の家族を殺害した何者かと対峙する時のことを言っていることは容易に想像できる。タケルの代わりにあの部屋で新たな山神としてこの地を統べようとしたのも、全ては復讐という二文字のためだ。


 霊的存在となった者が復讐を想うなど、カルマを募らせるだけだと鞠から説明を受けていたし、彼女もそれを理解はしていたが、心はまだ人のままだ。無理もない。


「へえ、トーコちゃんは韻枢師になるのかぁ」


(ええ、まだまだ駆け出しなんですけどね。お父様もお母様も霊感応力者とお聞きしていますが――)


 トーコと父親はあっという間に意気投合し、話が盛り上がり始めている。いらないことは話すな、と酔った父に向って念じつつ、グラスのビールをちびちびと飲む朱莉だった。



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