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第十一話 マジ惚れちまったぜ 2

 霊感応力に目覚めた十四歳の年の大晦日。朱莉は漫研の部員と連れ立って初詣のお参りに来ていた。


 鞠からは(ロクでもないところだからあまりお勧めはしないわよ)と言われていた。ロクでもない場所というのは、この神社のことであった。


「なんで神社がロクでもないところなのよ、神様がいる場所なんでしょ! 神聖な場所で、おめでたい場所でしょ? やっぱり鞠さんって悪霊かなんかなんじゃないの?」


(はぁ、朱莉ちゃんのそういう考えがおめでたいわよ。いい、いい、もう説明するより手っ取り早いし、行ってくれば解るわ。いってらっしゃーいなー、あでゅー)


「む! いわれなくてもそうしますし、友達と行くって約束だしー、あでぃおーす!」


 朱莉はこの頃まだ、それほどうまく念話が扱えなかったせいで、鞠とのほとんどの会話は実話で行っていた。


 まるでこれから互いに別行動をとるかのような応酬であったが、守護霊と守護対象者が離れることは原則的にない。


「いい? 友達といる時は話しかけないでよ? ややこしいから!」


(はいはい、わかりました。私はおとなしくしときます)


 与鶴市駅で待ち合わせて、そこから部員全員で笠鷺八幡宮駅へと向かう。こんな夜から外を出歩けるのは大晦日の今夜くらいだから、皆どこか胸を躍らせている。


 霊感応力に目覚めてから三か月が経っていた。その間にも様々なものが朱莉の目に飛び込んできては消えていった。自衛の手段を持たないため妙な霊があちこちから寄ってきたりするのがうるさくて仕方がなかったが、それも無視して常に平常心でいることを心がけていればやり過ごせることに気付いた。


 それは朝子との一件で得た、互いを認める気持ちの気付きもあってのことだ。


 今までなんとなくギスギスして、一緒に居づらかった漫研部員たちとも、何とか朝子のとり持ちもあり、こうして初詣に連れ立ってるのだ。


 雑多な人々が、いろんな思いを携えながら行き交うこんな日は雑念が多く、耳にはうるさいものであったが、それを気にしないでいられる程、心は安らかに保てていた。


「毎年のことだけど、すっごい人だなぁ」


「へぇ、シュリは毎年来てるんだ?」朝子は物珍しそうにあたりを見回している。


「へっ? アリアは?」


「うち、クリスチャンなのよね……あ、でも、そんなにうるさく言われてるわけじゃないから、宗旨っていうか……あ、こういうのは文化だし、イベントってか……つかこういう人の多いところでその呼び方――」


「つーかさ、初詣自体初めてなんでしょ、たのしみなよアリア!」西村が朝子の背中を勢い良く叩く。


「ん、まあ、そうなんだけど……」


 やや気遅れ気味の朝子であったが、いったん人混みに紛れてしまえば無邪気なものであった。


 境内へ向かうまでの参道は両端に屋台が立ち並び、香しい匂いと楽し気な空気が漂ってきている。視界に飛び込んでくる、リンゴ飴や綿菓子、お好み焼き、焼きそば、かき氷、飴細工、色とりどりの風船、きらびやかな照明、一年を終えた人々の笑顔と一処へと流れてゆく雑踏。


 鞠がずいぶんと神社に行くことを否定的に言っていたが、朱莉の目には以前と何も変わらないように映っていた。


「むっぎゅううう!」


「なっ、なにこれ、なんなの! 足が勝手に進むー」


 初めて初詣にきた朝子が、驚愕の声を上げるのも仕方がない。八幡宮は鳥居をくぐったあたりから急激に人の密度が増す。


「これこれ! いつものこれがないと、大晦日って気がしないよねぇ!」


 西村がぽっちゃりした体をよじりながら、きゃっきゃとうれしそうに言う。


「だいたい、初詣って言うなら、今日じゃなくて明日でしょ!」


 朝子が負けじと叫ぶ。


「最近の神様ってのはきっと寛容なのよ、遅刻よりはいいじゃない!」


 などと朱莉たちははしゃぎながら、すし詰め状態のまま参道から境内、そして拝殿前へと、ほとんど自分の意志と関係なく歩かされる。


 この様相、神社本来の有難味もなにもあったものではない。


 本殿前の広いスペースでは皆が身動きの取れない状態のままオーバースローで、手に握りしめた賽銭を投げつけていた。もはやそれが賽銭箱まで届いているのかどうかすら、投げた本人にもわからない有様であった。


 県下でも有数の美しさを誇る社殿はライトアップがなされ、普段よりも美麗に映っていた。その拝殿へと向けて皆が手を合わせ願い事を奉じる。この大質量で高密度の想念を一手に引き受けているのが樋井八幡大明神である。


 今まで神様などいるとも思っていなかったし、見えるものかどうかなんて、考えたこともなかった。ただ神社はお参りをするところであり、神聖な場所であるから、境内ではしきたりを守って厳かにふるまうのだと、慣習として倣ってきた。何かが祀られているということは知っていても、それがどこの誰なのかまでを考えたことすらなかった。


 今の自分には霊感応力がある。


 ならば、もしかすると神の姿も見えるのではないか、と朱莉は手を合わせながら考えた。


 なんとなく、神様の姿は平安時代の貴族のような姿を思い浮かべていた。


 拝殿の向こう側、幣殿のその奥に本殿がある。朱莉のいる場所からはそれらしきものがかろうじて見える程度だったが、意識を集中して本殿の中心を見つめる。


 奥の観音扉のようなもの――それが開いたかのように見えた。


 黒い何かがそこから這い出して来るように見えた。


 神様の姿が自分には見えている――そのことが朱莉を興奮させた。


 だが次の瞬間その昂ぶりは驚愕へと変化する。


 真っ黒の雄牛だ。正確には“雄牛のような何か”は悪魔のような角をはやし、下品な口元からは涎をたらし、金銀の宝飾を纏った身体は三メートルを優に超すだろうか、その体躯には一対の蹄を持つ脚と二対の腕。それらを不気味に這わせながら幣殿を潜り抜けて、拝殿へと姿を現す。


 その主の登場とともに、何処からともなく現れ周囲にまとわりつくのは天女のような薄い羽衣一枚を身にまとった裸体の女たちと、カエルのような寸胴で首のない緑の妖怪が、むくむくと地面から這い出してきている。


(ななななな……なんじゃ、こりゃ)かろうじて口に出さず驚いたが、開いた口をふさぐことが出来なかった。


 雄牛の化け物は投げ込まれる賽銭に歓喜し、四本の腕を大きく広げて、ぶるると鼻を鳴らす。拝殿へと上がり込み、胡坐をかいたその股間には目を逸らしたくなるような奇怪で淫猥な物体がそそり立っており、幾人もの裸体の女たちは、それを奪い合うように雄牛の身体にすり寄って抱きついて、煽情的に絡み合っている。


 いつしか拝殿の前にまで歩み寄っていた。雄牛のなりに意思気を奪われぼんやりしているしりているうちに、人に押されて移動していたのだ。


 そこで朱莉は雄牛と視線を合わせてしまう。


 雄牛は朱莉を認めると口元をゆがめ、首をのばし覗き込んでくる。


 朱莉は驚きのあまりに声を出すことも、目を逸らすこともできず佇立していた。


(わしのぉことがぁ、みえるんか……おなごよ、んぁ?)


 生暖かい息が顔に触れるように感じて、身体を逸らすも、後ろから参拝客が押し寄せてきて身動きが取れない。


 次に雄牛は腕をのばし、長い指に生えた爪の先で、朱莉の鼻先から喉元、胸をたどりながら(しょじょかのぉ、しょじょじゃろうのう? むぅふぅ)と溜めた息を、厭らしく吐く。


 全身の産毛が逆立つとはまさにこのことを言うのだろう。朱莉は気を失いそうになりながらも懸命に身を引く。


 雄牛は垂れた涎をすすり、舌なめずりをはじめる。


 食われる――反射的にそう思った。


「ひっ、ええええええ!」


(朱莉ちゃん! 意識を閉じて!)鞠の声が後頭部に響く。


 同時に目の前で何かが爆ぜたように感じた。それは朱莉の幻覚だった。実際は社殿を照らしていた照明が一斉に切れたのだ。


 突然訪れた暗闇に人々は視界を奪われ、どよめきが周囲を支配する。


 そんな中、朱莉はよくわからない力に襟を掴まれ、雑踏の中へと引き込まれた。ぎゅうぎゅう詰めの人の間を無理やり引きずり回され、押しつぶされそうになりながら人々の悲鳴と怒号の中を泳いだ。


 拝殿前から離れたところで、ようやく体の自由を取り戻した朱莉は、荒い息とともに、冷や汗がにじむ額をぬぐい、全身の痛みをこらえながらへたり込んだ。這う這うの体で鳥居によりかかり、照明の戻った先ほどの拝殿を振り返る。ところがそこには、最初に見た時と同じように、人々が懸命になって賽銭を投げつけている様子があるだけだった。


(あれは、なに……? なんだったの?)心せず心中で呟いていた。


(ねぇ? だから言ったでしょ、こんなところに喜んで来るもんじゃないって)


「鞠さん?」


(あいつはね、この神社に巣くってる地霊よ。神のふりをして本殿に居座ってるの。たかだか三百年にも満たない霊齢りょうれいの浅い物の怪だけど、随分立派に育っちゃったわね。それも醜悪な姿に……)


「じゃああいつは神様じゃないの? 本当の神様は何処に居るの?」


(朱莉ちゃんのいう神様ってのは、樋井大明神のことかしら? あのね、ここ百年くらいの間に建立、または再建された多くの神社仏閣というものはね、地域の小規模な社殿や、地の宗教的モニュメントを、一か所で強引に合祀させたものがほとんどなのよ。だから神社には神様なんてほぼいないのよ)


 鞠のいうそれは、地域信仰や民俗慣習を無視した、日本が開国し、世界と対峙する国家となるために行われた、かつての愚策のなれの果てであった。


 日本古来の土着宗教は、さまざまな文化を取り入れる中で変質変容を繰り返してきており、そもそも日本の神に系統というものを当てはめることはできないほど、この国の民は雑多な神を信仰対象としてきた。所謂八百万の神と呼ばれている神々である。


これらを明治政府は整理し大系づけ、一つの宗廟の下で人心を統合する目的のために『神社合祀政策』を行った。これは人々の信仰心を利用した国家政策である。海のものとも山のものとも知れぬ神を廃絶し、国家が後ろ盾とする神道、すなわち国家神道への帰属心を植え付けることを目的とし、当時の列強欧米と比肩するための国家基盤の構築が目論みにあった。


 何でもかんでもを新設、もしくは既存の有力な社殿へと合祀する様は、当時『稲八金天神社』と揶揄され、少なからず地域信仰を守ってきた周辺住民からの強い反発はあった。後年になりこの政策は高名な民俗学者の働きかけにより引き下げられはしたが、この間に取り壊された無数の社殿や祠は元に戻ることはなく、少数の民らが脈々と継いできた地域習俗も、集落の解散と共に同時に失われた。


(人の気持ちが集まるところに金剛要礎ってのが練りあがるのよ。形になって見えている神社仏閣はそれが具現化したものと考えればいいわ。念の置き所である念力場とその場に向けられる指向性想念、ここに核となる霊の類があれば、念数や念度によって神様らしきものなんかちょろっと出来ちゃうわけ。そもそも地上にいる神なんてのは、ほとんどが霊体や意識体、雑霊の類が、地の気や人の想念にてられて、力をつけて神のようにふるまうことが出来るようになった者ばかりで、いわば妖怪変化の一種なのよ)


 朱莉は鞠の言っていることの半分も理解できなかったが、ここに来る意味のなさはよく解った。


 そしてなによりもショックだった。皆何も知らずに神社には神がいるものだと思い込んで、あの醜悪で猥雑な雄牛の化け物に願いを奉じていることが。


(もっとも、あのクラスの地霊でも視えちゃうなんて朱莉ちゃん、やっぱりすごいわね)と鞠は付け加えるが、これに関して褒められてもうれしくはなかった。それに、視える視えないで言えば、朱莉がいくら頑張っても視えない鞠は、それよりも上位にいるということになる。


 失意のまま境内からふらふらと出てから、朝子や西村や一緒に居た他の部員の子たちの姿がない事に気づいた。ちょうど時刻は零時をむかえたところで、電話をしようにも回線がパンク状態でつながらなかった。皆が新年を迎えると同時に『あけましておめでとう』のコールやメッセージを一斉に送信するためだ。


 仕方がないと、回線状態が戻るまでしばらく待つことにし、気晴らしにさっき見たリンゴ飴でも買おうと、参道に降りて夜店をふらふらと目指した。





「あーっ、カブラ見つけた!」独りで参道を歩いていると、どこからか声がした。あたりを見回してみれば漫研部の部員が三人、朱莉を指さしてこちらに向かってきている。


 誰とでも仲のいい西村や朝子からはシュリと呼ばれているが、彼女らから朱莉は“カブラ”と呼ばれていた。昨秋のコンクールの際、彼女らと揉めた禍根もあり、若干の揶揄が入り混じっていることは理解している。壁がないと言えば嘘になるし、彼女らが好きかと問われればノーだ。


「朝子は? 一緒じゃないの?」その問いかけに朱莉は頭を振る。まださっきの拝殿での光景が頭から離れず、ぼんやりしていた。


「朝子はこういうところ初めてなんだから、カブラがはぐれてどうすんのよ」


 また“朝子様”だ。あんたたちだって逸れたんだろうが、と心中で詰るが、三対一では言いあうだけ無駄だと思った。


「――西村がついてるから大丈夫だよ、たぶん」


「たぶん、って!」


 ヒステリックになっている彼女らに、気づかれない程のため息をつく。言いあう気力が残ってない。


 彼女たちの頭のあたりを見ると、うじゃうじゃと虫のような霊がたかっている。ムカデのような多足類から節足類、ナメクジかヒルのような脚のないものまで。それらを単純にひとまとめにするのは乱暴だが、朱莉の中では総じて『ムシ』と呼んでいた。


 ネガティブな波動を発している人には、まずこういった雑霊の類が寄ってくる。汗臭い体に蚊が寄ってくるのに似ていると言えば似ているだろう。これがさらに陰念・・を強めると、本格的な浮遊霊に付きまとわれる。さらに地縛霊の念力場に触れるなどすればたちまち憑かれてしまう。


 現在精神疾患と呼ばれるものの原因は、脳機能の不全だとされているが、実はそれは結果として目に見える形であり、本当の原因は悪霊による影響がほとんどなのだという。


 こういう事を知ってから、彼女らに対してあまり腹が立たなくなったというのもあるが、余計に懇意にしたくなくなった。


 電話をかけ始める彼女を横目に、自分は何処に行くのも誰と会うのにも、いつも恐る恐る裏側を見続けなければいけないのかと思うと気が滅入った。



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