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第十一話 マジ惚れちまったぜ 1

「もおぉお! なんでよりにもよってぇええ! 二、三日がんばれよぉお」


「ははっ、葬儀屋あるある、やな。ウチらは三六五日、二四時間年中無休、盆も正月もないねんや」飛騨の表情には感情というものが一切乗っておらず、落ち着いたものである。


 形ばかりではあるが、大晦日の大掃除途中で遺体搬送の依頼が入ったのである。


 年末年始の葬儀というものは大抵二十九日までは通常対応で、三十日に葬儀を終える。今日のように大晦日に死去した場合、火葬場が閉まる元旦は通夜、二日に告別式というのが最短のプランとなる。


「まあまあ、あんたは実家近いんやし、今晩はゆっくりできるやん。実家帰るんやろ? とりあえず遺体の受け入れ終わったらあがってええよ。ウチは安置の作業あるから、もちょっと残るけど」


「んんんーもうっ、つきあいますよ。急いて帰る用事があるわけでもないし……」


 朱莉にとっては初めてのことだったが、飛騨に言わせると病院でも、年末年始にかけて安定していた患者の容体が急激に変化して、死去することはよくあるという。これも患者が無意識に受け取っている“年内”や“新年”といった節目効果だろうかとは思う。


 ただただ生きたいと思ってばかりの人間が、病床で臥しているわけではない。中には家族に負担をかけて申し訳ない、かといって自力で命を絶つこともできない、その不甲斐なさに、密やかに心を痛めている患者も少なくはないのだという。


「今年いっぱいで、来年はない。自分には未来はないってさ、じゃあ今月いっぱいでもういいか、って思ってまう。気力の切れ目っていうかね、諦めるタイミングにはちょうどいいんやろうね。そういう人って割にキリのええとこでご臨終されるねん」


 そういえば、クリスマス前に死去した茂木寛治もそのようなことを言っていた。霊感応力を持たない飛騨でも、現場の感性的経験から死への意識というものの本質を肌で感じ取っていたのだなと思う。


 そういった“死を覚悟した”故人の意識体が残念することは稀で、昇天するのも比較的早い傾向にある。ある意味臨終前から意識的には死んでいると言ってもいいだろう。


 ストレッチャーに載せられた遺体が、職員の手に押されてエントランスから入ってくる。その傍らにはもれなく家族のものと共に、故人の意識体が寄り添っている。


 このあと、親族と打ち合わせの上、遺体はひとまず保冷処理を施され安置室に保管されることになる。一日とはいえ、家族としてはやきもきする時間帯ではあるかもしれないが、同時にこの空白時間が心の平静を取り戻し、落ち着いて葬儀に向き合えるという話もある。


 葬儀屋に休みはないと解っていても、それでも気持ちとしては、何事もなく平穏に正月気分を味わいたいと朱莉は思っていた。


「ウチはどうせ一人もんやし、別に正月とか関係ないしな。ま、今晩だけやけどせいぜい親孝行してきぃや」


 朱莉と飛騨は自宅が職場近くで独身という事もあり、帰郷し家族で過ごす職員に、優先的に休日を譲ることにしていた。正月に予定を入れていたわけではなかったが、葬儀の依頼が来なければ、待機という名目で休暇状態になるはずだった。

 

「飛騨さんは実家に帰ったりはしないんですか?」


「ええ? そんなもんわざわざラッシュにもまれて、面白くもない実家なんかに帰るかいな。ウチは振替で後から休み貰って、ゆっくり温泉にでも行くわ。せやからなんも気にせんと帰れるときには帰りや」結局飛騨が最後まで残り、朱莉は館長の如月と一緒に退社する運びとなった。


 職場からの帰り道、途中まで一緒だった如月の背中に、よろしくお願いします、と控えめな声が飛び込んできて、振り返った朱莉が手元に差し出された一枚のビラを受け取った。


「なにこれ? ええと……通り魔殺人……」


 歩道上に設置した立て看板の前で、大晦日には似つかわしくない深刻な顔をした中年の男女が、街行く人々にビラを撒いている。以前にこのあたりで起きた、通り魔殺人の情報提供を呼び掛けているらしい。

 ああ、と如月はビラに書かれた内容を覗き見て顔を上げ、周囲を見渡すとため息のような白いものを虚空に吐いた。


「随分前の大晦日の夜に、初詣に来てた若い子が背中を刺されて殺された事件があってね。僕がまだ天華会館に入りたての頃、最初に携わった葬儀だから覚えてるよ」


「へぇえ――たしかに年末って何かと物騒ですもんね」


「犯人まだ捕まってなかったかぁ……」と如月が言うように、地元民といえど当事者ではない一般人からすれば、事件のその後の経過や顛末に興味を寄せることは意外とないものだ。


 時効の成立しない殺人事件は、永久的に警察も捜査を続けると表向きは主張しているが、現実的には時が経つほどに当時の情報量が逓減してゆき、捜査は難しくなってゆく。


 だからこそこのように、遺族自らの手によって事件風化を防ぐ活動を続けるしかないのだが、過去の話だと人々の意識も散逸し、あいまいな証言を重ねることを避けるあまり口を閉ざす傾向になる。


「かなり時間の経ってる事件ですしね、なかなか難しいでしょうね」


「でも、こういう特定の日の未解決事件ってのは、人の記憶にも残りやすい。だから当時現れなかった目撃者が名乗り出てきて新たな証言が得られる可能性もあるもんなんだ。事件当時ってのはさ、現場ともども混乱していて、意外に的を得た証言が届きにくいこともあるって聞いたことはある」


 如月の話になるほどと頷きながら、ビラの内容に視線をおとして朱莉は眉をひそめる。


 当時、被害者が刺された直後に、人混みをかき分けて走る犯人らしき人物を見たという、複数人の目撃者が居たそうだ。その情報を羅列している。公式なものではなく、家族がこうしてずっと長い間、地道に周辺で聞き取りを行った結果だという。


 A4の用紙に印刷された事件概要と簡素な絵と犯人の特徴などが書かれている。事件発生時刻及び、位置関係、大晦日の参道で起きた事件であり、その時の様子のあらましが真実かどうかの検証はもはや出来ない。被害者に話を訊くことが出来ればそれも可能だろうが。


「ご遺族も大変だなぁ。犯人が捕まるまでは心休まらんか……」


 生者は死者が辿るその後のメカニズムを知らない。故、被害者が死後に何を思いながら昇天して逝ったのかも知らない。


 生者と死者の境目を垣間見ることのできる朱莉は、人の死に対して冷淡にならざるを得ない。双方の間には埋めがたい温度差がある。それは生者が死後世界や霊的真理についてあまりに不勉強なためだ。


 先の守屋直樹とて、丸々一年、悶々とあの横断歩道で残念し続けたのだ。即死だった彼の場合、加害者に対する禍根は残らず、ただ美玲に対する遂げられなかった思いだけが際立って残念していた。死者もまた人間ではあるが、ただ時間的な感覚を生者と同じようには感じにくいというのが、おおよその傾向だ。


 ビラには強い文字で“何の罪もない若者が、突然背後から忍び寄る狂気に、人生を奪われる世の中であっていいはずがありません!”と書かれており、この不穏な世の中への警鐘を訴えかけている。


 人は罪を裁定する何者かによって、生死を左右されているわけではない。先の守屋直樹に罪があろうとなかろうと、死は訪れるのだ。それも予測もできず、ふと不意に。

 

 朱莉は人の死に触れるたび、こういった思考を表に出すのは良くないと感じて来た。言うまでもなく、それは朱莉もまた生者の一員であるからだ。真理を知っていたとてその理に全てを委ねるわけにはいかない。そうでなければ自分もまた生きてはゆけない、と感じる。


 如月と別れ、実家へと向かうために駅の方へと向かう。タケルにはトーコとミケランジェロもつれてくるように伝えておいた。この際だからうちの内情も実家に伝えておこうかと考えた結果だ。


 大晦日でにぎわう歩行者に解放された通りは、境内に向かう波の一方でなかなか歩みを思うように進められないでやきもきし始めていた。朱莉は初詣などという年中行事には全く参加する意義を感じていなかった。だからといって目の前に迫りくる人並みの人々を、どうこう沙汰するつもりも権利も有していない。


 それらの人々と真逆の視界の隅に、さらに時間が止まったような異質なものを感じた。誰だと考えるまでもない、ミノルである。いつもの交差点のガードレールに腰かけていた。


 こんな日だからという思いがあったことは確かだ、普段はありえないが朱莉はついつい自分からミノルに声をかけてしまう。


(なんだ、シュリさんか……)


(あんたはいつでも変わんないわね。そろそろ逝ったら? 今年ももう終わることだしさ)


(もう、俺の顔見るたびそれかよ。俺にはちゃんとやることあるんだよ)


 ミノルは言いながら視線を通りの人混みへと向け続けている。いつもとは少し違うように思える。


(何か探してる?)


(うん? ああ、まあな)


(あんたが残念してる原因か……聴いても無駄だとは思うけど、それを見つけてどうするつもり?)


(別に、どうもしねぇよ……)


(ふうん……なら構わないけどさっ)


 朱莉はミノルが視線を向けている人混みへと、目を向ける。ただただ、混雑した参道の風景だ。よくもまあこれだけ多くの人が同じ方向へと歩けるものだと思う。


 この先にある樋井八幡宮ひのいはちまんぐうは、緋埜伊之尊ひのいのみことが祀られているとされる神社で、この地域ではわりに大きく境内も整備されていることから、昔から初詣スポットとして定着している。


 ひとたび境内に入れば芋の子を洗う状態で、賽銭を投げお参りする際でも身動きが取れず、ろくろく手を合わすことも出来ないまま、挙句自分の意志とは無関係に足を出口へと運ばれる。見方を変えればちょっとしたアトラクションのようにも思える。


 それこそ中学の頃まで朱莉も、この樋井八幡宮に初詣と称して友達と誘い合い、大晦日の夜に繰り出していた。もちろん初詣などといっても人波にもまれるだけで、本命は堂々と夜遊びをすることである。


 だが、それも中二の冬にやめた。


 そもそも神社や寺に行くことをやめたのだ。


「ふう、ん……みんな、よく行くわ……」


(普通の人は何にも知らないんだから、仕方ないわよ)


「あたしだって、何も知らないでいたかったわ」


(へ? そうなの?)


「だってさ! みんな神社いってさ、絵馬に志望校の合格祈願とか書いてさ! 楽しくやってるじゃん」


(そんなのに頼らなくても志望校に合格したんだからいいじゃない)


「それは結果論よ。お願いすることに意義があるの。それとか恋が実るように恋愛成就祈ったりさ! いや、それより恋人同士ではぐれないように手を取り合って、人混みから彼氏の腕に守られながら、お互いのぬくもりを感じてみたりしてさ――ちょっとくっつきすぎてる? ん、でも仕方ないよね、この人混みだもん――なんてことぉだ、やってみたかった訳じゃない?」


(ああ、たしかに。少なくとも朱莉ちゃんに恋人はいなかったわよねぇ)


(へえ、シュリさん、意外に乙女だな)気づくと目の前でミノルが不思議そうな顔で朱莉のことを見つめていた。


「…………うっ、おぉお! このッ、ミノル! 盗み聞きかっ! 忘れろ、今聞いたことは忘れろ!」


(いや……さっきからひどい独り言なんだけど、大丈夫なのか?)


「うっ……うるさい、このチンピラ風情が!」


 そう叫んだ瞬間、目の前の恰幅のいい髭面男と目が合ってしまう。


「んぁあ? なんやねーちゃん、ワシがなんかしたか?」


「いっ、や! なんもしてまへん! あっはっは、人違いですやん! もお!」


 今時珍しい、とっくに行政に駆逐されたと思っていた人種が、ここには居た。祭りの屋台筋を仕切っているのは所謂的屋テキヤと呼ばれる一見人当たりのいいやんちゃなおじさんたちではあったが、怒らせると結構怖い人たちである。


 朱莉はそそくさと手刀を切って退散した。ミノルがその的屋のおっさんの隣であかんべーをして朱莉を見送っていた。


(だからその、どこでも念話と実話をちゃんと使い分けるようにしないと。いつまでたってもその癖治らないわねぇ)


(仕方ないでしょ、普通に聞こえるんだから!)


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