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11 羽田 稔 You Really Got Me

お待たせしました。二カ月ぶりの更新です。

 羽田稔はだみのるは車道の端のガードレールに腰かけ、両の掌の間でホットコーヒーの缶を転がし、初詣に向かう深夜の参道を見つめていた。


 真っ赤に染めた髪に、両耳につけた大量のピアス。龍の刺繍が入った青いスカジャン。どこからどう見てもワルにしか見えねぇな、と背後の店のショウウィンドウを振り向き覗き込みながら稔はほくそ笑む。


 今更世間体を気にするような人生じゃない。


 小学校の卒業式から帰ってきて、卒業証書を母親に見せようと、今か今かと待ちわびていた。だが夕方にはパートから帰ってくるはずの母親は、その晩帰ってこなかった。次の日も、その次の日もずっと家には戻ってこなかった。


 長距離トラックの運転手で、一度仕事に出ると一週間くらい戻らない父親とは、一言二言話すだけ。第一家に戻る時には大抵飲んでたので、会話どころではなかった。


 それでも家事をこなし、身の回りのことを整え、中学時代は友達もいたし、勉強にもついていった。だが、中学卒業の日、唯一の肉親である父親が事故で死んだ。財産と呼べるものは全て借金のかたに取られた。父親がどこの誰からどれだけ借りていたかなんて、稔にはわからなかった。


 それから稔は天涯孤独となり、職もなく家賃が払えず借家を追い出され、さらに自暴自棄となり非行の道をただひたすら突き進んだ。


 そんななりだから、すれ違う人は目をそらし避けてゆく。自分に関心がある者など、よからぬ思いを抱いている不機嫌な連中ばかりだ。一晩街を歩けば一度は必ず絡まれた。


 互いにやるかやられるかしかない。何の目的意識もなく、何の感情的指向もなく、立ちはだかる者を全て打ち倒していった。


 意味のない日常が淡々と流れていた。存在意義を考えるほどの材料がない。殴った拳と顔の数、肉を打つ衝撃と骨を砕く感触だけが全てだった。


 ところがある冬の夜、喧嘩に明け暮れていた稔に、今の雇い主の建設会社の社長が声をかけてきた。ゆくところがないならうちで働かないかと。


 全てを破壊しつくして何もなかった稔に、社長をはじめとし、その家族や社員たちは、稔にとても良く接してくれた。働いて初めて得る給料を手にチャーシュー麺を食べた。


 金を得て生活を作る。それはお前の人生を作るということだ。と社長は言う。全てを失ったように見えても、どこかにお前の居場所はある。一人ではない、とも。


 そこに居ることを許されたという事は、存在を認められることに等しいと知った。


 二年務めた建設会社の社長は、今も自分のことを可愛がってくれている。周りの一つ二つ年上の先輩たちに顎で使われながらも、面白おかしくやっている。あそこには自分の居場所がある。それはたぶん確かなことだ。だが、俺でなくてもよかったんじゃないだろうか、そう思うこともたびたびあった。


「カーノージョー、俺とお茶しねぇ? な? いいじゃん、ちょっとだけだからさ」


 泥にまみれた工事現場の傍らで、若い男がナンパにいそしんでいた。あんな風に誰彼となく声をかけて仮初の一夜を過ごすことに、どれほどの意味があるのだろうかとは思った。明日にはまた他人に戻る。また再び街で遭う事があっても意味の発生しない関係性。女を追いかける男の軽薄な足取りを横目に、稔は心の中で唾を吐く。


 半分土に埋もれて、人としてすら認識されない自分をひどく惨めに感じた。仕事だから仕方がない、生きてゆくためなんだから。そう頭で理解しようにも、華やかな世界への憧れと嫉妬はあった。


 クリスマスも過ぎた年末の夜半過ぎ、寒さにより体の冷えは極限に達していた。


「おい、稔。休憩だ、温けぇもんでも買って来い」と先輩から千円札を手渡される。使い走りはいつも稔の役目だ。


「はい!」と元気よく応え、穴ぐらから這い出し、近くのコンビニへと走る。


 買うものはだいたいいつも決まっている。人数分の肉まんとホットコーヒーだ。


 ところが困ったことが起きた。肉まんが値上がりしていて、一人分買えなかった。


 まあ、自分の分はなくてもいいか、と稔は思った。小腹がすいていたがあと数時間もすれば今日の作業は終わる。それまで我慢すればいいと。


 深夜のコンビニを出ると、また厳しい寒さが稔の全身を襲う。


「かぁあ、きっついなぁ……寒いは腹減ったわ……」と思いながら、現場へと戻ろうとしたとき、「ねぇキミ!」と女性の声に呼び止められる。


 振り向くとそこには一人の女性が立っていた。


 頭髪はブロンドかと見まごうような、長いライトブラウン系の美しい髪で、すらっと伸びた肢体とシンプルながらにもセクシーな、タイトワンピースにラフに羽織ったジャケットコート、整った顔立ちの中心を支配する瞳は、航路を見極めた航海士のように稔のことを見据えていた。


 コンビニで自分の後ろに並んでた女性だったかなと、首をかしげて彼女を見つめた。


 すると「これあげる」と、突然彼女が投げてよこした物体を、稔は地面すれすれでかろうじて受け取った。それは肉まんだ。


「えっ、と……なんで?」


「君の分が一つ足りないかと思って、さ。そゆこと――じゃあね!」


「なんで……?」何の理由も告げずそのまま去って行ってしまった彼女。水商売っぽい雰囲気はあった。歳は稔と同年代か少し上に見えた。知り合いでも何でもない、何処かで会った訳でもない。それになぜ一つ足りない事がわかったのか……。


「はは、そりゃあよう、観察眼ってやつだ。コーヒーが五本に、肉まん四つだろ? で、お前が出したのはポケットから出した裸の千円札が一枚だ。小銭の余分は持ってねぇってことだわな、買いたくても買えないことは判るんじゃねぇの?」


 先輩の推理に成程とは思った。でも、彼女は「君の分が一つ」と言った。どうして自分の分はなしでもいいかと考えたことが、彼女には判ったのだろうかと不思議に思った。


“彼女”にちゃんとお礼を言わなきゃなと、ただの肉まん一つの話ではあるが、何も言えずに受け取っただけの自分にもやもやしていた。そしてそれはやがて彼女ともう一度会いたい、という火にかけた鍋の湯のような思いとなって、ふつふつと沸き上がってゆく。


 それから数日、この現場作業は続き、無事今年最後の仕事を収め、会社の忘年会が終わった後に、改めて彼女を探すことにした。新年を数分後に控えた大晦日の夜だった。




 冬の夜、街が最もきらめく夜。


 イルミネーションに縁どられた街に、歳末を迎えた朗らかな人々のやりとり。八幡宮のある笠鷺市の最も盛り上がる夜だった。


三軒目に行くという酩酊した先輩たちと別れ、駅とは逆方向の人のごみへと歩みを進める。屋台が並び、人々の笑顔がそこここではじけている。老人も若者も、家族連れも、まるでここ笠鷺市周辺の人々が一斉に集まってきたかのような賑わいだ。


 笠鷺市の誇る『樋井八幡宮』は、大みそかの夜ともなれば、多くの参拝客でにぎわう。その中で人を探すなど現実でない事は百も承知だったが、彼女のあの美しいブロンドのような髪。稔は遠くからでも見まごうことはない自信があった。


 夜店が立ち並ぶ大通りを人をかき分け進む。しかし通りは歩行者に解放されており、大海のような人混みの中で稔はもまれ、這う這うの体で道の脇のガードレールまで逃げてきた。「まったく、とんでもねぇ人だな。こんだけの人間に慕われてる神様ってのも、逆に大変だな」


 ふと稔は、右手にきらめくショッピングモール前に立てられた、巨大なモニュメントに目を奪われた。辺りはもうすっかり夜なのに、装飾されたイルミネーションによって、まるで昼間のように明るかった。

こんなものをいつか見たことがある。視界ににじんで満ちてゆく無数の光の粒。


 いつだっただろう、もうはるか昔のことのように思える。


 首をいっぱいに逸らさなければ天辺まで見えないような、あれは巨大なクリスマスツリーだっただろうか、あるいはどこかのアミューズメントパークのモニュメントか。その光に照らされて稔は笑っていた。両手を握るそれぞれの手があった。


 あれに似た光の中に、"彼女"がいた。


稔の視線のずっと先を足早に通り過ぎてゆく彼女。ふわっと浮いた髪がイルミネーションに映えて、一瞬金色に輝いたように見えた。


 ドクン、と胸の奥が大きな鼓動を打つ。それと同時に稔の足は彼女の背中を追っていた。彼女がこの時間に、ここに来ることを知っていたわけではない。ただ、なんとなく、今日ここに来れば彼女に会えるような気がしたのだ。


 そして、もし、会えたなら。


 あの時のお礼と一緒に、自分の思いのたけを伝えようと考えていた。


 ただ伝えることが出来ればいい。ただ、自分がいること、生きていること、それだけを知ってもらえればよかった。彼女に存在を知ってもらう事ができれば、それだけで、今までの落ち着かないゆらゆらした気持ちが吹っ切れると思った。


 人混みに埋もれてしまいそうな彼女のライトブラウンの頭髪は、イルミネーションに反射して金色に輝く。それを見失わないように懸命に追いかけた。人違いなんかじゃない。きっと彼女だ。


 彼女の背中まであと一メートル。手を伸ばせば届きそうな距離だった。


 何かを察したのか、彼女はゆっくりと振り向きかけた。


 彼女が稔のことを視界にとらえる瞬間、「あのっ」と呼び留めようとした瞬間、稔の目は彼女の背後に忍び寄る影を見た。


 目深に軍ものジャケットのフードを被り、口元に嫌らしい笑みを浮かべた髭面。その手はポケットに突っ込まれていたが、抜きだしたそこには、光る金属製の何か。


 ドンと背中に衝撃が走った。彼女をかばうようにして、自らの身体を男と彼女の間に滑り込ませた稔は、「きゃ」と呻いた彼女が無事だという事に、まず安堵した。だがその直後猛烈な痛みが稔を襲った。

あっという間に倒れ込む稔におののきながら、周囲の人は彼を中心にして輪を作る。遠慮がちに「おい、あんた大丈夫か」と手を差し伸べてくる誰かがいたが、稔の視界にそれは映らない。


 懸命に彼女の手が差し伸べられた、顔のあるべき先を見つめようとしたが、地面にほど近い稔の視界にはただただ無数の人の足だけしか見えなかった。


 もう身体が動かなかった。首を引き上げることもできなかった。


 アスファルトのざらついた感触と冷たさを頬に感じながら、それでもなお稔は目を動かし、彼女を探した。だがあいにく街灯の光で逆光になり、彼女が一体どんな顔をして自分を見下ろしているのか見えなかった。


 彼女の悲鳴が後から聞こえたかのように感じたほど一瞬の出来事で、場は凍り付き、誰もが状況判断を後回しにしたがっていた。


 やがて稔の身体からおびただしく流れる血を見るや否や、状況を飲み込むと同時に、場は騒然となった。


 稔を刺した男は混乱に乗じて既にその場にはいなかった。逃がすかと、稔は立ち上がろうとしたのだが、体がまるでいうことをきかなかった。


 俺はどうなったんだ。なんで体が動かないんだ。


 掌に温かいものが触れている。それは判るが、手が動かない。


 残念だ。


 彼女が俺の手を取って握りしめてくれているのに。大丈夫ですかって、しっかりしてくださいって、そう言ってくれてるのに、大丈夫って返してあげることが出来ない。彼女泣いてるのかな? たぶんすごく近くに彼女はいて、俺の手を握ってくれてるんだろう。すっげー残念だ。見えねぇんだ。彼女の顔。


 あいつ、なんだったんだ。あいつ、顔女を殺そうとしたのか。だったら許せねぇよなぁ。脇腹にものすごい違和感があるんだけど、痛みとかそういうの、もう感じなくて、とにかくそこだけがものすごく熱い。でも体が寒い。


「救急車! 救急車呼べ! 誰か救命の心得がある人はいませんか!」誰かが叫んでいる。


 もしかしてさ、それ、俺のこと?

 稔は薄れてゆく意識の中で考えた。

 

 たぶんこのまま俺は死ぬ。


 ああ、むこうでオヤジに会えるかもしれない。


 社長、俺まだ一人前にもなってないのに,こんなとこでくたばるのか。まだ認めてもらってねぇのに、そんな俺が、明日の新聞に、名前くらいは載るんだろうな。


 ああ、そしたら出てったオフクロに気づいてもらえるかもしれない。

 

 ――いや、そんなことはどうでもいいか。

 それより"彼女" に、覚えてもらえるかも、しれない。俺みたいな、馬鹿な奴がいたって。



テーマソングはキンクスの『You Really Got Me』 ひたすらお前に惚れちまったぜ、どうすりゃいいんだ、と唄う曲です。ヴァンヘイレンのカヴァーしたバージョンの方が(いままでオリジナルだと思ってました)好きですが、まあそこはせっかくなのでオリジナルの方を。

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