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第十話 欲しいのはあなただけ 3

 マンションのエントランスに着いた時には、夜も十時半を回っていた。遅くなるとトーコに伝えてはおいたが、さすがに怒っているかもしれない。急いでオートロックの操作盤に向かうと、傍らに人影が見えた。


 ニット帽に赤いマフラー、茶色のピーコート。年の頃は朱莉と同じくらいの若い女の子だ。両手を前にして荷物を提げて立っていた。一瞬かつての守屋とイメージがダブると同時に口を開いていた。


「あ……み、れいちゃん?」


 思わず口に出た名前に朱莉自身が驚いた。ここに戸田美玲がいることを認める方が無理があるのに、朱莉は霊感応力者ならではの感応力で、美玲を認識してしまった。


「え、あ……朱莉さん……?」


 美玲と最後に会ったのは春だった。彼女が東京に行く直前だ。その時朱莉はまだ金髪ピアスじゃらじゃらのギャルメイクだった。今とは別人だ。


「えっええ! 朱莉さん? ほんとうに! わああん、本当に会えた! ずっとまってたんだよ!」白い息を吐きながら駆け寄ってきて、朱莉の両手をとり、興奮気味に美玲は言う。今にも抱きつかれそうな距離感におののき、朱莉は若干身を引く。まるで盛りのついた犬だ。


 同時にふと、飛騨の貞操は無事だろうかと、卑猥な絵図が浮かんだ自分を殺したくなった。


「ちっ近い! 美玲ちゃん、近いっす!」


 彼女のような美少女に、唇が触れそうな距離に詰められて嫌がる男子は居ないだろうが、あいにく朱莉は女子である。そもそも美玲はこんな女の子ではなかった。


 ――――苦い思い出が脳裏をよぎる。


生き別れたカップルの思念を、無理に律法根して媒介したばっかりに、特別な関係にある者同士に生まれる『思縁法鼎式』というものまでをも取り込んでしまった。


 この思縁法鼎式とは、思念という波動があたかも式を持った物質のように存在し、相互的に干渉しあう状態を言う。これをわかりやすく言うなら、絆だとか共感だとか忠誠だとか、人間関係の間に発生する切っても切れない、互いに認識し合う共有思縁・・・・を指す。もっともこれが顕著に強力に表れるのが男女間の『愛』という想念である。


 当事者である戸田美玲と地縛霊の守屋直樹のカップルの間の共有思縁を取り持った朱莉は、これに曝されることになった。


 守屋直樹の霊体を取り込んだ朱莉はその後、鞠により式を分解されて引き離されたが、その際に朱莉と美玲の間に、この思縁法鼎式が残されることになってしまった。その結果が今である。


「朱莉さん! 今夜は私と過ごしてくれるんだよね? 約束したもんね! 私、今日は残業しないで定時であがって飛んできたんだよ!」


 そう言って彼女は朱莉に腕を絡ませてくる。友達として、女友達としてこの行為は、周囲から見てさほど妙には見えないかもしれないが、親密すぎる。くっつきすぎている。彼女の豊満なバストが二の腕にあたり、気後れする。


「や、くそく……」


「――え? もしかして忘れちゃってたとか!」


 美玲の表情は阿修羅のように、疑念と悲哀と憤怒の三面を複雑に絡ませていた。これは怖い。男性が女性との約束を忘れるということの恐ろしさを、女だてらに経験できた瞬間である。


「わっ、忘れてない! 忘れてないよ! 忘れるわけないじゃん、美玲ちゃんのこと……」忘れたくても忘れられないし、忘れさせてくれないのだ。


「だあって、朱莉さん私に何も言わないで引越ししちゃうし、連絡くれないし――」美玲はアヒル口を作って朱莉の顔をのぞき込む。完全に、恋人に甘えて拗ねてる女の姿だ。


「――いや、それは! そう! ほら、あたしは就職活動で忙しかったし、美玲ちゃんも新しい環境で生活慣れるのとか大変だったじゃん! だから悪いなって思ってさ! そうこうしてるうちに時が経ったっていうかさ! でも忘れたことなんてないんだよ!」


 うまくあしらおうと、被害を最小限にすべく口が勝手に動いた。美玲が就職のために東京へと行ったのを皮切りに、思縁はすっかり切れたと思い込んでいたのだが、甘かった。向こうはそんな気などさらさらなかったのだ。


「浮気とかしてたら許さないぞっ」頬を膨らませて、ぎゅっと腕をさらに強くつかんでくる美玲は超絶にかわいい。こんな顔して責められる男は果報者だなと思いつつ、はっと気づいてぶんぶんと頭を振る。


(うあああ! 鞠さん。何とかできないの、これ?)


(朱莉ちゃん側の式は分解したけど、美玲ちゃんの恋愛感情操作する権限なんてないし、第一外部から干渉するなんて、彼女の守護霊が許さないわよ)


 鞠の言う彼女の守護霊。相変わらず、当然だが“農家のおっさん”風の中年守護霊が彼女の背後にぴたりとつけている。彼女が美形であろうが、守護霊までそれに倣って美形なわけではない。そもそも、守護霊には人の形をとる必要はないし、それで能力が推し量れるわけでもない。しかしそうであるなら、なおさら彼女の守護霊はこの野暮ったい、田舎臭い、饅頭みたいな顔の、冴えないおっさんの容姿を選んで使っているのかがわからない。


(うッ……)


 彼女の守護霊を意識するあまり、また目が合いそうになってしまった。


「どうかしたの、朱莉さん?」


「あ、いやいや、なんでもない。と、とりあえず人目もあるし、これはやめとこう」そう言って朱莉は美玲の腕を丁寧にほどく。


「ぶー、人目なんてないじゃん。でもいっかぁ、今夜は一晩中甘えちゃうもん!」


「え……一晩、じゅう?」


「うん! 今日は朱莉さんの家でお泊りするもん! ちゃんと用意してきたし」と大きめのカバンを得意げに胸の前に掲げる。


 美玲がここまで来られたのは、おそらく朱莉の実家からの情報を得てのことだろう。だとしたら朱莉のスマホに何一つ連絡がなかったのは不自然だ。つまり彼女が意図して――サプライズを狙ったか。


「あ、のぉ。美玲ちゃん……驚かそうと思ってたのはわかるけど、あたしが帰ってくるまでずっと待ってるつもりだったの?」


「そうだよ! ずっとずっと待ってるつもりだったよ!」


 やはりそうか――と絶望のまなざしを気取られないよう掌で顔面を覆う。


「――でも危なかったなぁ、朱莉さんそんな風にイメチェンしてるなんて思わなかったから、声かけてくれなかったら私の方が気づかなかったよぉ」


 実は朱莉が金髪ギャルを卒業して、就職仕様に変身する際に参考にしたのは美玲の容姿だった。


「うん、でも似あってるよ! 前よりもずっとかわいいよ!」


 それにしてもテンション高い。何とかここは穏便に帰ってもらわなくてはなるまい。家にはトーコもいるし、ミケランジェロもタケルもいる。彼らにこの確実に誤解を招く関係性を見せるわけにもいかなければ、美玲を魑魅魍魎の跋扈する部屋に招待するのも憚る。ややこしすぎる。


「あの美玲ちゃん……実家とかさ、いかなくていいの? ひさしぶりでしょ?」


「あ、言ってなかったっけ? 両親は私の就職を機に、田舎暮らしするってことで家を売り払っちゃって、笠鷺にはもう誰もいないの」


 詰まれた。もう逃げられない。


(鞠さんっ! 貞操の危機ですっ!)


(仕方がないわ……潮時よ。責任とって捧げなさい。それにそんなもの後生大事にとっていても犬も食わないわよ)


(いっ、いやいやっ、いやだぁあああ! いくらあたしが霊感応力者で、人付き合いが下手くそで、周りから変人だとか変態だとか異能者だとか呼ばれていても、性趣向までそっち側に捧げる義理なんてないわぁあああ!)


 朱莉の心中の葛藤をよそに、美玲はエレベーターに乗り込む朱莉の身体に、自身をぴたりとくっつけてしなだれかかる。


「えい」と美玲が"閉扉"ボタンを押す。


 無情にも二人を乗せた密閉空間は、最上階を目指して上昇を始めた。


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