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第十話 欲しいのはあなただけ 2

「うっぉおぃい! あかりぃ! もう一軒行くぞ!」


 バーボンのボトルを見事に空けた女をマスターと一緒に担ぎあげて、半地下の店を出た。


「無理ですって! ひぃだぁさん、もう帰りましょ!」


 涼しい顔でほほ笑むマスターに会釈をして、タクシー乗り場に向かって、飛騨に肩を貸し商店街を引きずるように連れ帰る。なるほど、こういう事だったか。マスターは最初から朱莉を介助人として見ていたのだ。


「飛騨さん、なんでこんなに潰れるんですか。いつもならまだまだ全然酔ってないのに」


 別に応えてほしい訳ではないのでどうでもよかったが、飛騨は酒臭い息で「ううー」とか「ああー」としか言わない。もはや人の形をした酒樽である。


 飛騨がパンプスを片側無くしているのに気づき、飛騨を商店街の地べたに放置して慌てて取りに走る。

「しっかりしてくださいよ――ってのもなんだよねぇ」と結局飛騨のパンプスを脱がしておんぶする羽目になる。飛騨は女性としては平均的な身長体重といえるが、ほぼ意識のない人間を担いで歩くのは息が切れる。まして、しなだれかかる飛騨の口腔から漂うバーボンの香りだけで酔いそうになる。


「朱莉ぃ……種族を超えた愛って、あるんかなぁ……」飛騨が突然妙なことを言い出した。


「……一応酔っぱらいの戯言として聞きますが、それはジョリーのことですか」


「うん……あいつなぁ、最近ウチが着替えてるときとか、お風呂入ってるときとか、寝てるときとか、じゃれてくるんやけど、まぁその、なんちゅうの……男を、感じるんよ」


 背中がぞくっとする。


 それはジョリーではなく、ゴザルデンレッドリバーのほうではないか。


 助郷六仁左衛門宗兵衛も、もともとは健康な男子だったはずだ。ジョリーの身体を自由に行き来できるとなれば、まあ、そういうことがあっても然るべきというか、あり得ないとは言えないわけであるが……。


「いやさ、飛騨さん。それ駄目ですよ……犬は犬です。飛騨さんいくら経験豊富だからってその境地に立ったら女終わりですよ、というか人間やめる気ですか?」


「朱莉……あんたひどいな」


「どうとでも言ってください、あたしは全力で否定しますから」


 魂のつながりを否定するつもりはないが、表向きそういうのはよくない。助郷六仁左衛門宗兵衛も憑くのが犬でなく、人間の男性だったならまだ許そうとは思う。


「あの助兵衛め……」今度助郷六仁左衛門宗兵衛に会ったらきつく釘を刺しておかなきゃいけないなと思った。


 すっかり汗をかいてしまい、這う這うの体でオリオンモール前のタクシー乗り場についた時には、ケーキの特設売り場はおろか、モール自体が閉店するところだった。


飛騨をおろし愕然とする。


 トーコとタケルに約束していたのに、ケーキを買って帰るからと。バーで一緒になって盛り上がった自分の見通しの甘さに腹が立つ。


(だから言ったじゃない、早くしないと店が閉まっちゃうって)


 鞠に言われるまでもない。悪いのは自分だ、言い返すこともできない。


 飛騨をタクシーに押し込み、運転手に住所を告げて出てもらう。家の前まで着けばあとは何とかなるだろう。ゴザルデンレッドリバーなら、それなりの事は出来よう。


 発情したオトコに酔っぱらいの女を預けるのは気が引けるが、そこは「飛騨さん、人としての矜持をしっかり持ってください」と強く言い聞かせてドアを閉めた。


 朱莉は昨年バイトで世話になった『陽窯軒』の本店に足を向けることにする。ひょっとしたら一個くらい余っているかもしれないと淡い期待を寄せて。


 陽窯軒はオリオンモールが出来る以前から――それこそ駅前の再開発よりも以前から、洋菓子店を営んできた三代も続いている老舗中の老舗である。


 閉店間際で、太い首をぐりぐりと回しながら気だるそうに眼前に立つ男は、スキンヘッドで、とにかく顔が厳つく、機嫌よく店頭に出て家族連れに接客すると、笑っていた子が泣く。大抵は奥さんか一人娘が販売を担当しているのだが、本日朱莉の眼前に仁王立ちしていたのは店主、鬼瓦宗二郎その人であった。


「おお、思い出した! あの金髪か! なんでぇ、随分大人しくなっちまってよぉ」


 どう見てもカタギには見えないが、堅気の洋菓子職人、鬼瓦は鼓を打ちながら言った。“金髪”で覚えられていたという事に関しては、それはそれでいい。


「あの、一つだけでも残っていませんか? うちの家族に食べさせてあげたくて……」


 ロスを出さないというのがこの店のモットーだ。昨年も特設売り場ではたったの一つしか売れ残らなったし、それは美玲が買って帰って完売だった。


「おめぇは運がいい」


「ええっ! あるんですか!」


「おう、ちょっと待ってな……」と、禿面の強面店主は奥の工房へ声をかける。奥で黄色い声がしている。静江さん……は確か嫁いだから新しいバイトか、と首を伸ばして待つ。


(よかったわねぇ)


(ほんとほんと、やっぱ日ごろから良いことはしておくものよねぇ。だいたいさ、行いの悪い奴はこの段になって、“ごめんなさい、ついさっき売れちゃったんだって”なんて言われて肩落として店を去るのよ。――ふっ、あたしは運がいい)心の中でガッツポーズをする。


「おう金髪! わりぃな、ついさっきうちのバイトの奴が、ド根性で最後の一個を売っちまったらしい。残念だったな、またおととい来やがれってことだな! ほら店締めるからよ、帰った帰った!」


 最悪だ。鬼瓦はいらない修飾語をつけまくり、さらに使い方の間違った言葉を堂々と言ってのけ、あまつさえ高笑いしながら朱莉を店から追いだした。


(まだそう遠くに行っていないかもしれない……僅差で奪われたケーキを襲撃して取り戻すしかないわ、鞠さん!)


(なにいってんの!)


(冗談だよ! 言ってみただけじゃん!)


(冗談でも言っちゃダメ! そういう思考回路持つこと自体、行い悪いっていうの!)


(くっそ……しかぁし! あたしには、コンビニという強い味方があるっ! 鞠さんは知らないかもしれないけど、コンビニスィーツというのはあれでいて、なかなか侮れないものなのよ!)


(ええ? “陽窯軒のケーキ!”ってトーコちゃん、楽しみにしてたじゃない、いいの?)


(ないよりはマシよ!)


(マジで最悪ね、朱莉ちゃん)




 渋顔を作りながら、コンビニに向かおうと横断歩道で待っていると、向こう岸に気配を感じてため息が自然に出た。


「ああ、めんどくさいな……あいつ」


(うん? ああミノル君ね)


 朱莉が信号待ちをしていると向こう岸だろうが、大声で叫んで朱莉を呼ぶ。もっとも名前すら教えていないので、もっぱら“おねーさーん!”と連呼しているだけなのだが。


 家路の足取りが重い朱莉は、おもわず横断歩道を渡ったところで立ち止まってしまった。


(あれぇ、お姉さん今日は元気ないねぇ、どうしたんよ?)


 毎日会ってるわけでもあるまいに、死人に元気がなさそうだとか心配されるのは心外だ。


だから(――あんたはいつでも元気そうね、特に今日は)舌打ち混じりに返してしまった。


(おおよ! 俺はいつでも元気だぜぇ! もうこのまま生き返っちまいそうな勢いでさぁ!)


 んなわけないだろうと思いつつ、やっぱり死んでることははっきり認識しているのだなと思った。


(あんたねぇ、自分が死んだって解ってんなら、なんでいつまでも地縛してるのよ。さっさと昇天すればいいじゃない)


 霊にはいろいろ事情があるものだが――トーコもそうだったが――これほどまでに明瞭に、生きている人間と遜色ない反応を示す霊は珍しい。去年のクリスマスの守屋のように事故を自ら再現するようなルーティンもしないし、何かに危害を加えるようなこともない。


 いったい何の目的で、何に縛られているのかが解らない。


 彼流の誤魔化しなのか(いいのいいの、俺はさ基本自由人だから、誰かに決められた道を行く気なんてないんだよ)などと言う。


(だったらあたしにいちいち構わないでくれる?)


(つれないなぁ、おねぇさん。もう俺ら知り合って一年だよ? いい加減名前くらい教えてくれたっていいじゃないっすか)


 去年のこの時期に始めて認識したのだ。彼はそれ以前からいるようだったが、事情を詳しく聞いたことはなかった。


(地縛霊に名乗る名前なんてないわよ。だいたいあんたが何を考えてるのか解らないから、危なくて名前なんて教えられないわよ)


(あぶないって……心外だなぁ。おねーさんこそこんなクリスマスの夜に、そんな顔して歩いてたら危ないよ)


(何言ってんの、まだ十時じゃん)


(違う違う! クリスマスってのはね、っつーかこういうイベントごとがある時は、思念が集まりやすいんだよ。だから、そこ目指していろんな変な奴が集まってくるの)


(何よ、いろんな変な奴って? あんたみたいな奴のこと?)


(かぁあ、やっぱ誤解されてるなぁ俺――ちげーよ、たとえばその辺漂ってる浮遊霊、雑霊の類とかが一か所に集まって、人間と関わって悪さをするってこと。まあ、そもそも悪いこと考えてるのは人間だけどな)


(はッ、何が言いたいのよ。地縛霊風情が知った風な口きいてさ)


(死んで気づくこともあるってことだよ――人間の思念に霊体っていうエネルギーが共感して、膨れ上がる。そういう負の極性持った奴は、悪霊に感知されて、利用されるんだ)


(そんなこと知ってるわよ、これでも霊感応力者歴長いのよ)


(おねぇさんは霊見るのが慣れっこになってるからこそだよ。だから気づきにくいんだろうけど、最近この街空気悪ぃんだよな。で、今日みたいな日はさ、幸せな奴らがいる一方で、妬みや嫉み、そういうの募らせる奴もいるだろ? 特に思念の底上げってのがあって際立つんだ。おねぇさんみたいに霊感応力持ってて、思念が強い人が気落ちしてると付け込まれやすいからさ、だから俺っちが客観的な目をもって、こうして元気づけようとしてんだよ)


(ふうん、この街がねぇ? ……よくわかんないわ――それに、そんなに落ち込んでるわけじゃないよ)


 朱莉は腰に手を当てて、笑顔を作ってみせる。事情はどうあれ慮ってくれたことには感謝しよう。


 今日はクリスマスだ。少しくらい優しくなったっていいだろうという思いが湧いて出た。


(シュリよ! あたしの名前。ありがとねミノル)


 朱莉は首を傾け、偽名だが名前を教えた。彼の瞳の色を見る限り悪意はなさそうだと感じた。外見は鬼瓦と同じく近寄りがたいが、根はいい奴なのだろうと思えたからだ。


 ミノルと別れ、家路を急ぐことにする。陽窯軒のケーキは後日トーコに買って帰ってあげればいいと思い、コンビニに飛び込んで売れ残りの大量生産クリスマスケーキを購入した。



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