第十話 欲しいのはあなただけ 1
「飛騨さん、周防さん。今日のお通夜ね、こっちの身内だけになりそうだってんで、今日は式が終わり次第定時であがってもらってもいいよ」と、如月が事務所で昼食を摂る朱莉と飛騨に声をかけてきた。
珍しいこともあるものだ。先んじて告げられないまま、残業に駆り出されることは日常茶飯事なのに、向こうからわざわざ定時で帰ってもかまわないなど、朱莉が就職して初めて聞く言葉だった。
「どうかしたんですか? たしか秋田から親族総出で来られるっておっしゃってませんでした?」
「故人方のご遺族なんだけどね。なんでも雪で飛行機が飛ばないらしくて、通夜には間に合いそうにないんだってさ」
「ありゃあ……そっかぁ、マジかー」
飛騨は額に掌を当てて天井を仰ぐ。今日の昼には到着する予定だった親族二十名のうち、約半数が天華会館の宿泊施設を利用する予定だったため、その準備などで残業は避けられないだろうとフルメンバー体制で臨んでいたのだが、見事に肩透かしを食らった形である。
「告別式までには何とか来られるようにするってことらしいから。そういう訳なんで団体さんはキャンセルってことになったからさ、かわいい女性陣にせめてものクリスマスプレゼントだよ」と、素面で聞くには恥ずかしいリップサービスを投げかけて、如月館長は顔を崩した。おそらく微笑んでウィンクしようとしたのだろうが、朱莉には苦笑いにしか見えなかった。
定時で仕事を終え、二人は天華会館を出て、陽が傾きかける街へと繰り出す。帰るには少々早いと思いつつ、せっかくなので飛騨と二人、クリスマスで賑わう駅前のツリーを見物に行くことにする。
「館長からのプレゼントなぁ……ウチは残業して金一封でも構わんねんけどな」
「飛騨さぁん、なんか、それって悲しいですよぉ」
「ほなまあ、軽く飲みにでも行こかぁ……あ、ええ店紹介したるわ! ウチのとっておきや!」
「あっ、今日はイヴなんで、ちょっと……ですね」と朱莉は片目を瞑り申し訳なさそうな顔を作って手刀を切る。
「なんや朱莉、用事あるんか? クリスマス・イヴなんかに」
「クリスマス・イヴなんかに、って……ともあれクリスマスを謳歌するは女子のたしなみですよ。彼氏がいようといまいとクリスマスらしいことにうつつを抜かすもんです!」半ば呆れたといった風に腰に手を当てて、今朝の自分を全否定してみるが「いや、彼氏がいる奴は無理せんでも、クリスマスを謳歌するやろ……」と飛騨が視線を左右に投げつけながらつぶやくのはもっともだ。
駅前に近いこの辺りは多くのカップルで賑わっている。遠まわしに独り身のクリスマスを哀れまれているようにも感じるが、それは飛騨も同じだ。
「――と、とにかく飛騨さん、あたしはケーキを買わないといけないので……!」
帰り道のショッピングモールのエントランスに設置されている、特設売り場にケーキを買いに行くつもりだった。忘れようにも忘れられない去年のクリスマス、ケーキ売りのアルバイトをした『陽窯軒』の特設売り場だ、今年もやっている。
朱莉は「なのであたしはこの辺でド……」と忍者のように両手を組み合わせて人差し指を立てるジェスチャーをしてみるも、飛騨にぐっとマフラーを掴まれあえなく阻止されてしまう。
「な、なんですか! 離してくださいぃ!」
「――おい、朱莉……イブの夜をウチ一人にさせる気か?」
「一人じゃないじゃないですか、家に帰ったら助さんも、ジョリーもいるでしょ! それに麻邦さんだって呼ばなくても来ますよぉ!」
飛騨の座った眼に、抵抗が無駄なことだと思い知らされる。
「なんでウチがゴザルデンレッドリバーと変態黒づくめとクリスマスパーティせなあかんねやぁああ!」と挙句泣きついてくる。
こっちは小人と神様と化け猫のファンタジーホラーですけど、と全力で目を逸らす。
ちなみに飛騨の言う『ゴザルデンレッドリバー』とは、ジョリーの身体に乗り移った助郷六仁左衛門宗兵衛の状態を示している。さらに付け加えると、ゴールデンレトリバーの単体での名前は『ジョリー』と朱莉が命名したことで落ち着いている。
結局なんだかんだ言って飛騨も一人のクリスマスは嫌なのだ。まあ、まだ六時だ。チョイチョイ付き合って、飛騨が酔った隙を見て抜け出せばよかろうかと、ひとまず素直に従った。トーコは陽窯軒が大人気だなんて言っていたが、去年の売り上げに鑑みれば、今年はさらに下がると踏んでいた。
「あっ、れ?」
「なんや、どないしたん?」
商店街を入ってすぐの半地下のバーには見覚えがあった。
「ここ、来たことあります。それこそクリスマスの時……」
「なんや、誰とや?」
「去年ケーキ売りのバイトしてた時の友達ですよ。女の子の」別に後ろめたい気持ちがある訳ではなかったが、わざわざ性別を告げ足してしまう。
一緒にアルバイトをしていた戸田美玲のことだ。あれ以来二三度会って、食事に行ったりもしたが、春以降彼女は就職で東京に行ってしまったし、お互いに忙しくて連絡もおろそかになって今に至っている。
「なんや、女の子か。まあ、ここのマスターかっこええもんな」
「――ははぁん、もしかして飛騨さん、ここのマスター狙ってるとか……」
「あほっ、んなわけあるかい。ウチはおいしいお酒が飲めたらそれでええんや」
そう言うなら、カウンターに陣取って一人でしっぽりと飲んでいてほしいものだと、朱莉は心中でため息をつく。
店内は一年前と変わっておらず、マスターも相変わらずカッコいい。薄暗い照明に濃い色調の床とは対照的に、カウンター内の間接照明が色とりどりのボトルを照らし出しており、マスターがカウンター内を動くたびに光が踊っているように見える。
「おお、今年も一人かぁ、飛騨ちゃん」と飛騨の姿を認めたマスターはグラスを拭きながらにこやかに応える。
「ホンマ、デリカシーないなぁ。マスター喋らんかったらモテるのに」
あなたもですけどね、と朱莉は思いながらカウンターの席に着く。まだ他の客は一人もいない。
「こちらは?」
「ああ、職場の後輩や、前に来たことあるらしいで」
去年来た一度きりなので覚えてはいないだろうが、とりあえず社交辞令で挨拶をしておく。
「周防さん、今日はよろしくね」とその返答だろうか、マスターは飛騨にバーボンのロックを差し出しながら、朱莉に向かってウィンクをした。如月のものとは違い、手慣れた感のあるスマートなものだった。
漫画の様だなと思いつつ、何がよろしくなのかよくわからず、あいまいな笑顔を作り目礼する。
最初から気づくべきだった。




