第九話 ラスト・クリスマス 追伸
一晩中降り続いた雪のせいで、あたり一面が白で覆われたクリスマスの朝。朱莉の枕元にはプレゼントではなく、正座をして畏まった青年の霊がいた。
守屋である。
「うっ! ……おああ……」酷い低血圧で、驚いたにもかかわらず勢いよく起きることができない。時計を見てみれば既に十一時前だった。
(あの、昨日はすいませんでした……おはようございます)といきなり詫びられる。ちょっと待ってと布団からそっと掌を差し出して見せる。昨日までの重労働のせいもあったが、このけだるさは、朱莉が自分の身体を使って守屋の霊を引き入れた事による倦怠感である。いわゆる意図した憑依現象である。
本来縁のない者を引き入れることは相当な無理があり、双方で合意がとれていなければ不可能に近いが、あの時の朱莉は美玲の意識とシンクロしていたため、それが媒介することで、守屋の霊は朱莉の身体に同化することが出来た。
霊に体を明け渡してしまうと、朱莉の意識は裏側へと閉じ込められてしまい、そこから出ることが出来なくなれば、体を恒久的に乗っ取られることもある。逆に他人の身体に入ってしまった霊も出ることが出来なければ、その齟齬感に苦しみ続けることになる。
(式の構造を知らない者同士が、律法根の真似ごとなんてするからそういうことになるのよ)朱莉の後頭部の方で鞠が言う。
(りっぽう、こん?)痛む頭で鞠に訊き返す。
(また今度ゆっくり教えてあげるわ。それより彼のこと、最後まで責任持つのよ)朱莉と守屋のとった無謀な行動によるトラブルを防いだのは、鞠の力に他ならない。
「あのさ、守屋君……」
(はい、なんです?)
「あたしもあの時は盛り上がっちゃってたけどさ、その……」
(はあ……あの、ええと、盛り上がっちゃいました……)守屋は床の上で正座をし、肩をすくめて恥ずかしそうにしている。
一年前も美玲はあの特設売り場に居た。最後の売れ残りのケーキを一つだけ前にして待っていた。横断歩道を渡ろうとしている守屋をエントランスから見守り心待ちにしていた。バイトを上がったら、二人でケーキを食べて、イヴの夜を過ごそうと約束をしていた。
その日はあいにくの雨で、雪に変わればいいのにねと、メールで交信しあい、夜を待ちわびていた。
しかしその夜は訪れることなく、悲劇は美玲の目の前で起きた。
最愛の人が目の前で、容赦のない力に跳ね飛ばされ、地面に叩きつけられ動かなくなる様子を一部始終目撃していた。
守屋は売り場で待っている美玲だけを目指していた。エントランスへの階段を駆け上がり、愛おしい彼女のことを抱きしめたくて、ただそれだけを考えていた。
だがそれは果たされずに終わった。
一年前の昨日、守屋が事故に遭った時間。
彼はあの時から、その場から動けなくなっていた。
彼の無念、彼のこだわり、果たせずに終わったことが彼をあの場に、あの行動に縛り付けていた。
横断歩道で十二月二十四日のクリスマス・イヴまで待機し続ける霊、守屋は朱莉の干渉がなければ、また次の年もあそこでああしていたことだろう。
(あまりにもうれしくて、愛おしくて……抱きしめたくて、キスをしたくて……)
「だからって、あたしは女よ? 折角友達になれたと思った美玲ちゃんには、変な顔されて突き飛ばされるしさぁ――――で、もう思い残すことはないって事でいいの? 言い残したことがあったら一応美玲ちゃんには伝えておくわよ? まあ、会ってくれるかどうかわかんないけど……」
(ええ――なんだか今まで自分がこだわっていたことが、嘘か冗談のように思えます。とてもすがすがしい気分です)
「すがすがしい……か。じゃあ、もう逝きなよ。お迎えも来るでしょうに」
(あ……あと一つだけ)
「なによ」
(朱莉さんのような素敵な人に出会えてよかった。僕を助けてくれてありがとう)
「霊に礼なんて言われたくないよ。別に――」言いかけた朱莉の前で、守屋が立ち上がり、前かがみになると突然、布団の上で胡坐をかいていた朱莉に口づけをした。
カーテンの隙間から日が差し込んできて、守屋の霊体は色を失ってゆく。さわやかな笑顔を浮かべながら、何の音もなく、息遣いすら感じる事もなく、すっと手を挙げて霧のように消えてゆく。朱莉の感知できない次元へとシフトしてゆくのだ。
呆けてベッドの上に佇む朱莉はしばらく、守屋の消えた空間を見つめていた。
「ねえ、鞠さん……あれ、なんなの……」
(なにって、彼なりの精一杯の感謝の気持ちじゃないの?)
「あたしは、あんたの彼氏でも何でもないんだ、ぞ……」
(別にいいじゃない、キスくらい。減るものでもないし)
「浮気じゃん、あいつ!」
(あっはっは、今から昇天しようっていう彼にそんな気持ちないわよ、大体ね――)
朱莉は鞠の言葉には耳を貸さず、窓に駆け寄り勢いよく開いて、「このっ、女たらしがぁ! 地獄に堕ち――――」と叫ぼうとして、突然噤んだ。
階下の玄関先で、笑顔を湛えて手を振っている美玲がそこに居た。手には昨日の売れ残りのケーキの箱を持っていた。そして頬を染め、やや潤んだ瞳でこう言ったのだ。
「朱莉さん、おはよう! 一緒にケーキ食べようよ!」と。
これがさらに一年後の悲劇を招くプロローグだとは、その時の朱莉にも、鞠にもわからなかった。




