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第九話 ラスト・クリスマス 4

 十二月二十四日。クリスマス・イブ、今日がケーキ販売の本番である。これまでは前哨戦といったところだ。


「お疲れさま、これ追加分ね」朱莉たちと同じ陽窯軒のエプロンをつけた女性が箱詰めしたケーキを載せた台車を押して、やってきた。


「シズさん! すみません、私が取りにいかないといけないのに」美玲が駆け寄り、積み上げられたケーキの箱を長机へと降ろしてゆく。髪を後ろで一つに括った長身の三十がらみの女性、店主鬼瓦宗二郎の娘の静江である。ちなみに鬼瓦似ではなく母親の文江似で、鬼瓦とは真逆の、一重で唇も薄く、落ち着いた品のある顔だちをしている。


「どうですか? お店の方は」手を止めることなく美玲が様子を伺う。


「うん、イブだからそれなりに忙しいけど、でもやっぱ今年は売れ行き悪いかなぁ。こっちはこっちで強豪ぞろいだね――うわアーブルさんすごいねぇ」と、静江は他店ブースに視線を流す。


 息つく間もなく、互いにどれだけを売っているかの確認もできないまま正午を迎えており、山積みしていたブースの在庫が切れかかっていたのだ。


「ありがとうございます、午後からもがんばって売ります!」


「うん、二人とも頑張ってね!」そう言うと、静江はきた道を駆け足で、台車を押して戻って行った。

一日目、二日目とは比べ物にならない程数が売れてはいた。だが長年この繁忙期を経験している美玲や静江の目からは、けして多くはないらしい。


 昼食はそれぞれ交代で摂ることにしたが、互いに一人では大変なのが判り切っているため、規定で決められた休憩の一時間があれど、その通りに売り場を離れることなどできなかった。


 あまりの忙しさに、思わず心中で(くそっ、どいつもこいつもハッピーな面しやがって)と悪態をついてしまう。直後鞠に小声で(朱莉ちゃん、スマイル忘れてるわよ)と釘を刺される。


「うおお! 今年のクリスマスケーキは陽窯軒でっ、いかがっすかぁあああ!」


「おいしい陽窯軒のケーキですよ、どうぞ一度ご賞味ください!」


 オリオンモールの前は片側一車線の通りになっており、横断歩道がある。五段ほどの階段を上がったエントランス脇のクリスマスケーキ販売特設コーナーからは、駅前の広場の景色がよく見える。


 喜びに満ちた顔でケーキの箱を抱え、人びとはめいめいににぎわう街へとまじりあって,どこかへ消えてゆく。その中に、特に害はないが地縛霊や、浮遊霊も多く混じっている。


 バイト初日からずっと気にはなっていたが、努めて無視してきたのが目の前の道路わきに佇んでいる青年の霊だ。


 服装や雰囲気からして大学生ほどには見える。ああいった地縛霊は自分で死が認められないケースの者が多い。特に事故などで即死に至ったケースであればあまりのショックに、死んだことにすら気づけない場合がある。先日遇った少し先の横断歩道に地縛している不良少年の霊は、自分が死んだことを自覚していたが、あれはかなり稀なケースと言える。


 普通の人間の感覚からすると妙に思うかもしれないが、人の形を形どっているとはいえ、意識体である霊の精神構造は、体感のある人間とは違う。そこは実体を持つ人間の理屈が通用しないのだ。


 彼らは何らかのこだわりを捨てられなくて、そこに居る。そこに縛り付けられているのだ。おそらく彼は、対岸の横断歩道わきに佇んでいるところからして、道路横断の際に事故に遭ったのだろう。


 彼に意識を集中すれば、彼と感応することはできる。距離は関係がないのだ。だがそれをすれば、朱莉は彼から認識され、彼から干渉を試みてこられる。今はそんなものに構っている場合ではないのだ。


 とにかく目の前のケーキの山を捌くことで精いっぱいである。終わりに近づくほど、自動的ともいえるほどにケーキは売れてゆく。同じく他店もさらにすごい勢いで売れている。


 雪が降りそうなほどに冷え込んだ日だったが、あまりの忙しさに全身が火照り、汗をかくほどだった。どこからか「今夜は雪が降るってさ、ラジオで言ってたよ」という声が聞こえてくる。


 ホワイトクリスマスか、と暮れてゆく空を遠目に見、次いで美玲の横顔を視界に収める。彼女もこめかみ付近の髪の生え際に汗を浮かべている。頬を伝う透明な滴。


 違った。


 彼女の頬を濡らしているのは涙だった。


(どうしたんだろ、彼女……)彼女の背中を見ると、饅頭顔のおっさんが肩に手を置いて、慰めているように見えた。


(何か、悲しいことを思い出してるみたいね。拭いきれない、整理できていない思いがあるのね)鞠が耳元で囁くように言う。


 霊感応力者だろうが、鞠のような霊格の高い霊だろうが、人の心までは見えない。稀に霊媒体質の人間が自らのオーラで意識を具現化し、生霊として心の内を話し始めることがあるが、彼女にはそういった素質はないらしい。


 冬至を越えてまだ間もないこの時期、陽はあっという間に暮れてとっぷりと夜が訪れる。気温はぐんぐんと下がってゆき、せっせと動く上半身とは裏腹に、足元が引き締められるような冷気に覆われ、つま先の感覚がなくなっていた。


 午後六時を過ぎたころから急激に客足は減ってゆく。人々は暖かな家族団らんへの家路を急ぎ出す。皆白い息を吐きながら肩をすくめ、マフラーを巻きなおして、朱莉と美玲の目の前を通り抜けてゆく。


 洋菓子店の店主、鬼瓦の予想販売数の見立ては見事なものだった。


 閉店間際の売り場の台に残されたのは、たった一つのケーキだけだった。売れ残りがたったの一つしかなかったのだ。朱莉と美玲はこの結果に満足し、互いをたたえ合うようにハイタッチをする。


「一個余っちゃったね」


「これは私が買って帰って食べるんだもん、完売だよ」美玲は目を腫らしながら、ケーキの箱を持ち上げ、「陽窯軒のケーキ、本当においしいんだよ!」と目を潤ませながら笑う。


 美玲はハンカチで目元を軽く拭った。


「……どうしたの、美玲ちゃん」


「ううん、なんでもない……全部売れてよかった、なって」


 外から見れば、彼女は仕事をやり終えた感激から、泣いているようにも見えただろう。だが違う。今彼女は本当に悲しんでいる。容姿端麗で何の憂いもなさそうな彼女の人生。就職も決まり順風満帆のこれからの人生。そんな美玲にも何かぬぐいがたい悲しみがあるのだ。


 特設会場の片づけを始める二人の元に、斜向かいの店から鬼瓦宗二郎がコックコートのままやってきた。


「ほらよ」と暖かい缶コーヒーを二人に手渡す。


 朱莉と美玲は互いに顔を見合わせて、お疲れ様でした、と頭を下げる。そして美玲が「すみません。去年の販売数を随分下回っちゃいましたね」と顎を引く。


「なあに、予想はしてたことだ。ロスがでなかっただけましってもんよ、気にすんな。二人とも寒い中頑張ってくれたな」珍しく労をねぎらう鬼瓦は、照れ隠しなのか人差し指で眉間を掻き、「こりゃあ積もるかもな」と雪が舞い降りてくる夜空を睨みつける。



「あの、店長。陽窯軒のケーキは絶対美味しいですよ! 私が保証します!」美玲は鬼瓦の分厚い背中に向けて元気な声をかける。


「おう、ありがとな。しかしまぁ、俺もそろそろ歳だし、後継ぎもいねぇしな。親父の代から続いた店を潰すのも忍びねぇが、寄る年波には勝てねぇっていうかよ、時代についていけねぇ不器用さってのは努力以前の問題だな」鬼瓦は腕まくりをした太い腕を組んで、白い気を吐いた。


「そんな――お店閉めちゃうんですか?」


「すぐにって訳じゃねぇよ。ただ、引き際ってのも考えてるってだけだ。静江もやっとで嫁に行く気になったしな」


「えっ、シズさん結婚されるんですか? いつですか? どんな方なんですか?」


「――しらねぇよ。三十五にもなって貰い手が居ただけでも、奇跡みてぇな話じゃねえか。俺も親として肩の荷が下りてせいせいするぜ。――おう、金髪。今回の給料渡すから、片付けが終わったら後で店の方へ顔出せよ」


 鬼瓦はそれだけ言い残すと、さっと踵を返すとショッピングモール前の階段を下りてゆく。その背中を見送りながら「金髪って……」と朱莉は困惑気味に眉尻を下げる。


「せいせいするとか、娘の相手知らないとか、親として鬼瓦無頓着すぎでしょ?」


「店長なりの強がりだよ。ずっと家族三人でお店続けて来たんだから、無理ないよね……シズさんのことずっと気にしてたんだよ」


「ふうん――なんだかんだ言っても人の親か」


「頑固だけどね、素直じゃないし、それに――」と相変わらずふわっとした笑みを浮かべて、朱莉に視線を合わせてくるので朱莉も一緒に「――顔怖すぎ」と唱和してケタケタと笑う。


 ひとしきり笑い終えると、頬にあたるものに気づいてふと空を見上げる。漆黒の空から白い雪が舞い降りてきていた。


「わあ、ホワイトクリスマスだ」美玲が潤んだままの瞳で空を見上げる。「――――こんな日は、みんな幸せじゃなきゃいけないよね。悲しいことも苦しいこともあっちゃいけないって思う……みんなケーキ食べて幸せな気持ちになってくれたらいいね」


「そうだね……」朱莉は満足だと言いたげに、片手に飲み終えたコーヒー缶、もう片手に拳を握り、もう一度降り注ぐ雪を愛でる。


 雑談をしてる間に、他店のブーススタッフは皆撤収を終えてしまっていた。エントランス前には朱莉と美玲の二人だけしか残っていなかった。


「ふわぁ、さむいねぇ! さ、帰ろ。朱莉さんはおうちの人待ってるんでしょ」


「――あの美玲ちゃん」


「うん? どうしたの?」


「……美玲ちゃんの仕事が終わるの、待ってたんだよ……あのひと」


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