第九話 ラスト・クリスマス 3
十二月二十三日、クリスマス・イヴ前夜。本日も朱莉、美玲の売り子ペアはしのぎを削りあったものの、やはりほかのブースのサンタガールパワーは手強い。午前中は惨敗ともいえるほど売れず、午後になってようやくちらほらと売れだし、最終的には孤児院にケーキを送りたいという男が十個ものまとめ買いをしてくれたおかげで、何とか体裁を保った形となった。二人は苦笑いながらも心温まる結果を受け入れざるを得なかった。
「明日が勝負ね」と握りこぶしを作る朱莉は、美玲に笑いかける。
「そうだね、明日が最後だもんね」美玲もそれに対し笑い返してきたが、もっとも勝手に他店に対抗意識を燃やしているのは二人だけで、他店ブースのアルバイト達は冷ややかな目で朱莉たちのことを見ていた。
「っていうかぁ、美玲ちゃんって彼氏とかいないの?」そんなにかわいいのに、と言外につぎ足したくなるほど、彼女は高校の時の可愛さに加えて、さらに美しさをも身につけていた。
「あー、朱莉さん、それ訊いちゃう?」とおどけて眉をしかめた表情はさらにキュートである。
「あっはは……とはいえ、あたしもいないんだけど、さ」と、美玲の振りに対し、あいまいに得心したそぶりを見せてみるものの、孤独の共有者であることを繕ってみた自分が虚しい。
別に可愛いからといって彼氏がいるわけではない、だから不細工だからといって彼氏がいない、という公式も当てはまらないだろう。そもそも彼だとか彼女だとか、外見の良し悪しで付き合っているカップルというのは極少数派と言えるだろう。仮にそんな付き合い方をしたとしても長続きはしない。大切なのは中身だ。
(そういうことだよね? そういうもんだよね? あたし間違ってないよね?)と朱莉は鏡の前の自分の姿に、問い正す。
化粧室で解いた髪を整える。
隣にいる美玲が後ろで束ね上げていたバレッタを解くと、パラパラと綺麗なストレートヘアが肩に降り、驚くほど素直に美しく背筋に収まった。
自分の傷んだ髪に気後れしつつ、視線を背後に移すと鞠が立っていた。
(女は気持ち次第で可愛くも美しくもなるものよ。俗な事考えてる暇があったらもっと女を磨きなさい)
「――だって、彼氏とかできたことないし」念話を忘れて、実話で鞠に応えてしまう朱莉。
(作ろうとしなかっただけでしょ)洗面台にもたれ、半身をひねり鏡から覗き込むようにして返してくる鞠。
「ええ、そうなんだ? 朱莉ちゃんかわいいのに」そして化粧室にいる二人だけの会話だと思って、美玲が乗りかかってくる。
「だって、あいつらエロいことしか考えてないもん」
(相手の生霊見なきゃいいのよ。男女は互いに結婚するまでは両眼で互いをしっかり見据えて、結婚してからは片目を瞑るくらいがちょうどいいって言うけど、朱莉ちゃんの場合は最初から両目瞑ってダッシュしてもよし!)鞠はびしっと鏡の中から指を刺してくる。
「そんなことないと思うよ。中には誠実な人だって一杯いるし、話せばどういう人かってよくわかるよぉ」くすくすと笑いながら美玲は言う。
「えー、そんな冒険できないよ。のめり込んだら最期、ずぶずぶに嵌められて抜け出せなくなるとかさぁ」
(だーいじょうぶよ、その代わり私が品定めしてあげるから!)
「えー、朱莉ちゃんって見た目結構イケイケなのに奥手なんだぁ。意外だなぁ」
「あたしにだって選択権はあるよっ、じっくり選ばせてよぉ」
(はぁ、朱莉ちゃんに任せてたらいつまで経っても進展しないわねぇ)
「そんなこと言ってたら、いつまで経っても彼氏できないぞぉ」
鏡の中の背後で心配そうな顔を作って掌を頬に当てる鞠と、おどけていじわるな顔を作った隣の美玲を交互に見て、朱莉は洗面台に手をかけ、そのまま膝を折りがっくりうなだれるしかなかった。
それを見て「え、あ? ごめん、そんなにショックだった? ごめん……」としきりに謝る美玲に対し、朱莉は床を見つめたまま右手を小さく挙げ「いや、大丈夫、想定外に綺麗に結論出た自分の不甲斐なさに、ちょっと混乱してただけだから。敵陣に殴り込んだ末、善戦虚しく雑兵に寄ってたかって長槍で貫かれて絶命した戦国武将の気分になっただけだから。ん、マジで大丈夫……」
「いやいやいや、めっちゃ傷ついてるよね? ごめんごめんごめん! あ、そーだ、この近くにいいカフェバーがあるんだ。お詫びにごちそうするよ! 話聞くから!」美玲はあわてて腰をかがめて、両掌を合わせて謝意を表した。さすが優等生、フォローも抜かりない。
ちくっと傷ついてみたものの、それについて彼女がごちそうしなければいけない程、負い目があるわけではない。朱莉は断ろうとしたのだが、実は美玲が前から一度行ってみたかったのだが一人で行くのは憚るので、付き合ってくれたら嬉しいとのこと。
それじゃあ一杯だけと、ありがたく申し出を受けることにした。
街に出てみれば、イヴイヴを祝す輩であたりは盛り上がっていた。クリスマスイブの前夜を指してイブイブとは妙な言い方だが、何かと理由をつけて楽しもうとするのは悪いことではない。明日が休日という者がほとんどだろう。もう完全に出来上がってしまっている集団もある。
カフェバーのマスターは、四十ほどと見えるが、肌艶はよく、男らしい精悍な顔つきに口髭を蓄えており、背が高くスタイルがよく、文句なく男前だ。ふた昔前位の洋画ハードボイルドに出てきそうな風貌だ。
そのせいだろうか、店は半地下で入口がやや奥まったあたり、イタリアンマフィアの秘密の隠れ家を思わせる佇まいに思える。実際マフィアがこういうアジトを持ってるかどうかなど、朱莉はそこまでギャング映画に造詣は深くない。
「ここのマスター、かっこいいじゃん」テーブル席に陣取って、朱莉は美玲に耳打ちする。
「でしょ? 店のセンスもいいし、あのマスターでしょ、女性をターゲットにしたグルメ誌で紹介されて話題になったこともある人気店なんだって」その言葉通り、店内を見回してみれば女性客は多いように思える。
「やっぱ見た目九割ってことかねぇ……」と目を細めて店内を見渡しため息をつく。
ただ、カッコいいマスター目当てで来る着飾った女性も、酒を飲んで醜態をさらしてしまえば何をかいわんやである。奥の席では声の大きい大阪弁の女がワインボトルを片手に盛り上がっている。
「なにあれ。歳食っても、ああはなりたくないよねぇ」くすっと笑い、金色の傷んだ髪を弄びながら美玲の顔をのぞき込む。それに対し美玲は頬杖をつきながら「クリスマスってハッピーなことも多いけど、悲しいことはより際立つような気がするよね」などと言う。
「ええ? 何も自分からネガティブになることないじゃん」
「うん、まあね。一人のクリスマスって言葉があること自体いびつだけど――でも意外と私たちも周りから見たら寂しい女が二人で飲んでる、って風に映ってるかもね!」美玲は肩をすくめて笑う。
「たしかに! でもまだイヴじゃないからセーフ!」掌を水平に切り、朱莉もつられて笑った。
そこへ黄色と赤色の鮮やかなカクテルが運ばれてくる。マスターの落ち着いた声色で、はしゃぎかけた二人は背筋を伸ばして姿勢を正す。
朱莉が頼んだのはバレンシア。美玲はスプモーニ。いずれもフルーツの中にアクセントとして苦みが加わっており、それが甘すぎず、爽やかな飲み口を演出している、可愛くかつ、少し大人を思わせるカクテルである。
「なぁんか大人って感じ!」
「まさかあの優等生の美玲ちゃんと酒席を共にするとは、当時思ってもみなかったなぁ」
「来年から社会人だもんね。ね……朱莉さんは?」
「え?」
「就職、決まってるんでしょ?」
「あ、や、まあ……実はまだなんだよね……」
美玲の内定先を聞いてみれば、都内に本社を構える大手出版社である。さすがというか当然というか、まあそんなもんだよね。と妙に納得してしまう朱莉は、四年生になってからもほとんど就職活動というものをしてこなかった。それどころか卒業すら危ぶまれていたのだ。この温度差たるや。
霊の世界を垣間見られる、霊感応力という特殊能力のせいで朱莉の人生に狂いが生じていることは確かだ。普通に周囲に居る同級生よりも、見えている世界の広さが違う。ただその世界をいくら知ったとて、実生活にはなにも反映しないという徒労感が募るばかりの青春時代を過ごしてきた。
この目の前の美玲のように“普通”に、“普通の女の子”のように生きられたらどんなに良かっただろうか、と考える。
霊感応力がなければと、何度思ったことだろうか。
ここは薄暗くて、彼女の背後にいる守護霊がよく見える。
おっさんが憑いてる。どこからどう見ても饅頭みたいな顔をした農家のおっさんだ。別に可愛いからといって美形の守護霊がつくわけではないのだ。それに、守護霊の容姿と資質に相関性はない。容姿は想像できる範囲で自在に変えられる霊だからこそ、外見で侮ってはいけないのだ。
(やばっ!)
ぼんやり観察していると、危うく彼――彼女の守護霊と目が合いそうになり、慌てて目をそらす。他人の守護霊に視えていることを悟られて関わるのも嫌だし、美玲にも自分が霊感応力者だという事を知られたくはなかった。
「朱莉さん……」完全に気がそれていて、美玲の呼びかけにやや動揺した。
「な、なに……?」
美玲は頬に掌を当てて肘をつき、朱莉の瞳の中を覗き込んでくる。もしかして何か悟られたのだろうかと思うほど、その視線はまっすぐにこちらを向いていた。
「……私、チョット酔っちゃったかも」
「え! まだ一杯目の途中だし!」
見れば美玲の目尻はとろんと下がり、頬は上気している。こんな風に、少しばかりのアルコールで酔えるのも、かわいい女子の最低条件かもしれぬと、わが身に鑑みて恐々とする。




