第九話 ラスト・クリスマス 2
昨年の十二月二十二日。ジングルベルの曲がそこここで流れる煌びやかな街は、笑顔と喜びの声で満ち溢れていた。陽が落ちきり、辺りを覆うきりりっと冷えた空気に風はなく、目にまばゆいイルミネーションが美しく明滅するのを横目に、朱莉は声を張り上げていた。
大学生活最後のクリスマスがバイトで埋まってしまうこの悲しさ。今までも、クリスマスなんてくそくらえだとばかりに、ゼミ仲間と朝まで呑み明かすようなろくでもないクリスマスであったのだが、四年生になったとたん、周囲は人が変わったように就職活動に奔走しだして、朱莉だけが取り残される形となってしまったのだった。
「クリスマスケーキいかがっすかぁー」
"我々は就職などといった安易な保身行為により、作家としての矜持を失うことに抗い続ける高等遊民なのだ"と豪語していたくせに、こっそりと就職活動をしていた仲間への恨み節をのせながら、声が枯れそうな勢いで叫ぶ。
「はああ……全っ然売れねぇ……なにこれ」
隣で相棒の戸田美玲が「クリスマスのケーキはいかがですかー」と街行く人々に声をかけている。
美玲は高校時代のクラスメートで、少し仲良くしていた時期があり、久しぶりに受けた電話で彼女からこのアルバイトに誘われた。あれから五年は経っているのによくも覚えていたものだと思った。
ガーリーにかわいらしくアレンジされた、赤と白のサンタクロースの衣装を身にまとった大勢の女の子たちが、めいめいにアレンジを加えて着こなす中、朱莉と美玲は私服に薄茶色の地味なエプロンと、かろうじてサンタの帽子だけをかぶり立っていた。
朱莉は十二月二十二日から二十四日までの三日間限定で毎年行われる、クリスマスケーキの出張販売フェア会場。笠鷺市駅前のオリオンモールの、エントランスに設置された特設売り場では、全国の有名洋菓子店が競って軒を連ねケーキの販売に熱を入れていた。朱莉が担当するのは地元老舗洋菓子店『陽窯軒』のブースである。
十軒以上が立並ぶ洋菓子店の、各ブースのサンタの衣装をまとう販売員は、ほとんどが派遣会社から派遣されてきたバイトらしく、皆モデルやタレントのように細くてスタイルがよく、作り笑顔が板についていた。
コスプレに寛容的になった世間からすれば、サンタの衣装など目新しいものでもないが、彼女たちのサンタガール姿は同性の朱莉から見ても、息をのむほどにかわいらしく映った。
外見に力を入れているのは店のPRという側面が強いせいもあるようだが、あえて売り込まなくとも見てる間に商品は次々と売れていっている。それに反して地元で知名度があるとはいえ、大した話題性もなく飾り気のない陽窯軒は、華やかなよその洋菓子店に押されてほとんど見向きもされていなかった。
「朱莉さん? なにしてるの?」
「通りすがりの人間にケーキ売るんでしょ、手段選んでられますかって」朱莉は厚紙を蛇腹折にして、それをさらに二つに折り、一方に持ち手を作りテープで巻いて固定。そしてブースの長机をバンとひと叩き。
「クリスマスケーキ! いかがっすか! 今日から三日間の限定だよ! 年に一度の大売り出し、クリスマスケーキが食べられるのは今だけだよ! それが今ならなんとたったの二千九百八十円! ええい、もってけ泥棒!」作ったハリセンを威勢良く叩きながら、声を張り上げる。
「ちょっと、朱莉さん……もってけ泥棒は……」かわいい相棒は眉を下げながら笑う。
高校の時から美玲は、ふんわり、おっとりという形容詞が似合いそうな女の子で、名門の女子大学生だ。さらさらつやつやの黒髪は腰まであり、手入れに怠りはなく絹のような艶を放っている。立ち居姿も背筋がピンと伸び、横から見ると体形のわりにふくよかなバストと、こじんまりとしながらきゅっと上がったヒップとの兼ね合いで、美しい流線型を描いている。
顔はナチュラルメイクを意識しているのか、清楚というより他ない。男子たるもの彼女に恋をせねばなんとする、という彼女のための慣用句がありそうな、絵に描いたような美少女と言ってもいいかもしれない。
対して地方美術大学生の朱莉は金髪で、グリグリと書き込んだアイラインと、バチバチの付け睫毛、ジャラジャラの両耳の大量のピアスに、傷んだ毛先を誤魔化せるようにツインテールにして毛先を無駄に巻いている。絵の描きすぎで猫背気味な背中に自信はなかったが、胸のことは言うな、胸など人格には関係がないのだと気合を入れるために、一張羅の十センチヒールを装備し、胸を張っていた。
「鶴は千年、亀は万年、サンタの爺さんあと三日! 男は度胸、女は愛嬌、クリスマスのケーキは今日が買い時だよっ! さあ買った買った!」売り場の台をバンバンとハリセンで叩き、耳目は集めることに成功すれど、他のブースの店員からはあからさまにいやな顔をされていた。
ショッピングモールの特設売り場は一般的な会社員の退勤時刻を境に、人がにぎわい活気に満ち溢れていた。今年のクリスマスは三連休のせいもあり、ホームパーティなどに力を入れる人が多いのだろう、朱莉たちの陽窯軒のブースでもケーキはなんとか本日分を完売した。
「っだぁー、疲れたぁ!」ショッピングモールの従業員控室に入るや否や、帽子を脱ぎソファにどかりと腰をおろす。対して、ゆっくりと朱莉の隣へと静かに腰かける美玲。売り上げはなんとかノルマ達成といったところだ。
「すごいですね、朱莉さん。来てくれてホント助かりました」と“正”の字を並べた紙を掲げ、目を輝かせる美玲ではあったが、朱莉は自分の声をからし体力と精神力の大部分を使い果たした張り切りようと、『クリぼっち』確定の冴えない男どもの冷えた心すら温め、ケーキを手に取らせるほっこり笑顔は、等価なのかとやるせない気分になる。
鞠とは今日一言も話していない。そんな余裕はなかったのだ。
「出張販売なんて効率悪いよ。こんな時期は予約販売が当たり前でしょ? 必死で売ってるのウチくらいだよ」
「店長がさ、そういうの好きじゃなくてね」
「ええ? 好きとか嫌いとか――」
「――人がケーキを買うときってさ、何日も前から考えて買うもんじゃないと思うんだよね。たぶん、そういうのだと思う」
そうも言われると、ずいぶん強引な売り方をしたと若干反省する。
よくよく聞いてみれば、美玲は大学一年生の時から陽窯軒でバイトを続けており、このクリスマス時期は手が回らないということで、臨時で高校で同級生だった朱莉を呼んだのだという。
「だいたいさ、なんであたしに白羽の矢が立ったわけ? そりゃさ、暇っちゃ暇だったけど」
「んーと、方々当たってはみたんだけどね、やっぱりクリスマスはみんな忙しいみたいで……」と美玲は微笑む。
なるほど、美玲からすれば縁遠い朱莉にまで声をかけるほど、人材確保に切迫していたという事か、と。しかし、旧知の友人に電話をかけまくった美玲の姿を思い浮かべると、朱莉は暇人を自称してしまった事にしくじりを感じて、顔をゆがめざるを得なかった。
二人を雇う洋菓子店『陽窯軒』の店主は昔堅気の男性で、今年で六十五になる。
陽窯軒は先代から洋菓子店を営んできた創業五十年という老舗中の老舗で、先代から引き継いでしばらくは、地元の唯一の洋菓子屋として繁盛もしたらしいが、昨今のスイーツブームで、次々と参入してくる新進気鋭の若い店主が経営する店に押されて、売り上げは下り坂の一方をたどってきていた。
ここのところはまさに細々といった感で、美玲の様な店頭に立つ学生アルバイトを週一か二のペースで雇うのが精いっぱいで、店主の娘と、奥の工房でケーキを焼く店主と妻はほとんど休めるような暇がなかった。
この店主、外見だけを見てみれば、怒っているわけではないがまるで鬼のような凶悪な形相の、まさに名前が鬼瓦宗二郎という。コックコートを羽織っていなければ、とてもではないが菓子職人には見えない。
朱莉は「最近の若い奴は雰囲気に流されて物を買いやがる。ホンモノってのがわかっちゃいねぇ!」と鬼瓦の声色をまねておどけてみせ、「だからって、戦略もなしにとにかく売れはないでしょうに……ねえ?」と正規バイトである美玲に、それとなく愚痴ってみる。
「陽窯軒のケーキって、朱莉さん食べたことある?」
当時の朱莉の実家はここから二駅離れた市街だったので、笠鷺市内で認知度が高いくらいの洋菓子店のことなど知らなかった。
「私はここのケーキ好き。とってもおいしいのよ、もっと話題になってもいいと思うんだけどなぁ」
「あんまり普段ケーキとか食べないからわかんないんだけど、そうなの? もっと宣伝すればいいんじゃないの? ほら、よその店ってもっとこうポップでお洒落な感じじゃん」
「店長がさぁ “上っ面だけでうちの事知らねぇ奴にとやかく言われたくねぇ”んだって」美玲も鬼瓦の口調を真似るが、ただかわいいだけだった。
「ああ? 何それめんどくさ。ま、あの店長っぽいけど」別にどうでもよかったので、当たり障りのない相槌を打っておく。それに対し美玲は「ふふ」とただ微笑むだけだった。
(どー思う? やっぱケーキだって見た目と印象じゃん。よその店みたいなあんな色仕掛け隣でやられたらたまったもんじゃないよ。不公平だよ)着替えを終えて美玲と別れ、家に帰る道すがら朱莉は心に念じ、鞠に語り掛ける。
(さっき自分で言ってたでしょう、女は愛嬌って。朱莉ちゃんって愛嬌たっぷりよぉー?それに美人だからって得ばかりするってわけでもないのよ、時にそれが仇になることもあるの)
(なんか、鞠さんに言われると嫌味にしか聞こえないんだけど……)
(おっほほ、まあね!)
(えっ? そうなの! 嫌味なの?)
午後十時、信号待ちで一人地団太を踏む朱莉を、周囲の人間は奇妙なものを見るかのような視線を向けていた。
霊との付き合いなど、この鞠とのように、面白おかしいお気楽なやり取りができる訳ではない。大抵は恨みつらみの怨念のこもった声を聞かされるのが普通だ。声をもって話さない個体でも、人の形を失って化け物のような醜悪な姿でその本質は知れる。現世という地上において触れ合う霊など碌なものではないのだ。
「くそーっ! みてて、明日も勝つから!」と足を開き右手の人差し指を天に指して決意を固めてみるが、(朱莉ちゃん、恥ずかしいからやめなさい)という鞠の冷淡な声に気づき、何事かと周囲を見渡す。朱莉はスポットライトとは似ても似つかないヘッドライトに煌々照らされ、歓声ともつかないクラクションを浴びせられた、路上のプリマドンナになっていた。
急いで歩道に駆けると、あろうことかガードレールに腰かける少年が、朱莉を指さして(馬鹿じゃねぇの!)と、ケタケタと笑っていたので、「うるせぇ!」と思わず一喝してしまう。
そして彼が霊であることに気づいて、憎々しい顔を浮かべて目と意識を全力で逸らすことになる。
(ねえねえ、お姉さん俺のこと見えるんだ? 俺ミノルってんだ!)年のころ高校生といったところの、髪を赤く染めた、やんちゃそうな少年だ。
ミノルは悪意を持って朱莉に声をかけてきているのではないようだったし、一定の距離以上は追いかけてこられない。ただの地縛霊である。
衆目に晒され赤面する朱莉に、しつこく「ねえねえ」と声をかけてくる。恥ずかしさも相まって朱莉は速足で彼を無視して通り過ごした。
いつものことだ、間違って霊に対して突然叫んでしまい、通りすがりの人々に指さされるのも、無駄に霊と関わって心労から身体を壊してしまうのも今に始まったことではない。どうってことはない、慣れている。無視だ、無視、と心を閉ざして駅へと向かった。




