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第九話 ラスト・クリスマス 1

 朝、朱莉が目覚めてリビングに顔を出すと、(シュリ様シュリ様、クリスマスパーティしましょうよ!)そう言ってトーコが肩に乗りかかってきた。


「――ああんクリスマスぅ……なにそれ、おいしいの?」極低い声で応える。血圧が上がってくるまでは何を言われても鬱陶しくて、だるい。


 それに反して、トーコは早朝の小鳥のようなさわやかなさえずりを耳元で奏でる。まだ起ききっていない脳に嫌でも聴覚を通じて飛び込んでくる。


(美味しいですとも! まずスタンダードにイチゴのケーキにローストチキンにハッシュドポテトにコーンポタージュスープに、あっ、みんなで囲んでチーズフォンデュもいいですし、ええと、私の一押しはブロッコリーとチキンのグラタンでしょ、濃厚トロトロなカボチャのスープに、豊潤なカカオ漂うチョコモカケーキに、鮭とほうれん草使ってラザニアとかもいいな。んでワインのあてにはトマトとモッッアレラでカプレーゼなんかもいですし、玉ねぎのココットとか野菜たっぷりのテリーヌも作ってみたいし、赤ワインにじっくり漬け込んだ鴨のローストとかぁ、それに濃密な口当たりの酸味と甘みを掛け合わせたベリーソースのチーズクリームケーキでしょ、それから――)

 

「――ケーキ三回言った」


 冷蔵庫の扉を開いてミネラルウォーターのボトルを取り出す代わりに、朱莉はトーコの襟をつまみ上げて中に放り込み扉を閉める。


(んなんてことするんですか!)ドンドンと中から扉を叩く音がする。


「朝から煩いよ」気にせず喉を鳴らしてボトルの水を飲む朱莉の後頭部を、冷蔵庫のドアが勢いよく開いて打ち付ける。それと同時に飲んだ水を噴出する。


「っ痛ったぁ!」トーコの人形のような物理身体の腕力ならともかく、念動力なら冷蔵庫の扉を押し開けることなど造作もないことだった。おかげでようやく目が覚めてきた。


(ともかく! 私はこの生涯で食べ損ねた陽窯軒のケーキを食べたいんですっ!)


 別にクリスマスと誕生日以外、ケーキが食べられない昭和の子供というわけでもあるまいが、トーコが今の身体を得るまでものを食べるという行為が出来なかったのは確かだろう。しかし日を追うごとに俗物的になるこの神になり損ねた妖怪変化トーコは一体どこへゆこうとしているのだろうかと、ふと疑問に思う。


 そんなトーコに対して、朱莉は甘いものが嫌いというわけではなかったが、人並みの女性ほどケーキへの希求心を持ち合わせていなかった。


「ようようけん? ってあの、陽窯軒? まだあるの、あの店」


(何言ってんですか! 笠鷺市の誇る、今スイーツ界で押しも押されぬ、全国区で話題沸騰中の老舗洋菓子店ですよっ)と、自分のことのように胸を張るトーコ。


 確かに地元で陽窯軒を知らない者はいないと言われるほどの老舗だし、市外に住んでいた朱莉も、昨年のバイトをした縁があってかろうじて知っているが、全国区とは大きく出たものだと思う。


「ええ? そんなに有名な店だったっけか? いつの間に……?」


 ラジオを聴きながらほとんどを家で過ごしているせいだろうか、トーコは主婦のように、最新エンターテイメント情報から、健康情報、グルメ情報、地域情報まで耳聡みみざとい。一方朱莉は職場のほとんどが男性で、同じ女性の飛騨もあんななりなので、とんと女子力は下がる一方である。それだけにトーコの仕入れる新鮮な情報は有り難いともいえるが、昼夜問わず情報を垂れ流されるのが煩いと感じることも少なくはない。


 クリスマスパーティをしようなどと、今までまったく考えもしなかった。実家にいる時ですら――いや、あの両親にしてそんなことにうつつを抜かすような人種ではない――経験したことがない。学生時分もそれらしいことはあったような気がするが、いつもの飲み会と何が違うのかと言われればそれまでだった。


「トーコはああいってるけど、タケルはどう? パーティしたい?」


 タケルは家にいるときは大抵ソファの上に胡坐をかいて、雑誌なんかを眺めていることが多い。こちらはトーコと違って静かなものだが、それだけに普段何を考えているのかはよくわからない。


「くり……、なんとかって奴のこと? 僕は別に構わないけどさ。でもあれって伴天連の儀式でしょ、宗旨ちがうじゃない」


 タケルは手に持っていた雑誌をマガジンラックへと戻しながら言う。


(もうっタケル君! 宗旨とかウチにあるわけないでしょ!)


「バテレンって……」


 まあ、いいか。せっかくの家族なのだ。年に一度くらいは重い腰を上げて、そのような機会にうつつを抜かすのも悪くはないかと、年長者なりには思った。


(やった、じゃあ! お友達呼んでぇ……)


「ちょいまち! 誰呼ぶのよ? あやかしか、物の怪か幽霊か、それとも悪魔か?」


(う、ああ……)


 この式神が出入り口を守る、化け猫、妖怪変化に怪しい山神と、魑魅魍魎の跋扈する異空間のクリスマスパーティに、一般人パンピーを招待できるわけがない。


「そういう訳だから! こじんまりと、しっぽりやるの。じゃあ、トーコとタケルは買い物行って料理作っておくこと、あ、スパークリングワインと赤ワインも頼む。ケーキはあたしが仕事帰りに買って来るから」


 タケルが今にも「ええー」、と言いだしかねない顔を朱莉に向けてくる。


「たまにはハードに働きなさい。神だからってウチには免責特権はないのよ」


 その朱莉の言葉通り、ゴミ出し、買い物は交代で朱莉とタケルで受け持つことになっていた。タケルは表向き高校生くらいに見えるため、周囲の住人には、従妹だという事にして説明している。


「ああっ、遅れる遅れる! あっタケル、ゴミ出ししておいて!」朱莉はリビングの時計を確認すると慌てて席を立つ。


「ええっ、なんだよ! この二週間僕がずっとやってるじゃないか」


「やかましい! 誰のおかげで生活できてると思ってるの。非常事態よ、そのくらいやりなさい」


「なんだよ、それ! 日々の行いと言ってること、無茶苦茶ってわかってる?」追撃するも、朱莉はタケルの苦言など聞く気はなく、バタバタと廊下を駆けて行ってしまった。


 茂木寛治の葬儀以来、天華会館は満員御礼である。連日そこそこの規模の葬儀が入っており、ほとんど休む暇がない。こうしてクリスマス用の装飾を施された駅前付近を通りながら、クリスマスを忘れそうになる時があるほどだ。


 ロビーからエントランス前の階段を駆け下りると、バス停までダッシュ。発車寸前のバスを両手を上げて足踏みさせる。顔なじみの運転士は、またか、という顔をしてドアを開く。とりあえずこの時刻のバスに乗れなければ遅刻確定なのだから、必死である。


 市民保健センター前のバス停を降りてから、職場までは徒歩で五分。


 ところが、その途中に横断歩道があり、朱莉はいつもの洗礼を受ける。


(おねーさん! おはよう!)


 朝からキャッチではない。地元横断歩道にいるミノルという不良少年の地縛霊だ。


 天華会館に就職する前、昨年の冬に向こうに認識されて以来、ここを通るたび毎朝声をかけられる。大抵は無視だが、それでも出勤時には(おはよう)、退勤時には(おつかれさま)と、めげずに声をかけてくる。まるでいつでも吠え掛かってくる、通学路の軒先につながれたどこかの飼い犬みたいだ。


 ミノルからすれば、人と交わりたくて、特に朱莉のような霊感応力者と会話がしたくて仕方がないのだろう。その気持ちがわからないわけではないので、気が向いた時には一言二言、念話で話すことはあるが、上辺のものだけでこの一年を通して、必要以上に立ち入ることも、立ち入らせることもしていない。


 そういえば、ミノルと初めて会ったのはクリスマスの頃だったかと、背後で手を振る彼の赤く染められた頭をちらと視界に収めて、思い出す。



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