第八話 たいていのことはへっちゃらよね 6
職場、天華会館は今日も朝から威勢が良かった。
「今日は何ですか、ひさしぶりに大きな式ですねぇ……ふわぁああ」
頭を叩かれる。
「ちょ、叩かないでください眼球に響くじゃないですか!」
「あほー。はよ目ぇ覚まし。二日酔いしたとか有り得んやろ」
「いやっ、いやいやいや! 他のどういう条件なら二日酔いの許可が出るんですか!」地獄の釜を打ち鳴らすように痛む頭を抱えながら、抗議する。
「天華会館職員に二日酔いという言葉はない! 呑んでも呑まれるな! 呑んだら寝るな! その一杯君の未来がかかってる! もう一軒、吐く勇気! いりません、その一言が言えますか! 一杯だけは通用しない! ちょっと待て、その手酌! NOウーロン茶! ダメ、まだ帰らせない! 一緒に幸せになろうよ! 今日の酒、明日の仕事!」
「なっ、なんですかいきなり」
「うちの福利厚生ポスターで採用された歴代の標語。ちなみにウチが考えた奴はな――」
「『酒やめますか、それとも肝臓潰しますか』、ってのはないんですか?」
「ない!」
仁王立ちでそこまではっきり言われると、自分が間違っているような気がする。この半年余りで薄々気づいてはいたが、ここ天華会館職員は酒豪の集合体である。確かに二日酔いで次の日の仕事がままならない、というのはどこの職場でもご法度だが、昨日のことなどどこ吹く風とばかりに、職員一同飄々としたいつもの態度で仕事をしている。寧ろ元気とも言える。
酔わないわけではなく、酔っても回復が早い。肝臓強度がある。あまりうらやましいとは思わないスキルではあるが、ここに居る限りは必要かもしれないと朱莉は思う。
「まっ、年末ってのはなんでかしらんけど、死人がよぉでるもんや。これから年始にかけてうちらは繁忙期なんやで、二日酔いしてる暇なんかあらへんて」
飛騨の言葉を聴きながら、多分急性アルコール中毒で死ぬものもいるだろう、と思う。他には車にはねられる、高所から落下する、その中には自殺も多数含まれる。あるいは喧嘩など怪我も多ければ死者も多い。また心筋梗塞などの突然死や酔ってそのまま寝込んで凍死というケースもある。こと正月に至っては毎年恒例のように、餅を喉に詰めて窒息死する老人が後を絶たない。
年末年始に死者が集中する傾向は、しばしば気温の低下に伴う意識低下や神経衰弱や鬱症状の顕在化があげられるが、単に皆が一方向のベクトルに乗って行動するため、トラブルに遭遇する可能性が高まるという言い方もできる。
ただ、死者が見える朱莉の目からすれば、必ずしもそうとは言い切れない。年末年始という人の心に刻まれたキーワードが、ある程度死を引き寄せる、あるいは招き入れる要因を持っているからだ。今日の故人である茂木寛治もそうだ。
(いやあ、はっはっは、なんとか今年の間に片付けられそうでよかったわい!)葬儀場に似つかわしくない、快活な笑いが聞こえたかと思うと、紋付き袴の老人がすたすたと、扇子をひらひらとさせながら、天華会館の廊下を歩いてくる。当然これは朱莉にしか視えていない故人の意識体である。いつも通り目を合わせないでやり過ごす。
齢八十は超えていると見えるが、背が高く背筋はしっかりしており、立派なひげを蓄え、和装の礼装に身を包み威風堂々と練り歩く姿は、ちょっとした会社の会長か、昔の国会議員のようにも見える。
ほう、と死人にしてはあっけらかんと、自分が死んだことを明確に受け止めていることに朱莉は感心する。自分の死に時というものを意識して死んだ者なのだろう。
こういう意識体は珍しい。
ほとんどの意識体は生きている時と相違ない感覚と意識を持っているため、大抵は実体のようにふるまい、自分の置かれた状況に混乱したり、やり残したことを終えようとしたり、遺族の元にすがり泣き崩れたり、離れようとしなかったり、相手の反応如何で怒り憤ったり、自分の体を見つけては戻ろうとしたりする。多くの者がすぐには、自分が死んだことを自覚できないでショック状態に陥るのだ。
そしてやがて周囲の反応や、葬儀などの儀式を見るにつれ、死を受け入れるようになり、彼らは晴れて霊となり天上霊界への道を歩み始めるのだ。したがってあの老人のように死を当然として受け止め、自覚を自ら促すことが出来る者は、四十九日を待たずに昇天してしまうことが多い。早ければ葬儀の間に逝ってしまう。
朱莉はちらと老人の背中を振り返ると、飛騨について通夜の準備に取り掛かった。
「故人さんの雰囲気とは裏腹に、意外とこじんまりとした葬儀なんですね」
「雰囲気? あ、茂木の爺さんおったんかいな?」
「ええ、さっき廊下ですれ違いましたよ」
「茂木のオヤジって業界じゃちょっとした有名人でな、ようはコレや」といって飛騨は頬を指で斜めに切る仕草をする。
「ええ、ヤク……!」飛騨に口をふさがれる。
「こら、そういうこと口にするもんやない。死んだらただの人や、お客様や――茂木の爺さんは先代の親分にあたるんやけどな、暴対法が厳しくなってからは、大々的にいかつい黒服並べてヤーサン流に葬儀するわけにもいかんのや。公安に目ぇつけられてもかなんしな。もっともうちらみたいな民間の斎場に依頼が来るってのは、地域住民に配慮して、ってのもあるやろな」
「でも幹部連中ってのは集まってくるわけでしょ? この機に乗じて鉄砲玉とか……」
「物騒なこといいな。今時そんなことあるかいな、ヤクザ同士の抗争なんかいつの時代や……」飛騨は手のひらをパタパタと振りながら“ヤクザ”とはっきり口にしていた。
今時どんな施設においても、暴力団関係者の施設利用というのは敬遠されるのが普通ではあるが、この茂木家は自他ともに認める極道でありながら、表向きは船舶運輸業という堅気の顔をちゃんと持っている。したがって天華会館側も断る理由を示すことが出来なかった。
茂木寛治は“先代の親分” ではなく“会長”であり、現在の筆頭は、息子の寛樹が継いで会社を経営している。名簿に並ぶ肩書を見る限り、単なる社葬と見えるのだが、予想に違わない黒服の良く似合う物々しい面々がぞろぞろと会館に訪れていた。
しかし見渡してみると、全員が全員訳アリの人間という訳ではないらしく、会社役員と思われる企業人のような者もいれば、喪服を明らかに着慣れていないという御仁も見受けられる。
「あれは土建屋の社長や、んであれが市議会議員の秘書、AUNの役員もおるなぁ、あと、あのおっさんは役所の人間やな、ほんでその隣が刑事やろ」
「なんかそれ聞くだけでも黒いものしか見えませんけど……」
「そんなもんやて。裏では意外と仲良ぉやっとるもんなんやで。善良な市民は知らんでもええことや――それにな、茂木の爺さん隠居してからは、福祉なんかにも力入れとったから。出所はともかく潤沢な資金と権力で事業推し進める底上げ力ってもんがある。意外と政治ってのは行政だけではなんもできんもんやで。うちの家もっとった桐生議員も地元の名士って言われてるけど、茂木の爺さんは裏の名士やな。たしか百は超えてたんちゃうか、大往生や」
朱莉と飛騨は事務所で早遅めの昼食をとりながら話していた。なにより規律よく茂木の従業員や会葬者面々が段取りをしてくれるおかげで、会館側職員は本来せねばならない仕事がなくなるほどであった。
「姐さん、これはどちらへお運びいたしましょう」と事務所に顔を出した若い男に、「ああ、それはホールに運んどいて」と意気揚々と指示を出すのは飛騨である。
「飛騨さん……知ってる人ですか?」
「いや、全然? こういうのは、堂々としたもの勝ちなんや」
そういうものだろうかと思いつつ、朱莉は昼食を食べ終えると、簡単に身だしなみを整え事務所を出る。僧侶が到着する時間だった。
「すみません! ご案内もままならず……」僧侶は予定到着時刻よりも随分早く到着していた。周囲が気を利かせて先に案内していたのだと聞かされ、入れ違いになって慌てて控室のドアを叩いたのだ。
「おお、朱莉、それに鞠。しばらくじゃな」と僧侶控室に顔を出した朱莉が目にしたものは、法衣を纏った観寧阿闍梨である。
「おおお、おじいちゃん! 法事は妙玄さんに任せてるんじゃないの?」
「今回は特別じゃ、寛治はわしの古い友人なのでな。しばらく会っておらんかったが、残ったもんのせめてもの手向けじゃ」
(あら、カンちゃん。お経読めるの?)
「黙っていなさい――」
「え、なになに? どういうこと?」
(あのね、カンちゃんね――)
「鞠! 要らぬことを言わぬように。それから朱莉もいらぬ詮索はせぬように。出番になったら呼んでおくれ」
「え、でも……」
「わしがいいと言ってるんだから、いいの!」観寧にあっさり控室を追い出された。
珍しく観寧が動揺しているのを目にして、朱莉は鞠と観寧の関係性に興味を持つ。いったいこの二人はいつからの知り合いなのだろうか。朱莉が鞠と出会う以前から懇意にしていたような印象すら時折受ける。
(ねぇ、鞠さんはおじいちゃんとどのくらいの付き合いなの?)
(どのくらい……か。時間? 濃さ? いずれにしてもそれは難しい質問ね)
先に釘を刺された。これ以上訊いてもまともには教えてくれないだろう。
「おーい。朱莉! 手ぇかしてくれ!」と城崎が呼んでいる。彼も昨日ベロベロに酔っていたはずだが、声はいつもに増して元気だ。まだ少し痛む頭を押さえながら朱莉は廊下を駆けて向かった。




