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第八話 たいていのことはへっちゃらよね 5

「トーコ、妙玄さん街に出るって言ってたの?」


(ええ、なんか用事があるって……)


 朱莉は自室のドアをあけ放ったまま、クローゼットから乱暴に衣服をベッドに投げ出し、部屋着を脱ぎ始める。


(ちょっと朱莉ちゃん、こんな時間にどこ行くつもり?)


「とりあえず妙玄さんに謝りに行く」


(今日のことは憑依されて仕方がなかったんだから。経緯は説明しておいたから大丈夫よ)


「それはわかってるけど、自分の口から謝りたいから……」


(何も今から行かなくても……)


「はあぁ……」服を脱いだまま朱莉は直立し首を垂れる


(どうしたんですか?)


「つーか今回であたしの株大暴落だよねぇ」さっきまでの勢いとは裏腹に、深いため息をついて肩を落とす。


(シュリ様に暴落するものが何かあったんですか?)その言葉に、朱莉は雷に打たれたかのように、胸を押さえ膝を折り、その場にうずくまる。


(トーコちゃん、察してあげなさい。普段から大したことない朱莉ちゃんでも、あの醜態はいくら憑依されたからといっても、忘れたい過去トップテン入りよ。まして――)


「鞠さん、そういうフォローやめて。傷つく……」


(え、あれだけやってもトップテン圏内なんですか……)


「……トーコ、あんたわざとボケてない?」


 トーコはベッドに投げ出された朱莉のマフラーにくるまって、声を押し殺し肩で笑う。


(まあ、子供じゃないんだから夜中に出歩くな、とかうるさい事言わないけど、妙玄さんがどこ行ったかわかってるの?)確かに鞠の言うとおりだ。よく考えたら妙玄の連絡先すら知らなかった。


「くっくっくっ、こんな事もあろうかと、私めが式神に追わせておりましたよ!」そこには、室内のドアにもたれて黒づくめの男が、無駄な手先のアクションと共に、クールに式符を眼前に掲げていた。


「え?」目を丸くしたのは下着姿の朱莉だけでなく、鞠もトーコも同じだ。


「てめっ……なんでいるんだよぉおおお!」朱莉の雄たけびとともに、たぶん今回も死なないだろうと、鞠とトーコは全力で念衝波を放った。





 忘年会シーズンでまだ賑わいを収めきれていない繁華街を朱莉は歩く。多くの酔客は二軒目やら三軒目で調子づいている。肩を組んでふらふらと正面から歩いてくる大学生くらいの若い男三人が、朱莉を見つけて奇声を上げる。


「うひょー、オネエサン、こんな夜更けにお一人様ですかぁ!」


 当然相手になどするつもりはなかったが、「なんなら送っちぇいきましょうかぁ、ぼくたちが!」と肩を強引に抱かれる。もともとイライラしていたのだ、怒りは簡単に、瞬間的に頂点を突き抜ける。膝を上げ、ブーツの踵で男のすねを思い切り蹴る。


 当然男は予想だにしない痛みに、手を離し大声を上げてうずくまる。周囲の人々の視線が一瞬集中する。


 仲間内の一人がやられて、残りの二人が突っかかってくるものだと身構えてみたが、残りの二人は赤かった顔を青くさせ、うずくまる一人を抱え、そのまますごすごと逃げ去っていった。


「フン、骨のない奴、でも、おかげでちょっとすっとしたわ」吐き捨てるように言い、肩に座らせていたトーコを掌でそっと気遣う。


(こういうところ、夜に来たことなかったですけど、怖いですねぇ。妙玄さん本当にこんなとこに居るんですかね)


「っていうかさ、あたしの後ろにいる、殺し屋みたいな目をした黒い奴が目に入っていない、あいつらの迂闊さが怖いわ――で、次はどっちよ)


 麻邦は朱莉の後を歩いてついてきていた。朱莉からして彼の行動は常々奇異に映るが、怪しい容姿は別にして強い味方であることは確かだった。結果として、こうなることを予測してか妙玄に式神を付け、後を追わせるという抜け目のなさはプロと言える。成功報酬として一万五千円を請求されたが、当然支払うつもりなど毛頭ない。


「ちょっと、さっきから何見てるのよ、まじめに探してるの?」スマートフォンをちらちらと見ながら歩く、背後の麻邦が気になる。


「動画サイトに投稿してるんですよ」


「へぇ、そんな趣味あるんだ?」


(麻邦さん歩きスマホ、ダメですよ)


「で、何の動画?」


「さっき朱莉さんが憑依されてた時の様子、記録させてもらってたんですよ。後学の為に貴重な資料ですからね。全世界の霊感応力者とシェアさせてもらいます。これで追跡料はチャラにしてあげますよ」と麻邦は自慢げに口を一文字に結び薄笑い、画面を朱莉に向ける。


「ぐっ、わぁあああ! 消せ! 破棄しろ! 削除しろぉおおお!」スマホを取り上げようにも朱莉の身体能力で、ひらりひらりと身をかわす麻邦に敵うはずがなかった。


「無理ですよ、アップしちゃいました」一切悪びれることなく、スマホを片手にスタイリッシュに決めている。


「っああああ! くそっ! あいつら追いかけてもっかい殴ってこようかしら!」肩で息をしながら後ろを振り返る。


(なんですかそれ、不満のはけ口ですか)


「酔っぱらいという人種は、理由もなく殴られるもんよ!」


(シュリ様ってゲスいところはとことんですね)


 鬱憤を晴らせずに、肩を怒らせながら歩いていると、一軒の居酒屋の扉が開き、威勢のいい女の声が飛び込んでくる。


「うっおぉい! もう一軒行くぞ、おらぁ!」


「ふん、街中で大声あげて恥ずかしい女ね」


(シュリ様は鳥ですか、三歩歩いたら忘れるんですか?)


 下品な女もいるものだと、憎々しく割れた暖簾を振り向くと、そこに居たのは飛騨だった。


「とことんついていきますよぉ、飲み会部長!」「さすがに酔ったぁ」「うおっさぶ!」と後ろに続いて十人ほどぞろぞろと妙齢の男女がでてくる。


「ゲッ、これはヤバい……」朱莉はマフラーを引き上げて顔を隠し、その場を離れようとするが、背後で不穏な気配を感じた時にはもう遅かった。


「やあ、これはこれは、飛騨さん。こんなところでお会いするとは奇遇ですな」と胸に手を当てて、軽く頭を下げる黒づくめの男がそこにいた。


「なに! 麻邦、飛騨さんと知り合い?」


「ええ、仕事柄。――おっと、プライバシーに関わりますので、どういう関係であるかなどの詮索はご法度でございますよぉ」


「いや、大体わかるし想像つくからいいけどね……って! しまった!」


「おおぅ毎度、麻やん! それに、朱莉ぃ?……そんなとこで何やってんねん!」


 あっけなく飛騨に見つかった。


 今夜は天華会館の忘年会だったのだ。業務の性質上、全員が出席するわけにはいかないので、有志という形ではあるが、宿直以外はほぼ参加している。したがって体調不良で会社を早退し、寝込んでいるはずの人間が深夜に街をうろついていれば、忘年会をボイコットするための仮病だととられても仕方がないだろう。


「おぅ、朱莉。お前ええ根性しとるやないかい。ウチらとは酒が呑めんてか?」酒臭い息を吐きつけながら、首に腕を回してくる。朱莉はトーコを庇いながら「いいいいやぁ、そうゆう訳じゃないんです! ほんとに! マジであの時は調子は悪かったんですよ!」


 そこへ細野が首を突っ込んでくる。


「ああ、あれだぁ、ゆとり世代って奴だ。上司の酒を断るっていう」


「うわっ、細野さん古っ! てかそれ細野さんの世代じゃないっすか。自虐ネタですか」と城崎が突っ込む。二人とも職場ではこれほど饒舌ではない。酒のせいだ。


「元気になったんやったら、呑みに行けるわなぁ」とさらに飛騨は締め付けを強めてくる。そこへ音楽がどこからか流れて来る。


「あ、なんかどっかでストリートライブとかやってるんじゃないですか!」この場を切り抜ける為、苦し紛れに話題をすり替えようとする。


 アコースティックギターの音色。音楽の上手い下手などの違いはよくわからない。適当に誤魔化して逃げればよかったのだが、先陣を切って音の鳴る方へ歩みを進めたのが、顔を赤くした如月館長だった。


 そのミュージシャンを囲むのは数人の男女、人だかりというには到底かけ離れたものだった。男は街灯の下を陣取り、ギターと足元にアンプを一つ、弾き語りを披露していた。重く突き抜ける声色。胃に響く低音域から、脳を震わせるような高音域、彼の歌声は歌詞の意味を越えて、体全体に染み入る。彼が歌をうたっているのではなく、彼そのものが楽器なのだ。そのように感じられた。


 声は澄んだ夜空へと突き抜けてゆく。冷え切った地上に反射して星にまで届きそうな波動。朱莉には彼の身体から放射されるオーラの色がよく見える。そのせいもあるだろう。余計に神々しく映り、声は天啓のように胸に響いた。


 演奏が終わり、大きな拍手が一人から発せられた。如月館長だ。続いて朱莉も拍手をした。


「へえ、かっこええなぁ」と、隣で飛騨がつぶやく。朱莉もそう思う。顔や容姿の事を言っているのではない。


「僕も昔バンドをやっててね。ライブハウスとかでね、手売りのチケットさばくのが大変でさぁ……でも楽しかったなぁ、あんときゃバンドブームでさぁ」今まで一緒に働いてきたが、如月館長が音楽をやっていたなど初めて聞いた。


 彼のステージはライブハウスではなく一灯の外灯に照らされたストリートスポットだ。彼だけの為に出来上がったステージ。カーキ色のコートにジーンズ、長い髪の影に隠れたサングラスの顔はよく見えなかった。


 彼は咳払い、低くよく通る声でありがとう、と軽く頭を下げる。一息おいて、カポタストを第一フレットに取り付けながら、話はじめる。


「みんなにも名前ってのがあると思うんだけど、ない人いる? いないよね。自分がどこかの何者なのかってこと、言えると思うし、文字にして書き記すことも出来ると思う。でもさ、もしも名前を突然奪われたらどうする? そのまま忘れられたらって思うと怖くない?」


 隣で腕を組んだ飛騨が頷いているのを感じる。飛騨だけではない、彼の声は話に人を引き込むような魔力がある。


「それと同じように、名前や立場って、自分一人じゃ意味がないんだよね、世界にただひとりだったら名乗る意味もない。それを認識してくれる人がいるから成り立つ……そういう意味でも人は一人じゃ生きていけないって、俺はそう思います――」


 前奏が始まる中で「兄ちゃんいい事言った!」と誰かが叫んだ。振り返るといつの間にか人垣ができていた。天華会館のメンバーも歌に聴き入っている。


(鞠さん……緋埜伊之尊はいま、どうしてると思う?)


(ご神体を移されたと言われているのは八幡宮らしいけど、そんなもの神様には関係ないからね。大事なのは念力場の方。人々の思いが集まる場所よ……)


(その場所もなく、名前すら忘れられたら――)


(今頃、自棄になって凶悪な悪霊となっているかもしれないし……案外そのあたりをうろついてるかも知れないわよね)


 朱莉はこの機に乗じて逃げ出そうと海老のように背中を丸め、そろりと後退を始める。が「まぁ、姉ちゃん、ゆっくり聴いていきぃや」と、予断を許さない満面の笑みで、飛騨に首に巻いたマフラーを掴まれ、身動きを封じられていた。







(シュリ様、朝ですよ! 起きてください!)


「うおぉ、ごっつい二日酔い……吐きそう……」


 結局あの後朝方まで引っ張りまわされ、遅れを取り戻せと日本酒三合のノルマを課され、ビールにワインに焼酎にと、解散したのは四時だった。実質霊体のトーコや鞠はいい、体調や体質や生理や恒常性機能や体内時計といった、抗いがたい要素がないのだから。


(今日は出勤ですよ!)


「う……いやだ! そんな言葉聞きたくない! 嘘って言って!」


 念動力で布団をはぎ取られ、ベッドから引きずり降ろされ、パジャマを強制脱衣させられる。いつもの朝の光景だ。


 朝の空気の冷たさに加え、床の冷たいこと。床暖房を装備しているはずの物件だったが、光熱費がバカにならないため、スイッチを切っていた。全身を寒気が襲い掛かる。いや、この寒気は違う。立ち上がった瞬間、脳が揺れた。


(それにしても昨日のゲンちゃん、かっこよ――)


「あ、ちょっ……吐く! うぷ」鞠の声を遮り、両手で口を押さえて自室を飛び出し、トイレに駆け込んだ。


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