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第八話 たいていのことはへっちゃらよね 1

「樋井台の樋井とはもともと“緋埜伊”と書くんだ。夕焼けに照らされ美しく輝く土地、という感じの意味なんだが、太古にここに降り立った神の名でもある」


(聞いたことはあります。神代じんだいの神様の名前ですよね。このあたり一帯を支配していたとか)トーコが補足する。


緋埜伊之尊ひのいのみこと。神話の神は古代人を神格化したもので、ほとんどは実体を持っていた地域の有力者だと理解されています。我々の縁纂枢学えんざんすうがくにおいては神という概念はない。すべての意志を持つ存在は霊的存在で韻枢の理によって括られているのです。そしてどんな人間でも死後は天上霊界へと昇る」


 韻枢師、ゴーストスィーパー麻邦沙助は帽子のつばを持ち上げるように、人差し指を天に向けた。いつもながら無表情で、何を話していても、笑っていようが、ほとんど目の形も口の形も変わらない。元が人形の身体であるトーコよりもよほど人間らしくない。


「ただ、一部の霊は現世を憂いて自らの意志で居残ることがあります――トーコちゃんのようにね。だが最初は自らの意志で地上に残った者も、長くいる間に彼らは現世の理にあてられ、生きている人間が作り出した念力場に据えられ、そこに固定されてしまうようになる。その中で長い年月をかけて現世の人間たちに『神』として祀られる者もいる。それがいわゆる、皆が有り難がって手を合わせている神社仏閣に祀られている神の正体です」


(じゃあ地上の神はみんな地縛霊ってこと?)


「いや、どちらかと言えば、自分で自分を縛った、“自縛霊”ってとこですね。そうして彼らは各地で神様をやってきた。人気のある神社や力のあるお寺には参拝客が多く訪れ、お願い事をするだろう? そこで祀られている神は参拝客の念を吸収して力を大きくする。これは付喪神が顕現するのと同じ理屈なんだ。念の干渉行為は君もわかるよね」


(ええ)


「そうして寺社の格が出来上がってゆく。そこでだ、参拝客が少なく下位へと転落していった神はどうなると思う? 地元の人々がたまにお参りに来るだけで、ろくに手入れもされないような神社や寺、祠や社に居ついている神は――君ならどうだろう、誰からも相手にされなくなったら、居ても居なくてもどっちでもいいなんて言われたら」


 麻邦は人差指と親指で煙草をつまむようにして眼前に持っていたが、気づいていないのか、指を焼いてしまうのではないかと思えるほど短くなっていた。


(悲しいです)


「だろうね、そしたらどうする?」


 麻邦は灰皿へと煙草を押し付け消火する。そして今度は掌をくるりと回すと次の瞬間には人差し指と中指の間に煙草が挟まれていた。トーコはそれに目を丸くしながらも(引きこもってしまうか……自棄を起こすか……いえ、私だったら相手をしてくれる人を探します)と最も前向きな答えを出してみた。


 漆黒のスーツの内ポケットから取り出したオイルライターを小気味よい音を鳴らし、目にもとまらぬ速さで、麻邦は火を点ける。鮮やかの一言である。


「そう、やはり自ら念を集めだす。のべつ幕なし、なりふり構わず、その場に居るために念力場を補強する。自分の居場所ってものを大事にするのは生きている人間だけじゃない、霊も同じなのさ。アイデンティティと言い換えてもいいかな。緋埜伊之尊も忘れられた神の一柱だったんだ。かつてここにあった樋井山は彼の居場所だった」


(その山は、なくなっちゃったんですか?)


「一九〇六年に行われた明治政府の神社合祀政策により、社殿は取り潰され遺構だけが残っていたが、それも大戦のさなかの米軍の爆撃により消失、山の形までもが完全に失われた。そして戦後復興を経て高度経済成長期に宅地造成が始まり、現在のような高台の高級住宅街となった。もはや覚えている者などいないだろう。一部の陰陽師や韻枢師、法鼎師を除いては――――ところでトーコちゃん、やはり私も大人として言っておかねばならんのですが……」


(彼……ですよね?)


「ええ……家人が体調を崩して不在なのを見計らい、彼氏を連れ込み、あまつさえそんなマニアックな激しいプレイなどをして、もし私が訪ねてこなければどうな――――」


 次の瞬間、麻邦の身体はダイニングテーブルから消え、リビングを横切り背後の開け放たれた掃き出し口からテラスへと吹き飛んでいた。


(あ、麻邦さん! ……大人なら言っていい事と、妄想していい事の分別くらい付けてください!)

 トーコは両掌を眼前にかざして肩で息をしていた。


(へぇ 君は念衝波ねんしょうはが撃てるのかぁ、すごいね)と呑気な拍手が近づいてくる、麻邦が“彼氏”と呼んだ少年だ。


 結局、飛び込んだ生垣から助けられ、家まで送ってもらったのだった。


そもそも夕飯にありつくために訪れた麻邦とこんな話になったのは、この少年が「この辺に樋井山という山があったと思うのだけど」という一言からだ。


(トーコぉ、鞠しゃんに頼まれて折角出張ったっていうのに、ボクりんを差し置いてそんなどこの馬の骨ともつかないような男と同伴出勤なんて。見損なったよ、ふん!)とミケランジェロは背中を向け尻尾を膨らませる。


(だから、ごめんって言ったでしょ……わるかったよぉ)鞠の託けを聞かないで勝手に自分の足で自宅に戻ろうとして、ミケランジェロと行き違いになってしまう事態を招いたのはトーコだ。


 しかしトーコにもプライドはある。生まれてから死ぬまでずっと住んでいた街を想定年齢十七歳にもなって、たかだか二キロの自宅までの道のりが一人で歩けないなど、受け入れがたい事実だ。


 トーコは苦い顔をしながらも(……なによそれ、同伴出勤って)と、問う。


 テラスの方で音がしたかと思うと、掃き出し窓のサッシに手をかけた麻邦がボロボロになりながらもスタイリッシュに立ち居、人差し指と中指で黒いソフト帽のつばを持ち上げている。


「はっはっは、説明しよう、トーコ君。同伴出勤というのはだね――――」と言いかけたが、部屋内がホワイトアウトするような閃光の後、再びぼろ雑巾のように吹き飛んでいた、次はテラスの柵を越え地上十八階の向こう側へ。


(トーコちゃん! 心配したのよ! 一体どこへ行ってたの!)


(――っええ! 鞠さんっ、やりすぎぃいいい!)


 部屋に飛び込んできた鞠が拳を突き出し、正拳突きの構えでいるものだから、てっきり麻邦を殴ったのかと思ったが、これもまた念衝波である。鞠といえど霊体の状態で実体を殴ることはできないのだ。


「あの、君んちはどういう家なんだい……ここは――」少年はテラスに駆け寄り麻邦の行方を確認すると、トーコを振り向き問う。


 そこへ被せてさらにややこしい人物が勢いよくドアを開き、廊下をドタドタと悪鬼のごとく舞い戻って来た。


「アァイム、バァアック! トーコ! これ何よ! あんたあたしのいない間に男なんか連れ込んでどぉいうつもりだ、ごるぁ!」


(あっは、シュリ様元気になったんですね!)


(あかりんあかりん、トーコちゃんの服を見てみなよ、ぼろぼろだよ! ほらっ!)


 どうやらミケランジェロが帰ってきた朱莉に口添えしたらしい。


「おっ、おまえか! ウチのトーコをたぶらかしたのはっ! その上こんな小さい子をレープだと? このっ変態がぁあああ!」


 朱莉は学生服を着た少年の襟をつかんで、がくがくと揺る。


「ちょちょちょ、やめてくださいはなしてくださいたすけてくださいぃい」


(シュリ様、その人は私を助けてくれたんですよっ!)


「関っ係っあるかぁああ、貴様、歯ぁ食いしばれ!」


(シュリ様!)(朱莉ちゃん!)


 朱莉を制止しようとしたトーコと鞠だったが、少年の襟を締め上げていた朱莉の身体がすっと浮き上がった。


「こぉら、暴力はやめろ」と朱莉を背後から抱き上げたのは妙玄だった。


(あれ、妙玄さんまで……?)


 妙玄は声に気づいて、二三度首を回してトーコを探す。


(ここですここです、やっほー!)両手をぶんぶん振って、妙玄にアピールするトーコ。


「う……、もしかしてトーコか……なんだそりゃぁ、まるで……」妙玄は美少女フィギュアのようなトーコをまじまじと見つめ、眉をひそめる。


(志乃さまですよ、お体借りてるんです!)


「志乃さま? ってまさかジジイから? くっ、そ……また勝手なことしやがって!」


(妙玄さんこそなんでうちに来てるんですか?)


「ちょっと天華会館に用事があってよ、顔出してみりゃ自力で家に帰るの心もとないってんで、送ってやったんだよ」


(なんだ、シュリ様だって人のこと言えないじゃないですかぁ、あはは)


「はぁ? 何のこと言ってるんだよ……」


「ちょ、みょうおげんさん……いい、かげん、離してくれない? ムネ、おもいきり握られてるんですけどぉ……」依然として妙玄の腕に朱莉はがんじがらめにされ身動きが取れないでいた。


「うっ、うおぉわ! お前、胸触られてるならそれなりにキャーとか言えよ! 全然気づかんかったわ!」慌てて朱莉を解放し突き飛ばす妙玄。


「上半身フルロックされて声が出なかったのよ! それに触覚的に気づかんとか、乙女のメンタルダメージマックスよっ! しっつれいすぎるわぁああ!」両掌をわなわなと持ち上げ、髪を振り乱し、まさに今、乙女は乙女たる根拠をすでに失っていた。そしてそこには悪いことに、その烈火をものともせず飛び込んで、ガソリンをぶちまける黒づくめの男が舞い戻ってきていた。


「はっはっは、良いではないですか! 私は成長途上の儚き女性の美にこそ、めくるめく崇拝の念を覚えますぞ!」


「むっ鞠さぁん! この黒づくめの貧乳好きのロリコンを灰にして!」


(朱莉ちゃん! 自分で言ってて悲しくなりそうなもんだけど、りょおかいぃ! 吹っ飛ばすわ!)


 十二月、めいめいに窓際を飾り立てるささやかなイルミネーションが美しい、樋井台の高級マンションの最上階の部屋は、その特別な存在感を示すべくまばゆい閃光が放たれていた。



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