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第七話 欲しいのは一本のナイフなのに 3

 同席になったのは案の定、同級生同士だった。五人掛けの円卓は、皆かつて知りたる顔ばかりでちょっとした同窓会だった。


 同級生といっても中高という括りではなく、アトリエ仲間である。地元高校に通った朝子を含む中学の漫研部員は、ほとんどが高校では美術部へと所属し、やがて進路を美術大学へと向けた。諸処の事情から一人別の高校に通った朱莉も、その学校で知り合った聡子や八代と共に、朝子とアトリエで再会した。


 このアトリエというのはいわゆる美術大学進学予備校のようなもので、美術大学の入学試験であるデッサンや色彩表現などの課題に向けて技術を磨く場である。ある程度学校や地域により傾向が異なるため、アトリエに通う生徒は皆自分の目指す美大の傾向と対策を積み重ねて挑むことになる。


 絵の描き方に方法論を持ち込むというのもおかしな風に聞こえるかもしれないが、これらは“最低限の技量”が備わっているかの確認作業のようなもので、返せば美大生である限り、人に見せるだけの絵の技術は持っていると言ってよいだろう。


 中学時代に朱莉、朝子とともに同じ時間を過ごした西村。高校の美術部で同じになった八代、聡子、三塚。彼らは同じアトリエで研鑽し大学はそれぞれめいめいに散らばったが、今も皆創作に携わる仕事をしている。


 会話の中心はアニメ制作会社に入社した八代の話で盛り上がっていた。美術大学まで出て葬儀屋などという畑違いのポジションにいるのは朱莉だけで、気後れ感は半端なかった。



「垣ケ原監督はああいう人だからさ――」


 今秋ロードショーで快進撃ヒットを飛ばしている『となりのムコウ』というアニメ作品の裏話を八代は得意げに話す。その映画を朱莉以外は全員観ているようだった。


(へぇ、すごいですねぇ……こんなとこで垣ケ原作品の裏話が聞けるなんて)


(何よトーコ、あんたアニメなんかに興味あるの?)


(あ、なんかバカにしてません? 今やアニメーションは世界がうらやむ日本のトップエンターテイメントなんですよ、特に垣ケ原監督作品と言えば――)


(あーわかってるって。あたしも嫌いじゃないから垣ケ原作品は全部観てるよ)


 主賓の新郎の上司の挨拶が行われる中、朱莉はすでにビールを三杯も片付けてしまっていた。


(三年ぶりの新作、観たいなぁ……)


(今度の休みか、レイトショウにでも連れて行ってあげるよ)


(えっ、でも一人分の料金で二人で観たら“映画泥棒”になるんじゃないですか? あれですよ、映画館の料金表示にある“小人”って私みたいな人の事いうんじゃないですよ?)


(……トーコ、あんた最近あたしを舐めてるよな……頭ぐりぐりすんぞコラ)


 トーコが実体を持ってから、ずいぶん朱莉自身の用事以外で外に出ることが増えた。迷惑というほどではないが、トーコが一人で表に出てゆくには何かと問題が多いため、仕方なく付き合うといった体が、最近の流れになっている。


 今はこんなコミカルな漫画みたいな状態だが、思えば不憫な話だ。


 彼女、トーコが地縛霊となるまでの経緯を知れば無下にもできない。


(シュリ様ぁ、おなか減りました。なんか食べさせてください!)


 こっそり誰にも気づかれないよう、胸からトーコを出し、テーブルクロスに隠れる膝の上にそっと置いた。円卓の皆は話に夢中で朱莉の行為には誰も気づいていなかった。


 こんななりでも、トーコは実体を得て満足はしているようだ。それに比べさっきの青年ときたら――人生を諦観するような物言いはあの年頃故のことだろうか、そう思いながら会場に視線を巡らせてみるも姿は見当たらない。


「あかりん! どうしたの?」西村に肩を叩かれ慌ててストールで膝元を隠す。


「いや、なんでもない――なんつーの、みんな夢を叶えたんだねぇって、ちょっと思ってさ……」


「夢……夢かぁ、いやまだ全然じゃない?」


「ええ?」


「出来ているのは絵を描く仕事に就けているってだけでさ。あたしなんか毎日怒られるのが仕事みたいなもんだもん。やり直しやり直しの連続でさぁ」西村はぐいとグラスを傾け赤黒い液体を喉へと一気に流し込む。


「そーよ、あっちじゃね、絵を描けるなんてのは出来て当然。まだ西村はいいわよ、描かせてもらってるんだから」とデザイン事務所に勤めている聡子が言う。聡子は高校からの付き合いだが、朱莉と一緒の美術大学に進学しており、特に仲が深い。


「だよな、無茶苦茶苦労して美大入ったけど、正直薄給もいいところだかんな、アニメ製作会社なんて」そう言う八代の会社は、カキガハラスタジオの下請けを中心としてはいるが、仕事は選べない状況だという。


「創作に携わるって耳触りはいいけど、正直なところ現場は腐っても死にきれないゾンビがうようよしてるわけ。いつかはいつかはってね、まだまだ夢の途上だよ」高校のときから不本意ながら恰幅の良さを維持している三塚が、その腹をさすりながら笑う。


「周防はサ、まあいいんじゃない? 安定企業で給料は保証されてるんだし。絵は趣味でも描ける訳だし」八代がそういうのも解る。正直なところ大学にいる間にそんなことには気づいてしまった。


 十四歳からあらゆる霊の声が聞こえていたのだ。その中でもちらほらと創作に携わってきた者とも話をしたことがある。そんな志半ばの作家連中の霊の言葉は、ほとんどが恨み節だった。成功した者など一人もいなかった。


 多くは時代のせいもあるだろうが、食うに困り、家族を困窮させ、病に臥せて筆を折る。あるいは愛人と駆け落ちのあげく心中やら、庵に籠り精神を崩壊させ自害。あるいは戦中、軍のプロパガンダの為の絵画を強要され自身の望む絵など一切描くことはできなかった者や、延々と淫猥な春画の類を描くより食う術を持たなかった者など、誰も満足して自分の絵を世に出すことが出来た人に出会ったことなどない。


 多少今では名のある画家であっても、それは自分が亡くなったあとであり、もう少し早く評価してくれればと、憤懣ふんまん遣る方ないと愚痴をこぼしていた。


 そんな過去の時代からすれば、随分いい時代になったとも言える。だが、それだけ門戸が広がり創作に携わる者が増え、頭一つ飛び出るためのハードルは上がってゆく。


 まだ若かった朱莉はそんな彼らを不憫に思い、鞠の目を盗んでたまに、彼らに“腕”を貸した。


 あたしの腕と手を使って好きな絵を、好きな物語を、目の前の白紙に描いてもいいんだと、作品を作ることに未練を残した“自縛霊”たちの自動書記を受け入れた。


「でもさ、朱莉は才能があるのに、もったいないってのが正直なところだけどね」ステーキを口に運びながら聡子が言う。


 聡子が見たのは彼らの絵や小説だ。自分の才能ではない。奇しくもそれらの作品は出すつもりなどなかったのに、教授の目に留まり、コンクールに出展する事態にまでなった。受賞こそしなかったが、そのことがきっかけとなり、朱莉は報われなかった画家や小説家、作家たちがもう一度、最後のチャンスだと、本当の自分の作品を作り上げて世に出したいという思いを受け続けた。気持ちが解るから、自分に出来る事ならば役に立ちたいという思いが強かった。


 彼らの中には素晴らしい技法を持つ者も多くいた。現代では失伝されたという技術を持っている者もいて、体験と称して、こっそり友人に頼んで染色や陶芸科で作品を作らせてもらったりもした。その朱莉の作った作品を見て、担当教授が目を丸くしていたこともある。


 こんな事ばかりしていると自ずと画材費の捻出が大変になってきて、深夜のコンビニアルバイトに勤しむことになる。朱莉にとってこのバイトの時間だけが自分の身体が唯一自由になる時間だった。働いているのに拘束されているのに、自由とは妙な話だが。


 そんな朱莉と亡き作家たちの頑張りに反して、目立つ結果は多くはなかった。いや、芳しくないと言ったほうがよかった。


 朱莉は残念な反面、時代が違う、時代に合わないという、どうしようもない事実を告げる残酷さに耳を塞ぎ口を噤み続けた。今の時代に生きない者は今に響かせる作品を作るりあげることは難しい。どれほどの才能があったとしても。彼らは延べてそれに気づくことはなかった。


 そしてその結果、多くの作家たちが、自らの実力を知り、納得し、創作への思いに自縛し続けた生に終止符を打ち、天上霊界へと昇天していった。


 自分が彼らの情熱を吐き出す窓になるならばそれでいいと、そう思った。


 そしてある日、朱莉は倒れた。一週間熱を出し寝込んだ。


 二年にも渡り、何十人もの作家の創作意欲を一人の体に受け続け、寝る間も惜しんで働いた結果だった。おまけに鞠にバレてすごい剣幕で怒られた。


 完全に燃え尽きた。


 そして、自動書記そんなことを続けていたため、病み上がりには自分の絵が描けなくなっていることに気づいた。自分のタッチが解らなくなってしまったのだ。それで大学の中で落ちこぼれていった。途中からほとんど授業には出ないで、中庭や旧校舎の屋上で寝てばかりいた。就職活動もままならないまま、社会に出遅れた完全なダメ学生だった。


 立ち返ってみれば、美大に居た四年間、自分は何もしていないことに気づかされたのだ。


 鞠にもさんざん注意されたが無視し続けた。


 寄って来る霊もすべて無視した。霊に腕を貸すなどという事も二度となかった。人と関わるのも億劫だった。


「朱莉、一時はグレちゃってたもんね」聡子が笑う。


「大学デビュー」八代が笑う。


 会場の照明が落ち、新郎の同僚による余興が始まる。


 哄笑の中で、朱莉は一人肩をすくめ、戯れに指先でトーコの頭を撫でた。





「いやあ、そうですか。あなたが朱莉さん? 朝子から聞いています」


「ええ……」


 二次会の席で声をかけてきたのは朝子の夫だ。


「朝子が一生かかっても超えられないライバルだって。だって」知的な笑みを漏らす朝子の夫。


「……え? ああ、でもそれは……」朱莉は視線を逸らし顔を赤らめる。確かに一時は百を越える作家の依代となって絵画、デザイン、彫刻、小説、陶芸、服飾、音楽に至るまで、様々な作品を作ったことがある。だがそれは自分の能力ではない。


「少し見せてもらったけど、僕は感動しましたよ。あなたほどの才能があるならば第一線での活躍も期待されたでしょうに」


 学校の違う朝子が、わざわざ自分の作品をチェックしていてくれたという事実を聞かされ驚いた。周防朱莉の名前で作品を世に出したことは事実だ。それを違うと否定するほうが難しく面倒だ。


「いえ……私なんて広く浅くで、そのなんていうんですか……もう、疲れちゃったんですよ」酔っていたせいもある。種明かしをしようなどという気にまではならなかったが、嘘をつく余裕もなかった。


「え? 疲れた?」


「ええ、実体のない者とのやりとりに」


「実体がない物? ……いや、芸術こそは物事の実体であり実態ですよ、本質と言い換えてもいい。芸術は物事の本質を体現する学問です。我々は今まで目に見える科学技術ばかりを注視しがちだ。だがこれからは人の本質、物事の本質を見据えてゆかねば人類の未来はないと考えています」


 この暑苦しい論調。朱莉のいた大学の、弊衣破帽に高下駄を履いた芸術哲学部のバンカラ先輩を思い出す。なるほど、彼もその手の人物かと、朱莉はエリートの裏側の顔を少し垣間見る。とことん真面目な朝子の旦那としては丁度いいのかもしれない。


 結婚式の間は霊視を意識して止めていた。結婚式という場に来る人の思念は醜い事が往々にしてある。ほとんどは雑音だが、それを聞いて気分を悪くするのも嫌だったからだ。


「だったら尚更、手数じゃないですよ。あたしなんてあれこれ手を出しまくってただけですから。何一つ突き抜ける事なんてできていないんです」


 自分で言っていて自分で傷ついた。


 そして笑った。


 笑いながら、心で泣いた。



「しゅりぃ、だいじょうぶ?」朝子が肩を抱いてくる。


「だぁいじょぶ、だいじょぶ、ちゃあんと帰るから!」


(朱莉ちゃん呑み過ぎね)


(シュリ様だいじょうぶですか?)


「聡子、西村ぁ、ちゃんと送ってあげてね。タクシー呼ぶわね」


「アリアぁ、あたしはね、あたしはね、あんたなんかライバルでも何でもないのよぉ、あんたなんかには見えない、世界が、あたしには見えてるのよ……救わなきゃいけない世界が」


「おお、でたあ! 閃光のシュリ様、八年ぶりの御顕現だぁ!」


「きっさっま! そっ、そん名を気安くくちにしゅるなぁあ!」


「シュリ様ぁ、この世界をお救いくだされ! ついでに俺の給料もあげてくだせぇ!」


「うるしゃい、う、るしゃい……」


「あんれ? シュリ・バーミリオンって魔王じゃなかったっけ?」


「そうだっけ?」


「ま、どっちでもいいんだけど――あっ! だめだめ、ここで吐くな! だぁめだって!」


(うああ……ところで、みんなシュリ様の黒歴史知ってるんですね?)


(ああ、あれね、部室によく忘れて置いて帰ってたから――あーあ……)


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