第七話 欲しいのは一本のナイフなのに 2
朱莉が会場ロビーにつくと、早速ドレスアップした二人の男女が駆け寄ってきた。
「あっ、朱莉ィ! ひっさしぶり!」
「聡子ぉ! 卒業以来だねぇ、仕事頑張ってる?」
「なんとかね、もう大変だよ」高校大学と同級生の聡子だ。卒業以来の再会だ。
「周防じゃん!」
「おお八代! 今日は男前じゃあん!」高校時代の美術部の同級生八代は礼服のせいもあり、学生時代よりもずいぶんきりっと引き締まった印象を受ける。
「俺は前から男前だろが! しかし周防ってそんなに胸デカかったっけ?」いらないことに気づくあたりは“巨乳ハンター八代”の異名が健在であることを示している。
トーコがクラッチバッグには入らなかったので、あわてて胸元に仕舞ったのだ。
「もうっ、盛ってるのよ! 察しなさいよ」と隣の聡子が、そこ突っ込むなと八代の肩を叩くが、察しなくてもいいし、できればそっとしておいて欲しい。まさか市松人形を胸に仕込んで盛ってるとは気づくまいが。
「あかりん! ひさしぶりー」続いて濃紺のタイトなシルエットのドレスを纏った西村が手を振って近づいてくる。
「にしむらっち! ってかこの前飲み会で会ったじゃん!」中学の時の漫研部員だ。あの時はいろいろとあったが、その後は笑い話として関係改善を果たしている。彼女も随分あか抜けたなと思う。昔はぽっちゃりメガネだったのにすっかりスリムになって、今ではちょっとしたクールビューティだ。
彼女は地元の高校ではなく、私学へ通っていたのでしばらく会わずでいたのだが、そのせいで先日久しぶりに会うことになった漫研仲間たちとの飲み会では、一瞬誰だか分らなかった。
(へぇ、シュリ様ってお友達多いんですね)
(まあ、あんなに変でも昔から友達だけは不思議と多いのよねぇ)
鞠も今日はいつもより華やかな着物を着ている。誰にも見えることはないのだが、女のお洒落の心得とは、まず心に衣装を纏うことなのだと鞠は胸を張る。
(友達って、いいですね……)
トーコは朱莉の胸の中で背後にいる鞠に向かって呟く。
(ねぇ鞠さん……)
(なあに?)鞠は朱莉の肩に手を置き、胸元をのぞき込む。
目が合って恥ずかしくなったのか、トーコは視線をそらし声を落として言う。
(私、一人じゃないですよね……?)
(ン、一人なんかじゃないわよ。朱莉ちゃんもミケランジェロも私もいるし、朱莉ちゃんのお父さんやお母さんとも今度のお正月に会えばいいわ。みんなトーコちゃんの家族よ)鞠は愛おしさと喜びを隠すことなく、指でトーコの頭をなでながら微笑んだ。
旧友たちとの再会に歓天喜地の朱莉は、彼女らの語らいに気づくことはなかった。
「へえ、あなたも美大卒なの?」
チャペルに移動してから隣になった青年から声を掛けられた。朝子の大学の後輩だろうか。見た目高校生みたいだ。ずいぶん若く見えるが後輩ならそんなものだろうかと、あまり気にも留めなかった。背が低くて清潔感がありそして社交的だ。
「あたしはキミや朝子と違って三流だけどね。それに結局まるで畑違いの仕事に就いちゃったし」
神父の前で、緊張の面持ちで直立する新郎は、背の高い青年。大学時代から付き合っていた先輩だそうだ。やがて背後で重厚な観音開きの扉が開かれ、まばゆい光とともに新婦の朝子が登場する。皆はさざ波のような感嘆の声をあげ彼女を迎える。以前の飲み会で会った時より何倍も綺麗に見える。神々しいとも形容できるほどに、すべての女性が最も美しく輝く瞬間だ。
静々と父親に手を取られ目の前を過ぎてゆく朝子は、ベールの中でじっと前を見据えている。人々の拍手と歓声を両脇に、まっすぐに伸びるバージンロードは彼女だけの花道だ。そして彼女は彼と結ばれ、ともに人生という長い道のりを歩んでゆく。
「素敵ですね」隣の彼の声は不思議な声色となって朱莉の耳朶を打つ。
拍手の中、新郎と新婦は手を取り合い、指輪の交換をする。
ええ、と声にならない応えを口元から漏らす。初めて間近で見る結婚式に胸が熱くなる。
「彼らも以前は互いにソウルメイトだったのでしょう」
何気に耳に入れたその言葉に、引っ掛かりを覚える。さらさらとした黒髪に絹のような肌。穏やかで物憂げな瞳は、その薄い唇から紡がれる声色も相まって、何処かしら高貴さを感じる。いや、本当に高貴な人物など今の今まで会ったことなどないのだが。
普段から人の死にほど近い人生を送ってきた朱莉は、この人と人が互いに心をかわしあい携わり生きてゆく結婚という縁には必然性を感じている。だから早すぎるとは思わないし偶然だとも思わない。昨今ではすっかりお馴染みになってしまった“ソウルメイト”という単語はもともとは精神世界で使われていた言葉だ。
この現世は必要な魂が必要な魂とともに人生を歩む場所。
出会うべき人と出会い、互いに研鑽してゆく。その相手となる人々を指してソウルメイトと呼ぶ。
青年が何者であるかなど疑うまでもなく、それほどまでに一般的に使われている言葉だ。“運命の人”のように使われることもあるが、広義に捉えれば間違ってはいない。ロマンチックに酔えるなら、それはそれでよいと朱莉は思う。
だがのちに続いた「僕にもかつては居たんだけどな」という言葉が朱莉の思考を停止させる。彼女にでも振られたのか? このおめでたい席でそんな話を聞くのは御免だと思う。
しかしさらに「人はまだまだやり直しがきくから良いね」と。聞こえなかったふりをして無視しようとも考えたが、「ちょっと、そりゃあ絶望し過ぎってもんじゃない?」と返してしまう。
「そうかな」彼は不思議なものを見るように首をかしげて、朱莉に妙な角度の視線を投げる。
朱莉は彼が挑発してるのかと、ムッとして、思わず口調がきつくなる。
「だってそうでしょうよ、今はすべてを失った気になって、あんたが絶望してても地球は相変わらず回ってる。あんたは自分が止まってるって思ってても、ちゃあんと動いてるんだから。昨日の陽は暮れても、明日の陽はまた昇る、でしょ」
最初に年下だと思ったせいもあるが、自分の境遇を運命だとか宿命だとか言って、自らが手出しできない霊的見地から人生を俯瞰するような彼をたしなめる気持ちが口調に表れていた。
十字架の前で二人がキスをしている。周囲から拍手が巻き起こる。
霊感応力などあっても幸せになどなれない。見えようが見えまいが、自分が頑張らなければ何にもならないのだ。皆こぞって神に願をかけたり、パワースポットを巡ったり、星回りを気にしたり、手相や姓名判断、厄払いやら、運気向上アイテムやら、自分があずかり知らない部分に願いや希望や不幸の根源を投げつけてしまうのは、本音を言わせてもらえば、ただの怠慢だと朱莉は思う。
「やれやれ、のんきだな」
「なにが……」
「前向きに考えられることが出来るってことが、さ――」
無駄な話をしているうちにチャペル内の人が一斉に立ち上がり、肩を並べた新郎新婦が目の前を通り過ぎてゆく。朱莉もあわてて席を立ちチャペルを出て中庭へと移動する。
花びらが舞い散る中、人垣の間を初々しい結ばれたばかりの二人が笑顔で通り抜けてゆく。
「アリア!」と朱莉は手を振る。
「シュリ! 来てくれたんだ! もうっ! その名前で呼ばないでって言ったでしょ!」
「アリアだって! わぁ、すごく綺麗だよ、おめでとう!」
「ありがとう」二人は手を取り合いながら、感じたことのない高揚感に満たされていた。何と幸せな時間だろう。互いにただ喜ばしい。互いにただ居てくれたことが嬉しい。
朝子にはずっと負け通しだった。でもそんなことは今となってみれば些細なことでしかない。立場は違えど、今こうして肩を並べることが出来ている。それだけでも頑張ってきた甲斐に説得力はあるんじゃないだろうか。この先十年後とか三十年後とか、同じように手を取り笑い合うことが出来れば、きっと幸せだ。
中庭での写真撮影が行われる。不遜な態度が妙に鼻につくさっきの青年、何者なのかと朝子に確かめようと後ろを振り返ったが、その姿はどこにも見つけられなかった。




