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第七話 欲しいのは一本のナイフなのに 1

 過ごしやすい秋晴れが続く行楽シーズンの到来に、人びとは休日ごとに胸を躍らせていた。


 それに比べ、朱莉の仕事は不定休で、急な出勤も往々にしてあり得るため、どうにも遠出の行楽は乗り気になれなかった。別に葬儀屋の従業員として休暇の権利が保障されていないわけではないが、あのような職に就くと、所謂一般的な、週末や連休といった類の言葉に気持ちが反応を示さなくなる。寧ろ反抗的にすらなるのである。


 そんな中で、友人の冠婚葬祭という名目だけは悠々と休暇申請を出しやすいというのは、働きすぎ日本人の性というものだろうか、などと、まだ社会人一年目の朱莉は自身の不自由な労働環境を疎ましく思いながらも、誇らしくとらえようとする気持ちがあった。



「鞠さぁん、こんなもんでいい?」


(ふぅん……やっぱボレロよりストールよね)


「黒かな、白かな?」


(ンン―黒ね)


(シュリ様、素敵ですよ)


「あたしが褒められても、なんだかねぇ」


「お客様? あ、あのぉ、いかがですか」


 試着室のカーテンが開かれる。目の前の店員は笑顔を見せながらも、奇妙だという面持ちで、腰を低くして朱莉を見上げていた。


「あ、ああ、電話で話してたの、友達と!」


 結婚式の出席のためにドレスを買いに来た。朱色のドレスがとても気に入った。


「そ、そうですよね! 試着室から話声がするからびっくりしちゃいました――よくお似合いですよ」

 彼女は焦った顔を裏返し、拝むように両手を合わせて取り繕った。お為ごかしだとしても言われれば嬉しいものだ。


「こんな格好するの初めてなんです、ふふ」鏡に映る自分の姿を自分でも素敵だと思う。うん、私イケてるじゃん、と。


「サイズもぴったりですね! ではドレスとストール、ヒールと……、すぐに計算いたしますので、お着替えになってお待ちくだ……えっ?」


 朱莉は着てきた服と靴をそそくさと紙袋に詰めだすと「あの、このままいきますので、これ、タグだけ取ってくださいます?」と、行動とは裏腹に、にっこりと上品に見えるようにほほ笑んだ。




「どわぁ! やばいやばい!」


(もうっ! なに余裕ぶっこいてんのよ!)


 コンビニを飛び出してドレスのままダッシュしていた。距離を考えればタクシーを拾うよりも早かった。


「だぁって、ドレスなんて持ってないし、買いに行く時間もなかったから!」


(なんでもっと余裕もって準備しないの! おまけにストッキング忘れるとか、御祝儀忘れるとか脇甘すぎ!)


「あらかじめ言ってよ、初めてなんだから! それにドレス選び、鞠さんだって楽しんでたじゃん!」


 結婚式会場はAUNグループの誇る総合結婚式場、朱莉の勤める会社『AUNセレモニー』の結婚式場部門『シエルブリリアント』である。約半年ぶりだが、まさか来賓として顔を出すことになるとは思っていなかった。


 ドレスを着た女が独り言を叫びながら、ヒールをものともせずに駆け抜ける姿は、式場周辺でたむろする紳士淑女の視線を一斉に集めていた。


 会場の受付に着くまでに、あのおとなしそうな衣裳部の矢上さんが鬼の形相で部下に指示を出しているのを見つけ、そそくさとかつて知りたる職場を駆けぬける。汗を拭きつつ、化粧室へと飛び込む。出来るだけ人のいない――従業員用に、人目を忍んで入り込む。


(トーコちゃん落としてないでしょうね?)


「もう、大丈夫よ。トーコは落ちても念動力で飛べるんだから大丈夫よね?」


(小さな子からは目を離さないように、気を遣ってあげなきゃダメ!」


 小さい子というか、それはサイズがちっさいんであって、トーコは精神年齢的には高校生くらいにはなってるはずだ。迷子にすらならないだろう。しかし、あれ以来鞠は我が子のようにトーコにご執心である。ミケランジェロの一件からの影響か、はたまた志乃さまの力が作用しているのか、トーコの目からは直接鞠の姿が見えるようになったのだという。鞠が過剰に構うのはそういう事情もあるのだろう。相変わらず鏡越しにしか鞠を見ることが出来ない朱莉は、自分でも気づかないほどのわずかな嫉妬をしていた。


「はいはいわかりました。トーコ、会場ではおとなしくしてなきゃだめよ」


(はーい、私結婚式って来るの初めてだから楽しみですー)


 朱莉のドレスの胸元から顔を出したトーコは、自分で作ったという水色のドレスを身にまとっている。早苗の裁縫指南の賜物である。なんとまあ、妖精のようにかわいらしい。


「よっし、完璧!」化粧室を出ようとすると、従業員用通路の方で人の話し声が聞こえる。ぶつぶつと脈絡なく垂れ流す抑揚のない声、それには聞き覚えがある。


 これはまずいと思い、化粧室の出入り口で立ち止まっていると、ぬっと横幅のある人影の主が入ってき、運悪く対面してしまう。


「――申し訳ございません、こちらは従業員用の……」


 しばしの間を置き、メイクのアイラインのせいで笑顔が張り付いたような顔をしている女は眉を上げ、口を開く「あっら、あなた確か……周防さん?」ぽっちゃりダルマ先輩である。研修期間でたった三日しかいなかったのに、ドレスアップして外見的にも変わっているというのに、よくも覚えているものである、しかも名前までと感心する。


「やっ、わ、ご無沙汰してますぅ!」慌てて頭を下げるが、朱莉は朱莉でこの先輩の名前を完全に失念している。


「あらぁ、今日の式は周防さんのお友達なの?」とニコニコと話しかけては来るが、その裏側で(因果ねぇ、入社早々とばされて、戻ってきたと思ったらツレの結婚式なんて)と、こちらも相変わらず、彼女の生霊が背後で本音をつぶやいている。


「そうなんですよ、偶然ですよねぇ」また“本音の嫌み”を聞かされるのではと思うと、早く話を切り上げたかった。


「どう? 天華会館あっちで頑張ってる?」


「ええ、いろいろ自分の周りにはないことばかりで、大変ですけど……」肩をすくめて困った顔をする。そんな朱莉とは真逆にぽっちゃり先輩は、表面積の大きな胸をいっそう強調して、「私たちにとっては結婚式もお葬式も基本は同じよ。来てくださる方々をおもてなすお式のお手伝い。ご提案に徹してけして出しゃばらないこと、最高の脇役に徹することが主役を最大に立てることになるのよ」とまくしたてる。


 それは重々承知しておりますと心で呟くも、続けざまにもう一人の彼女が喋りだす。


(あら、なんだかあの時は地味で内気な子なのかと思ったけど、赤のドレスがよく似合うわね、まあちょっと目立っちゃうかもしれないけど、最近は珍しくないか。とても華やかね)


「あ、ありがとうございます」彼女の“本音”から褒められて思わず鼻の下をのばして口走ってしまう。


「え?」と怪訝な顔をする彼女。あわてて「ああ、いえ。なんでもありません!」と両の掌を開いて否定する。


(でも、ちゃんと話を聞かないところは相変わらずねぇ)


 はいすみません、聞きすぎには気を付けます。


「今日の式は私のコーディネートなの。最高の門出にしてみせるからね、楽しみにしておいて!」


(そうそう、あの時間のない中で、わがままな嫁の希望を全部叶えた私の手腕をとくと御覧なさい、プロの仕事とはこういうものだということを)


「はい! 楽しみにしています。勉強させていただきます!」


 彼女の本音はともかくとして、朝子の結婚式が素晴らしいものになるのであればいうことはない。


「じゃ、今日は楽しんで、いっぱいお友達をお祝いしてあげてね」


「ハイ、ありがとうございます、失礼します!」


 元気よく頭を下げた別れ際、化粧室の奥へと消えていった彼女から声が聞こえた。“あの時に比べるとずいぶんしっかりしたじゃない、安心したわ”と。


 はて、と朱莉は首を傾げ、さっきの声はどちらなんだろうかと、無駄に考えてしまった。


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