7 和久井沓子 Ironic
男は箸を置き、手を合わすとおもむろに湯呑を手に取る。
少女はちょこんと正座し、男を見つめて問う。
「あの、今の私って、あなたにとってどういう存在なんですか?」
男はちらと目の前のテーブルに座る、人形のような女の子を見遣ると胸のポケットから煙草を取り出し火を点ける。彼女の意味深な質問にしばし男は黙し、一服煙をくゆらせる。
少女はまるで懇願するように、上目遣いで男のことを見上げる。
「お願いします、答えてくださいませんか」
こんな小さな子に、礼儀正しくお願いされたのは生涯で初めてだった。妻でもなければ恋人でもない、ましてや友人でもない。
彼女の立場および、そうなってしまった経緯や事情を知らない者に、ともに食卓を囲んでいる状況を一から説明するのは困難を極める。そういう厄介な質問に近い。男は涼しい目を向け短いため息をつく。
彼女は子供っぽい質問に、心中を見透かされたと思ったのか、顔を赤らめて俯いた。
今が事実なら、それをあるがままに受け取るのも処世術というものだ。だがまだ若い彼女には通用しないだろう。
男は毎夕のように仕事帰りにこの部屋に立ち寄る、そして彼女の手作りの夕飯をごちそうになり、帰宅の途につく。今日もそのはずだったが、湯呑を差し出されると同時に彼女に大変困難な質問を突きつけられた。いやそれは質問というよりも要求だ。
答を知る者が、それをはぐらかすことは戯れとしてあれど、男と彼女は恋人や夫婦ではないのだ。男は改めて自分の立場と彼女の存在の可笑しさを身にしみて感じていた。
彼女がこのまま何も言わなければ、普段通り男は食後の一服を終え、席を立っただろう。また明日、と。
ただ、こんな日が続けば、妙なことになっていると近隣の住民は首をかしげるかもしれない。いや、何より男は妻子のある身だ。
妙な誤解があるならば解いておかねば後々面倒だと、強く思った。
男は意を決して煙草をもみ消し、両手を組み合わせてテーブルの上へと置いた。
「――――トーコちゃん、付喪神はわかるかな?」
煙を吐き出しながら麻邦沙助はトーコに問う。
「ええ、だいたいは……」
この体をもらった時に鞠から少しだけ話を聞いたのを思い出す。
「付喪神とは、人が作り使うモノや自然にある巨石や巨木の類、あるいは土地そのものを指す場合もあるが、延べて言うなら、そもそも魂を持たない者たちが、魂らしきものを持ってしまった状態のことを言うんです。神道の世界では八百万の神とも言うんだけどね」
「この私が借りてる志乃さまもなんですよね?」
トーコは両手を広げて自分の身体を眺める。
麻邦は煙草を一本取りだすと、ふっと息を吹きかける。すると驚いたことに先端に火がともった。
「そう。我々の立場から君を見たとき――様々な要素が重なって作られる人間の被造物は複雑化すればするほど、人の構造に近づいてゆく。いわば人らしくなってゆくといってもいいのだが、住まいなどは人の生活に密着しながら、複合的な要素で構成されているため、あらゆる部分に住む人の分枢――すなわち住人の法鼎式の断片が、そこここに点在している。それを我々韻枢師は利用して、対称式を組み、素韻枢分解を行うのです」
麻邦が煙草を宙で動かすと、煙が呪符に描かれるような“韻象” を形取り、ふわふわと浮いて漂う。
「ああ、だからあの時私の名前を知らずとも対称式が組めたんですね?」
トーコは韻象を目で追いながら、あの時のことを思いだす。
「そうです。だが、そもそも見当違いだったのだけどね。話を戻します――――いわば付喪神と呼ばれるものは、持ち主の分枢を基とする念力場を持つ外力的な念の集合体で、持ち主や使用者、あるいは関係する人々の念により念力場を大きくしてゆく。そして一定規模以上の強さを形成すると、疑似的に魂のようなものを作り上げる。
しかしそれら被造物が捨てられたり壊されたりして持ち主の手から離れたり、または信仰や、人が物に抱いていた念を失ったとき、通常ならば“存在しなくなる、物でなくなる”という顛末をたどり、そこに留められていた念も散逸してしまうのだが、多く念をため込んだ物は“存在消失”つまり生き物で言う“死”を回避しようとするため、自身らを生かすために、あらゆる念を集めだす。
すなわち浮遊する霊や雑霊、地縛の霊、あるいは古からその地に住まう地霊や氏神、あるいは山神などに庇護を求めるようになる。ただ、必ずしもこれらが良縁となるとは言い切れず、中には悪霊や邪神と結びつき、物そのものが穢れ、祟られるということもあり得る。そこにさらに乗算的に指向性を持つ念が加わり、意思を持ち、疑似法鼎式を組み、顕在化する。怪異体、妖怪変化ってのは付喪神が極まった方向に向かった姿といえるでしょう。
――彼らの式は複雑怪奇なんです。なにせでたらめに集まった念をまとめているだけだから、法則性がない。我々韻枢師が最も苦手とする相手なんです。君も含めてね」
トーコは顎に拳をあて、しばし考え耽る。
(物に死はないとすると、彼らはどうして報われるんですか……いえ、ええと成仏するっていうか……)
「一部の僧侶が行う人形供養に代表される“モノの供養”というのはいわば、死が訪れることのない付喪神の正転換にあたるんだけど、実際は念力場からの解放で、現世に散らしてしまうという感じだね。彼らは魂格を持たないから天上霊界へと昇天することはない。大抵は供養されたその寺社の場に吸収されるし、吸収されなかった式の断片はそれぞれ雑霊となって現世を浮遊する。もっともこれらは規模の小さな付喪神の場合です。残念ながら志乃さまほどの強力な付喪神になると人形供養の効力以前に、供養しようとする者を取り込んでしまいます」
「つまり、取り殺されたりとか?」
「そう。だから昔から言うでしょう? 触らぬ神に祟りなしって――」
麻邦はさらに一本煙草を取り出し口にくわえる。右手の親指と人差し指を素早く擦り合わせる動作をすると、煙草の先端が赤く燃えだす。トーコは彼の煙草に火を点ける動作を見るのが楽しかった。次はどんな方法で火を点けるのか。
(この志乃さまもいろんな人の念で出来ているって聞きました)
韻枢師はちょっとした魔法のような技が使える。煙草に火を点けるくらいならば韻唱も必要はなく、動作だけで発動させることができるのだという。
「そうだね。その点から説明すると、形骸を人に似せて作られ、あまつさえ我が子のような思いを寄せて念を封じた人形ともなれば、最初から強力な念力場が形成されていたと考えられます。そこに長年にわたり、あらゆる人の念が向けられた。まあ髪くらい伸びたとて何ら不思議はないでしょう。そこにトーコちゃんの魂が乗ってる。今のトーコちゃんは、サイズが小さいことを除けば、念力場の規模としても、存在としても、生者と遜色がないと言えるね。――――はは、こんな事をできる“あの方”は全くもって恐ろしい存在ですよ」
語らいの断片がまだ浮遊する室内の空気に、同じく彼の口から吐き出された煙が混ざり合い、そして消えてゆく。
つんとした煙の刺激臭は、向かい合った二人を現実世界へと引き戻してゆく。
そこへ勢いよくドアが開く。
「くっさ!」
叫び声とともにどたどたと乱暴な足音が近づいてくる。恐ろしい鬼の形相の女だ。霊ではない、実体だ。
「てめっ、麻邦! この部屋は禁煙だっつっただろうが! トーコ! あんたもなんで止めないの!」
「これはこれはシュリ様、ご機嫌麗しゅうございます」
「ご機嫌麗しくないわよ! 昨日も会ったし一昨日も会ったでしょうが! 大体なんであんた毎日うちに飯食いに来るのよ!」
「母さんが懐かしいのです」
「うちはお前の実家じゃねぇんだよっ!」
(まあ、ウチも賑やかになったわねぇ。これも何かの縁だと思って楽しみましょうよ)
(――っ、鞠さん! いつものそれで締めるのやめて!)




