第六話 大丈夫、いきていこうよ 3
ファーストフード店の窓際のカウンターに座り、頬杖をついて朱莉はハンバーガーにかじりついた。
傍らに置いたリュックからトーコがカウンターに前脚をついて立ち上がっている。今のトーコの念力場はミケランジェロの身体である。その反対側の席におっとりと座るのは和服姿の鞠である。
(鞠さん……どういうこと)コーラのストローを咥えながらウィンドゥの表面に半目の視線を投げかける。
(ご、ごめん……思わず盛り上がってしまって……ああ、あのさミケランジェロは私の姿が見えるわけじゃない? で、だから、そこに組み入りしたトーコちゃんはミケランジェロの視覚と聴覚を共有できたってこと、でぇ……)バツが悪そうにその視線を避ける鞠。
(ふうん、それで?)
(でっ、でもね、朱莉ちゃんと私の指向性念話の内容は聞き取れないみたいで、そこはプライベート確保できてるっていうか、個人情報保護ってるわけで……)
(あのね鞠さん、問題はそこじゃなくてさ、こういう事態になることを想定できなかったのかってことよ。今日一日あたしは御間抜けさんもいいところよ?)
(そう申されますとぐうの音も出ません、すみません、想定外でございます)
(ああん? 想定外って、オタクいったいうちで何年やってる訳? ねぇ? 守るの仕事でしょ? ねえ?)
(ああああ、それ言わないで)
自身の焦燥の余り、朱莉はここぞとばかりに鞠に追い打ちをかける。
(それにさっきの蟹の水槽での話、あれなに? はッ、揃ってボンクラ部下が居酒屋で上司の悪口で盛り上がってぇ、みたいな……ぶっ!」
目の前のコーラが顔面に向けて噴出する。
(誰がボンクラ部下じゃァ!)
鞠がコーラのカップを念動力で握りつぶしたのだ。
隣で三毛猫がくりくりとした目を輝かせて笑っている、ように見える。
(ありゃ、どうしましたシュリ様?)
トーコに鞠との指向性念話は聴かれていないにしても、しまった調子に乗りすぎたと、何でもないと言いながら顔を拭く。
ひとまず、トーコから何も言ってこない今は核心に触れないでおこう、トーコに対する態度はとりあえず保留だ。
「あのお客様……店内に動物の連れ込みはご遠慮願いたいのですが」騒ぎを察知したのか、背後からファーストフード店の制服を着た店員に声をかけられ、渋々店を出ることになる。
志賀崎マリンパークを出てから、ひたすら無言で街を歩き、繁華街でウィンドウショッピングに興じているふりをする。しかしそれも限界だ。
「さあってと、まだ帰るには早いし次はどこ行くかなぁ――あっ、そういやあ飛騨さんの新しい家ってこの辺だったよねぇ?」
鞠は何も応えない、さっきの件を怒っているのだろう。
(あの、シュリ様ぁ、飛騨さんって前にうちに来てくれた、料理の上手なお姉さんですよね?)
鞠を認識したにもかかわらず、意外にもいつも通りのトーコで、いささか対応に狼狽える。
「そ……そうそうそうそう、飛騨さん! この前家買ったって言ってたからそろそろ落ち着いてる頃じゃないかなぁって、時間もいい頃あいだし――犬飼ったって言ってたし」
(ええ、犬ですか! 見たいです見たいです!)
あんたは猫なんだけどね、と言いそうになったが、寸前で止めた。
夏の空気はすっかりなりを潜め、何処からともなく実りの秋を象徴するかのような香ばしいにおいがする。
飛騨の買った件の古屋敷は志賀崎海岸が一望できる丘の斜面にあり、県下でも人気の住宅街である。志賀崎マリンワールドからはバスで十分といったところ、彼女の退勤時刻を考えれば後一時間くらいは余裕がある。
「こういう時は手土産手土産、ええと……やっぱケーキかねぇ」
(シュリ様絶対夕飯にありつこうと思ってますよねぇ)
「いーじゃない、お互い独り者だしさ、寂しくご飯食べるより二人で食べたほうが楽しいよ。それにトーコだって楽できるでしょ?」
(別に私は家に帰って作っても構わないんですけどね)
「ま、今日は遊びに来てるんだし、いいじゃんいいじゃん!」
(つーか、めちゃ勝手に都合決めてるんですけど、飛騨さんはいいんですかね?)
トーコの杞憂もよそに、電話口の飛騨からは快諾を得た。しかし、ついでに買い物をしてきてくれと志賀崎周辺の八百屋、魚屋、豆腐屋を梯子し、ケーキ屋に寄ってと、飛騨に言いつけられた用事を済ますだけで目一杯二時間もかかってしまい、おまけに最寄りバス停から歩くこと一キロ弱、両手いっぱいの買い物袋が指に食い込むのをこらえ、坂道を登り切り、這う這うの体で何とかたどり着いた。
「くっそ、キャベツに大根、玉ねぎにジャガイモに、ワインに酒一升、それに何このブリ一本! 一人でどんだけ食べるのよ! 重てぇえ!」
(ブリは冬が美味しいんですけどね、照り焼きもいいですけど、あ、ブリの唐揚げって一回やってみたいんですよねぇ。でも大根あるから煮つけかなぁ)
トーコの料理妄想をよそに、朱莉は古屋敷の門を開いてくぐる。するとどうだ、なんとあの内覧の時には雑草で埋もれていた日本庭園が綺麗に整備されているではないか。玄関先もきれいに掃除が施され、常夜灯が点っており、とっぷり日が暮れた後だというのに不気味さは一切感じないばかりか、ちょっとおしゃれな和風コテージといった風にも見える。これで温泉でもあれば最高の一言だ。
「ひっださーん! つきましたよぉお」両手がふさがっていたため、つま先で引き戸の角を引っかけて開く無精な朱莉である。
「あいよー、ごくろうさん! 上がってきて!」と奥の方から飛騨の声がする。
「うわあ、中もなんだか綺麗になってるし、リフォーム入れたのかぁ……」
躯体も構造もいじられていなかったが壁や障子、ふすまなどは落ち着いたアースカラーでまとめ上げられ、華やかでありながら和風を崩しきらない落ち着いた内装となっている。
(飛騨さんってセンスいいですねぇ)朱莉が荷物を下ろしている間に、リュックからトーコが抜けだし部屋を歩き回る。
「ああごめんな、頼んでしもて。たすかったわ――お? ニャンコやん……朱莉んとこの?」
「ええ、まあ一応」
「ネコなんて飼ってたっけ?」飛騨はトーコを抱き上げる。
「え? ――ええ、そういや飛騨さんも犬飼ったって言ってましたよね、何処に居るんですか?」
「あ、ああ……いるよ、いるいる」
「毎日会っているというのに、圧倒的犬派のあたしを差し置いて、画像の一つも見せてくれないからさぁ。顔見に来たよジョリー!」
「ジョリーちゃうし」
飛騨は目を逸らしつつ突っ込む。
「そういや名前きいてなかったっけ、名前は?」
「す、助郷禄仁左衛門宗兵衛」
「は?」
「だから、助郷禄仁左衛門宗兵衛」
「なんで?」
「自分でそう言ったの」
「そうなの?」
「そこは驚かへんのかい」
「いや、まあ、そういうこともあるかと……」
「あ、朱莉……あのな……犬が喋るって変やんな? 天華会館の葬儀では猫が喋ってたけど、あれが最近のスタンダードとちゃうやんな? ウチが知らんだけで犬とか猫はたまに喋ってるとか、そういうの常識とちゃうやんな? な? な?」
朱莉は、目を見開き突然狼狽えだした飛騨の胸元にうずまる三毛猫に視線を流し、腕を組んで考え込む。その視線を辿り見て飛騨も三毛猫の顔を見つめると「うっおぉ! あの化け猫かっ!」と両手を広げて飛びのいた。
飛騨の腕から解放されたトーコはすらりと床に着地する。
「朱莉が連れて帰っとったんかいな!」
「ええ、まあ、そゆことです」
トーコはひょこひょこと四足で歩いて居間の方へと行ってしまう。
はて、犬が喋るとな……これは大変な事態だ、こんな時は守護霊様にご相談だ。
(鞠さん、鞠さん! 大変です!)
(ああん? このボンクラに何か御用ですかぁ)
(飛騨さんとこの犬が喋るんだって!)
(そーいうこともあるんじゃないですかぁ)
(しかも助……兵衛とか昔人間みたいな名前名乗ってるらしくて!)
(まー名前くらい、なんだって名乗るでしょ)
(……もう、大人なんだから拗ねてないで、ちゃんとやろうよ、ね?)
助郷禄仁左衛門宗兵衛と名乗る犬は、居間の籐の椅子の上に座ってテレビを見ていた。
「あれ、ですか?」
「そう、あれ」
見た目はただのゴールデンレトリバーである。テレビ前の一等地に陣取っている。ただ、いわゆる犬座りではなく腹を見せて後ろ足を投げ出し、両前足をちゃんとひじ掛けに載せてくつろいでいる。
「ふてぶてしいな」
「そやねん、態度でかいねん」
「ところで飛騨さん、お線香ありますか?」
「あるけど何すんの、そんなもん」
「うちの相方が拗ねてるんで、ちょっと……」




