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第六話 大丈夫、いきていこうよ 1

「さあて、どこ行こうか?」


(シュ、シュリ様ぁ、やっぱりこれダメです、なんか違和感ありすぎます!)


「いいじゃんいいじゃん、可愛いじゃない」


(だぁって!)


「あんたも外に出るの久しぶりでしょ?」


 外から見れば朱莉がしゃがんで、猫に一方的に話かけている微笑ましいシーンにしか見えないだろう。


(だからって、ミケランジェロですよ? 猫ですよ、私)


 ミケランジェロは鞠に頼んで、自分の身体を使ってトーコの霊体と律法根出来ないかという相談をもちかけていた。無論通常は猫がこのような申し出をする事も、縁もゆかりもない霊体を、別の既に魂の宿る実存実体に組み入れるなどということは絶対にない。それに外側からそのような式の組み入れができる存在は、よほどの法鼎師か高級の霊的存在だけである。


 これを鞠の存在を気取られないよう朱莉を介して、トーコに律法根させるというのはなかなかに難題であった。


「せっかくミケが貸してくれるって言うんだから。別に人前で喋って芸しろなんて言わないからぁ」


(シュリ様に言われたってそんなこと絶対やりませんから!)


 トーコは猫の体を伸ばして、プイと横を向く。


「ま、どこでも好きなところ、連れてったげるよ、お姉さんに任しときなさい!」


 その言葉にトーコの耳がピクリと動く。


(ううっ……どこでもいいんですか?)


「いいよぉ、どこでも!」


(じゃあ、すぅ、水族、館……志賀崎マリンワールド……いきたい、です」


 志賀崎は朱莉のマンションのある樋井台ひのいだいから南を望む臨海を指す地域で、夏は海水浴客でにぎわう志賀崎海岸がとくに有名である。


 つい二年前この志賀崎海岸の脇に、AUNグループの擁する大規模なアミューズメント施設が開業し、人気を博していた。オープンして一年間はいつでも満員でとてもではないが出向こうという気にはさせなかった為、朱莉も行った事がなかった。それにバスで行けるほどの距離なので、いつでもいけるという感覚が余計に足を遠のかせていた。


 このところは来場者数も落ち着いてきているという話を、近くに住む飛騨から耳にはしていたので、一度くらいは足を運んでみてもいいかと考えだしていたところだった。


「よぉし! じゃあトーコはここに入りなさい」


 そう言って朱莉はリュックの口を開く。


(え、ここですか?)


「首輪付けて一緒に歩くわけにもいかないでしょうに」


 朱莉は笑みを浮かべて肩をすくませる。とても楽しそうに。


 その姿を、ミケランジェロの身体を借りたトーコは見上げ渋々といった様子で従う。まるで背負われる姿はおんぶされている子供のようで、猫の顔なりに複雑な表情を浮かべる。


(それにしてもふしぎですねぇ、なんでミケランジェロがこんなこと知ってるんでしょう?)


 自分は地縛霊だから絶対にこの部屋の念力場から離れられないと思っていたがミケランジェロが言うようにしてみれば、いとも簡単に彼の身体に入ることが出来たという。


(そっ、そりゃあ……あたしが教えたからだよ)


(おお、そうですよね!)


 とはいえど、ここまで鞠の説明は一切なかった。朝植物の水やりをしていると、背後から突然、猫の身体になったトーコが朱莉に話しかけてきたのだ。驚かざるを得なかったが、堪えて冷静でいるよう努めた。


 事実はとにかくトーコとミケランジェロは律法根して、トーコはミケランジェロの体を自分の思うように動かせるということだ。


 朱莉は法鼎式や印枢定理などというものは全くわからないが、早苗の葬儀の時に、早苗がミケランジェロの身体を借りて喋っていた現象は並法根、その後麻邦との悶着の際に朱莉と鞠が同化したのが律法根。


 あれを別の霊でも再現できるのかという事を印条寺に行った際、観寧和尚に訊くと、双方が意識を開けば可能だという。すなわち互いに心を許している者同士ならば、式の構造が近くなるため、組入りはしやすくなるのだと聞いた。鞠がその会話を聴いていたかどうかは解らないが、一応は朱莉も考えていたことだ。


 突然すぎて確認の暇もなかったが、おそらくその結果がこれなのだろうとひとまず得心していた。


 ドアを閉め部屋を出る瞬間トーコは自分が部屋から離れられずに、ミケランジェロの身体から引きはがされてしまうのではないかと、その緊張が朱莉の背中にも伝わっていた。


「大丈夫、大丈夫、だいじょうぶ……」


 朱莉はずっとそう言いながら慎重に部屋のドアを閉め、ゆっくりとドアから離れ、廊下を歩きエレベーターホールへたどり着く。十八階から一階まで下る間もずっと呪文のように「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言い続け、中のトーコと一緒にリュックを胸の前で抱きしめた。


「あっどーもー、おはようございます」とマンションの管理人室に詰めている初老の男に、作り笑顔で会釈すると、向こうもちらと朱莉を見遣って頭を下げ微笑む。ここに来てから挨拶をする以外一度も話したことはないが、気のよさそうな人物だと朱莉は思う。


 エントランスからマンションの前を通る道まで、小走りに駆け、立ち止まりくるりと体の向きを変えてマンションを振り返る。


「ほらっ、出れた!」


 朱莉はミケランジェロの姿をしたトーコを両手で抱え上げて言った。三年間、一度もあの部屋から離れる事の出来なかったトーコが目を真ん丸にして朱莉の笑顔を見つめ、そしておもむろに自分がいた十八階の部屋を仰ぎ見る。


(こんなこと、ほんとうに、出来るんだ……)


「ね、大丈夫っていったでしょ?」

 

(これがシュリ様の力?)


「ふははは! まあね!」


(ほほほほ! まあね! ――私とミケランジェロのおかげよ)


(もうっ、鞠さん。突然やるなんて――言っておいてよ、びっくりするじゃない)


(おどかそうと思ってねー、でも組み入れ方を教えたなんて、お上にも他の霊にもばれたら大変なんだからね。今日だけは特別よ?)


(ところでさ、今ミケの意識たましいはどうなってるの?)


(いまは寝て夢を見ているのと同じ状態ね。間接的にはトーコちゃんと同じ体験をしていることになるわ。それと、トーコちゃんの念力場はミケランジェロに準拠するから部屋に居る時ほど強力な念動力は使えないからね)


(外で使われちゃたまんないよ。つまりは普通の猫並ってことね)


 停留所でバスの時刻表を指で追って確認していると、隣の老人が物珍しそうに朱莉の様子を覗いてくる。


「おおっびっくりしたぁ、ぬいぐるみかと思ったら本物か」


「あはは、すみませんー、大人しいので大丈夫ですよぉ」笑ってごまかす。


 行く場所によってはペットNGの所もあるだろうから、むやみに顔を出させてはまずいと思った。


(トーコ)


(わかってますよ、私だってそのくらい心得てます。でも、こうして本当に外に出られるなんて夢みたいです――ねえシュリ様、私なんかのためにどうしてここまでやってくれるんですか?)


 どうしてか……どうしてだろう。


(ま、普段家の事してくれてるお礼よ、気にしなさんな)当たり障りのない答えと(そうですか……ありがとうございます。ほんとうに)感謝の言葉。


 バスのタラップに足を掛けながら考える。


 トーコは外に出たかったのだ。では、あの家に居ずとも済むなら、あんな風に地縛霊として居たくはないという事なのだろうか。自分の意思ではない――じゃあなぜ彼女はあの部屋にこだわっているのか。


 そもそも自分の家族を惨殺したのはトーコ本人だったはずだ。確証はないが事件のあらましを見る限り、中学二年生の娘が両親と姉を殺害し、のちに自害した。


 入居してからのドタバタから、事件のことはあいまいにして、彼女の素性は過去の話だとして、極力ただの霊体だという風に捉えようとしてきた。妙な縁を構築してしまうのも嫌だった。


 それというのも、人間や動植物を含むすべての物質は、それぞれの関わりが深まれば深まるほど法鼎式ほうていしきの構成は変化し、早苗とミケランジェロに現れたような種を超えた親和性と近似性が生まれ、思うと同時に並法根へいほうこんしてしまうようなことが起こる。


 これは朱莉と鞠にも言えることで、麻邦と対峙したとき鞠と朱莉が容易に律法根りっぽうこんを組めたのも守護霊と守護対象者という関係性からである。


 そのメカニズムは実存体と霊体に限って言うならば、すなわち生者と死者の相互干渉により互いが認知でき、念動力の相互相乗効果を得られるようになる原則と同根で、朱莉の様な霊感応力者はむやみに霊に近づくことは避けるべきなのである。


 霊の事情などを知り、霊の本質に触れると組み入られたり、取り込まれたり、乗っ取られたりしやすくなるというのは、地域の信仰などによって強力に山神や地霊と親和性を高めた結果引き起こされる狐憑きなどが有名で、無防備な霊媒体質者はしばしば無意識に取り込まれることがある。また故人が遺族に思いを寄せるあまり、遺族の体を借りて現世で何らかの行為に手を下したり、一部の黒魔術のような悪霊崇拝を行った結果、召喚者の体を依代として悪霊が顕現化することもある。


したがって一般人は興味があったとて、見えざる存在の確認などは本来すべきではない。 


(――あっ!)


(なによ?)


(もしかして、このまま私とミケランジェロを一緒に、売ってしまおうとか考えてませんよね?)


 そうか、その手があったか、こいつ天才……と一瞬考え、口元が緩んだのを悟られまいと「何言ってんの、そんなわけないじゃない、あっははは!」と声に出して笑う。


(ちょっとちょっと朱莉ちゃん!)朱莉の口を塞ごうと鞠が隣の席から手を伸ばすが、すでに意味を成さない。


 走りだしたバスの乗客は朱莉と先ほどの老人のみである。怪訝な顔で覗きこまれるのも致し方なかろうと、老人に愛想笑い会釈すると、「みんなでお出かけは楽しいねぇ」と彼は笑っていた。


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