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6 一条ミケランジェロ Livin' On A Prayer

 吾輩は猫である。一条ミケランジェロがそのように語ったかどうかはともかく、ミケランジェロはまだ乳離れも出来ていない、掌に収まるほどのころに人間に拾われ、育てられた雄の三毛猫である。


 だから生みの親の記憶は体のぬくもりくらいしかないし、猫の社会も知らない。むしろ人間の社会の方に精通してしまっている。


 資材置き場の隅で親元からはぐれて目も見えない中、懸命に母親を呼び路頭に迷っているところを、心優しい洋介という人間に救われた。そのことには今も感謝している、恩を忘れたことなどない。食事と住まいを与えてくれた一条早苗に対しても同じく。


 早苗は嫁姑の軋轢が嫌で、独居を貫いていた。気丈な老人とはいえ、やはり一人は寂しいものだ。彼女はミケランジェロを家族のようにかわいがり、言葉をかけ、食べる物、寝る場所に不自由しない生活を提供してくれた。人の振る舞いや、話し言葉、ものの考え方などすべて早苗より学んだ。そして死というものも彼女から学んだ。


 起き掛けの早朝、いつものカラスが罵声を浴びせに来ていた時、突然早苗は亡くなった。洋介を呼べど来るはずもない。ただなす術ないままミケランジェロは早苗を看取るしかなかった。何の恩返しもできなかったことを悔やんだ。


 ところが程なくして早苗はピンシャンとしてミケランジェロの前に現れた。体は布団に横たわっているというのに、もう一人の彼女は正座をしてミケランジェロの頭を撫でていた。


(バアサン……)


(おやおや、ミケランジェロ、そんなに悲しそうな顔をしてどうしたんだい)


(だってバアサン動かなくなっちゃった)


 早苗はふと、自身の体が横たわる布団を見て驚きとも諦めともつかないような声で言う。


(ああ、わたしゃ死んだんだね、意外にあっけなかったね。でもまあ病院で管だらけにされながら生きながらえるよりはずっと良かった。家族にも迷惑かけるしね)


(バアサン……バアサンが居なくなったらボクりんは一人になっちゃうよ、これからどうすればいいの?)


(何を言ってんだい、洋介がいるじゃないか)


(でも洋介はボクりんを家に連れて帰れないって、いつも嘆いていた)


(はあん、あの嫁のせいだね……こまったものだねぇ)





 いつもの夢だった。ミケランジェロはあの時の夢ばかりを見る。一人になりたくない、寂しい、怖い。だから朝目覚めるといつも真っ先に早苗の姿を探した。


 今朝もトーコが早くから朝食の支度をしている。早苗はいつもテラスで朝焼けに染まる街の景色を見ていた――――見ているはずだった。


 だがもうそこには見慣れた老婆の後ろ姿がなかった。今日が四十九日目、きっかり早苗は成仏してあの世へと旅立って行ってしまったのだ。


(ねぇ! おばあちゃん! 今日の献立は何にしようか?)


 いつも元気なトーコが早苗の姿を探してきょろきょろとテラスを見回している。


(トーコぉ、今日はバアサンが死んでから四十九日目だよ……)


 トーコははっと気づき、言葉を失う。


(おばあちゃんが……逝っちゃった……?)


 ミケランジェロは言葉なく頷く。


 トーコは魂が抜けたようにその場にへたり込んだ。


(あ……うわーあああん! おばあちゃああん! なんでなにもいわないでいっぢゃうのよぉおおお、おばあちゃーん)


 泣き崩れるトーコにミケランジェロは寄り添い頭を擦り付ける。これが本当のお別れだ。


(仕方ないよ、これは決まりなんだから。トーコ、泣くなよ……ボクりんも泣きたくなっちゃうじゃないか)


 トーコはミケランジェロに縋りつくようにして泣きじゃくった。そこへ足音が近づいてくる。


「朝からうっるさいなぁ……何事? 何泣いてんの、ん?」


 起きてきた朱莉がパジャマ姿のまま四つん這い、トーコの顔を覗き込んで言う。


(し、シュリ様ぁ、おばあちゃんが逝っちゃった……)


 朱莉は目を丸くして深く息を吸い、目を閉じゆっくりと息を吐く。


「あー、早苗さんが……そっか……そうか」


 朱莉は目を細めて朝焼けの空を見上げる。


 部屋の主にしてトーコの主ともいえるこの朱莉という女。彼女には強力な守護霊がついている。なぜこれ程の霊格の守護霊が、といつもミケランジェロは首をかしげる。


 自分を最終的に救ってくれたのは彼女だ。彼女にも感謝はしている。地縛霊に行き場ののない老人の霊と猫を一手に引き受けて、半分は致し方なくといったところだろうが、それでも情の深い人物だと思う。


 普段の彼女を見る限り、トーコが縋り付くほど頼りがいがあるような人物には見えないが、そこは人間の持つ感情の機微というものだろうか、ずっと早苗の家から外に出たことのない自分の世間知らずを思い知らされるようだ。


 ひとしきりトーコは朱莉の胸で泣きじゃくった。それを朱莉は何も言わずにじっと抱きしめていた。


 やがて周防家にいつもの平和な朝の風景が戻り、トーコは朝食の準備、朱莉はミケランジェロの器にドライフードをざらざらと装う。


 いつも一定量以上は器に出してくれない。あんたは太りすぎだからもう少し量を減らしてもいいんだけどね、と言いながら。


 ミケランジェロが指定したビルズのキャットフードは舶来品で、他の製品の三倍ほどの値段がする。いわば高級品なのだが、別にミケランジェロが高級品志向なわけではない。単に生まれた時から食べている為、今更食生活を変えると体を壊してしてしまうのだ。動物というのは案外不器用なものなのである。


 それにいつも寝てばっかり、と朱莉は文句を言うが、猫は寝子とも書くことがあるくらい寝る生き物であり、何もミケランジェロが特別怠け者なわけではない。


 あんたも居候ならトーコを見習って何かの役には立ちなさい、と朱莉は口うるさい。こういうとこは文句なく小せぇな、とミケランジェロは思う。


 とはいえ、ミケランジェロは今の生活が気に入っている。通りがかりに吠え掛かってくるコーギーもいなければ、やっかんでくる茶トラも、嫌みしか言わないカラスも来ない。早苗の家も広かったが、なにより綺麗で明るい。それに自由に走り回れるテラスは風通しが良くて気持ちがいい。


 ミケランジェロは窓外をみて、また思い返す。





(バアサン、ボクりんはバアサンに恩返しがしたいよ。なんならボクりんが洋介のお母さんを呪い殺そうか?)


(ミケランジェロ、めったなことを言うもんじゃないよ。そんなことをしたら洋介が悲しむじゃないか)


(それもそうだね)


(そうだ、ならミケランジェロ、私に少し体を貸してはくれんかね?)





 あの時よくわからないままバアサンに体を貸した。不思議な感覚だったが、体を持つ側が素直に受け入れれば、存外同化というのは難しいものではないことを知った。


 ミケランジェロは自分よりも知識があるであろう、テラスでくつろいでいる鞠という朱莉の守護霊に、この辺りの仕組みを聞いてみる。


 鞠はほとんどの霊から認識もされないし、守護対象の朱莉も鏡越しにしかその姿を見ることができない様である。それに詳しい事情は知れないが、トーコに鞠の存在を知られることを朱莉はひどく嫌っているので、鞠の姿が見えなおかつトーコと会話のできる自分のことを警戒してもいるようにとれる。


 ただミケランジェロもそれほど野暮ではない。黙っていることで今の関係性が続くなら、わざわざ事を荒立てることもない。ちょいとわがままを言いたいときの伝家の宝刀だと思えば、世は事なし太平なり、である。


(まあ、人間の世界でこれをやると憑りつかれたとか言うんだけど、韻枢定理では『乗根』って言ってね、ミケランジェロの式に早苗さんの式の一部を組み入れた状態をいうのね。前みたいに早苗さんの思念をミケランジェロの声帯で発声するだけってこともできるし、組み入れ方によっては律法根っていって、相手の身体を乗っ取ることも出来るし、完全に式を同化させる累乗根は人格融合までできるの――もっとも早苗さんがそんな理屈を知っていたわけじゃないだろうけどね。でもまさか人間の霊が猫の体を借りるなんてねぇ、初耳だわ)


 鞠は朱莉と違い聡明で、堅実、それでいてユーモアがあり上品で、なにより美人だ。


(あのさ、鞠しゃんはなんで朱莉になんて憑いてるの?)


 ついでだと思って訊いてみた。


(なんでって……私たち天上霊界の霊はある程度の経験を積んだら、いずれなり誰かの守護霊として憑くことを命じられるのよ――守護霊の霊格と被守護者が必ずしも対応する訳じゃないわよ。ま、かといって朱莉ちゃんがダメってわけでもないんだけど――)


 そう言って鞠は、食卓でトーコと談笑をする朱莉の方に視線を流す。


(鞠しゃんのこと、トーコには内緒にしておいた方がいいんだよね?)


(うん……今はね、そうしてあげて。朱莉ちゃんがもう少し強くなるまで、ミケランジェロも見守ってあげて)


(わかったよ、鞠しゃん)


「よぉおし、トーコ! 今日は休日だし気晴らしに外いこ! ぱあっと遊びに行こう!」


(シュリ様、無理ですよ! 何度も言うように私は地縛霊なんですから、ここからは離れられません!) 


「あ……そっか」


(――っていうか霊と遊ぶとか訳わかりませんし!)


 朱莉はやっぱりアホだ。


 だけど優しい。


 腹八分目に気をよくしながら、毛づくろいを始める。この後は昼過ぎまで昼寝をする。これは日課だ、猫には猫の生活がある。それに比べ人間はその日その日で、よくもまあ忙しく生活を変えるものだとミケランジェロは思う。


 後ろ足で耳の後ろを掻きながら、ミケランジェロはふと気づき足を止める。


 ああそうか、と。


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