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第五話 なんでもはできないの 8

 結局、観寧の気迫に押され今夜は寺に泊まり込むことになった。妙玄は作業ツナギを脱ぎ作務衣に着替え台所に立っていた。割と整然としている。いつもこの妙玄が食事の支度をしているという事なのだろうか。


「おーい。米洗って飯炊いてくれ。俺はみそ汁作るからよ」妙玄は鍋を火にかけ、出汁をとる段取りを始める。


「は、はい……お米お米、あ、洗うんですよね?」朱莉は櫃の中を覗き込み逡巡する。


「ああ、三合な」


「さんごうさんごう……このくらい、かな?」


「そこに升があるだろ、横着だな」


「あ、ああ、これね、これで計るんですよねぇ……さらさらぁっと、でっ水入れて、と」


「ちょっと待て……お前その手に持ってるもので何をしようとしている?」


「お米を……洗おうかと。やっぱり、弱酸性の方がいいですか、ね?」


 妙玄は、恐る恐る確認するような半笑いの顔を引き上げる朱莉の顎をつまんで、「――コメを洗剤で洗う馬鹿がいるとはな……おい鞠さん、こいつどうやって生きてるんだ?」


「いたっ!」妙玄にオタマの背で額を小突かれた。


(いやあ、お恥ずかしい限り。ただ、うちには優秀な家政婦がおりまして、お嬢様は台所などという場所とは無縁でございまして)


「くっ……鞠さん……」妙玄の手にするオタマに映った鞠の顔は、歪んでより一層嫌味に見えた。


 妙玄に米の研ぎ方を教わり何とか炊飯ジャーの火を入れた。いくらいまさら聞けないとはいえ、男にご飯の炊き方を教わるとは思わなかった。


 飯が出来上がるまで観寧の話を聞かされる。聞いたことのない単語の応酬で、頭がパンクする寸前である。


「続きは飯の後じゃ」


 返って食卓は静かなものだ。僧侶のしきたりに則り黙々と白ご飯とみそ汁、それに漬物が二切れの質素な食事を口に運ぶ。


 食器を洗い終え、再び観寧の話を聞き終えた朱莉は「ふう、明日は帰ったら家でのんびりしようかね。ねぇミケ?」というと、観寧が背後から冷酷な言葉を投げつけてきた。


「朱莉。続きは明朝五時からじゃ、わしは今から重要なミッションがあるのでな」


「え、えええええ? あれで終わりじゃないの?」


「バカ者、小一時間で済むような話をするために、わしが何の役にも立たないお前をわざわざ泊めるようなことをするか! こういう話は体系立ててまとめてやらねば意味がないんじゃ」


「五時! って冗談でしょ? 誤字でしょ? 睡眠時間何時間になるか逆算してみてよ! 超低血圧のあたしにとって早起きがどんだけの苦行か判ってる?」


「早寝早起きじゃ。分かったらさっさと風呂に入って布団にもぐるがよかろう。別にこの後お前らが、一晩中プロレスごっこをしてようがわしは構わんがな!」と観寧は厭らしい目を朱莉と妙玄に向けて、さっさと自室へと籠ってしまった。


「なんであたしが妙玄さんとプロレスごっこしなきゃいけないのよ、修学旅行の子供じゃあるまいし……ねえ?」


 妙玄は首をひねるようにして、覗き込んでくる朱莉の視線を避けた。


「ここってネットは繋がってるのにテレビはないんですか?」


「前まであったが、ある日忽然と姿を消したんだよ。俺が貯めた金で買った五十インチの液晶テレビがな。ジジイはとぼけているが、間違いない、どっかのリサイクルショップに売り飛ばしやがったんだ、最新式だったんだぞ?」


「え、それってぇ……いつの話ですか?」


「なんだよ……夏前だよ、何か知ってるのか?」


「い、いやいや。うちもテレビはないから。意外とさ、なくても不自由しないっていうかさ……」


「しかも、何の因果か一週間後に空からテレビが降ってきやがって、死にかけた」


「えっ! あ、ああ……そ、そうなんですか! それはきっと妖怪モノオトシの仕業ですよ! 人間の未練の心を利用して物質を顕現化するんです!」


「そうなのか?」


「……ええ」と噴き出す汗を悟られまいと、朱莉はゆっくり首を動かし妙玄から視線をそらした。


 日が暮れようとしている。トーコに連絡を入れておかねばならないが、どうしたものか。


 それというのも、念話の可能な範囲というのは一般的に会話が成立する距離と決まっているからである。仮に距離を稼ごうすれば大声を出すのと同じく、念話の出力を上げればいいのだが、指向性念話ではなくなるうえに、届く範囲も知れているのでほぼ意味はない。


 かといってトーコは携帯電話を持っているわけでもないし、仮に固定電話があったとしても電話で念話は出来ない。


 鞠は自宅まで一瞬で飛べるが、もちろん鞠に頼むことなどできない。となれば、残るはミケランジェロしかいない。


 ミケランジェロを呼びつける。


(えええーなんでボクりんが使いっぱしりしなきゃいけないんだよぉ。ボクりんは猫だけどあかりんの下僕じゃないんだよ? そこんとこ勘違いしないでほしいよね)


(あー、わかってるって。だからこうして頼んでるんじゃない)


 朱莉は印条寺の冷蔵庫にあったメザシを三匹ちらつかせる。


(安く見られちゃあ困るなぁ)


(じゃあ、もう一匹だ!)


(のった!)


 ミケランジェロを日の落ちた山の中へと送りだし、賄賂につかったメザシを冷蔵庫へと戻しておいた。依頼は当然成功報酬制である。


(大丈夫かしら? 結構距離あるわよ?)


「たまには運動させないと。イイ機会じゃない」


 ミケランジェロが暗闇の山中に消えてからしばらく、お茶を淹れ居間でくつろいでいると、玄関の扉をバンバンと叩く音がする。こんな時間にこんな古寺の戸を叩く者などいるまい。風が戸を揺らしているのだろうと気にしなかった。そこへ妙玄がスイカを切って運んできた。


「おお、いいねぇ気が利くぅ。夏っぽい! 縁側で食べよ! エンガワ、エンガワ!」正直あれだけのご飯では腹が膨れていなかった。


「お前食いもん前にしたら元気だな」妙玄も誘われるがままに縁側へと腰を下ろす。


「いやぁ、おじいちゃんの話難しくてさ。さっぱり全然わかんない」


「ははっ、正直俺も全部は解らん。元々霊の声が聞こえるってだけでこの世界に入っただけだからな。死後の世界があるなんてそれまで信じてすらいなかったし、この世の裏にこんな世界があるとは想像もしていなかった。坊主なんて念仏唱えてりゃいいもんだとな――」


「陰陽師とかってまだ居るんですねぇ」


「ま、漫画みたいな恰好はしてないだろうが、律令制の時代に覇権をふるった陰陽師が、現代の政治中枢に再び返り咲くことを目論んでいる、とそんな感じじゃね?」


「妙玄さんは韻枢師でも法鼎師でもないんですよね?」


「ああ、そんなサイコどものことなんて知らねぇよ。ただな、この仕事始めてから思ったんだがよ、こりゃ一種のセラピストだなって」


 庭に種を飛ばす妙玄を真似て、朱莉もプッと種を吐きだす。だが妙玄のように上手く飛ばない。


「そりゃまあ、特殊な職業だし、お坊さんがいないと葬儀は出来ないわけだし……」


「いや、坊主なんていなくても葬儀は出来るんだぜ。別に法律で決まっている訳じゃねぇ。お役所がただ一つ気にしているのは“遺骸の行方”だけだ、すなわち『死亡届』と『火葬許可証』『埋葬許可証』有ったもんがなくなるには、それなりの理由と顛末を示さねばならんと言う事さ。だから自宅で家族で祈って終わりでも構わねぇの」


「そう考えると霊体のほうって野放しなんですね」


「言い方はともかくだが、現代まで生者にんげんが法的に縛ったことは一度もないだろうな。もしそいつらの扱いに一定の倫理を設けるとすれば、坊主を呼んで念仏唱えさせるとか、仏壇建てたり、墓を建てたり、祀ったりと、そういう儀式になっていったわけだ」


「でも、救われない霊は多い……」


「ほとんどの坊主が霊の声なんて聞けねぇからな。こちら側からあちらさんを救おうなんてのは傲慢以外の何物でもない。と、俺はそう思ってたんだ」


 妙玄は三つ連続で器用に種を飛ばした。朱莉は相変わらずまだ一つも飛ばせない。


「下手くそぉ、こうすんだよっ」

「ううっ、ぷはっ!」

「ははは、涎たれてんぞ!」

「もうっ!」


 掌で口元を拭う朱莉に、妙玄は頭に巻いていたタオルを解いて手渡す。


「けどさ、それで救われる人はいる。心穏やかに後の人生を歩めるようになる人がいる。それならそれでいいって思えるようにはなった。残された人々の姿を見て取り、仏さんも安心してあちらに行けるわけだ。公明正大になんでもかんでも明らかにすりゃあいいってもんでもない。嘘も方便さ」


(あーあー、お楽しみの所失礼します……)


「あーお前、服にスイカ落ちてるぞ」

「うっわ!」


 種飛ばしに夢中になっていたせいで、スイカのかけらが朱莉のTシャツに落ちて染みを作った。


(あー、お二人さん。大変仲睦まじいところ申し訳ございませんが……)


「ホレ脱げよ、洗濯してやるぜ?」

「だっ、これ脱いだら裸じゃん!」


 冗談とはわかっていても、これ以上男の家事にぶら下がる訳になどいかない。


(あのぉ、不肖私、使命を果たせずおめおめと舞い戻ってきたことを大変心苦しく思って居る所存でしてぇ……)


「俺はあらゆる欲と煩悩を捨てた男だ、お前の裸を見たところで何も思わん」

「残念でした、あたしは霊感応力者よ。妙玄さんの考えてることなんて見て取れるんだから」


(な、なにしろですね――ボクりんは部屋から一歩も出たことのない家猫であるからして、野生の方向感覚という物がまるで働かずで……)


「あっ、てめぇずるいぞ! 視るんじゃねぇ!」

「生霊が口と耳から漏れ出てますよぉ」


(さらに輪をかけてこの貴族のような肉球にとって、整地されていない地面は大変辛いものであるという事で、つまり迷い傷つく前に、早々に引き返してきたわけでございますよ)


「さーて、じゃああたしはお風呂はいろぉ!」と縁側の下にちょこんと座るミケランジェロに気づくことなく、朱莉はスイカの皿を重ねて居間を出ていってしまう。


「あいつマジで気づいてないのか――お前も大変だな」妙玄は縁側から手を伸ばし、ミケランジェロの頭を撫でる。


(いえ、妙玄しゃん……おめおめ帰ってきてしまい、わが主に合わす顔がございません)


「まあ、そう落ち込むな。一応使命は果たそうと努力したんだ。どれ、メザシでも食うか?」

 

(そんな、めっそうもない。この役立たずには五匹ばかりで結構でございます)


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