第五話 なんでもはできないの 7
「おお、おお、相変わらず元気じゃのぉ。これは朱莉の連れてきた子かい?」
いつの間にか背後で観寧がミケランジェロの頭を撫でていた。
「あ、お、おじいちゃん……ご無沙汰しています」
「ああ朱莉、久しぶりだね。鞠も元気そうだ」
やや畏まって思わず三つ指をついて挨拶してしまったのは、さっきとは打って変わって観寧が立派な法衣を身に纏って現れたからだ。徳の高い高僧であると説明などせずとも、いやという程にそのオーラは体中から発されている。
(やっほーカンちゃん)
「おお、鞠は相変わらず美しいのぉ」
(私はいつだって美しいですよ)
そこいらの霊感応力者や高僧では到底視認できない鞠の姿を、唯一肉眼で捉えているのがこの観寧である。
齢百を数えるという観寧阿闍梨は背こそ朱莉よりも低いほどの小柄であるが、腰も曲がっておらず、その歩みは堂々としたものである。
「そうか、韻枢師が現世に出張ってきたか」
「うん、“まほうしょうじょ”って変な名前の奴……長い髪した黒づくめの男だったよ」
朱莉は麻邦沙助から受け取った名刺を観寧に差し出した。
「ほう……ゴーストスィーパーか。韻枢師も本業だけじゃ食えんとあって、色々としのぎをやっとるんじゃな」
観寧は名刺を妙玄に手渡す。
(民間の要請とはいえ、金銭で動くようじゃ韻枢師も地に落ちたわね)
(韻枢師? っておじいちゃんとは違うの?」
「朱莉、お前には霊能界のことは教えてこんかったから無理はないが、まあこれを機会に覚えておくとくといい――」
韻枢師とは法鼎師を祖とした、有史以前から見えざる者たちと対峙し、干渉を行い天上霊界への研究を重ねてきた呪術集団である。
地縛霊や浮遊霊に始まる霊体、生霊や雑霊にまつわる付喪神や妖怪変化、霊や天上霊界を統べる天霊や神霊体など霊的存在とされる者たちを観測し、解析を行い『式』という物質構成の体系をまとめた『縁纂枢学』を成立させ、その制御技術として『韻枢定理』を編み出し、現代まで受け継いできた。その中で政治中枢に食い込んでいった陰陽師一派とは袂を分かつ形となって今に至る。
その韻枢定理に基づいた退魔技術の一つが、霊体を素粒子にまで分解してしまう『素韻枢分解』といい、物質構成の式を解いてしまう神の領域に属する力である。
ゴーストスィーパーの麻邦が霊の名前を訊きだしていたのは、名前という個人の核心に近い部分に干渉することで、分枢を募り呪符に対称式を印し、それを霊体構造式へとぶつけ組入り、式を解くためである。この素韻枢分解は名前に限らず、霊体がかつて持っていた持ち物や、居る場所など親和性の高い要素の分枢でも代用はできる。これを総じて『代入法』と呼ぶ。
「本来、韻枢定理という式の構造を操作する行為は、もともと天上神のみが扱える神技であったものじゃ、それが人の手により野に下った。天上霊界としては不本意ではあろうが、限られた韻枢師や法鼎師の行いに限定されるならばと、因果律の歪みを引き起こしもするが、同時に補正も施していることで事実上黙認しているのじゃろう」
「じゃあ、おじいちゃんはその仲間なの?」
「韻枢師も陰陽師も、もともとわしのような法鼎師から分派した民間呪噤師の末裔じゃ。兄弟みたいなものじゃが、同じ韻枢定理を用いていても、彼らは先ほど説明したように因果律に積極的に干渉をすることで現世の歪みを矯正する。わしら法鼎師は歪んだ式の修正や新たな式を生み出すことで現世の安定を図る。――ま、革新的か保守的かといった違いじゃな。いずれにしてもこの現世と常世を橋渡ししている重要な役割じゃ」
(そんな韻枢師がホイホイと不動産屋の要請で式の制御を行うというのは、色々と不都合を起こす可能性があるのよ)
「でも、あいつ厚生労働省認可とか言ってたよ」
そこに妙玄が口をはさむ。
「ああ、聞いたことはある。市民の住環境改善を目的とした、特殊清掃業務の認可ってやつだな。内務省復活の前哨戦ってやつだ」
「は?」妙玄の説明に朱莉は虚を突かれて間抜けな声を漏らしてしまった。
「は? ってなんだよ。新聞読んでないのか」
内務省とは第二次世界大戦以前まで現存した“官庁の中の官庁”と呼ばれた最も強い行政権限を持つ官僚機構である。特に太平洋戦争期の治安維持法制定後の特別高等警察の元締めとして力を肥大化させ、後の官僚体制に多大な影響を与えたとされる。しかし戦後GHQによりこれは解体され、現在は各省庁が業務を分担している。
妙玄の言う内務省復活の流れとは、内閣府内に設置された再生特区安全対策本部設置による、国民の精神的被害を改善する住環境改善および恒久的管理における地域再生事業がそれである。
「なんでそれが内務省の復活になるのよ?」
再び観寧が口を開く。
「内務省復活とは言葉のアヤじゃ。国家陰陽師――再生特別区域安全対策特命大臣は土神門の者じゃ」
「つちみかど……?」朱莉は目を瞬かせる。
「なんじゃ、朱莉は何も知らんのお。鞠ぃ……」
(やだぁ、カンちゃん判ってるでしょ、朱莉ちゃんが私の言うこと聴くわけないじゃない)
「――確かに……朱莉、夏休みは明日までじゃろ? 今日は泊まってゆきなさい」
「えっ……だって」
「朱莉も中途半端な符術式など覚えておっても何の役にも立たん、勉強会じゃ」
「俺は構わねぇけど、老人介護させられるぜぇ?」にやにやと笑う妙玄。フォローする気はないらしい。
「そっ、そう! うら若き乙女が盛りのついた男と一つ屋根の下で一夜を過ごすなんてお釈迦様が許さないわよ!」猛然と抗議する朱莉に向かって妙玄は顔をゆがめ「別に盛ってねぇけどよ……つーか俺はバンド仲間のとこにでも泊めてもらいに行くから、泊まるなら俺の部屋使わせてやってもいいんだぜ? それとも廃墟で一晩明かすか?」
「妙玄、おまえもじゃ」当然だとばかりに観寧が一喝する。
「え、えええ? なんで俺が!」




