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第五話 なんでもはできないの 3

「……わかった。なんか状況的にヤバい事だけは。ところであの男って陰陽師ってやつなの?」


(呪符の使い方からして陰陽師っぽくも見えるけど、印の結び方が違うわね。民間に派生した呪噤師じゅごんしの末裔よ。さっき彼が言ってたのって――)


「ああ、特殊建物清掃士だっけ」


(違う違う、不動産屋の坊やよ。ゴーストスイーパー?)


「ええと、ええと、つまり。お化け掃除? いや、お化け退治ってことか」


(だとしたら狩られるわよ、あの娘)


(除霊? 成仏させるってこと?)


(あの様子見て正転換させようとしているように見える? あれは分解よ。霊体を素粒子にまで粉々にする素韻枢分解そいんすうぶんかい。前にも言ったけど、私たちはほかの霊を除霊することはできないけど、式を解いて分解することはできる。だけどその式を解くためには自分の式に対称式を組み入れなきゃいけないの。おのずと私の式は変質してチリを合わせるために膨大な縁纂えんざんを行うことになるの。そうやって因果消滅のツケを支払わなくちゃいけないの)


「それがあいつにはできるってこと?」


(韻枢術を体得した生者ニンゲンにはできるのよ、成仏させることも、除霊することも。現世に生きる者はそれらのツケを受け止めるための肉体や道具を持っているから。死者わたしたち生者あなたたちにはそういう決定的な差があるのよ)


 山岸があの『GSゴーストスィーパー』の事を知っていたという事は、依頼主は植丸不動産ということで間違いはない。今まで事故物件がらみで入居者をとっかえひっかえして暴利をむさぼっていたのに、急に除霊に踏み切るなんて不自然だ。それとも以前から腕のいいGSがいれば除霊を行うつもりだったのか。もしくは朱莉が知らないだけで、トーコはこんな戦いを毎度こなしてきたのかもしれない。


 いずれにしても植丸からすれば朱莉は怪奇現象におののいて、とっくに実家に帰っているものだと思われたのだろう。それに連休に入る前、トーコは何故急に朱莉に対する態度を豹変させたのかが解らない。

 このままでは元の木阿弥、朱莉はどちらにしてもこの部屋から追い出される羽目になる。


「ううん、それはどちらにしても困ったもんだねぇ……」


(え? なんか言った?)


「ねぇ、鞠さん。この体ってどのくらい使えるもん?」


 朱莉は両腕の二の腕を交互に揉み首を左右に振る。


(物理身体は朱莉ちゃんのそのもの。つまり私が組み入っている念力場は朱莉ちゃんに準じているから、朱莉ちゃんの体が耐える範囲なら、念動力はイメージした通りになんだってできるわよ)


「充分だね」


(なにが?)


 朱莉は鞠の質問に応えることなく、両掌を窓にかざして念を込めた。


「割れろ」


 一瞬だった。


 堅牢な最新式の防犯ガラスは一瞬にして粉々に砕け、微細なひびを全面に走らせた。特殊フィルムをサンドイッチした合わせガラスはバラバラになって砕けることはないが、応力を失った強化ガラスを窓枠から破るなど雑作もない事である。朱莉はそのまま足でくたくたになったガラスを蹴破り、室内へと進入する。


(朱莉ちゃん朱莉ちゃん! 何やってんの!)


 この行為に驚いたのは鞠だけではない。黒づくめの男もトーコも目を丸くしていた。


(シュ……!)


「ちょーっと待ってください! 作業が終わり次第お呼びしますから。そこそれ足元怪我しますよぉ!」

男は手のひらを朱莉に差し向けて、やんわりと部屋への侵入を拒んだのだが、次の瞬間体を硬直させた。


「黙れ! 下賤な呪術者風情が。我の目の前でこれ以上の狼藉を許すわけにいくまい。その駄犬とて我の忠実なるしもべぞ。みすみす蹂躙されるのを主君が黙ってみておる訳にはゆかぬだろう」


(朱莉ちゃん朱莉ちゃん! 何言ってんの!)


 後頭部の方で鞠の声が聞こえたが、無視して朱莉は魔王の声色を使い、男へと歩みを進める。


「ほう、実体……やはりこっちが真打でしたか。これは失礼。どうやらあなたは相当な霊格をお持ちの方のようですが……ぜひご尊名を賜りたく――」


「我の名か?」


「はっ、慎ましく拝聴いたしたく存じます」


 男は胸に手を当て膝をついて、王に忠誠を誓う騎士のように、最上位の敬意を朱莉に示す。


(ちょ、朱莉ちゃん名乗ってはダメ!)


(なんでよ?)


(一部の呪噤師が編み出した代入法よ、名前から霊体構造の分解式を構築するの! 偽名であっても帰納的蓋然性きのうてきがいぜんせいから朱莉ちゃんの法鼎式ほうていしきに影響する分枢ぶんすうを読まれて、対称式を組まれるわ)


(あー鞠さん、言ってること全然わかんないけど)


(偽名だろうと朱莉ちゃんの一部だってこと、名は体を表すってこと!)


(ああ、それならたぶん大丈夫。あたしに任せてよ)


 そこで男はふと気づいたように不思議といった顔を朱莉に向け、眉をひそめる。その男の心情を覆い被すように朱莉は言う。


「我の名は、ディントウルニ・アブフェアエ・シュリ・バーミリオン・モーリホア」


「ディントうルニ・あbふぇ? ――す、すみません、もう一度お願いします」


「ディントウルニ・アブフェアエ・シュリ・バーミリオン・モーリホア、魔界の十六天魔王の一人ぞ」

「ディントウルニ・アブフェアエ・シュリ……バーミリオン・モーリホア……と、ありがとうございます」男はそうつぶやくと胸に当てていた手を上着の内ポケットに差し入れる。


「さっきの術だな? やってみろ」朱莉はそれに動じることなく腕を組み仁王立ちで男を誘う。相手の思惑をあえて受け止める、圧倒的優位者の姿勢で応じる。


「ご明察……では遠慮なく!」


 男は素早く身を起こしバックステップで朱莉と距離を置くと、内ポケットから呪符を指に挟んだ右手を朱莉へと差し向け、左手は印を結びながら目にもとまらぬ速さで、人差し指と中指を使い九字印を描く。これは陰陽師が退魔式に行うスタンダードな破邪の法であるが、男は右手の呪符でこれを増幅させ、対象の名を募り代入することで万物を構成する式、法鼎式の逆縁纂を行う呪噤師、すなわち韻枢師である。式の解き方がわかれば式の素韻枢分解は確実に行う事が出来る。


(鞠さん! 問題ないと思うけど一応自分の分は護法印張っといてね! 鞠さんまで吹き飛んだら夢見悪いし!)


(ちょっと朱莉ちゃん?)


「宣、我は韻枢の定理定式により因果律の理を開放し此の者を霊滅し素へと帰す! 破邪壊鬼退魔滅法、第六十二帖三編一項、単元韻唱増幅ユニットスペルアンプ! インクルルダーマトリガールート――――カイっ!」


 まるで魔法発動の詠唱にも似た、男の気迫に少なからず動揺はしたが、炎が襲い掛かってくるわけでも暴風が吹き荒れるわけでもない。びりと空気が鋭く振動すると、わずかに体が揺れ、魂が揺さぶられる。胸がチクリと痛い。だが、それだけだった。


 一筋の汗が額から流れ落ちた。


 男は手元の呪符がほとんど残されているのを見て取り、そして朱莉へと視線を差し向ける。


「――効いて、ない?」


 朱莉は男の視線を正面から受け止め薄く笑みを浮かべる。思った通りだとばかりに。


「ふ……おあいにく様、計算間違いだよっ!」


 朱莉はさらににやりと口を歪めると、男に向かって足を踏み出す。


(鞠さん力貸して!)


「くらえっ! シャイニングテレブースト・バーミリオン!」


(え、えええしゃしゃシャイニングテレ?)


 鞠の念動力の乗算により朱莉のイメージによる身体能力は常人のそれをはるかに上回り、およそ光の速さで動くことができた。男の視界にはまるで朱莉が消えたかのように映ったのだろう、男はきょろきょろとあたりを見回すだけで回避行動すらとれないでいた。


 現時空軸内で自分だけが超高速で動くということは、周囲が超低速になるのと同義で、それが光の速さともなれば朱莉にとって時間が止まったのと同じである。朱莉はその超速状態で男に拳をつきだし、額に“デコピン”をかますと、背後に回り膝裏に“膝カックン”を仕込んで、悠々と元居た位置に立ち戻った。光速で動ける朱莉はこれらを一瞬で行ったのだ。


 この場合、傍にいたトーコだけになるが、外側からこれを見ていた者は、何もしていないのに、男が膝を折り無様にバランスを崩したようにしか見えなかった。


「うおっ!」と言いながらも寸でのところで男は踏ん張り、次の攻撃のための印を慌てて結び早口で韻唱する。


(ちょおっと! こんなことするために組み入ったんじゃないわよ!)


(やらなきゃやられる、今更つべこべ言わないで!)


 朱莉としては効率的に相手を傷めたり、足腰立たなくなるまで蹂躙してしまう意思があるわけではない。ただ敵わない相手だと思わせることさえできればそれでよかった。


 だが、敵もそうやすやすと退きはしない。


「ならばこっちですか! 第四十四帖二編一項、単元韻唱増幅ユニットスペルアンプ! インクルルダーマラウ――カイっ!」男は手を変えさらに朱莉へと攻撃を仕掛ける。左胸を射抜かれたかのような空洞感を受ける。自分の心の何かを持っていかれたような不快感だ。朱莉の一瞬の怯みに、鞠が意識を強くして前面に押し出てくる。


(やるならやるでそれなりに、私にも心の準備もあるのよ! 押忍!)


 男の次の攻撃は実体にも有効な物理攻撃フィジカルバーストが来る。これは朱莉の予測ではなく、朱莉と半同化した鞠の思考判断によるものである。


 部屋を壊されてはかなわないと、再び朱莉はテレブーストをかけ、「させるかぁ!」と男が結びかけた印を手刀で力任せに割る。そして絶妙な間合いから中段蹴りを男の腹に叩き込む。


 見事なキックである、男の体は半回転してダイニングテーブルを巻き込み、隣の住人が飛び上がりそうなものすごい音とともに床に倒れこんだ。


(よぉおっし、ナイスコンビネーション!)朱莉の身体で鞠はガッツポーズをとる。


(うっおわぁ……さっきの蹴りって、鞠さん?)


(空手五段……押忍)


 鞠の意思でやったことだが、自分の身体ながら信じられないといった風に、人を蹴った足の感触を確かめる。


 男は床に背を付け、立ちすくむ朱莉を見上げ驚愕の表情を浮かべていた。しかしやがて息を吐き、全身を弛緩させる。


「ははっ、もう少しはいけると思ったんですがねぇ……こりゃかないません」


 内心ほっとした。


「ふっ、ふはは……我は閃光のシュリ、魔界を統べる皇帝に仕えし朱き鋼の者――人間風情が我にかなうと思うたか?」


「なるほど、力の差は歴然です、これはお手上げだ。しかしなぜそれほどの者がこの程度なのだ、私ごとき瞬殺も容易であったでしょう」


 鞠が最初から本気だったならそうかもしれなかった。


「貴様をここで殺せば、我の世を忍ぶための依代であるこの女の生活が成り立たん。我とて今は諍いを起こしたくはない、そっとしておいてはくれまいか」


 朱莉は男が平穏にこの場を引いてくれるように、上位者なりの礼をもって要求した。


 敵わないとばかりに、男は体を起こし「……承知いたしました。このたびの無礼、どうか平にご容赦いただきたく存じます」そう呟くと、手からバラバラと呪符の類を床に落として、すっと身を引き土下座の姿勢を取った。


「う、む。わかればよいのだ。我はいちいち下賤なる者の行いを――」


「――しかるに! あなた様のような高貴なお方に問うなどと、恐れ多い事は重々承知の上でお聞きします」


「な、なんだ? 申してみろ」


 男は顔を上げることなく朱莉の足元で頭を下げている。この態度の豹変、朱莉自身にも何がどうなっているのかはまるで解らない。しかしここで動揺すれば魔王も形無しである。


「あなた様は何故、世を忍ぶ姿とはいえそのようなものに依り、この場に居を構えておられるのですか」


 朱莉は不遜な態度を保ったまま、直立不動で眼下の黒づくめの男を見下ろし続けた。名と立場を騙った以上、その存在理由は問われて当然だった。


「我は――」やはりここは世界を恐怖に陥れるための準備をしている、などと言うべきか? いや、それでは危険認定されて次々に退魔韻枢師の刺客がやってくる可能性がある。ちがう、もっと緩い、無害認定を得なければならないと考える。


「我は、休暇中である!」


「は? 休暇?」


「そうだ。この世界に転生しまだ間も経っていないのでな。なあに貴様が心配するようなことはしばらくは起こらん。少なくともこの女の体が生きている間はな」


「では、いずれは?」


「ああ、そうだな千三百年後くらいに世界を終わらせてやろうか、ふっふははははは!」


 朱莉の乾いた笑いを最後に、男との間に沈黙が流れた。


(実質やらないって言ってるのと同じよね?)


(かといって魔王が現世に来て何もしないなんてのも変でしょう)


 男はぽかん口を開いて朱莉を見上げていた。


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