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第四話 変わってみるのもいいんじゃない 5

「――――え? あ? ええ!?」


 母よりも少し若いように見える、あずき色の和服を着た大人の女性が、鏡の中の朱莉の背後で手を振ってほほ笑んでいた。


 朱莉は何度も自分の背後を振り返り、誰もいないことを確認する。


(そーかそーか、やっと見えるようになったのねぇ、こんにちは、朱莉ちゃん)


 女性の声はその容姿に違いなく、落ち着いており、けして恐怖を感じるようなものではなかった。それに肌の色つやも悪くはなく、陰鬱な雰囲気もない。


 まだ夢を見ているのだろうか。頭の中に直接声が響いている。


昨晩どこをどう歩いたのか覚えていないほど憔悴しきっていた朱莉は、公園から戻ってすぐに自室のベッドに倒れ込んで眠りに落ちた。


 窓から差し込んできた昼前の太陽の光に強引に起こされ、風呂にも入っていなかったためシャワーを浴びようとおきあがり、はっきりしない頭のままスタンドミラー前に立ってみれば、見知らぬ女性が背中越しに笑っているのだ。盛大に驚きたいところだったが、あいにく低血圧で朱莉のリアクションは薄い。


「は……幽霊……」


(やぁね! その呼び方やめてよ。私は天上霊界より朱莉ちゃんを守護する命を受けた天霊よ?)


「は?」


(わかりやすく言えば守護霊ボディガードね)


「いや……頼んだ覚えはないんですけど」


(頼んでなくてもこっちから行くの! そういう決まりなの!)


 幽霊にしてはあっけらかんとしすぎていると思った。さらに両手に握り拳を作ってワクワクと、なんだかうれしそうな表情がさらに存在を軽くさせている。


「で、何の用なの? あたし忙しんですけど」


(……今起きたところで何もしてないじゃない――いや、だから用があるとかないとかでここに居る訳じゃないの、朱莉ちゃんは見えなかっただけで私はずっといたの。生まれた時からずっとね)


 朱莉は自室の古ぼけた天井の板を見上げてしばし思考し、やがて口を開く。


「えー、生まれた時からって、じゃああんな事もこんな事も知ってるわけぇ?」


(視線逸らしながらその棒読みかつ、めんどくさ感の漂う語尾は信じてないのね)


「まー正直幻覚かなぁって。疲れてるとそういうの見えるって。人間の防衛機能の一つであまりにショックな出来事のせいでもう一人の自分を作っちゃうって。解離性同一性障害とかイマジナリーフレンドとかタルパっていうんでしょ? ただ、こんなにはっきり見えるのはどうかなって思うよね、それに見た目あたしより年上だし、自分が経験してない状態を作り出すって変よねぇ?)


(いらない知識を随分と……だから違うって。てゆーかそれ朱莉ちゃんの頭の中で作られるものでしょ? 『人工未知霊体タルパ』はあなた以上の知恵も知識も持たない『IF』の存在であって、並の人でも作り出すことはできるの。だいたい朱莉ちゃんの生活の中でそれほどストレスがあったとは思えないけどね)


「あるよ! あるある! もう、白く細い肋骨を外側にへし折りながら、水道ホースのような赤黒い大動脈を引きちぎり、とめどない鮮血を迸らせながら、脈動する心臓がめきめきと盛り上がり、この膨らみ始めた可愛い乳房が、内側から二つに裂かれそうな思いでいたんだから! そんなことになったらお嫁にいけないのよ!」


(なにそのグロ描写? 普通に胸が張り裂けそうって言いなさい。つーか嫁に行く行かない以前に死んでるから!)


 即座の突っ込みに、しばし朱莉は鏡の中の女性を見つめ、一気にテンションを下げ、盛大にため息をつく。


(なによ?)


「はぁ、そうなんだよねぇ。なかなか、普段こういう会話についてこれる人が少なくてさぁ」


(いや……あんた実際普段から友達に引かれてるのに気付いてないの?)


「それに、正直さぁ、こういう展開ってどーなの、って思うわけ」


(なんのことよ?)


「――周防朱莉は十四歳の誕生日に霊能力に目覚める、でもって霊と会話ができるようになって、様々な怪異と出会いながらもお気楽な学園生活を送り、守護霊の何某と協力しながら事件を解決してゆく――って安直にも程があるわ、王道、ありきたり、使い古し、普通は没よね。あたしならもうちょっとこう、ニヒリズムに形どられた異能者でいたいわけよね、正直いけてないわぁ……」


(きー、守護霊の何某ってなによ! 私の名は――)


「だいたいさ、こういう時の守護霊ってイケメンなのよ。それが何でオバサンなのかねぇ。はあ、残念残念」


 朱莉が両掌を天井に向けて肩をすくめたとたん、突然、ドンという音とともにベッドの布団が宙に浮いて、朱莉に襲い掛かった。


「むはっ! なっ、なんなの! ポルターガイストっ?」


 布団は自ら意志を持つかのように朱莉をぐいぐいと押しつけ、締め上げてゆく。


(この小童が! 年長者に向かって礼儀の一つもできんのか。とにかく今まであんたは霊なんて見たこともないだろうけど、これからはそうはいかなくなったの! これからわんさと霊を見るようになるし、向こうから頼みもしないのに友達になりたがって寄ってくるんだから! わかった? 私の言うことをちゃんと聞くんだぞ?)


 鏡の向こう側に映り込む、朱莉にヘッドロックをかます般若の形相の女におののき、恐怖のあまり誰に向けるとでもなく、目を丸くして必死で助けを求め、念じた。



 するとそこへ突然ひとりでに扉が開き、一陣の風が吹き抜ける。窓は締まっているはずなのに。その瞬間朱莉の体を抑え込む力は消え、一気に解放されるとともに膝から崩れ落ちた。


(朱莉! 無事か?)


 また頭の中に直接語り掛けてくる声だった。だが今度は男だ。


 気配を感じた方へと顔を向ける。


 なんとそこにはまばゆい光を纏い、ちらちらと金粉のようなものを纏った長身の美男子が立っていた。


 眼は鋭くも、ダークブラウンの深みのある瞳は誠実さと優しさを備えているように思えたし、嫌味なほどには高くない鼻と、きっと歯並びがきれいな引き締まった口元。Tシャツとデニムというシンプルないでたちながら、男性らしい骨格と筋肉のつき方がそれ以上の装飾を野暮だと思わせるに十分だった。


「あ、あなたは……? いったいどこから……」


 男性はひざを折り朱莉の前に座ると、瞳を覗き込んで、触れようと手を近づけてくる。


(朱莉、僕が見えるんだね? この日を待っていたよ。僕は朱莉が生まれた時からずっと見守ってきたんだ)


 朱莉は今までに見たこともないようなイケメンを目の前にして、動転していた。あえて彼を形容するなら、今最も売れているハーフのファッションモデルの桐原耕哉だ。いや、本人かもしれないと思うほど似ている。


「霊……あなたも?」


(ああ。さっきの霊、僕には見えなかったんだが、よほど低級の悪霊なのか……?)


 朱莉はフルフルと首を振りながら、わからないという意思を伝える。そしてこの人が本当の自分の守護霊なのだと確信する。


「き、きっと悪霊なのよ、自分のことを守護霊だと言っていたけど、あれはきっと私を惑わす作戦だったのよ!」


(そうか……怖い思いをしたんだね。僕が必ず守るから、もう安心して)


 イケメンの霊は朱莉の体を包み込むようにして抱きしめてきた。何かどこか昔感じた懐かしいような、そんな気分だ。とても温かい。


 私の背後にはイケメン守護霊がいる。この文言に朱莉は再び、かなぐり捨てたはずの中二病をむくむくと再発しそうになる。


 学校の同級生なんて目じゃない、本当にかっこいい大人の男。あっ、でもそんな人に生まれてからずっと見守られていたってことは、自分のあんな事やこんな事までつぶさに見られていたってことで、そのことにはもはや弁明の余地はないのだけど、乙女の恥じらいというものだって自分にはあるわけで、もう朱莉お嫁にいけない、あなたが責任とってよねなんてダメだと解っていても、つい詰りたくなるのが人の愚かしさ。永遠に結ばれないならいっそ私もあの世に行って、あなたに近づきたい。ああ触れたい、抱きしめたい、やっと出会えたね、あなたの、わたしの……。


 また突然のドンという、部屋中を震わせる衝撃波により正気に戻された。


(って、何やってんの?)さっきの女性の声がした。


「え?」


 イケメンの霊は消えていた。その代わりに、また先ほどの女性の霊が鏡の中に居た。


(気持ち悪い……また何か妄想して悶えてたんでしょう。油断してたわ、まさか私が飛ばされるとはね)


「っ……でたなぁ! 悪霊!」


 朱莉は鏡の前で身構えるも構える方向が違うことに気付き、鏡に背を向ける。しかし鏡を見なければ“彼女”の姿は見えない。どちらに向くか迷った挙句、結局鏡の方を向いて対峙することにした。


(なあに? いつから私は悪霊になったわけ?)腰に両手を当て、いかにも呆れたといったように小首をかしげる。


「う、うううるさいっ! 守護霊のお兄さあああん! 助けて、また悪霊がっ!」


 朱莉は家の中であることも忘れて叫んでいた。


(はぁ? 守護霊のおにいさん? おっと……)と言い残すと女性の霊はふっと消えた。それと入れ替わりで、朱莉の両親が血相を変えて部屋に飛び込んできた。



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