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4 トーコ A Change Would Do You Good

 笠鷺市かささぎしの高台にある高級マンションの最上階に地縛する霊トーコは、主のシュリを見送ったあと、鼻歌を歌いながら掃除機をかけていた。ちなみに服装は相変わらずセーラー服にフリルのエプロンだったが、この姿を霊視能力のない者が見れば、掃除機が魔法でもかけられ機嫌よくひとりでに動いているようにしか見えない。


(シュリ様、今朝はずいぶんとご機嫌斜めだったなぁ。ねえミケ?)


 先日から新たな居候となった三毛猫のミケランジェロは猫然としてミャーと応える。


(なあによミャーって、猫みたいに。ま、とばっちり受けるのは勘弁だし、深く訊くのはやめといたほうがいいよね。ふふーん、おばあちゃん、今日は何の料理教えてくれるのかなぁ、楽しみー)


 ミケランジェロとともにこの家に頻繁に出入りするようになったのが、一条早苗という先日天華会館で葬儀を執り行った老婆の霊である。朱莉とも悪くない関係を結んではいるが、とりわけトーコがずいぶんと懐いており、毎日料理や裁縫を教わっている。


 トーコは家事をするのはまんざらでもなかった。


 掃除、洗濯、料理、こうして誰かのために家を整え、生活を円滑にする縁の下の力持ちでいられることに喜びを感じる。死んでなお、このような気持ちになるのは変な気分だが、シュリという超常の力の持ち主の元であったればこそ素直に従えるというものだろうか。


 これまで一家を失って霊体となってから、あらゆる人々がこの部屋に居住した。とはいえど、トーコの起こす怪奇現象に皆一か月と保たず、入居と退居を繰り返す三年間だった。


 たいていここに来るのは霊の存在など信じないという人間ばかりだ。もっともそうでなくてはこんないわくつきの物件を選んだりはしないものだ。


 トーコは享年が十四歳とうら若くとも、三年間人の暮らしやその生活ぶり、会話を聞き様々な知識をつけていった。なまじ暇なだけに、人の良いところも悪いところもつぶさに見届けてきて、年齢不相応に老成しているといってもよかった。


 彼女のように意識のある霊体は通常の人間と同じく、感情もあれば思考もある。入居者の一切合切を見て取ることができるという事は、入居者と一緒に暮らすことでもあるのだ。


 トーコは部屋の主であった。


 部屋を粗雑に扱ったり、気に食わない態度をとる入居者に対しては容赦なく怪奇現象を起こし、退去させてきた。その行為がどうやら不動産屋の営業利益につながっているという事に気付くのにさして時間はかからなかった。


 その仕組みを理解してからは面白がって怪奇現象を頻発させ、入居者を入れ替えるという遊びで暇つぶしをしてきた。なにより入居者が入れ替わるごとに掃除が施され、空気が入れ替えられ、リフレッシャブルな情念がこの念力場に蓄積されるというのが楽しかった。それ毎に、まるでRPGのキャラクターのようにレベルが上がって、自分の力が強まってゆくのが感じられたからだ。


 しかしある時、一組の家族がこの部屋に入居を決めた。朱莉の一つ前に越してきた上品な家族だった。


 四十代の夫婦と高校生の女の子と中学生の男の子の四人家族。トーコのかつての家族に似ており、懐かしさと微笑ましさが彼女に霊の本分を忘れさせるほどだった。


 表向き仲の良い家族だった。皆で引っ越しに汗を流し、朝食、夕食は必ず四人で摂り、いってきます、ただいま、おかえり、ありがとう、おやすみ、ごめんなさい、と家族の誰もがそれらの言葉を欠かすことはなかった。皆がいつも笑顔だった。


 もちろん親子、夫婦、姉弟なりの諍いは単発的に引き起った。だがそれらは次の日にまで持ち越すことなく、またもとの生活へと、定位置へと戻ってゆく。


“模範的家族”とトーコは心の中で呼んでいた。


 今回はこの家族の生涯を見届けるのも、地縛霊として悪くはないかとさえ思い始めていた。


 夫は平日会社に出かけ、休日の一日は趣味の釣りに出かけていた。遠くに行くときは泊りがけでゆくこともあったが、たいてい日曜日は家族のために使っていた。


 対して妻は午前中に家事をほとんど終えて、昼に出かけることが多かった。夕方には買い物袋を提げて帰ってきて、夕飯の支度を始めた。料理や家事全般の手順は彼女の姿を見て覚えた。


 模範的妻はいつでも出かけるときは綺麗にしていた。まだ三十も半ばだ、女としての色つやも衰えてはいなかった。姉弟も子供なりに遊び、勉強をし、いたずらをして毎日を面白おかしく過ごしているように見えた。


 平和で幸せ。ありきたりであまりに普遍的で、ある意味非現実的な言葉。それがピタリと当てはまる家族だった。


 だが、これらはすべてまやかしだった。偽りの幸福、不実の家庭像だった。トーコが信じていた模範的主婦像は、夫と二人の息子が家を出たあとにかかってきた一本の電話により突然瓦解する。


 しくしくと電話の向こう側ですすり泣く声がする。妻はそれをなだめるように声をかける。自分は強い霊能力があり神霊の御手に選ばれたものだと言い、“神霊宝珠”と称する透き通った水晶球を神託と共に授けようというのだ。


 トーコの目からそれはとても奇異に映った。彼女は霊感応力者ではないし、その宝珠と呼ぶ球もただのガラスだ。この人は何を考えているのだろうと。


 どうやらその宝珠を求めるのは体の弱った老人や、何らかの事情で不幸を背負った者などで、健康になる、幸せが訪れる、などと言葉巧みに電話口で優しい言葉を彼女に投げかけられ、宝珠を持てば叶うと信じ込まされている。


『あなたの幸福こそが私たちの幸福です』と書かれたウェブサイトのトップ画面を前にして、まるで呪文を唱えるかのような彼女の横顔からは、醜悪と言うにふさわしい笑みが漏れていた。


 夫は夫で妻子が寝静まってから、彼が夜ごとテラスに出て星空でも眺めて一杯やっているのかと思いきや、電話をしている相手は女性。まったく週末に釣りとは上手く言った物である。“釣り場によっては泊りがけになる”夫は悠々と家族を欺き、愛人たちとの蜜月を週末毎に楽しんでいた。


 この夫婦の不実、十四歳からいくばくかの精神的成長を経た程度のトーコには、到底受け入れられない光景だった。


 そしてそんな両親を知ってかしらでか、娘は週に一度のペースで親の財布から現金をくすね、洋服や化粧品を買い込んでいた。それほど頻繁に一万円単位が消えれば親が気づかない訳でもあるまい。


 息子は家族がいない隙を狙い、テラスに面した掃き出し窓の隙間から翼を休める鳩やカラスをエアガンで撃って遊んでいた。それだけならまだしも彼はプラスチック弾の連射で痛めつけた鳩を捕まえ、羽根をもぎ、あろうことかそれを十八階のテラスから投げ落とすという残虐行為を行っていた。


 この家族は皆が皆、それぞれの暗部に気づきながら、自らが生きてゆくための最低限の社会的家族を演じている。家族を崩壊させるというタブーに抵触しない限り、看過し続けていた。


 一か月と十日ほどした頃、トーコは彼らが留守の間に部屋中をかき回した。空き巣か何かが入ったのかと警察が来たが、もちろん手がかりなどなくすごすごと退散していった。


 その三日後、妻が稼業で使うパソコンをクラッシュさせ、娘のワードローブに墨汁をぶちまけ、夫の尻に釣り針を五本突き刺し、息子のエアガンを全て十八階の窓から投げ捨てた。


 彼らの不逞行為は軌道修正のためにしばしなりを潜めたが、そのツケが家庭不和を生み出す結果となる。誰がやったのだと皆が皆を疑った。元々信頼関係もなく後ろめたさだけがある家族には、もはや形だけの挨拶も声掛けもなくなった。食事を一緒に摂ることさえなく、姉弟は部屋に引きこもるようになり、夫は週に一度しか戻らなくなった。


 こうしてトーコは家族らしき集まりを名実の元崩壊させ離散させた。そして自身は深く傷ついた。かつての愛する家族が住まった部屋を穢された思いを拭えず、部屋の鍵を壊し誰も入れないようにした。


 だが結局鍵は部屋を管理する植丸不動産の依頼で業者に交換され、またいつも通りの怪奇現象の起きた部屋として賃貸物件として出された。


 そこに来たのが朱莉である。


 トーコとしては複雑な気分だった。もう自分の家に誰も住んでほしくないと思いながらも、人が住まなければ家は荒廃してゆく。その二律背反にあえぐのである。


 人が住まなくなると家が傷む、とは昔からよく言われることで、これは風通しがなく空気の流れがなくなることでほこりや湿気がたまり、内装や躯体を痛めたり、人の気配がないことで害虫などが住み着きやすくなることに由来するのだが、そもそも風通しの悪い鉄筋コンクリート造のマンションはさほどの影響がない。


 それでもトーコが家の無人化を気にするのは、家もまた生き物であり彼らは生きた人間の念をある程度吸収して形を保っているという理屈からである。無論それは何らかの理論に裏付けされたものではない、トーコは今まで何組もの入居者を入れ替えてきて、肌でそれを感じてきていたのだ。


 トーコから見て周防朱莉という女性は何の変哲もない、普通の人間である。しかし強力な“なにか”を纏っていると感じる。しかし感じることができても見えない。これは自分と次元帯が違うせいで見えないのだと理解していた。おそらくは自分より高位の存在だからと。そして世を忍ぶ仮の姿であったとしても、今は彼女が演じる人間性には少なからず好感を覚える。


ディントウルニ・アブフェアエ・シュリ・バーミリオン・モーリーホア。魔界の十六天魔王の一人、すなわち彼女は魔王の権現である。


 その超常の存在が現世にどのように成立し、顕現しているかという構造を低級霊である自身が理解できるはずもないと、トーコは重々承知している。心霊世界にはまだまだ知らないことが多く、三年やそこらでは理解が及ばない。ようやく受け入れ始めた人間界の情念構造ですら複雑怪奇で理解に苦しむのにと、トーコは思う。


――しかし。


(閃光の朱き鋼王シュリ・バーミリオン……むう、中二っぽい。やっぱり魔王って二つ名があるものなのかな? ねえミケ)


(さてね、ボクりんはゴハンさえもらえればほかの事には興味ないからね、ああ眠い)


(もう、つまんないなぁ。あんた昼間は寝てばっかりじゃん。それにね、あんたが来てから毛が散らばって掃除が大変なのよぉ)


(仕方ないよ、ボクりんは猫だからね)


 掃除をしながらシュリ、すなわち周防朱莉という人物により興味がわいた。霊感応力があることは確かだ。とはいえ、彼女に惹かれるのはそれだけが理由とは思えない。


(ま、考えてわかることでもないか)と独りごち、トーコは朱莉の部屋を掃除するためにドアを開いて掃除機を引きこんだ。


第四話テーマソング『A Change Would Do You Good』シェリル・クロウ姉さんです。あの乾いた退廃的な歌声がたまりません。

タイトル通り、変化、人生の変節、それは良い事だ、的な意味になります。


青春期の迷いや憤り、憧れや嫉妬や晴れない疑問、冴えない問題点。流動的な青春。原曲からの歌詞からはそんな雰囲気を感じ取りました(全然違うかもしれない)


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