第三話 「ウチはひとりで生きていくねん」 7
朱莉が内輪で悪態をついていると、状況とは裏腹に妙玄がほっとした表情を浮かべ芝居じみた言葉を洋介にかける。
「洋介君、君の言いたいことはよくわかった。けどこれは大切な儀式なんだ。厳しい言い方になるが、君の主張のために利用するべきじゃない、葬儀は早苗さんのため、そして早苗さんを思う人のために営まれるものだ、もちろん君も含めて」妙玄はやや厳しい口調で洋介を嗜める。
そしておもむろに顔をあげ、会葬者全員に向けて放つ。
「遺言とはいえ、ましてや生命あるものが死者とともに旅立つことは叶いません。猫とて家族です。このことはここに居られる皆様のお力添えも賜り、洋介君とお母さまとの間でじっくりお話しすべきことかと、私はそのように思います」
やり方はどうかと思うが、当事者の早苗が望み丸く収まるのなら構わないかと息をつく。ともかくここまでくれば、あとは洋介の一言で決まる“母さん、ミケランジェロを家族に迎えてあげてよ”と。
「で、でも……」とそれでも煮え切らない母親は気ぜわしく周囲を見渡す。洋介から聞いてはいたが、この期に及んで逡巡するとは相当な動物嫌いなようだ。さすがに朱莉も一言いいたくなったが、それをやればまた以前の二の舞だ。洋介に任せよう。
「母さん――」
洋介が一歩踏み出して母に向かう。
そこへ突然、ミケランジェロが棺の上に飛び乗ってくる。妙玄と洋介はぎょっとして言葉を失った。
「この、猫め! 母さんの棺から降りろ!」と洋介の叔父、つまり早苗の三男坊と見える若い男が手を払いながら棺に駆け寄る。
これに乗じてこのイレギュラーな事態に対して、彼ら親族は目の色を変えて必死で混乱に蓋をしてしまおうとしているかのように見える。
「洋介! おばあちゃんの遺言だなんて嘘を言うんじゃない! こんな我儘をして葬儀に来てくださってる皆さんに申し訳が立たないだろ、謝りなさい! 大体あんたも子供心を煽るようなことを言うな!」もう一人の叔父、早苗の次男坊が妙玄と洋介を詰る。
「洋介! 猫をうちで飼うことはできないの! ましてこんなことをして、恥ずかしい!」と泣いていたはずの母親は一転し洋介の腕を引く。
だが次の瞬間誰もが予想しなかった展開に凍り付き、言葉を失う。
「アーアあー、しずまれニャん、静まるニャン! 騒々しい」
猫が喋ったのだ。
そう、流暢に猫口調で喋った。
式場内はその様子に再び騒然とし、ところどころで悲鳴が上がる。失神するものまで現れ、式場内は混沌の渦に巻き込まれる。これは大変な事態になった。
職員は総出で鎮静に駆けまわる。朱莉は苦々しい顔を何とか繕い、皆に向けて落ちつくように、とマイク越しに告げる。落ちつけるわけがない。普通は猫は喋らないものだ。
三毛猫は前脚で顔を擦りながら、場のおさまりを待っているかのようだった。そして一通り驚愕の波が凪いで、会場に落ち着きが訪れると再び話し出した。
「洋介は学校にも行かニャいで毎日うちにきて、ミケランジェロのことを気にかけてくれてた。感謝してるニャン。婆さんは洋介のこと心配してたニャ。洋介に友達がいないことをニャ。けどニャ、もうこうやってちゃんと話せるんだから学校に行くニャン。怖がってたらダメニャン」
洋介は目を大きく見開き顔を真っ赤にしてうつむいた。その隣で唖然とする妙玄。
「それから洋介の母ちゃん、あんたは婆さんがどんニャ猫を飼っているかニャんてずっとしらニャかったかニャン? まあ、あんたはずっと婆さんのうちには来ニャかったからニャ、心配もしニャかったんニャ? 長ニャンの嫁が聞いてあきれるニャン」
ミケランジェロに無表情でじろりと睨みつけられながら、洋介の母親は親族の冷たい視線から必死で逃れようとしていた。
朱莉の目には、ミケランジェロの後ろに寄り添うようにして早苗の霊体がついているのが見える。いわゆる“口寄せ”といわれる、霊の言葉を実存体に投射して言葉を発するようにする、古くからおこなわれている降霊術のひとつである。
さすがに猫の体を使ってそんな事が出来るとは思っていなかったので驚いた。猫の声帯を使うが故にこのような漫画じみた猫語になるのだろうかと考えるが、そんなことは今はどうでもいい。
朱莉は身をかがめて、そっと棺へと忍び寄る。
「でもニャ、婆さんは一人で気楽に生きられて満足だったって言ってたニャ。だがもう臨終ニャン、これからはあんたらの好きにするがいいニャン、ばあさんの家も土地も残ったお前たちで分ければよいニャン、もうその算段は出来ておるのニャろ? ただ隆は騙されやすいからニャ、気を付けニャあかんで。和弘はいつまでも遊んどらんで身を固めるニャ」
洋介の二人の叔父は身を引き思わず背筋を伸ばした。
その隣でがくがくと膝を震わせる洋介の母親はミケランジェロの視線に捉えられ、身動き一つできない。
「恵美子さん、博史がおらんようニャって大変かもしれんがニャ、洋介はあんたの子ニャ、ちゃんと見てやるニャ。それからミケランジェロのこと――」
「どりゃ!」
次の言葉を言いかけたミケランジェロを、朱莉が飛び込んで捕まえ口を塞いだ。暴れるミケランジェロを羽交い絞めにしながらそそくさと身を引く。
「朱莉!」と飛騨が言うも、これ以上好き勝手にしゃべらせる訳にはいかない。飛騨に司会の引き継ぎをお願いと、身振りで伝えると式場の隅まで一匹の猫とともに一体の霊体を連れてゆく。
(はあっ、はあっ……冗談じゃねぇぞババア! こんな下手な二人羽織でっ!)
(ありゃ、なんや、あんた私が見えてたんかいな?)
(どういうつもり? 今からくたばるからってあたしは同情なんてしないからな!)
(ええわいな、別にあたしがどう思われようが。性格の悪いババアやと思うなら思えばいい――)
(そういう問題じゃないでしょ!)
(猫だって心を持っているんや、ちゃあんと考えてる、人を見ているんや、喋れるなら言いたいことだっていっぱいあるんや)
(って……喋ったのはミケランジェロじゃなくてばあちゃんでしょ! 途中でばあちゃんの主張になってたじゃない!)
(ま、悪ぅ思わんといてや。人というのは存外つまらんもんや、私も早くに主人に先立たれてから女手一つでやっていかなあかんって必死やった。仕事にかまけて家族はほっぽりだして、土地ころがして資産を増やして、金持ちになった。そのおかげでこんなババアの葬儀にこれだけの人が集まってくれとるんやけどな、けど金目当てのモンばっかりが集まっとるだけや)
変わらず落ち着きを見せない式場内であったが、朱莉は改めて周囲を見回し嘆息する。式の仕切り直しのために、職員らが大わらわで場の収束に努めている。
(ばあちゃんは立派じゃん、仕事して子供育てて――)
(立派な事あるかい、隠居して挙句今際の際は孤独死や、看取ってくれたのが猫一匹や)
(洋介君はおばあちゃんのこと心配してたじゃない)
(逃げ場所になっとっただけや)
(え?)
(人ってのはは、手ごたえが欲しいもんや。生きてるって手ごたえ。誰かの役に立ってるって手ごたえが。存在証明っちゅうやつやな。その場その場で自分が必要であるという事を証明するためにパフォーマンスをしてるだけや。居場所がなくなるのはつらいからな)
(捻くれてるなぁ……)
(死に際……っちゅうか死んでから家族にしてやれること考えても、文句しか出ぇへんとはな。ははっ、みじめやで)
(みんな似たようなもんだよ。心置きなく逝ける人なんて稀だよ……あたしが見てきた中では)
式場内が収まり、皆が着席して妙玄の読経が再開される。一度は削がれた厳粛な空気だったが、妙玄の読経が作り出す荘厳な雰囲気が葬儀の場を繕い直し、親族、会葬者一同は何事もなかったかのように背筋を伸ばし祭壇を見つめている。
(これがあたしの葬式か……)
(うん……ばあちゃん、あたしは思うんだけどね、家族ってのは意外に気が回らないものだと思うの。気にはなってるけど、つい後回しにする。いろんな理由をつけて。でもその気の回らなさも、ずうずうしさも、身勝手さも、許されるのが家族じゃないかな……だから誰が正しいとか間違ってるとかもないっていうか……甘えてるようで甘えてないっていうか……)
早苗は静々と壁際から離れて祭壇に向かってゆく。
胸に猫を抱えながら、朱莉は自分の言葉が自分自身に鑑みて正しかったのかどうか解らなくなり、言葉を詰まらせ唇を噛んで老婆の背中を見つめる。
すると早苗はゆっくりと振り向き(ありがとうな、ミケランジェロ。それにあんたも)
(ばあちゃん……)
そっちに戻るよ、という意を込めて妙玄に視線を投げると、彼はだらだらと汗を流しながら、ちらと朱莉に視線を送り、わずかに顎を下げ、さっきより強い調子で経を読んだ。




