第三話 「ウチはひとりで生きていくねん」 6
翌日の告別式。深夜まで及んだライブの疲れもものともせず、いつもの調子で妙玄は髪を整え、二十代という年齢を感じさせない落ち着きと、内から染み出るような高貴さをまとい、会葬者らを圧倒する威厳に満ちていた。
朱莉は入場してくる妙玄導師の堂々たる姿から目が離せなかった。一体どちらが本当の彼なのかと、意味のない疑問を頭に思い浮かべる。しかしすぐにそんな自分を俯瞰して呆れ、肩をすくめる。
「ちょっと、ぼおっとしてんと、しっかりやりや、復帰戦やねんからな」と読経が流れる中、飛騨がそろりと近づいてきて耳打ちする。
ぼおっとしていたつもりはないのだが、そう見えたのだろうか。
今回の葬儀では一度も故人の意識体には遭遇していない。いつもならわざわざ探すことなどしないのだが、洋介が慕っていた祖母とはどんな人物なのか今更ながら興味がわいて、辺りを見回していたのも心ここにあらずと見えてしまったかもしれない。気合を入れる為、ゆっくり息を吸って、短く吐いた。
ところがその時だった。
棺の中から何やら音がした。それははっきりと誰の耳にも届くような、この僧侶の美しい読経を乱れさせるほどの音で不快に響き渡った。
周囲は死者がよみがえったと騒ぎ立て、場内はさざ波が沸き立つように騒然とした。慌てながらも職員は会葬者らを鎮め、棺の周囲に集まり中を確認することにする。
そばにいた朱莉も仕方なくその場に歩み寄ろうとしたが、棺の蓋を開けた瞬間、即座にそれが誰の仕業によるものなのかが判ってしまい、歩みを止める。
会館職員らの手により開かれた棺の中の遺体には何の変化もなかったのだが、中から一匹の三毛猫が現れた。ミケランジェロだ。
ミケランジェロは狭苦しい棺から体を立て、伸びを一度するとあくびを一つ。すっと音もなく床に着地するとあっという間に祭壇を駆けのぼり、そこに居座った。
職員が捕らえようにも祭壇に上がるわけにもいかず、もどかしい空気が会場全体に流れる。
そして騒ぎの中にすっと現れた一体の乖離意識。
洋介の祖母、早苗である。
霊体を見て判断するものではないが、背筋は伸びており、恰幅がよく健康的で年齢よりも若く見える。
噂では農家だった亭主のあとを引き継いで残された田畑の土地をやりくりし、女だてらに資産を増やしたのだという。そうして資産家と言われるまで成り上がり、息子三人を育て上げた胆力は外見にも表れている。その際親族とも随分揉めたようだが、結果をみれば彼女には先見の明があったと言えるだろう。今や笠鷺市内を見回せば必ず一棟は『一条ビル』が目に入るほどの大資産家である。
「どういうことだ!」遺族の初老の男性が怒声をあげた。それを鎮めるように三十代と思しき洋介の叔父が前に出て「生きている猫を棺に入れるなど言語同断だ、誰がこんなことをしたのですか!」と感情を押し殺し冷静に周囲を見渡す。
無論、犯人は名乗りを挙げない。肩をすくませる洋介の姿が見える。
妙玄は読経を一旦留め、騒ぎを静観している。
朱莉は肩を落とし、またかと思う。この妙玄の執り行う式は荒れるというジンクスでもあるのかと。
遺族たちの狼狽する姿にさすがにいたたまれず、朱莉は祭壇の脇に座り猫の背をなぜる老婆の姿をした意識体に厳しい目を向ける。早苗は荒れ狂う寸前の葬儀を俯瞰して微笑んでいた。
彼女は事情を知っているということだろうか。
続いて朱莉は遺族席に座る洋介を見つめる。洋介は朱莉と目が合うと慌てて頭を垂れ、視線を避けた。
洋介が猫を連れてきていることを知る者は、ここには朱莉以外はいない。それに動物嫌いの母親が、それが早苗の飼っていたミケランジェロだという見分けもつかないだろう。
だが誰もどこかから迷い込んだ野良猫が誤って棺に入り込んだなどとは思わない。棺の蓋を開ける事は人の手でなければできないのだ。意図的に誰かの手によって入れられたとしか考えられない。
洋介は人びとが寝静まる通夜の夜、棺守りのタイミングでそれを行ったのだ。
誰がやったんだ、こんないたずらを、不謹慎にも程がある、とそこここで声が上がる。
やがて祭壇に腰かけていた早苗は笑うことをやめてたちあがり、洋介の方に向かって歩いてきた。そして項垂れる彼の頭を優しくなでている。ようやった、あとはまかしとけ、と言っているように見える。
妙玄はおもむろに立ち上がり、会葬者らに正対する。
「皆さまお静かに――お静かに。ここは故人に祈りをささげる場、なにとぞお静かに願います」マイク越しではなく、腹の底から響き渡る声は傍らに居た朱莉の背筋までをも伸ばさせた。
そして妙玄はちらと朱莉に目配せをする。どういう意味かは解らない。ただ、洋介と視線を交わし合っている彼が事情を知っていることだけは理解できた。昨晩妙玄の控室から出てきた洋介、故人の声が聞こえる妙玄、誰と誰の策だろうかと、下唇を噛み慎重に思考を凝らす。
「どうか皆さま、お心を鎮めてください。なぜ早苗さんの棺に猫が入ったのか、少し考える機会をいただきたいのです」
遺族も会葬者らも妙玄の言葉を聴こうと顔を向ける。
「どなたかこの猫に心当たりのある方はいませんか?」
式場内の者は互いに顔を見合わせ、首を振り合う。
「ぼ、僕が……僕がやりました! 僕が……ミケランジェロを入れました」
泣き叫ぶような声が響き渡り、会場内は一瞬にして静まり返った。声の主、一人の少年に全員の視線が突き刺さる。
妙玄は歩みを進め、洋介の手を取り立たせる。洋介の耳元で妙玄が何やら呟くと、彼は何度か頷いた後、顔を正面に向ける。
「おば、おばあちゃんに……頼まれました……その、自分が、もしも死んだら猫を一緒に……棺に、入れる、ことを……」最後は消え入りそうな声で少年は告白する。
上手く人と話すことが出来ず登校拒否になった洋介が、これだけの大衆の前で発言するのはさぞ勇気のいる事だろうと、朱莉は拳を握り洋介の祖母早苗のほうを睨む。彼女は微笑んだまま洋介のことを見つめている。
「あの猫は……おばあちゃんがずっと飼っていた猫です……家で猫を飼うことは許してもらえなかったから……里親を探そうとしたけど、僕には、友達もいないし、誰もいなくて――」
やや落ち着きを見せていた会場で、母親が洋介に歩み寄り、涙声で彼に語りかける。
「でもね、生きている動物を棺に入れるなんて良くないことよ、あなただってわかるでしょう」
「わかるよ、だけど、解ってもらうためにはこうするしかなかったんだ。誰もミケランジェロに気付かなければおばあちゃんと一緒に焼かれてた。でも、でもね、ミケランジェロは生きていてもそのままだと保健所に連れていかれて殺されるんだ。どっちでも一緒なら、どうしようもなかったらミケランジェロを一緒に連れてゆくって、おばあちゃんは言ったんだ」
苦々しい思いが朱莉の胸に広がってゆく。
どれだけ仕方がなかったとしても卑怯だ、こんなやり方は。公衆の面前でこんな告白をされれば洋介の母親は首肯せざるを得なくなる。
この計略を立てたのは他でもない、洋介の言う通り早苗だろう。それは妙玄を介して洋介に伝えられた。ミケランジェロを一緒に焼くつもりなど端からない、計画通りだったのだ。
「このミケランジェロは、もう行き場所なんてないんです。僕だってミケランジェロを死なせたりしたくない、だけど今の僕にはどうすることもできなくて……。このミケランジェロはおばあちゃんの……」
遺族も会葬者も唖然とし、洋介の毅然とした演説を聴いていた。洋介は明らかに最初よりも饒舌になっていた。
大勢の人前では話せないはずの洋介が、彼の学校のクラスメイトや教師も参列する二百名以上の会葬者を前に、朱莉が最初に感じた快活な印象のまま少年は堂々と、はっきりと、大きな声で述べた。
朱莉は老婆と妙玄がどんな顔をしてこれを見守っているのかと、視線を巡らせていたのだが、後頭部の方でボソリとだるそうな声がする。
(ちょっとぉー何騒がしい事やってるのよ、ああ眠い、酔ったぁ)
(――鞠さん、いいから。その辺で寝といてよ。今回出番なし、たいじょー、このっ、役立たず!)




