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第三話 「ウチはひとりで生きていくねん」 5

 通夜のセッティングが終わり、次々と会葬者が訪れるいつもの風景の中、洋介は気もそぞろといった風に落ち着かない様子で立っていた。


 まだ年端もいかない彼からすれば近親者を亡くすのはショックだろう。立て続けと言ってもいいほどである、三年前の父親のことを思い出しているのかもしれない。それに彼にとってはミケランジェロの行く末で頭が一杯なのだろう。


 上手く解決させてやりたいのは山々だが、朱莉の仕事は葬儀をつつがなく終える事。遺族の事後事情にまで首を突っ込むのは僭越というものだ。


 今回の導師は再び妙玄だった。


 あれ以来だが、相変わらず最初の精悍な印象と心地よい読経には感服させられる。


 以前の騒動であのやさぐれた態度を見せられた時、会館の職員一同は驚いたものだったが、僧侶とて人である。仕事の顔として僧侶の顔があるなら、一個人としてあんな面があっても不思議ではない。


 如月館長をはじめとした年配層からは、変わった僧侶だと笑い話で済んでいる一方で、目の前であの騒動を鮮やかに収めてみせたユニークな手腕も、若さゆえに出来た柔軟な対応であったのだろうと、会館職員一同は彼のことを高く評価し、将来有望な僧侶として見据えていた。


 逆にいざこざの引き金となった朱莉は館長から大目玉を食らい、将来を渇望されるどころか危ぶまれるといった半ば同情の視線を浴び、一週間の間現場を外され、午前中は掃除婦として、午後はみっちり再教育の憂き目にさらされた。

 

 通夜を終えた後、僧侶控室にお茶を運びに行くのも職員の仕事だ。正直妙玄と再会したときは、嫌味の一つでも言ってやろうかと朱莉は思っていた。


 ところが控室の前まで来たとき、朱莉はまたしても洋介と衝突しそうになった。彼が僧侶控室から突然飛び出してきたからだ。


「こらあっ! 走るなっつてんだろ!」


「あぶねぇあぶねぇ、ごめんよネエちゃん!」洋介は悪びれもせず駆けてゆく。


いったい少年が僧侶に何の用があったのか、親からのことづけかなにかだろうか。


 改めて朱莉は控室のドアをノックする。


 前回の葬儀の後は如月館長にこんこんと説教を食らっていて、彼と話をする機会がなかった。おそらくは同じ霊感応力者だろうが、今後のことも考えて彼の程度を知る必要があった。


 どうぞという言葉に、失礼しますとドアを開く。


 しかし、その目の前には、スリムのブラックジーンズに胸をはだけるようなダラダラのTシャツ、その胸にはシルバー系のネックレスが複数ぶら下がり、腕、手首、指にも同様にこれでもかとアクセサリーをちりばめた、とさか頭の男が胡坐をかいていた。


「うっおお?」


 朱莉が中年男性のような声を出さずにはいられなかったのは当然だ。脱ぎ捨てられた袈裟を傍らに確認せずとも、振り向き笑みを浮かべる男は確かに妙玄その人だったからである。


「おどかして悪いね、これからライブで時間ないんだ」そう言って、そそくさと壁に立てかけていたギターケースを引き寄せ立ち上がる。Tシャツの捲り上げた袖から覗く二の腕の筋肉を見た時、朱莉は淫靡な気分に陥り、胸がひと弾みした。


 余りのインパクトに、お茶を運ぶ手前訊こうと思っていたことも真っ白に吹き飛んでしまった。


 傍らには大型のバッグにわしゃわしゃと法衣が放り込んで詰めて無造作に置かれている。「あ、ちょっと、それちゃんと畳まないと」


「いいんだよ、どうせ明日も使うんだから。置いといて!」


「そんなのダメですよ」


「じゃあさ、キミやっといてよ。マジ時間ねぇから――あ、よかったら見に来てよ、崎井橋のライブハウスで演ってる。このチケット持っていったらフリードリンクだからさ」


 そう言って妙玄は朱莉にチケットを手渡して、長い脚に履き古したブーツをいそいそと履き始める。


「――今日はヘルプでね、ギタリストが盲腸で倒れてさぁ。こっちは仕事なんだから無理っつったのに、どうしてもって言われて。あ、だいじょうぶ、明日の告別式までには絶対戻ってるから」早口でそう告げると盆の上に置いた麦茶を一気に飲み干す。


「明日の朝って、何時までライブなんですか?」


「そのあとだよ。ライブの後には打ち上げるのがお決まりなの。そいつが何時に終わるかわからねぇ、ははっ」


 妙玄はちらと朱莉を見て笑う。


 その顔は読経の時に見せるあのアルカイックスマイルではなく、まるで洋介と同じ少年のような破顔で、とてもさっきまで念仏を唱えていた僧侶とは思えなかった。


「ああ、袈裟のことは気にしないで、冗談だよ。そのまま置いておいてくれたらいいから!」


「え、ちょっと!」


 妙玄は言い残すと会館の出口に向かって駆けていってしまった。


(なに、あれ? あれでも僧侶?)


 鞠が呆れるように、あの姿は遺族はもとより職員にもみられてはまずいものだった。


 彼が霊の声が聴けるなどと信じる者は誰一人としていなくとも、かの騒動を押さえたのが妙玄の僧侶としての一つのパフォーマンスであるとしても、黒づくめで、邪を祓う銀製品を身に着けていたとしても、やはりちょっと、いやだいぶ、不味いだろう。


(朱莉ちゃん……?)


 だが朱莉の目には少し違って映っていた。


「ま、鞠さん……法衣の畳み方、知ってる?」


(ほっときなさいよ、何で朱莉ちゃんがそんなことしなきゃいけないのよ! 大体僧侶にとって袈裟ってのは――)


「――いいから教えて!」




 通夜の後というのは会葬者を招いて、ちょっとした会席が営まれるのが通例となっている。多くは久しぶりに会する親戚筋や、かつての同僚、友人などが同じ席で酒を酌み交わして故人を偲んで昔話をする場となっており、それは極和やかな雰囲気の中で行われる。


 故人となった一条早苗は洋介の父方の母親であり、通夜にも近所の住民や洋介の亡き父の会社同僚、友人などが駆け付けてきており、通夜振る舞いの場は大層にぎやかだった。


 葬儀場職員の朱莉は通夜が終われば大抵終業であり、後は宿直の者を残して帰っても良いのだが、僧侶控室で妙玄の法衣を畳んでいるうちに、とっぷりと陽が暮れてしまっていた。


 手元に残されたライブチケットを見つめる。オープンは八時、後三十分、ダッシュすれば間に合うかもしれないと思い、急いで帰り支度をする。


 職員服を脱ぎデニムにサンダル、タンクトップにシャツを羽織ると小走りで職員用出入り口へと向かう。

その途中、洋介の母親を見かけて一寸立ち止まる。


 彼女も通夜振る舞いに残った親族や会葬者の対応に追われているのかと思いきや、照明を落とされ薄暗くなったロビーで、ビジネススーツを着た男と隠れるようにして話し込んでいた。書類の束を手にして洋介や会葬者らのことは気にも止めていないといった風に。


 人様の家の事情に口出しする立場ではないと、通り過ぎようとしたとき目が合い彼女に呼び止められる。うちの息子みませんでしたか、と。


 特に切羽詰まっているという様子でもないので、軽く肩をすくめ、見ていませんが、と応えるにとどめる。幼児が行方知れずというわけではないのだ、さほどに心配することでもあるまい。


 ところが職員用出入り口のドアを開いたところに洋介が座っていた。その傍らではミケランジェロが餌を食べている。


「あっネエちゃんだ。どうだった?」


「どうって――あ、まだ誰からも連絡ないよ」あわててスマートフォンを開いてSNSをチェックした。


「そっかぁ……」


「家族のとこにはいかないの? お腹減ってるでしょ」


「いいよ、別に。みんな忙しそうだし、それにミケランジェロが一人になるし」


 朱莉はバッグの中に入れたチケットを確認しつつ、スマートフォンを仕舞うと洋介の隣に腰を下ろした。


「よしっ、じゃあお姉さんがミケランジェロの事見ていてあげるから行ってきな、お母さんが探してたよ」そう告げると洋介は毎度の笑顔ではなく、どこか寂しそうな目をして顔をそらし、ゆっくりとドアを開いて館内へと戻っていった。


 ミケランジェロは人懐っこく、洋介がいなくなった後でも朱莉の膝の上で大人しくしている。白地にあしらわれた茶と黒のブチは不格好だが、毛並みは綺麗でつやつやとしている。大事に育てられてきている証拠だ。肉球を触ってみると赤ん坊の肌のように柔らかい。ずっと家で飼われていたのだなと想像がつく。


 箱入りだったミケランジェロがこれから外の世界に出て野性として生きてゆくことなど、出来ないだろうと思う。人の手によって育てられ、人以外のぬくもりを知らない猫。彼女の居場所は人の住む家の中にしかない。誰かが飼ってやらねばならないのだ。


 ふと、家で待っているトーコの事が気になった。今夜も晩御飯を用意しているのだろう。


 どうせもう八時を回ってしまった。ライブに行くのは諦め、妙玄への追及はまたの機会に持ち越すことにした。


 八月の月を仰ぎながら、昼間の鬱蒼とした熱気とは裏腹な心地よい風に身を任せ、目を閉じる。トーコは猫が好きだろうか、と考える。昼間一緒に居ればお互い寂しくはないんじゃないだろうか、などとも考えてみる。


 鞠から聞いた話だが、動物の目からは大抵の霊が見えるらしい。これは人間が理性によって封じてしまった霊感応力を動物たちはそのまま維持しているというだけである。だから霊たちも、動物の行動には反応する。稀に念話の上で意思疎通ができる個体もいるという。


 鞠が動物好きだというのはきっと、ほとんどの格下の霊はもとより、ある程度の霊感応力者以外とは相互認識できないからだろう。いくら鞠が守護霊としての立場で現世に居るとしても人の心を持つ以上、この限られた交友関係だけでは寂しいものだろうと朱莉は勝手に想像する。


「これからはばあちゃんともお話しできるんだよ、ミケランジェロ。まあ洋介君と話が出来るのはだいぶ先になるかもしれないけどねぇ」絹のように滑らかなミケランジェロの背中を撫でながら朱莉は語り掛けるように独りごちる。そして動物に話しかけるようなことをした自分が恥ずかしくなり、口を噤む。


 動物と人だけでなく、人と人ですら生きている時には一方的な理解しかできない関係性はあの世からすればもどかしいものだろうと思う。


 天上霊界では“思い”すなわち存在であり、理解を求める必要はないという。どの霊体の考えていることも瞬時に相互に認識し理解する。議論が必要であればそれもやぶさかではないが、ほとんどは一瞬のうちに結論が出る。あちら側に行った者は皆“真理”に触れる。そしてその中で生きるからだ。


 しかし霊体が再びこの世に生まれ落ちる時には、その膨大かつ偉大なる絶対のライブラリへのアクセス権を失い、全ての知識に蓋をしてしまわなければならなくなる。そして鎖につなぐ側とつながれる側に分かれ、人生を生きる。


 では霊感応力という能力は一体何のために備えられて生まれ落ちるのだろうかと朱莉は考える。


 自分と同じ霊感応力者がこの世にどれほどの数居るのかなど解らない。中には誰にも気づかれないようひた隠しに生きている者もいるだろう。だが、数は多くないだろう、もしそうだとしたらもっと霊や天上霊界に対する理解が深まっていてもおかしくはないからだ。


 やはり限られた数、それもこの世の法秩序、因果律を狂わせない程度の人間しか存在しないのだろう。だからかも知れない、数度顔を合わせただけの妙玄にシンパシーを感じたのは。ただそれだけのことなのかもしれない。


 とりとめない思考に取り込まれそうになっていたところ「ごめんごめん! ネエちゃん。ミケランジェロ大人しくしてた?」と従業員出入り口から顔をのぞかせたのは洋介だった。


「うん、とってもおとなしくしてたよ」言いながら欠伸が出た。


「あとは俺が何とかするからさ、ネエちゃん帰りなよ、家の人待ってるだろ」


 子供が大人の心配なんてするなって、と言おうと思ったがやめておいた。精一杯笑顔を作る洋介の両目は逡巡し視線が定まらなかった。キャリーバッグの蓋を開いてミケランジェロを誘い入れる。


「お母さんに心配かけちゃダメよ」


「わかってるよ。ばあちゃんとこにミケランジェロ連れて行ってくる」


「そっか……じゃあ、また明日ね」


「うん、また明日、ネエちゃんありがとな! 」


 ぶんぶんと勢いよく手を振る洋介の長い影が悲しく揺れていた。


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