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第三話 「ウチはひとりで生きていくねん」 4

「飛騨さん、今日は大きいですねぇ」朱莉は大ホールの祭壇を仰ぎ見て漏らす。


「地元の地主の婆さんやって。資産は億単位らしいで」会葬御礼の品を積んだ台車を押す飛騨は首を鳴らして「ま、普通の老人ならこれほどの葬儀はなかなかやらんよね」と段ボール箱の中身に視線を落とす。


 朱莉と飛騨は祭壇を確認し、本日の通夜の準備のため、事務所に戻る途中だった。


「うちじゃ飼えないって、何度言ったら分かるの、とにかくダメ」


 会館の廊下を足早に歩く喪服の女性は、ややヒステリックに言い放った。そのすぐ後ろを追い駆けてくるのは背の低いいがぐり頭の男の子。


「まってよ、たのむよ! ミケランジェロは他に行くとこがないん――」


 母を追いかけて廊下の曲がり角を飛び出してきた勢いで、男の子は朱莉の胸に顔をうずめる形で激突した。


「ぐっはぁ!」


 そう、激突したのだ。


「ありゃりゃ、だいじょうぶ?」飛騨が背中から派手に転んだ朱莉を無視して、男の子に駆け寄り助け起こす。


「コラ、朱莉! いつまでも寝てんとはよ立ちぃ」


 母親は立ち止まりちらと振り向いたが、飛騨が助け起こしているのを見て軽く会釈してすたすたと行ってしまう。


「げほげほっ、し、しださぁん! い、息出来ない……し、ぬ……まりさ……」


(胸がねぇ、もう少し……)


(うっ、うるさい! セクハラ! 鳩尾みぞおち激突だよ! 急所攻撃だよ!)


 朱莉が仕事用に首からストラップで提げている携帯電話が、少年の頭突きで朱莉の鳩尾に食い込んだのだった。おかげで少年は額の真ん中に小さなこぶを作ってしまった。


 飛騨は朱莉を最後まで助け起こすことなく、少年の治療を言いつけ台車を押してさっさと行ってしまった。


「廊下は走っちゃダメ、学校でも教わってるでしょ?」


「ここは学校じゃねぇし……それに――ネエちゃんがボインだったらお互い無事だったんだよ」ニヤリといやらしい顔で朱莉を仰ぎ見る。


「くっ……心身ともに傷つけるんじゃない! デカさじゃなくて突入角の問題よっ!」と朱莉はいがぐりの頭を指ではじく。


「ってぇえ! 児童虐待だっ!」


「余計な言葉は知らんでよろしい! ハイそこ座って!」


 朱莉は少年を座らせ、乱暴に額に絆創膏を張り付ける。


「なにこれ、こんなもんで俺のたんこぶが癒されるかよ! かっこわりぃ!」


(たしかに、打撲にそんなもん何の役にも立たないわよぉ)


「ええい、うるさい! 怪我したってことを認識できるかどうかがこの治療のポイントなの! 効果があるかどうかは二の次! ――――で、ミケランジェロがなんだって?」


 ハッとして少年は朱莉の瞳を覗き込む。


「ん?」


 朱莉は首をかしげて少年を促す。


「――ミケランジェロはばあちゃんの飼ってた猫だよ……」


「おばあちゃんってのは……」


 本日搬送された遺体、朱莉の住む笠鷺市の資産家の一人、一条早苗の孫にあたるのがこの少年、一条洋介である。父親を早くに亡くし、今は母親と二人暮らしの小学校五年生という。


 洋介は幼少のころから度々早苗の家を訪ねては彼女が飼っていた三毛猫、ミケランジェロのことを可愛がっていた。


 洋介の母親は三年前に亡くなった父に代わり、今は義母の保有する不動産の管理に忙しい身であるという。


 老人に一人暮らしをさせている手前、定期的に様子をうかがう体として都合がいいと考えていたのだろうか、洋介の母親も孫が近所の祖母宅にたびたび遊びに行くことを咎めることはしなった。


 しかし早苗が体調を壊し一週間ほど入院した際、洋介がミケランジェロを自宅マンションに連れ帰ろうとすると母親に烈火のごとく反対された。動物を家にあげるなど断じて看過できないと。


 まだ眼も開いていない頃から学校帰りには必ず祖母の家に寄り、ミルクをやり下の世話し、立派な三毛の猫に育て上げた。ミケランジェロが祖母の家に来て八年、洋介とミケランジェロは一緒に育ってきたようなものだった。


 洋介の母親は大の動物嫌いで、動物を触ることにも抵抗を感じるような人物だ、匂いも嫌、予測不能の行動も嫌、うるさいのも嫌、なにより汚れるし、家具や壁を傷つけられるのが許せないのだという。床に落ちた動物の毛を見つけただけでヒステリックになる。だから家に帰る前には丹念に服に着いた毛を取り払わねばならなかった。


 そんな中、祖母早苗が心不全で倒れた。


 早朝のことだ。


 放課後いつものように祖母の家に立ち寄った洋介は、早苗が出迎えてくれないことを不審に思い、合い鍵で部屋に踏み込んだ。しかし時はすでに遅く、彼女は傍らに座るミケランジェロに看取られるように布団に臥したまま息を引き取っていた。おそらく起き上がった瞬間に心臓が止まったためだろうという事で、事件にはならなかった。


 当然祖母の飼っていた猫を引き取ることなどできない洋介は、早苗の死去とともにミケランジェロの行き先を探さねばならなくなった。自分でできる限り飼い主を探すも、成猫はなかなか引き取り手が現れにくい。まして特別な血統がある訳でもなければ毛並みだってありふれた猫だ。


 しかしこれで引き取り手がなければ祖母の家の処分と同時にミケランジェロは行き先を失う。


 判っていたことだったが、飼い主が不在になって引き取り手がな場合ペットはどういう扱いを受けるのか、ということを母親に訊いてみたところ、保健所に連れて行くしかないでしょう、とにべもなく告げられた。


 そんなことは断じて許されるわけがない、手のひらに収まるような頃から育ててきたミケランジェロのことを簡単に処分すればいいなどという母親が信じられなかった。


 しかし自分がこの先の面倒も看るにも、それとて親の庇護下にある立場から発した我儘だと言われれば洋介に立つ瀬はない。


 とにかく頭を下げるしかなかった。ベランダであろうが押し入れの中であろうがミケランジェロを飼う事を許してもらえるように思い切って葬儀のこの日に嘆願したのだ。そのためにはなんだってするつもりだったという。


「へぇ、これがミケランジェロ?」


 洋介は自分のスマートフォンを手渡し、得意満面の笑顔で朱莉に画像を見せる。どうだ、可愛いだろう、と。


 しかしお世辞にも可愛い! と脊髄反射出来ないもどかしさが朱莉の眉間に現れる。


 尻尾は短くやや太り気味、両まぶたの上に黒い大きな斑点があり、針目もあいまってふてぶてしい顔に見える。けして見てくれがよい訳ではない。それに三毛猫なのにミケランジェロとは、シャレのつもりだろうが雌猫にはふさわしくはないだろう。遺伝的に三毛猫はほぼ雌しか生まれない。


――が、正直さは罪である。朱莉とて大人である。


「わぁあ、かわいい! あたしも猫だーい好き!」圧倒的犬派であるにもかかわらず嘘をついた。


「そうだ! なら、ネエちゃんが飼ってあげてよ! 連れてきてるんだ!」


 仕事中だと断ろうとしたのだが、事務所のドアを開いた飛騨からタイミングよく、忙しくなるから先に昼ごはん食べておけと、休憩時間を与えられる。


 嘘などつくものではない。特に他人に媚びた嘘は最悪だと、朱莉は今までの短い人生を改めて振り返り思った。


 ほほう、写真通りなかなか反抗的な感じの猫だなと、会館の裏口でコンビニ袋を腕に下げながら、パンをかじり、洋介が持ってきたキャリーを覗き込む。


「母さんには内緒なんだ、母さんは大の動物嫌いでね、父さんが居たら何とかなったと思うんだけど……。母さんは冷たいんだよ、だってばあちゃん独り暮らしなのに猫がいるって理由だけで、家に様子見に来ることもしないんだぜ? 今回だってもしかしたら……」


「ふうん。洋介君は友達とかいないの? 学校とかで探したら一人くらいは猫飼いたいって人いるんじゃないの」


「……俺、友達いないんだ……学校行ってないから」


 こんなに快活な男の子が意外かと思うかもしれないが、特定の場所でだけ極端に適応能力が失われるということはある。これは不安症や恐怖症の一種で環境の変化などにより発現することがあるという。


 洋介は父を亡くした三年前から学校の教室など人が大勢がいる場所や、少数でも複数の友達といる時は、なぜか息がつまって話すことができなくなったのだという。それが苦痛で学校からも友達からも遠ざかっていった。


「ふうん……こうして一対一なら喋れるってことか」


「うん……」


 それについて朱莉はどうしてやることもできない。同情はするが。それにここまで付き合って今更ではあるが、一言返事で動物を飼うなどと気安く請け負うことなどできない。せいぜい、知り合いにも当たってみるから、と自身のスマートフォンでミケランジェロのブロマイドを撮り、ほとんど使っていないSNSへと流して洋介に期待を持たせるのが精いっぱいだった。


 飼う事が出来ないわけではない。マンションの規約の中でも小動物の飼育は許可されている。


 だが朱莉は今まで動物を飼ったことはないし、特別思い入れがある訳でもない。あえて飼うなら、どちらだと問われれば従順な犬に限るだろう、というのがそれほど動物への知識のない朱莉にとっての結論である。


 なにより犬は霊を払ってくれるし、イヌ科である狐は神格化もする。対して猫は昔から化け猫などと言われるように悪霊との親和性が高く、猫を祀るようなことは極少ない。


(えー猫いいじゃない、私は好きよ。三毛猫は航海のお守りとか、養蚕が盛んだったころはお猫様って敬われていたのよ)


(うちは航海も養蚕もしてないから敬う理由がないの。だいたいどこでもひょいひょい飛び乗って、ダラダラしてる穀潰しじゃない)


(招き猫とかさぁ、縁起物なのよ)


 どうやら鞠は猫派であるようだ。というか鞠は動物全般が好きだ。


(それで霊でも招かれちゃたまりません。だいたい世話するのあたしじゃん)


(トーコちゃんがいるじゃない)


 おおそうかなるほど、と相槌を打ちそうになったが、いやまて。今までトーコをいいように扱ってきた朱莉のことを、散々非難してきたあんたがそれを言うかと、鞠との念話を一方的にシャットダウンする。


「じゃあ、もしネエちゃんの方で飼い主見つかったら連絡くれよな」


 洋介は朱莉の心中でどんな葛藤がなされていたのか知る由もなく、絆創膏を額に張り付けた元気な顔をむけて親族のいる控室へと駆けていった。


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