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第三話 「ウチはひとりで生きていくねん」 3

(シュリ様! おかえりなさい!)


 部屋に戻るとトーコが飛びついてきた。山岸に語ったように、このところは平和なものだ。むしろトーコが懐き過ぎて鬱陶しいくらいだ。


 トーコには、あくまでこの体でいる時分はシュリ・バーミリオンではなく、周防朱莉なのだから自然に接してくれた方が都合がいいと説明していた。魔王が魔王たる風情をかざせば、それだけ世を忍ぶ仮の姿である周防朱莉の外面にも影響し、不自然なものになってしまうためだと。無論これはトーコの前で、ドスの効いた声を出し続けるのが辛いと感じた朱莉の嘘八百である。

 

「おお、今日はパエリアか」


(はい、この前買ってただいたお料理の本を見て作ってみました。いつもながら味見は出来てないんですけど……)


「トーコは料理が好きだねぇ。でも助かるわ、あたしはどうも苦手でね」


 食欲に押されダイニングテーブルの椅子をひき早速席に着く。残念ながらビヤガーデンにはありつけなかった。山岸から聞いた事件当時のことを必要以上に追及されるのが嫌だったので、早々に席を辞してきたのだ。


(私、作ったお料理をみんながおいしいって言ってくれるのが本当にうれしいんです。シュリ様も今度作ってみませんか、私が教えますから――――あ……すみません出過ぎたことを……)


 トーコは慌てて口を噤んで、視線をピカピカに磨かれた床へと落とした。


生前の彼女がどんな生活をしていたのかを聞くまいとしていた。もはや自分とは関係がないし、彼女の過去がどうであれもうすでにこの世の存在ではない、要するに水に流したとて誰の禍根も残しはしないのだ。


 天上霊界へ還るという霊の進むべき方向はある。罪を犯した魂だからといって地獄に堕とされるわけではない。昇天つまり仏教でいう成仏することは可能なのだ。


ほとんどの昇天できない魂は彼ら自身の問題に基づいている。このトーコも家を守らねばならないという思いだけで残念して霊体としてとどまっているのだ。


この一か月と数日、不動産屋の山岸の杞憂をよそに予想以上にうまくやれている。朱莉自身今の生活に不満はないし、むしろ楽しいとさえ言える。唯一彼女を認識しているのがここに居る自分で、ここにしか彼女の居場所がないという事実は朱莉に保護欲を芽生えさせるに十分だった。


地縛霊とはいえ年端もいかない少女だ、未来に夢や希望を持ったとて叶うことはなく、まして自分で作った食事も食べられない。


自分が仕える主が魔王の権現で、畏れ敬いこのような態度をとっているのだとしても、端々で見せる愛らしい表情に殺人鬼の片鱗は見当たらない。朱莉の中でトーコに対する気持ちの変化は確実に行われていた。


(シュリ様、お味の方はどうですか?)


「ねぇ、トーコはさ……」


 彼女のおかげで、独りの食事の寂しさを紛らわすためのテレビは不要だった。


(なんですか?)


 ダイニングテーブルの向かいの席でセーラー服にエプロンのまま、行儀よくちょこんと座るトーコが首を傾げて微笑む。


「――いや、なんでもない」


 しばし二人の間に沈黙が流れる。


 朱莉は彼女に美味しいよ、と告げることを躊躇する。


食事という行為を誰かと共有できることの幸せを考える。もしもこれが本当に二人で食事が出来ていたならば、もっとおいしいと思えるのではないだろうか。味覚の共有と同調。いや、食事だけではない。肉体をもっているという事はあらゆる同異の感覚を共有する、あるいは議論する。


 肉体を持つ朱莉と、肉体を持たないトーコは一つ屋根の下に住まいながらも、ほぼ何一つとして共有できない。当然のことだとはわかっている。彼女は死者だ。


 人が亡くなるとはそういう事なのだ。死者は見えない別の世界、別の次元に行き、二度と生者と交わることはないという事実を認めざるを得なくなる。同じ時間を過ごすことも同じ空気を吸う事も手を握り合うこともない。


 人は人の死を悲しむ。


 それは永遠にこの先を共有できない寂しさゆえだろう。


 話すことすらできない。


 霊と話をする、霊の声を訊く、彼らを認識し感応し、コミュニケーションを取ることのできる朱莉はそれをずっと面倒な能力だと思っていた。だが恋人と生き別れた者、伴侶を失ったもの、子を亡くした者、皆愛する誰かの声ならば一時でもあっても聴きたいと思うだろう。


 天華会館に来てから、そのような人々を多く見てきた。誰もが死者に対して涙を流していた。永遠の別れを惜しんで。


 霊たちは――肉体を離れた霊たちの全ては生者の行いをつぶさに見ている。葬儀の場には必ず居る。彼らに死を理解させるのが葬儀という儀式であり、僧侶の念仏であり、かつて近しい者たちの悲しみに暮れる姿だ。中にはひねくれた者もいたが、最後には快く天上霊界へと昇ってゆく。笑顔すら見せて。


 死が認められない者はこの世に残り続け、きっかけがない限り一つの場に居座り続ける。また、このトーコのように死を認識していても、ここに居るしかないと囚われ続ける者もいる。


 しかし、その理由は様々あれど、肉体から離れた霊には現世にとどまる理由は原則としてない。ここは生きるものの場所であり、死者の魂はあるべき場所、すなわち天上霊界へと還らなければならない。彼らには彼らの次の人生がある。あるいは次の為すべきことがある。


 トーコを成仏させる。


 これまでも何度か考えていたことだ。


 話し合い、理解し、認める。


 けして頭ごなしに命令するのではない。彼女が納得してこの世から去り、天上霊界へとシフトする助けに自分はなれないだろうかと。あの妙玄和尚のように。

 

(あの、ひょっとして不味かったですか?)


 朱莉は即座に首を振って否定する。


「おいしいよ。とっても……」


(シュリ様?)


「涙が出るほど……おいしいよ、ありがとう」


 そんなことを考え出すと悲しくなる。


 だからずっと避けてきていた。


 正直、こんなおいしい料理を作ってくれる家政婦を、ただで天上霊界にくれてやるのは朱莉の食欲が許さなかった。


折角この素晴らしい住環境を手に入れたのだ。


 今まで散々霊によって悩まされ続け、通常生活を犠牲に、人間関係を破壊しながら生きてきたのだ。そんな自分が今、この時、霊の力によって報われないでなにが平等か。


 この世界に霊感応力を縛る法の仕組みはない。能力を食いだねにする者もいれば、人助けに奔走する者もいる、そして積極的に悪事に手を染めるものもいる。


 だが霊感応力者、周防朱莉は目の前のパエリアをはじめとして、今後提供されるであろう料理への期待に胸を膨らませるのである。




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